2012年09月30日

農村舞台2012/ありがとうごさいました














大地の芸術祭~農村舞台
と続いた私のライブは
まもなく終着駅







嵐の前の静けさ
小田木に向かう途中ヒガンバに心とられて小休止







地元の山田良稲さんと作品撤収の打合せ
●小田木の人形復活に向けて地元に寄贈
●小田木八幡神社の祭礼で吹き流しのようにして再展示
することで合意

いくつか再制作のプランもあったが
お世話になった地元に里帰りできればこんな嬉しいことはない








「ライブがあると思ってくる人がいるかもしれないので
開演時間まで会場で待機している」と
小野市民文化会館館長と近藤事業課長

立て看板を要所要所に立てたり
チケットの払い戻しの協議をするなど裏方も大変










台風が速度を速めたのかにわかに雲行きが怪しくなってきた
写真は「稲武で小さな散歩Ⅱ」で紹介した国道257号線と名倉川

農村舞台アートプロジェクトはまだしばらく続くが
大地の芸術祭~農村舞台と続いた私のライブはまもなく終着駅

「もう少しできたのではないか」と反省は大きいが
ひとまず小休止
ありがとうございました  


Posted by かとうさとる at 20:45 | Comments(0)

2012年09月30日

農村舞台2012/今夜予定の恵那文楽は中止










残念ですが…

今夜、稲武の桑原町熊野神社農村舞台で予定していた
視聴覚ライブラリー制作の「消えた伝統芸能~小田木人形座」上映と
恵那文楽の上演は台風17号のため中止に決まりました






お手数ですがチケットの払い戻しなどは
公益財団法人豊田市文化振興財団文化部文化事業課に
お問い合わせください
☎0565-31-8804




アート作品は今日が最終日
予定どおり展示



稲武地区の農村舞台4会場で開催されている
農村舞台アートは予定通り展示します

今日が最終日です
台風が気になりますが
お出かけいただければ幸いです

私は午後から会場に出かけるつもりです
お声をかけていただければ幸いです










■かとうさとる「人形は葦舟で里帰り」(構久夫撮影)
■小田木町八幡神社人形舞台跡地
小田木人形座の里帰りを願ったインスタレーション







■物部浩子
■御所津町誓約神社農村舞台 
御所貝津の名の由来になった伊良親王の歌碑を
書で読み聞かせたインスタレーション







■加納恒・加納茂登美
■川手町八幡神社農村舞台 
灯りに透ける小原和紙のインスタレーション







■石田真典
■押山町熊野神社農村舞台 
県指定の小田木人形座のカシラ45点と
なぜか数えられていない2体の人形の計47点を
写し撮った入魂のインスタレーション











  


Posted by かとうさとる at 09:50 | Comments(1) | 農村舞台

2012年09月30日

農村舞台2012/稲武で小さな旅Ⅱ 名倉川











台風の進路が心配


9月29日(土)
台風が接近しているため
御所貝津町誓約神社農村舞台の物部浩子さん
川手町八幡神社農村舞台の加納恒さんと加納茂登美さん
押山町熊野神社農村舞台の石田真典さん
の作品の管理状況を確認

農村舞台アートプロジェクトが稲武地区に決まってから
何度も往復しているコースだが
国道153の稲武交差点から岐阜県境の押山まで
国道257の両側に迫る山々と名倉川が織りなす情景は
山水画を見るようで飽きることがない







名倉川は北設楽の山々の湧水を集めて
写真の岐阜県と愛知県を分ける赤い橋近くで
矢作川に合流する矢作川の支流の一つ(7月16日撮影)







名倉川のビュースポット押山大滝(7月16日撮影)

