2010年01月31日

中条氏と長興寺と信長像の由来












豊田市の礎えを築いた
中条氏の菩提寺






いにしえを偲ぶ長興寺山門


国指定の織田信長像で知られる長興寺は、鎌倉初期から室町末期まで衣城主(「衣」は後に本多氏が「挙母」と名を改めた)として、豊田市の礎えを築いた中条氏の菩提寺で、建武2年(1335年)、室町幕府の奉公衆の重職にあった中条秀長が、東福寺開山聖一国師の法孫、太陽義沖を招聘して創建。当時、寺域は南北約550㍍、東西約440㍍、18坊に及ぶ塔頭が建ち並び、当地における五山文化の府として栄えた。





長興寺境内に眠る中条秀長の墓




国指定の信長像の由来




国指定紙本著色織田信長像(長興寺所蔵)
豊田市教育委員会発行「豊田の文化財」より転載


中条氏は永禄4年(1561年)、織田氏によって攻め滅ぼされ、長興寺も永禄10年(1567年)、織田信長によって焼失。その後、衣城代となった信長の家臣、余語正勝が再興。国指定の紙本著色織田信長像は、この余語正勝が、信長の一周忌にあたる天正11年(1581年)6月2日、法要のため長興寺に納めたもの。描いたのは信長をよく知る京都の画家、狩野元秀。今日残されている信長像の中で最も信長の真影に近い像として有名。


室町幕府の有力大名
中条氏を支えた矢作川の水運






長興寺の東側を流れる矢作川堤防から上流を見る。右の建物は豊田スタジアム。遠方の山は猿投山。中条氏はこの矢作川に湊を造り、水運を開発。市場を設置し、衣の里に経済的繁栄をもたらした。また学芸を奨励し、猿投神社など寺社の修復を大々的に施行。多くの文化財を遺した。






同所から下流を見る。奥の赤い橋は「鵜の首橋」。鵜の首の由来は、川幅が鵜の首のように細くなっているため名付けられたもの。興味深いのは、対岸の野見側の堤防が低く作られていたことで、中条氏が治水対策にも長じていたことを伺い知ることができる。(現在は堤防改修が終了)


空を見上げると昼の月が





空を見上げると昼の月が。
家路を急がなくては(1月29日撮影)  


Posted by かとうさとる at 00:29 | Comments(0) | とよた風土記

2010年01月29日

菅野美穂の「曲げられない女」が面白い







私が菅野美穂の
ファンになった理由



菅野美穂と言えば今最も旬な女優の一人で、
NHKのドラマ「坂の上の雲」の正岡子規の妹、
律役の健気な背中が目に焼き付いて離れない。

要はファンということだが、
きっかけは、世界各地の知らない都市を、
1人で旅行するのが好きという菅野美穂の素の魅力を、
余すことなく引き出したNHKの紀行ドキュメンタリー
「インド・ヨガ聖地の旅」(2007年10月26日放映)だった。

それまで、こうしたポジションにいたのが鶴田真由だったが、
いい加減な私は鶴田真由から菅野美穂にあっさり乗り換えた。






「インド・ヨガ聖地の旅」のイメージ画像
(Yahoo!画像より転載)


その菅野美穂の
「曲げられない女」が面白い



既に見ている人も多いと思うが、
主人公は自分で決めたことをかたくなに守り、
自分の生き方を通す菅野美穂扮する早紀。

弁護士を目指して弁護士事務所で働くが、
9回連続して司法試験に失敗。
それでも不器用な早紀は初心を曲げられない。

こんな早紀だから、
「弁護士の役割はクライアントの利益を守ることで、
正義を守ることではない」という事務所のボスと衝突。
見て見ぬふりをする弁護士スタッフ。

同級生の弁護士も保身のためボスに媚を売る始末。
当然のように早紀は解雇。司法試験失敗、職場解雇、
唯一の理解者である母の死。
シチュエーションは最悪だが、
これが結構痛快で面白いからドラマはわからない。


