2010年10月30日

石上純也展 理にかなったものはみんな美しい


先入観は誤解のもと

29日(金)、豊田市美術館で開催されている「石上純也-建築のあたらしい大きさ」に足を運んだ。石上純也は、2008年のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展で日本館代表に選ばれ、2009年に日本建築学会賞を受賞した、現在最も注目されている建築家で、本展を見るのはこれが三度目。





秋の夕べはつるべ落とし
奥の白いオブジェはソル・ルイット「柱のキューブ」


本展は豊田市美術館のほぼ全館を使った大規模展で、豊田市美術館側の意気込みが伝わってくるが、難解という市民の声も。

一般に建築の展覧会は、建築模型や設計図、代表的な建築の写真パネルを中心にした建築家の回顧展というイメージがあるためで、難解の原因は先入観のギャップ。私も最初は戸惑ったほどだから刷り込みというのは恐ろしいもの。


観るか観ないかはあなたの自由!





三宅一生が一枚の布から衣服という夢を紡いだように、石上純也は柱という最小の単位で、それも極細の絹の糸のような柱で、無限の宇宙を提示。唯一建築であることを証明したキャプションも秀逸で、あえかで今にも消え入りそうな知的な空間は他に比類がなく絶句。





美は美術の特権ではない。科学もスポーツも理にかなったものはみんな美しい。石山純也の建築が美しいのは建築という理にかなっているからで、その美しさは美術家の誤ったうぬぼれを照射しているようにさえ見える。

残念ながら私には石上純也の知的な世界を言葉で語ることはできないが、観るか観ないかはあなたの自由!


石上純也-建築のあたらしい大きさ
○会期は12月26日(日)まで
○図録は現在制作中
○11月14日(日)14:00~
五十嵐太郎(建築史家・建築評論家)×中山英之(建築家)の対談が
○最終日の12月26日(日)には石上純也の対談も。


最後に美術館の楽しみ方を

美術館の楽しみ方はいろいろあるが、私はミュージアムショップがお薦め。書籍は眺める程度でパス。お目当てはセンスのいいお値打ちグッズの品定めで、プレゼントに最高。

ただし傘だけは何本買っても忘れてくるだけで無駄。





写真のグッズは水を注ぐと一輪挿しになる勝れもので
色違い2組で≒800円とお値打ち。









  


Posted by かとうさとる at 04:43 | Comments(0) | アートの現在

2010年10月27日

常滑をぶらりぶらり


こんな時は外出するに限る

先に自分の欠点は竜頭蛇尾と書いたが
心配していたゾーンに入ってしまったようだ。
ここ一週間、何をしても身体の芯に力が入らなくなってしまった。
おだやかな刻が身体の中を流れていくようで、怠惰な誘惑に負けそう。

こんな時は外出するに限る。
26日(火)、あいちトリエンナーレにしようかどうか迷ったが
ドライブスルーで行ける常滑にハンドルに切った。


誰もいない





常滑にした理由の一つが海が見えることで
先ず新舞子のマリーンパークに車を止めた
「釣り人がいれば」と見渡したが誰もいない。





常滑焼きの卸問屋街「セラモール」にも人はまばら
セラモールについては、いろいろなことを言う人もいるが、
私はバザールを覗くような楽しさがあって結構好き。
今回も前回見て買い損なった「秘色焼き」の白い大皿(≒90㌢)を
買うつもりで探したが、ない!
どの店にも数点は使ってみたいそれなりの器があったのに、ない!
逃がした魚は大きいが、気になったのは各店の品ぞろえ。
杞憂でなければいいが、「売れた」というよりも「下げた」という
印象をぬぐいきれないことで、残念!





花屋がいけばなからフラワーアレンジメントにターゲットを変えたように、焼き物もガーデニングが主流ということで理解できるが、
常滑焼を売るという情熱と誇りを失ったように見えるのは残念!


久々に吉川正道さんの陶房を訪問

吉川さんの家に通い始めてまもなく30年近くなるが
もしかしたら常滑で一番変わらないのが吉川さんの陶房かも





吉川正道さんの陶房





正道さんは東奔西走で不在とのことだったが
二階に上がらしてもらうと相変わらず千客万来で賑やか。
写真はお客さん(?)が帰ったあと記念に撮ったもの。

右手前は吉川千香子さん。左は息子さんの友野さん。
友野さんは近々スイスに活動の場を移すとのことだが、
千香子さんも友野さんも自然体で、常滑も世代が変わったと実感。
右奥は吉川正道さんの助手(?)の増田光さん(横浜出身)。
「光さんはいい仕事するよ」と千香子さんの折り紙つきで、
作品を拝見するのが楽しみ。





帰路立ち寄った刈谷の「ハイウエイオアシス」


一時スイッチが入ったような気がしたが気休めにしかず。
わかわかったことはかなり重症ということで、心配!