矢作ダムの湖から遡上する尺ヤマメや尺イワナ
あの幻の桜マスも潜んでいるという噂もあり
私はこの滝を見ていると昔の釣りキチ三平に戻ってしまいそう



名倉川は
まだ夏の名残り








名倉川のビュースポットは大井平公園など
いくつもあるが私のお薦めは
稲武交差点から恵那方面に向い夏焼町から川手町にかけて

メロディートンネルで知られる川手トンネルもお薦め










香嵐渓のような錦の紅葉もいいが
私は落葉広葉樹の自然な彩どりに惹かれる










鮎は既に落ちて川面は晩秋の気配が漂っていたが
名倉川はまだ夏の名残り




  


Posted by かとうさとる at 02:19 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月29日

玄関を秋冬バージョンに衣替え 










昨夜、玄関周りの書画陶器を秋冬バージョンに衣替え
仕上げに「花」を活けてオシマイ

花⇒椿の小枝、楓の小枝、コスモス、カサブランカの残り花
器⇒染付鉢  


Posted by かとうさとる at 11:03 | Comments(0) | 花日記

2012年09月29日

農村舞台2012/明日稲武で恵那文楽上演






心配は台風の進路






農村舞台アートプロジェクト2011より恵那文楽上演


明日30日(日)は
夜の6時から稲武の桑原町熊野神社農村舞台で
「消えた伝統芸能~小田木人形座」の上映と
300年の歴史をもつ阜県無形文化財「恵那文楽」の上演を予定

心配は台風の進路で今日も朝早くから
「暴風警報が出たらどうしよう」と文化振興財団から電話
「明日の午前中に判断するしかないな」と私







当日配るプログラム原稿に
【幻の小田木人形座の復活に向けた可能性を
地元の皆さまとともに探ってまいります
千里の道も一歩と申します
皆さまのご理解とご支援を賜りますよう
宜しくお願いします】
と書いたが台風は想定外




  


Posted by かとうさとる at 10:52 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月27日

残った花でお遊び







残った花をいけるのは賄い料理と同じで工夫次第
まあ固い事は抜きにしてお遊びお遊び
  


Posted by かとうさとる at 23:49 | Comments(0) | 花日記

2012年09月27日

籠川は近場に残された最後の里川





矢作川の支流籠川は猿投山の湧水を集めて流れる里川で
私の寄り道の定番コースの一つ

今日も打合せの帰り籠川にハンドルを切って
ぶらりぶらり進むと釣り人が一人







白ハエ釣りでもしているのかなと車を停めて見ていると
渓流竿をキューンと曲げて20㌢ほどの魚を釣り上げた
白ハエでもウグイでもない
何んだろう

河原に降りて「何が釣れたの」と私
「鮎」と釣り人

籠川を沢山の鮎が遡上しているという話は聞いていたが
こんなチャラ瀬で釣れるとは…







籠川は砂川で鮎の餌になる苔がつかないため大きくは育たないが
それでも時々20㌢を越える鮎が釣れるというから目から鱗
写真は「よかったら持っていきん」と手土産にいただいた鮎

一般的には余り知られていないが籠川は
源氏ホタルが乱舞するなど近場に残された最後の里川で
この環境を次代の贈り物にしたいもの  


Posted by かとうさとる at 22:28 | Comments(0) | らくがき帖

2012年09月26日

彼岸花をいける









花⇒彼岸花
花器⇒高岡鉄器





花は美しいけれど

いけばなが美しいとはかぎらない

花は いけたら 花ではなくなるのだ

いけたら 花は 人になるのだ

それだから おもしろいし むずかしいのだ

自然にいけようと

不自然にいけようと

超自然にいけようと

花はいけたら 人になるのだ

花があるから いけばなは できるのだが

人がなければ いけばなはできない

(勅使河原蒼風「花伝書」より)

  