もしかしたら早紀は
現代のジャンヌ・ダルクかも



この愚直な早紀を菅野美穂が好演。脚本もよくできていて、
早紀をとりまく人物が面白い。
どこか憎めない友人のセレブ主婦(永作博美)、
やたらとおせっかいを焼くイケメン警察署長(谷原章介)、
同級生の弁護士(塚本高史)の三人が狂言回しになって
テンポよく展開。

気がついたらみんな橋を渡ってしまった現代において、
橋を渡らない・渡れない、愚鈍な早紀は希望の星であり、
もしかしたら早紀は現代のジャンヌ・ダルクかも。


「曲げられない女」の放映は
日本テレビ系列
水曜日22時~23時
  


Posted by かとうさとる at 03:19 | Comments(0) | らくがき帖

2010年01月27日

梅一輪一輪ほどの暖かさ






平芝公園の紅梅が開花






樹も花も青春まっただ中






地面が絨毯のように暖かい。
週末には白梅の開花が見られそう。  


Posted by かとうさとる at 00:22 | Comments(0) | らくがき帖

2010年01月26日

加納良男さんの人生アルバム



本来であれば
「肩の荷が下りた」と
一息つくところだが
身体が鉛のように重く絶句。



数年前、元豊田文化協会理事長の加納良男さんから「かとうさん、自分の道楽(趣味)を本にしたいので頼むわ」と、資料をいただいた。加納さんは、12部会、212文化団体にふくれあがった文化協会を巧みな手腕でまとめあげ、豊田市政功労者に推戴された名理事長で、私もお世話になったため、二つ返事で資料を預かった。




写真集「加納良男さんの人生アルバム」より



徹夜で写真集を編纂

ご本人は道楽と失笑したが、小唄、長唄、日本舞踊は御園座の舞台にもたった名取り。囲碁はプロ棋士の指導を受けた本格派で日本棋院5段。ビリヤードは200というからこちらもプロ級、理事長を退任してから始めた陶芸、卒寿でコースを回ったゴルフと、全て半端ではない。

ところが、しばらくして「あの話は内容を変えたいので、しばらく待ってほしい」加納さん。そんなわけで、仮編集で中断。その後連絡がないまま時間が経過。大事な資料をいつまでも預かったままにしておくわけにはいかないため、一旦返却することに決めた。何か胸騒ぎがしたためで、それが一週間前。お世話になった加納さんへのオマージュの意味をこめて、徹夜で写真集「加納良男さんの人生アルバム」を編纂。昨夜自宅に届けた。




写真集「加納良男さんの人生アルバム」より



「父が喜んでくれる」と家族から感謝されたが、連絡がなかったのは病気のためで、今は面会謝絶とのこと。最悪のシナリオは免れたが、加納良男さんの年齢を考えれば気がつくものを。自分のことに夢中で、周りの人を思いやることができない私の悪い癖で、言葉も出ない。


(追記)
加納良男さんは1月26日逝去。
享年94歳。アルバムは加納さんと
一緒に納棺されたとのこと。
合掌
  


Posted by かとうさとる at 04:35 | Comments(0) | とよたの文化

2010年01月23日

探鳥カメラマンとヤマセミ




今の私は
玄関の「花」をいけ代えたあと
ゴールのないデスクワークのワンパターンで
アタマがヘンになりそう

そんなわけで
新鮮な空気を補給するため
矢作川の風の通り道に沿って
車を走らせることが多い


ところが
近頃そんな私の秘密基地が
穏やかでなくなってきた

車を止めようとすると既に車が
停車していることが多くなった
それも市外、中には県外ナンバーの車も
彼らは何者で何をしているのだろうか







場所は足助方面から流れてくる阿摺川が
矢作川に合流する入江

近づいていくと入江の岸辺に
迷彩色のテントが並んでいた

さらに接近すると
天体望遠鏡のようなカメラがセットされ
人の動く気配が見えた

探鳥カメラマンらしいが
この重装備はただごとではない








この様子では
目指す野鳥は近くにいないようだ

オシドリやカルガモなら
私のデジカメでも撮れるのに
彼らは気配を殺してまでして
何を待っているのだろうか

意を決して
「何を撮っているんですか」と小声で私
背中越しに「ヤマセミ」と探鳥カメラマン
お邪魔しました!