  


Posted by かとうさとる at 13:16 | Comments(0) | らくがき帖

2010年10月23日

近場でいけばな展見て歩き


中日が巨人にサヨナラ勝で
日本シリーズ進出決定!






日本シリーズの予想で、最悪のパターンはロッテと中日の対戦だそうだ。一部のメディアは「不人気で誰も見ない」とほざいたが、笑ってしまう。


いけばな展で軽ーく祝杯





池坊豊田支部展の入場券





「粋な花をいけたいけど…難しい」と副支部長の伊丹三代志さん
「自分が変わらない限り花は変わらない」と私
でもナカナカのもの。





支部長の太田有子さん





最高顧問の高田静萠さん


池坊豊田支部展は25日(月)まで
松坂屋豊田店で開催中

  


Posted by かとうさとる at 22:53 | Comments(1) | いけばなから

2010年10月23日

無自覚な彫刻の場


泣き言を言うような奴はやめればいい

「国連地球生きもの会議」(COP10)で、絶滅の恐れがある植物を地球規模で保全するための目標が採択される見通しになったとのこと。

いまの私は本流から切り離された三月湖のようなもの。そんなわけで私も「多様性の一人でありたい」と願っているが、保全してほしいなどとは口が裂けても言わない。泣き言を言うような奴はやめればいいからだ。

冒頭から余談に逸れたが、彫刻の場について雑感を少し。


美しい都市に住む権利を
アートが妨げているとしたら
これほど不幸なことはない






新宮晋「雨に乾杯」(若宮大通公園)


上の写真は名古屋市の若宮大通公園の高架下に設置された新宮晋の作品「雨に乾杯」(「波の機織り」のタイトルも)。新宮晋は風や水で動く彫刻で知られる世界的な彫刻家で、この作品もタイトルにあるように水でモビールのように動く彫刻。

設置当初は水のサーカスを見ているようで楽しかったが、ここ数年は節水をしているのか、あるいはタイマーになっているか知らないが、何度見てもこの状態で、水も淀んで汚い。それよりもなぜ「雨に乾杯」が高速道路の高架下なのか、設置者の感覚がわからない。





ロダン「考える人」(名古屋市博物館)


ロダン「考える人」の拡大版は世界で20体ほどあり、その内の3体が日本にあるそうだ。国立西洋美術館と国立京都博物館と名古屋市博物館の3館で、他の2館が前庭で場を得ているのに対して、名古屋市博物館だけ写真のようにロビーで窮屈そう。

名古屋市内の公園には120近いパブリックアートが設置されているようだが、こと左様に一事が万事。例えは極端になるが、峠の道祖神や辻の常夜灯のようにあるべき場所(必然性)が彫刻に与えられていないと思うのは私一人ではないと思うがどうか。

美しい都市に住む権利をアートが妨げているとしたら
これほど不幸なことはない。

尖ったものの言い方になってしまったが
中日が巨人に負けたせいでご容赦を。

  


Posted by かとうさとる at 02:37 | Comments(0) | らくがき帖

2010年10月20日

名古屋開府400年特別展「変革のとき桃山」


今年は名古屋開府400年

今年は名古屋のまちづくりの端緒となった名古屋城築城(慶長15年)と清州からの町ぐるみの移転、いわゆる「清州越」から400年になることから、「名古屋開府400年祭」が名古屋市内で開催されている。

これだけでも大変なのに、この秋は「あいちトリエンナーレ」、「国連地球生きもの会議」(COP10)、おまけに河村たけし名古屋市長が主導した市議会のリコール運動が重なり、名古屋はてんやわんや。

ひとつぐらいはじっくり歩いてみたいと思っていたが、気がつけば秋も半ば。農村舞台の総括も一息ついたため、車を走らせた。





名古屋開府400年3館連携企画
ミュージアムトライアングルinNAGOYAのチラシ


名古屋開府400年特別展
変革のとき桃山






名古屋市博物館の「変革のとき-桃山」は、徳川美術館の「尾張徳川家の名宝」、名古屋城の「武家と玄関 虎の美術」と連携した特別展。
第一章 天下人の空間
第二章 南蛮の刺激
第三章 工芸の変貌
にわけて、尾張名古屋400年の礎になった桃山という時代が、日本の歴史に及ぼした変革の様相を国宝1件、重文26件を含む173件でたどるもので、本展を説明するのは野暮。足を運んで見てもらうしかない。