Posted by かとうさとる at 22:13 | Comments(1) | 花日記

2012年09月25日

ふりむけばもう秋も半ば









よく考えたらここしばらく食事をつくるのが面倒で
ろくなものしか食べていない







こんなに時はアタマを冷やすのが一番
いきつけのニューズウィークでコーヒーブレイク
帰路伊保川の堤防で空を見上げると夕映え







暇な私は夕映えを追跡したが
ふりむけばもう秋も半ば
  


Posted by かとうさとる at 22:46 | Comments(0) | らくがき帖

2012年09月25日

農村舞台2012/稲武で小さな旅Ⅰ 武節城址





















農村舞台アートフェスの
楽しみは地域を巡る小さな旅









マップでわかるように稲武は岐阜県と長野県に接する県境に位置し
県内の区分でいうと元は北設楽郡稲武町で奥三河文化圏の一つ

もう少し変遷を記すと
1940年 稲橋村と武節村が合併して稲武町に
2003年 東賀茂郡に移行(東三河から西三河に移行)
2005年 豊田市と合併現在に至る






アクセスと問合せはこちら




先ず武節城址を尋ねてみよう






稲武の玄関「道の駅」の東の斜面に武節城址の看板が見えるが
道行く人は余り興味がないのか城址にハンドルを切る人は少ない

武節城址はトンネルの手前の道を左折
道なりに進んで行くと本丸跡の広場に出る







武節城址の文字は稲武出身で妙心寺管長を歴任するなど
昭和を代表する禅僧山田無文師によるものとのこと







説明文を要約すると
武節城は永正年間に北設楽郡の田峯城主菅沼定信によって築城
信州と美濃の国境に接することから情報の最前線基地として
武田、徳川の狭間でたびたび戦乱に巻き込まれた







兵どもが夢のあと武節城址本丸跡

城址は二の丸、三の丸と階段状に下がり
周囲には十数カ所の曲輪の跡ががあり
500年前の空堀が当時の名残をとどめている







武節城址から見た武節の町並み

元亀2年(1571)4月、武田信玄は本格的な三河侵攻を開始
2万5千の大軍を率いて飯田から南下
袖路峠を越えて城下に迫り
武節城は戦わずして武田の軍門に下った
小さな城の宿命で哀れ

信玄はその足で足助城を落とし
下山から作手へ登り亀山城を落とし
新城に降り野田城を攻め
吉田城を脅かして甲州へ帰ったというから
信玄は私が作品を展示している小田木八幡神社の前を
通って足助に向かったはず

武節城址の説明に「武田勝頼ゆかりの」とあるのは
天正3年(1575)5月21日
長篠の戦に敗れた武田勝頼は段戸山を越えて
武節城にたどり着き
一泊して信州諏訪へ逃れたという伝承によるもの







野入りから地蔵峠へ

飯田から袖路峠を越えて野入の地蔵峠を越えると武節城は眼下
風林火山の旗印を立ててこんな峠をいくつも越えなければ
次に進めない武田軍は地の利がなく
上洛を果たせなかったのもむべなるかなで
信玄も悲運




紅葉の名勝
大井平公園もお薦め







豊田の紅葉前線がスタートする大井平公園は
幕末から維新の歴史資料の宝庫「古橋懐古館」で畏敬する
篤志家古橋家が造成した自然公園







名倉川の清流に紅葉が映えるのはまだ先









  


Posted by かとうさとる at 13:19 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月23日

岩倉神社農村舞台で吟舞夢舞台












歳はとっても
やることはみんな一緒




小田木の帰路
岩倉神社農村舞台で吟舞夢舞台一座が演っているのを
想い出して旧西中金駅の駐車場に車を止めた







石野歌舞伎で知られる市指定文化財の岩倉神社農村舞台は
文化5年に建てられた廻り舞台のある本格的な地芝居の舞台







お客さんは農村舞台の楽しみ方を知った見巧者ばかり







吟舞夢舞台は詩吟や剣舞などで活躍する先生が一座を組んだもので
この夜の出し物はNHK大河ドラマから構成吟「平家物語」

一番盛り上がったのがこの場面
地元のオジサンたちのスーパーヒロイン
日本舞踊芳琳流の家元芳琳美生希さんが花道から登場すると
花吹雪のようにオヒネリが飛んで
歳はとってもやることはみんな一緒