郵便切手に描かれたヤマセミ





Yachoo!オンライン野鳥図鑑より転載



ヤマセミは
山地の渓流に生息するカワセミの仲間で
体調は約38㎝
翼開長は約57㎝

カワセミの倍、ハトほどの大きさで
日本で見られるカワセミ科の鳥では最大

警戒心がつよく
観察には根気が必要とのことで
探鳥カメラマンの重装備も納得
  


Posted by かとうさとる at 00:09 | Comments(0) | とよた風土記

2010年01月21日

寒バエは酒の肴に最高!ところが











寒バエポイントとして有名な
巴川に釣り人がいない



この時期の白ハエ(オイカワ)は
寒バエといって
川魚特有の臭みがなく美味

みんなは甘露煮が一番というが
白焼きにして生姜醤油で炙った寒バエが
さっぱりして酒の肴に最高







 豊田と岡崎を分ける巴川の郡界橋から
 下流の矢作川合流点を見る


釣り人がいない


寒バエ釣りと言えば
巴川の郡界橋の上下流一帯が
県内でも有数の寒バエポイントとして有名

先ずは釣果情報をこの目で確かめるため
車を走らせた
橋のたもとに車を止めて川面を見たが
釣り人が一人もいない







 郡界橋から上流を見る


釣り人がいないのも当然
寒バエが越冬する淵が
洲で埋まって川相が一変

東海豪雨(2000年9月)の
痕跡と思われるが
今はそんな詮索よりも酒の肴
寒バエの越冬ポイントを探さなくては







 大寒とは思えない穏やかな矢作川の阿摺ダム(藤沢町)


何んだか侘しくなってきた


明治用水頭首口
枝下の両枝橋の
寒バエポイントにも釣り人がいない

最後に託したのが本命の阿摺ダムだが
ここもダメ
私のような暇人はいないということか
何んだか侘しくなってきた
  


Posted by かとうさとる at 00:04 | Comments(1) | とよた風土記

2010年01月19日

全作品のポストカードを手作りで作成


時間軸に沿ってファイリング


蛇行する本流から切り離された所にできる河跡湖を三日月湖と呼ぶが、今の私はまさに弧立した三日月湖で、砂が堆積して葦原に還るのは時間の問題。まあ、こんなことは大した問題ではないが、水が濁って枯れるような、みっともない終わり方だけはしたくないものだ。

そんなわけでもないが、先ずは私の仕事の足あとを確認するため、全作品のポストカードを手作りで作成。時間軸に沿ってアルバムにしてみた。





インスタレーションのポストカードファイル(80年代)






生の植物を中心にしたポストカードファイル(80年代)




ポストカードから見えたことと課題


私の仕事は床の間から離れ
器から離れたところからはじまった。






写真は1976年の個展の作品で、いけばなのしがらみを取るため、名前を平仮名のかとうさとるとした。個展を見に来た流派のトップが怒って帰ってしまったという話を後で聞いたが、采は投げられた。(1976年)



まだ壁面から自立できない両生類の時代





枯れ木も山のにぎわい。(1982年)



「空間をいける」とは
日常を聖なる空間に異化すること






写真は床の間と器の呪縛から解放されたターニングポイントとなったムシロフェンス。インスタレーションという言葉を知ったのはずっと後のことで、この時、私は無限の空間というキャンパスを前に「空間をいける」という手法しかもっていなかった。(1983年)



私にとって「室礼」は
自然な空間認識だが
諸刃の剣で距離感が課題






写真は建築家の原広司が設計した美術館松欅堂で発表した作品。その後の展開を決定した作品で納得しているが、今考えるとフロアに設置した黒い板が空気の流れを妨げていることは明白。空間を「室礼」(デザイン)する意識が無意識のうちに働いている証拠で、私にとって「室礼」は、自然な空間認識だが、諸刃の剣で距離感が課題。(1995年)  