ちなみにこの夜のオヒネリは
後日一座の反省会で金額が披露され美味しい酒の肴に

  


Posted by かとうさとる at 23:54 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月23日

さァ今から稲武に出かけようかな…





そろそろ限界かも


昔、インコを可愛がっていたことがある
家族の一員のように部屋中を自由に往来していた

あるとき姿が見えないため
「インコどこに行った?」と聞くと
妻と息子が「○○ちゃんは(インコの名前)お父さんみたい」
笑って答えない

後日、本箱の隙間に塵紙などをせっせと運びこんで
巣作りの真似ごとをしているインコを発見







その時はまだ自分の性格に気がついていなかったが
今朝、日々ゴミ屋敷化していく自分の部屋を見て
「こういうことか!」と苦笑







部屋の乱れは生活の乱れで
怖いのは心のゴミ屋敷化

昨夜も着の身着のまま横になってしまった
今は乗り切るしかないが
そろそろ限界かも



余談に逸れたが昨日は
農村舞台アートプロジェクト2012
稲武アートフェスティバルの初日







私は案内を出すのを忘れてしまったが
芳名録を見ると一番乗りは前夜東京からきたという山田まさ子さん
名古屋からも多くの人に足を運んでいただき感謝

他の三会場も上々の評判で
プロデューサーの歓びというのは
こういうことか、と再認識







陽が傾いたため稲武道の駅「どんぐりの里」で
中馬のあかり展を見ながら食材の買い出し







「今日から新米売り出し」の看板を見て食指が動いたが
甕の米が無くなってからと我慢







稲武道の駅「どんぐりの里」からの帰路
国道から小田木八幡神社の作品の灯りが見えたため
再びハンドルを神社へ







地元の山田良稲さんは
「夜見に行ったうちの従業員が良かったけど怖かった」と
言っていたと、笑ったが納得







家に帰ると妻有の手土産に買ってきた
カサブランカとグラジオラスが満開
いまの私にとって「花」は家族のようなもの

さァ今から稲武に出かけようかな…  


Posted by かとうさとる at 11:44 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月21日

私がタイトルを「人形は葦舟で里帰り」とした理由















人形は葦舟で里帰り







小田木人形座は江戸時代中頃この小田木の地に伝えられたが
明治8年「村中倹約申合」を最後に途絶えた幻の人形座である







どのような経路でこの地に伝わったのか定かではないが
八幡神社の境内を伊那谷と三河を結ぶ中馬街道が通り
馬宿の門屋に家元があったというから
「出馬千疋、入馬千疋」を数えた伊那谷の人形ブームが
ときを経てこの地に伝わったのではないか








今は郷土資料館「ちゅ-ま」で深い眠りについているが
私たちに「元の人形舞台に帰りたい」と訴えているように
思えてならない






タイトルの「人形は葦舟で里帰り」は
古くはエジプトの壁画に描かれるなど
世界各地で今なお語り継がれている
葦舟にまつわる神話や民間伝承に想を得たもので
幻の小田木人形座の復活を願ったものである








夜の帳がおりた小田木八幡神社人形舞台跡地








  


Posted by かとうさとる at 23:29 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月21日

農村舞台2012/稲武でアートフェス開幕
















農村舞台アートプロジェクト2012
稲武でアートフェスティバル

■会期⇒2012年9月22日(土)~30日(日)









①小田木町八幡神社人形舞台跡地






■かとうさとる(現代いけばな・空間造形)
明治8年「村中倹約申合」により途絶えた
幻の小田木人形座に想を得たインスタレーション
(「人形は葦舟で里帰り」参照)




②御所貝津町制約神社農村舞台






■物部浩子(書)
後醍醐天皇の皇子、宗良親王は遠州井伊谷城に赴き
この地にも大きな影響を与えた
その宗良親王の御子、伊良親王が一時御所貝津に滞在
多くの伝承を今に伝えている
写真は伊良親王の歌碑に想をえた書のインスタレーション




③川手町八幡神社農村舞台






■加納恒(造形)・加納登茂美(小原和紙)
手漉き和紙を透ける灯りがやさしい
インスタレーション




④押山町熊野神社農村舞台






■石田真典(写真)
幻の小田木人形座のカシラと衣装は
愛知県有形民俗文化財に指定され
今は稲武資料館「ちゅ-ま」で深い眠りについている
石田さんは小田木人形座の復活に向け
現存する全てのカシラの撮影に挑戦
入魂の展示は必見



会場マップ







問合せ
■公益財団法人豊田市文化振興財団
☎0565-31-8804
■稲武交流館
☎0565-83-1007





近くにはこんな看板が立っています



ちなみに私は
22日(土)・23日(日)・29日(土)・30日(日)の午後
会場にいる予定をしています
(もしいなかったらゴメン)


  


Posted by かとうさとる at 22:51 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月20日

小田木八幡神社で「(仮)人形は葦舟で帰る」を制作











現場はライブで
ハプニングはつきもの






「橋の下世界音楽祭」の永山さんから「作品に使ってほしい」と
提案された葦舟は矢作川に沈んでしまったとのことで
代わりの葦舟が届いたが一回り小さく急遽設置プランを変更

現場はライブでハプニングはつきもの
空間の中で葦舟が最も存在感を出せる位置を読みとって
決めたのがこのポジション








葦舟に向かって空間のポジションを決めていく





まァこんなものかな













あとは明日キャプションを用意するだけ





手伝ってくれた
佐藤さんと山田さんに感謝






右から深見町の佐藤さん
小田木で水道工務店を経営する山田良稲さん
稲武交流館長の後藤修二さん
小田木前区長の松井さん



葦舟を提供してくれた
橋の下世界音楽祭の永山さんと
社団法人犬山農芸理事佐藤錬さんに感謝






佐藤さんは2年前名古屋市で開催された
生物多様性条約第10回締約国会議にあわせて古代舟「葦船」を復元
伊勢湾を横断しお伊勢参りを実現した製作プロジェクトの
中心メンバーの一人
















  


Posted by かとうさとる at 23:09 | Comments(0) | 農村舞台

2012年09月20日

初めて秋山郷に入る

















もしかしたら
妻有はこれが最後かもと
ハンドルを秋山郷へ







9月18日(火)
大地の芸術祭閉会式の帰路
津南で道路標識に秋山郷の文字が
「もしかしたら妻有はこれが最後かも」と
ハンドルを秋山郷へ








津南の町並みと信濃川

秋山郷は津南から国道405を群馬県境の山並みに向かって直進








津南の信濃川と中津川がつくる河岸段丘は国内最大規模で
こんな河岸段丘をいたるところで見ることができる








秋山郷は谷底を流れる中津川の最上流部で
「秋山紀行」を著した江戸時代の文人鈴木牧之は
津南を出立し秋山郷に辿りつくのに
一週間の余かかったというが納得








秋山郷の案内看板
今回はここまで来たというだけで十分

私の悪い癖で案内看板を確認もせず
長野県の栄村に出る道があるはずと
そのまま車を走らせると
小さなガソリンスタンドが見えてきた

「長野道で名古屋に帰りたいがこの道でいいですか」と私
「少し時間はかかるがこのまま行けば志賀高原から
信州中野インターに出るので大丈夫」と店員
「道はこの道で大丈夫?」と私
「大丈夫!」と店員





ウソッだ!
国道405が消えた








確かに国道405の道路標識はあるが
道路が消えた

「道に迷ったら元きた道に戻れ」が鉄則だが蛇の道は蛇
私は強引に一般道にハンドルをきってしまった
いいトシして無謀








中津川に架かる狭い橋を渡って対岸へ








しばらく進むとこんな看板が…
どう考えても志賀高原越えはムリ
どうしよう




山ガ―ル登場






さすがの私も少し心配になってきた
そこへ山から山ガ―ルが降りてきた(ラッキー)