Posted by かとうさとる at 04:26 | Comments(0) | いけばなから

2010年01月17日

私も公園デビューしようかな


大寒間近か
沖縄では早咲きの一番桜が咲いたそうだ






青い空に吸い込まれそうで怖い






近づいて見ると連翹と山躑躅に小さな蕾が






絶滅した恐竜たちも見ていたメタセコイア
メタセコイアは、中世代から新世紀の化石として知られていたが1945年中国四川省で発見された遺存種の一つ。






葉蘭の葉組みは生花の必須アイテムだが
私はおにぎりを包んでもらった記憶の方が強い。






犬と散歩をするひと、ジョギングをするひと
手をとつてゆっくり散歩する老夫婦
みんな人生の達人で、うらやましい。






辛夷(コブシ)が一番春に近そう



愛知県緑化センター

愛知県緑化センターは、愛知県政百年を記念して昭和51年に開園。アクセスは猿投グリーンロード藤岡インターから数分。自然の地形や植生を生かしたゆったりとした自然公園でお薦め。





私の家から車で15分程の近場で、公園テビューには最適。






1979年(昭和54年)5月、昭和天皇・皇后陛下を迎えて開催された第30回全国植樹祭で合唱する合唱団。私も豊田市少年少女合唱団を引率して参加したが、セピア色の記憶で懐かしい。(現在の「昭和の森」)




  


Posted by かとうさとる at 04:06 | Comments(0) | とよた風土記

2010年01月16日

NHKのアーカイブに著作権を譲渡したらどうか









テレビ朝日が日豪共同制作風の博物誌「風の神秘を解き明かす」を制作したのは、そんなに遠い昔のことではない。





当日の番組紹介(朝日新聞)



憂つうなニュースが多く、テレビを見る気にもなれない。そんなわけで、ここ数日は録画したビデオを選んでBGM代わりにしている。

風の博物誌「風の神秘を解き明かす」は、テレビ朝日が、日豪で共同制作したドキュメンタリー番組で、内容は、英国の生命科学者ライアル・ワトソン博士の著作をもとに、目に見えない風の姿を、四話にわけて多角的に説き明かしたもの。今の民放からは想像もできないが、テレビ朝日がこのドキュメンタリーを制作したのは、そんなに遠い昔のことではない。


なぜ、こんな素晴らしい
コンテンツを生かさないのか
不思議でならない。


番組の中で案内役の稚名誠は、「風は人間と生きものすべてを結びつけているように思います。目には見えませんが、我々に触れ、その詩の美しさと不思議さをもって、我々を意識させ、我々の内面と宇宙とを結びつけたりもします。」と語ったあと

「人間も風の創造物です。流れる空気は私たちの生活のあらゆる場面を通りぬけ、時には乱暴にふれてゆきます。また時には精神的なお天気を支配し、その日の気分や生活にちょつとした影響をあたえます。風は遠いやさしい惑星の命の根源であり、その惑星には、天の息のひと息で見事に命が吹き込まれています。」と結んだ。

つまらないドラマの再放送をするぐらいなら、なぜ、こんな素晴らしいコンテンツを生かさないのか、不思議でならない。スポンサーの関係で難つかしいのであれば、NHKのアーカイブに著作権を譲渡したらどうか。死蔵するには余りにも損失が大きすぎる。


このごろの私は
空ばかり見上げている






15日(金)15:30頃籠川の堤防から撮影


トルネードハンターという人たちがいるそうだ。全米各地で発生する巨大竜巻をおいかけるマニアのことで、スケールは小さいがこのごろの私は空ばかり見上げている。要は暇ということらしい。このあとニューズウィークで休憩。店を出ると空は真っ黒な雲に覆われて氷雨に代わっていた。  


Posted by かとうさとる at 02:57 | Comments(0) | らくがき帖

2010年01月14日

むかし中日に江藤慎一という強打者がいた





梅林の夕映え(平芝公園)
雪国の人には申し訳ないが、
雪景色を楽しみにしていたため、少し残念。


むかし中日に
江藤慎一という強打者がいた。





12日、今年の野球殿堂入りが発表され、元中日の故江藤慎一がエキスパート部門で殿堂入りした。私は江藤の現役時代、豪快なホームランを楽しみに、何度も中日球場に足を運んだ。セパ両リーグ初の首位打者など、プロ野球史に輝く実績を思えば、遅きに失した栄誉で、嬉しさも中ぐらい。






中日の落合監督が
二年続けて一票差で落選の怪。


もう一つ腑に落ちないのは、大リーグでも例のない三度の三冠王に輝いた中日の落合が、昨年に続いて一票差で落選したことで、記者の「落合嫌い」という感情が左右したとしか思えないことだ。私も落合のマネージメントに対して疑問をもっているが、好感度で落合の実績が不当に評価されたとしたら、スポーツジャーナリスト失格ではないか。一事が万事で、昨今の報道を見ていると大手メディアもおかしい。よく注意しないと大変。  


Posted by かとうさとる at 01:56 | Comments(0) | らくがき帖

2010年01月13日

新日曜美術館「私とマーク・ロスコ」を見た


マーク・ロスコは
私が一番好きな画家。


1月10日(日)新日曜美術館(20時~21時)この人が語る私の愛する画家「高村薫が語る 私とマーク・ロスコ」を見た。

マーク・ロスコ(1903-1970)は、どちらが一番と言われても困まるが、クリストと並んで私が一番好きな画家だ。残念ながら川村記念美術館のロスコルームは見ていないが、テイトモダンの「ロスコルーム」は、ロスコに会いにいくだけで、航空運賃は惜しくない。(今は厳しいが)





ロンドン テイト・モダンの「ロスコルーム」 
マーク・ロスコ展(1995年)の図録より転載


ロスコについて
ほとんど知っていないことに
気がついた。



そんなわけで、私なりにロスコについては知っているつもりでいたが、番組を見て、私のロスコ好きはシーグラム壁画に偏っていて、ロスコについて、ほとんど知っていないことに気がついた。

一番の発見は、抽象表現主義についてロスコが語った言葉で、ナレーターは「私にとって抽象主義とか、抽象はどうでもいい問題で、重要なことは、人間の感情、怒りや悲しみ、喜びなどを、どのように表すことができるか、である。」と、ロスコの言葉を説明した。

私がこの言葉に衝撃を受けたのは、「人間が行きついた究極の絵画」(高村薫)と言われるシーグラム壁画の核心に迫るロスコの悲痛な叫びを聞いた、ような気がしたからである。もう一つ、私がこの言葉に共振した理由は、『抽象主義と抽象』を『いけばなと伝統』に置き換えてもらえば、理解いただけるのではないか。





川村記念美術館の「ロスコルーム」 
マーク・ロスコ展(1995年)の図録より転載


ロスコのシーグラム壁画とは

ロスコの代表作と言われる「シーグラム壁画」は、1958年、マンハッタンに新しくできるシーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」のために制作を依頼されたもので、「自分の絵画で見る人を包みたい」と願っていたロスコは、およそ1年半をかけて30点の絵画を完成させた。

問題はここからで、ロスコは、一足早くオープンしたレストランの雰囲気に幻滅して契約を破棄。行き場のなくなった作品群は1970年に、ロンドンのテイトギャラリー(現テイトモダン)に9点が寄贈。1990年には7点が川村記念美術館に収蔵。他の作品もワシントンDCのフィリップス・コレクションに収蔵。ロスコルームとして公開されている。


私も忘れていた
荒川修作の「養老天命反転地」


ロスコについては、このぐらいにして、アートシーンで荒川修作の「養老天命反転地」がとりあげられた。荒川修作は60年代から90年代の初めにかけて、世界の現代美術に最もインパクトを与えた作家の一人で、1995年、絶頂期にあった荒川修作が美術と建築を一体化したアートのテーマパークとして完成したのが「養老天命反転地」だった。私も何度も足を運んだ。





養老天命反転地(社団法人岐阜県観光連盟素材写真)2004年



「だった」と過去形にしたのは、いま、不思議なほど荒川修作の名も、「養老天命反転地」も聞こえてこないからだ。久しぶりに見た「養老天命反転地」は、荒川の手を離れて、文明の遺跡に還る準備をしているように見えた。私も忘れていたが、荒川修作に対するこの沈黙は不思議だ。