「志賀高原に抜ける道を探している」と私
「ハハハ」と笑う山ガ―ル(何をバカなことを言っているという意)

「わかった、じゃァ長野県の栄村に出る道を教えてほしい」と私
「おとうさん、登山道に車を置いてあるので
そこまで乗せて行ってくれれば教えてあげる」と山ガ―ル

「歩いたら!根性のない奴だなぁ」と私
「ハハハ」と山ガ―ル
「わかった、どうせ一人だから乗ったらッ」と私







あの山の尾根を縦走してきたというから
「根性のない奴」は訂正
目標は100名山完全制覇と山ガ―ル

(注釈)
鳥甲山(2,037m)は日本200名山の一つで
岩壁が荒々しく厳しいため信州の谷川岳と
登山者に親しまれているそうだ








猿の大群をよけながら運転(猿が見えるかな)
もし熊が出てきたらどうしようと不安になったが
よく考えたら既に熊?を乗せているようなもので
バックミラーの山ガ―ルにアイコンタクト
勘のいい山ガ―ルもアイコンタクトでいい雰囲気







鳥甲山の登山道で山ガ―ルと別れて栄村へ

袖すり合うも他生の縁
去り難さに後ろを振り向きながら
道路標識を見ると「国道405」
結局津南に逆戻り
私の人生を見るようで笑ってしまうが
帰る故郷がある幸せに感謝
  


Posted by かとうさとる at 02:25 | Comments(0) | 越後妻有2012

2012年09月20日

古民家に命を甦らした「奴奈川姫の家」












集落の人にお礼のご挨拶






芝峠温泉の近くから見た蓬平集落
写真中央白い横断幕が小さく見える杉木立の中が
蓬平いけばなの家

「お世話になりました」と集落の人にお礼のご挨拶
朝採りの野菜を手土産にいただいて
妻有に新しい親戚ができたみたい
その足で室野集落の古民家「奴奈川姫の家」へ




古民家の構造美に
言葉を失う






「奴奈川姫の家」は私のワークショップに参加いただいた
十日町の岩田重信さん、金由起さんご夫妻が
元は茅葺きだった築140年の古民家を5年をかけて改修した別宅








一階の部分
見事な梁と洗練された空間構造に絶句
思わず「内部は直されたのですか」と私
「いいえ、元の形に戻すために改修したもので
140年前のままです」と岩田さん

「大地の芸術祭がはじまる前まで
古民家は価値のない建物といわれて見向きもされませんでした
私たちの願いはこの家が次の人に受け継がれていくことです」と
岩田さん








こちらが二階
峠の「脱皮する家」は彫り込むことで
古民家に新たな生命を与えたが
「奴奈川姫の家」は元の構造を露わにすることで
古民家に生命を甦らした

「失礼ですけど岩田さんは何をされている方ですか」と私
「十日町で草木染めの伝統工芸士をしています」と岩田さん
「ふるさとの宝物を発掘保存する会の会長もしています」と奥さん

柱や梁の質感は草木染め染料で岩田さんが
一筆ひと筆塗ったとのことで最高の贅沢
これで疑問は解けたが世の中は広い

最後に積雪について尋ねたところ
「玄関の庇まで雪で埋まります
冬の妻有もいいですよ
今度は冬に遊びにいらっしゃつてください」と奥さん


居間で「十日町でトコロテンっておかしいでしょう
でも私は好き」と奥さんにトロテンを奨められたが美味
いただいたお茶も美味しく
全てが贅沢








ご夫妻からいただいた案内








こちらは「ふるさとの宝物を発掘保存する会」のお仕事

  


Posted by かとうさとる at 01:10 | Comments(1) | 越後妻有2012

2012年09月19日

兎口温泉の野天湯にもお別れ















ところが工事でお休み



今日は農村舞台アートプロジェクトで使う葦舟の設置のため
4時に東海環状藤岡インターで
橋の下音楽祭の永山さんと待ち合せ
その前に前回の続き








兎口温泉は以前にも紹介した松之山地区にある野天湯
場所は写真の植木旅館から徒歩で数分の雑木林の中

植木旅館に着くと駐車場に三河ナンバーの車が
近くで里山を撮っている男性に
「あの車はあなたの車ですか」と私
「そうですけど」と男性
「私は豊田からきたけど、どこ?」と私
「私は岡崎」と笑顔で男性

「大地の芸術祭で…」と私
「昨日は敬老の日で親孝行ですわ」と少し照れて男性
「私も親父もお袋もここの湯(植木屋)が大好きで
毎年来ている」と男性

で、目的の兎口温泉だが
18日(火)・19日(水)配管工事のためお休みの貼り紙で呆然

「ここの(植木屋)の女将さんに頼んで内湯に入れてもらったら
私が話してみましょうか」と男性








ここが男性が家族で岡崎から毎年通うという植木屋の内湯
泉質は太古の原始海水で折り紙つき








板の向こうは女湯

ロビーの壁を見ると名人の三遊亭園生をはじめ
著名人のサインと紹介された新聞記事がいっぱい

「パンフレットか何かありますか」と私
「パンフレットはおいてない」と女将さん

宣伝しなくてもリピーターで十分ということらしいが
また一つ妻有の温泉コレクションが増えて感謝
(続く)

  


Posted by かとうさとる at 14:56 | Comments(0) | 越後妻有2012

2012年09月19日

美人林にもお別れ










最後の夜は美人林で
満天の星を見ながら野営



(前回から続き)
耳鳴りのような虫たちのシンフォニーを聞きながら
天空を見上げると満天の星空









星が一つ消え二つ消え
最後の一つが消えて夜が明けてきた








美人林はアマチュアカメラマンの聖地で
既に何組ものカメラマンが重たいカメラをセットしてスタンバイ
デジカメで撮っているのは私だけ

















もう十分
(続く)

  


Posted by かとうさとる at 03:13 | Comments(0) | 越後妻有2012

2012年09月19日

大地の芸術祭閉会式/僕らは忘れないつまりの夏











農舞台で
大地の芸術祭閉会式
感動という最高のご褒美を
手にしたこへび隊



(注釈)
「こへび隊」は首都圏の学生を中心に
全国各地から集まった大地の芸術祭を支えるボランティア組織
香港や台湾の大学生など海外から参加したこへびも


9月17日(月・祝)51日間にわたって開催された
大地の芸術祭越後妻有アート・トリエンナーレ2012が幕を閉じた








陽が落ちるとあちこちでこんな輪が渦のように湧きあがった








佐渡の鬼太鼓座の雷鳴のような大太鼓で
閉会式は一気にヒートアップ








ダイダラボッチのような大男も登場








私の聞き違えでなければ朝鮮通信使の行列らしい
なんで朝鮮通信使なのかわからないが
大地の芸術祭は何でもアリで愉快








ステージではこへび隊が51日にわたる大地の芸術祭を
自作自演のパフォーマンスで紹介

NHKの子ども向け番組みたいでみんなクスクス
それにしてもいつ練習したのか不思議








最後はこへび隊全員がステージへ

ありがとう
僕らは皆さんに支えられ
ここまでこれた
忘れられないこの夏
ありがとう
芸術祭は今日で終わるけど
僕らは忘れない
つまりのこの夏














全員でカントリーロードの大合唱
目がしらを抑える人も








鬼太鼓座の大太鼓が鳴り響いて
閉会式は最終章へ








神輿になった桶洞の大太鼓


おもしろうてやがてかなしき妻有かな
私の妻有も終わった

(続く)






  


Posted by かとうさとる at 02:32 | Comments(0) | 越後妻有2012