誰がいけているのか知らないが
背景の「花」に嫉妬。


最後にもう一つ。誰がいけているのか知らないが、背景にいけられた「花」がいい。ロスコをイメージしたものと思われるが、スモークツリー一色で、「やられた!」と、嫉妬してしまった。

  


Posted by かとうさとる at 07:07 | Comments(0) | アートの現在

2010年01月11日

保見団地が全国ニュースになる背景


保見ケ丘ブラジル人協会の
松田セルジオ・カズトさんの家を訪問した。



古いデーターで正確性は欠くが、私が現在住んでいる保見団地は、豊田市北部の猿投山の西南麓に位置し、入居者数約9千人。そのうち外国人登録者が約4千人(約9割がブラジル人登録)。つまり約4割強が外国人ということで、全国ニュースになることもしばしば。

そんなわけで、「かとうさん、大変でしょう」と、酒の肴にする人もいたが、自分のことで精一杯の私にとって、保見団地の外国人問題(いろいろな意味で)は、遠い異国のニュースだった。そんな私がどうした風のふきまわしか知らないが、先週の土曜日、保見ケ丘ブラジル人協会の松田セルジオ・カズトさんの家を訪問した。





保見ケ丘ラテンアメリカセンター緊急支援チームの活動。
入れ替わり立ち替わり、ポランティアがかけつけてくるが、
私はこうした活動も知らなかった。みんないい顔をしている。


渡りに舟

市の西塔隆さんに「相談にのってください」と依頼されたものだが、内心、日本に働きにきている人たち、とりわけ、日系の人たちに対しては「国策に翻弄された犠牲者」と、心を痛めてきたため、渡りに舟。

松田さんは、大阪で働いていて、豊田市に移り住んだ日系二世で、豊田市にきてブラジル人と日本人の交流がないことに驚いたとのこと。会社へ行けば周りはみんなブラジル人で日本語を覚える必要がない。市役所に行けば通訳がケアをしてくれる。大阪では日本語を覚えないと生活ができないが、ここでは日本語を覚えなくても生活をしていける。便利さが異文化理解、相互交流の妨げになっているのではないか、と松田さん。





保見団地にはこうしたブラジル人ショップも。


今日はここまで

子どもたちの将来のことや、異文化交流やサポートをするNPO法人の活動など、聞くこと見ること全てが目から鱗。「心を痛めてきた」と述べたが、都合のいい免罪符にしかずで、足元のコミュニティに無関係できたことを痛感。家族のことはもとより、いけばなのとは何か、文化のあり方を含めて、頭を悩ませているところに、またまた宿題を抱えてしまった。

今日は成人式だが、気分は半分ブルーで、複雑系。
  


Posted by かとうさとる at 15:28 | Comments(1) | らくがき帖

2010年01月09日

初いけの残り花をいけかえ



猿投窯の山田和俊さんから喜寿展のプロデュースを依頼され
簡単な打ち合わせ。工房を出ると白玉椿が咲いていた。
そこで、ほどの良い蕾を一枝を切らしていただいた。






花:柳、南天、樫、白玉椿、藪椿、蠟梅
陶:山田和俊(猿投窯)猿投焼き締め
油絵:宮川洋一(春陽会)
リトグラフ:国島征二
書:加納俊治(小原和紙)

  


Posted by かとうさとる at 02:36 | Comments(0) | いけばなから

2010年01月07日

スポーツ大陸 長野五輪大逆転スペシャル










スポーツ大陸
大逆転スペシャル「絆でつかんだ栄冠
~長野五輪ジャンプ団体~」を見た。


昨夜、NHKのスポーツ大陸 大逆転スペシャル「絆でつかんだ栄冠~長野五輪ジャンプ団体~」を見た。見たといっても途中からだが、あの感動の舞台裏にこんなドラマがあったのか、と目頭が熱くなった。




130mを飛んでガッツポーズをする斎藤浩哉(朝日新聞)



みんな一緒に夢を見た。

1998年、長野で冬季五輪が開催された。開催国の威信をかけて金メダルを宿命づけられたのがスキーのジャンプ団体だった。前回のリレハンメル冬季五輪で原田雅彦の伝説の失敗ジャンプで銀メダルに終わったジャンプ団体は、この年、長野五輪に照準をあわせ、ピークを迎えていた。

2月17日(火)大会11日目。日本はここまで、既にスピードスケートの清水宏保、女子モーグルの里谷多英、ジャンプラージヒル個人の船木和英と三つの金メダルを獲得。オリンピックフィーバーはピークに達していた。あとは主役の登場を待つだけだ。




左から船木和喜、原田雅彦、岡部孝信、斎藤浩哉
(中日新聞)


またしても原田失速

その時、長野は吹雪のような雪が舞っていた。そんな悪天候の中、原田がスタートを切った。会場はもちろん、テレビ桟敷のほとんどは祈るような気持ちで見ていたのではないか。結果は70メートルラインで失速。一瞬我が目を疑った。1回目を終わって日本は4位。競技委員は「これ以上の競技の続行は無理」と、競技の中断を宣言した。

(注釈)
ジャンプ競技は2回の飛行の総合点で順位を競うが、悪天候等で競技委員が2回目は続行不可能と判断した場合は、1回目の成績で順位を決める。


無償の誇りを勝ちとった
テストジャンパーたちに祝杯


私は競技が当然再開されるものと決めて、テレビ桟敷でミカンを食べながら待っていた。現場では続行中止に傾いていたが、番組を見るまで知らなかった。「スポーツ大陸」は、この舞台裏にスポットをあてたもので、無償の誇りを勝ちとったテストジャンパーたちをとりあげた。

テストジャンパーたちはみんなオリンピック代表を目指した一流のジャンパーで、リレハンメル冬季五輪代表の西方仁也もいた。言語障害を持ったジャンパー、女性ジャンパーもいたことを初めて知った。安全確認という重要な役割はわかっていても、前座としてカラスのように飛ぶ、ジャンパーの複雑な気持ちは痛いほどわかる。




ラストジャンプを決めた船木和喜に抱きつく原田雅彦
(中日新聞)


テストジャンパーたちの
オリンピックがはじまった。


競技委員は、開催国日本、オートリア、ドイツ、ノルウェーの4カ国で、偶然にも第1回を終わって1位から4位。トップのオーストリアは金メダルが確定するため中止の意見。他の2カ国は天候が回復しなければ中止もやむなしという意見。当然のように日本は強行に再開を主張。結論は出ず、テストジャンパーの試験飛行を見て決定することに決まった。

ジャンプ競技の再開はテストジャンパーたちに委ねられた。番組はチームが一丸となってテストジャンプに挑むジャンパーたちの背中を追った。先陣を切ったのはコースを固める役割を担ったジャンパーたちで、降りしきる雪の中、次々と大飛行を決めていった。

不思議なことに、私はこのときのテレビ画面を昨日のことのように覚えていた。間を開けずに次から次に飛ぶジャンパーに、異様な気配を感じていたからだが、実相を知って背中が凍りついた。




長野五輪の興奮を伝える当日の新聞(朝日新聞)


テストジャンパーの絆が
奇跡の扉を開いた。


一人でも失敗した段階でアウト。最後のジャンパーはリレハンメル五輪代表の西方仁也。西方の実力を知るオーストリアの競技委員は、西方が代表選手以上のジャンプをすれば再開OKと高いハードルを課した。

記録にも残らない無償のジャンプ。「オリンピックの本番でも感じたことのないプレッシャー」と西方。全員が固唾をのんで見守る中、真白な空に飛び立った。私たちは原田の2回目の大ジャンプを眼をつむって祈った。実況中継したアナウンサーは「立て!立ってくれ!」と絶叫したが、原田の前にこんなドラマが演じられていたとは。飛距離123メートル。K点越の大ジャンプで、日本は競技再開という奇跡の扉を開いた。




裏方にスポットを当てた記事だが、友情物語で甘い。
(朝日新聞)


今夜は梅酒で祝杯だ。

長野五輪の結果については、私が説明するまでもないため省くが、私も裏方の役割を担ってきたため、テストジャンパーの衿恃が痛いほどわかる。それだけに、華やかな舞台裏を支えた無名のテストジャンパーにスポットを当てたNHKの慧眼(ジャーナリズム)に、畏敬の念を禁じることができない。今夜は梅酒で祝杯だ。


  


Posted by かとうさとる at 01:05 | Comments(1) | らくがき帖

2010年01月05日

今年も越冬のため水鳥が平戸橋に飛来


今年も越冬のため水鳥が平戸橋に飛来。
その前に勘八峡のいまむかし。






① 大正末期の勘八峡(現在の平戸橋公園)
亡くなった澁谷先生から「昭和初期の平戸橋は砂浜が広がっていて、川底まで透けて見えた」と言う話を聞いたことがあるが、写真を見て納得。
左の帆かけ舟を拡大して見ると、釣り人の姿が。当時は尺近い鮎が釣れたそうだ。右の屋形船は鵜飼の遊覧船で、失ったものの大きさを痛感。





② 昭和30年7月21日吊り橋が竣工したが伊勢湾台風で流失。





③ 2010年元旦の平戸橋公園
豊田市民芸館の探鳥スポットから水管橋方向を見る。
左の白い建物は中部電力の越戸発電所。





本日の目的はこちら。

④今年も越冬のため、オナガガモ、カルガモなどの水鳥が平戸橋に飛来。いつの頃から飛来するようになったのか知らないが、河岸の植生の変化や矢作川の水量が減って、流れが穏やかになったことも、何か関係しているのではないか。(①②③の写真を比較参照)





白梅の老木に固い蕾がびっしり
春遠からじを実感。


  


Posted by かとうさとる at 00:17 | Comments(0) | とよた風土記

2010年01月03日

遅ればせながら地元の射穂神社に初詣


正月もテレビ桟敷でデスクワーク

妻が体調を崩してからは、やむなく(?)、洗濯・掃除、食事の片付けなどは私の役割になったが、デスクワークの気分転換になって主夫も結構楽しい。問題は朝刊を読んで寝るような深夜族のため、食事の片付けが真夜中になること。ところがこの正月、もう一つ問題がおきた。

ETV特集選新春特別アンコール「日本と朝鮮半島2000年」が面白くて、テレビ桟敷から離れることができなくなってしまったからだ。





ここが私のテレビ桟敷



既に見た人にはより深く
初めての人には新鮮な発見
ETV特集選新春特別アンコール



「日本と朝鮮半島2000年」は、仏教伝来、渡来人、朝鮮通信使などなど、朝鮮半島と日本の知られざる交流を、最新の学術的成果をもとに古代から近世まで、10回のシリーズで描く歴史番組で、既に9回が放映済み。

ETV特集選新春特別アンコールは、この9回を三夜連続で一気に見せるというもので、この正月のイチ押し。

日本と朝鮮半島(大陸)の関係は、長い間、特に近代は日本の脱亜入欧、皇国史観など、誤った歴史観で不毛な時代が続いてきた。21世紀に入った現代においても、感情的対立を煽って恥じようとしない一部の勢力があるが、是非この番組を見て頭を冷やしてもらいたいものだ。


でもブログの本題はこちら





遅ればせながら地元の射穂神社に初詣





思わず両手を合わせて参拝してしまった。
ふりむくと神社の世話役の人が不思議そうな顔をしていた。
軽く会釈して早々に退散したが
よく考えたらお賽銭も忘れていた。(軽卒!)  


Posted by かとうさとる at 04:47 | Comments(0) | らくがき帖

2010年01月01日

新年あけましておめでとうございます



初いけや 
冥土の旅の一里塚
めでたくもあり 
めでたくもなし


(一休さんに借りて)






    花材:柳、梅、若松、真竹、藪椿、千両、樫
    花器:伊藤雄志(常滑)
    場所:自宅玄関

 

本年もどうぞよろしくお願いします  


Posted by かとうさとる at 04:55 | Comments(0) | いけばなから