くどいようだが、徳川美術館、名古屋城、あいちトリエンナーレと、桃山からアートの最先端まで、一か所にこれだけのコンテンツが集まるチャンスは二度とないのではないか。まだの方は是非お薦め。


自由に見るのが一番





洛中洛外図屏風もいいが、
息を呑んだのが上の「妙法院玄関三の間障壁画松図」
この豪快な松図を見ていて思い出したのが
下の美術手帳11月号に掲載されていた遠藤利克の作品。
感覚の問題で説明不可だが同時代性の熱気を感じたのは
私一人ではないと思うがどうか。





遠藤利克 空洞説2010AKIYAMA(美術手帳11月号より転載)





北政所が秀吉の冥福を祈って建てた高台寺時雨亭の「おこし図」
現代でいうところの「マケット」だが、シャープでお洒落。





「おこし図」は高台寺時雨亭の設計図で写真は時雨亭の内部


名古屋開府400年記念3館連携企画
「変革のとき桃山」は名古屋市博物館で
11月7日まで
 










  


Posted by かとうさとる at 00:18 | Comments(0) | アートの現在

2010年10月18日

挙母祭りに足を運んだ


祭りの記憶はセピア色

半世紀余の前、当時の子どもたちにとって、生れ住んでいる在所は国家のようなものだった。普段はハナをたらしてケンカばかりしていた悪ガキも、ひとたび見知らぬ侵入者を見つけると、みんなでつけ回し、国外に追放するのが掟になっていた。

そなん悪ガキたちも町の子は苦手だった。子ども心にも自分たちの粗野が恥ずかしく、見るもの全てがハイカラで眩しかったからだ。





なかでも挙母祭りは鮮烈だった。飾り馬しか見たことのない悪ガキにとって、豪華な山車と祭囃子の音色は都の祭りそのものだった。


今日(17日)、デスクワークの合間をぬって
その挙母祭りに足を運んだ






挙母祭りは、挙母町の総鎮守の神である子守大明神の大祭に奉納される当地で最も華やかな祭りで、掛け声と紙吹雪の中を八台の山車が駆ける様は勇壮で必見。上の絵は子守明神(挙母神社)境内の山車揃の場面から挙母城内(豊田市美術館が建っている場所)へ山車を曳き入れられる様子を描いた「子守明神祭礼絵巻」の部分。(「豊田市の城下町展」図録から転載) 


みんな知らない顔ばかり





挙母祭りの最大の見せ場は八台の山車が各町に戻る「曳き出し」。
イモを洗うような混乱の中で、山車の周辺は「曳き出し」を前に
近寄り難いのか、ブラックホールのように空いていた。





当時、豊田市はまだ挙母市とよんでいた。
人口も五万人程度の小さな町で、町の子たちも野球や相撲などの学校対抗で顔に覚えがあって、ひと目でわかった。普段は威張っていた悪ガキ仲間も、この日ばかりはみんなお上りさんで笑ってしまった。

雑踏の中で誰かが「さとる!」と呼んだような気がして、思わず振り向いてしまったが、みんな知らない顔ばかり。また一つ私の居場所が消えてしまったが、この道を行くしかない。


  


Posted by かとうさとる at 03:45 | Comments(0) | とよた風土記

2010年10月14日

農村舞台プロジェクト(24)この1カ月が勝負!


鉄は熱いうちに打てというが
私の欠点は竜頭蛇尾


農村舞台アートプロジェクト(23)で、「本番はこれから」と書いたが、市制60周年記念事業の一環として来年度の事業化が決定。一過性のイベントで終わるか、市域の七割を占めるという農山村地域の再生のプロジェクトとして根付くことができるか否か。鉄は熱いうちに打てというが、構想を固めるこの1カ月が勝負!





問題は私の性格で、トップギアに入るのは早いが竜頭蛇尾。
それだけが気がかりだが、この期に及んでは腹を括ってやるしかない。


来年度の心配よりも
先ずは今回の報告書の作成が先


作家の反省会も終わり、週末までには報告書を作成しなければ





写真は「農村舞台で豊年祀り」を制作中の私。
高齢者の事故でもっとも多いのが転倒で、
いつまでも若いつもりでいると私も笑われるがオチ。
無事で何より!(旧藤岡地区磯崎神社農村舞台)


プロジェクトの主役は地元の人たち





「壊すという話もあったけどわし等が舞台を守ってきた」と
テレビ局の取材を受ける地元の人たち
(旧藤岡地区磯崎神社農村舞台)





長い間眠っていた回り舞台が動いた!
(旧藤岡地区磯崎神社農村舞台)





「打ち上げはいつにする」と
作家より地元の人たちが張りきってしまった
野入の制作風景(旧稲武地区神明神社農村舞台)





村の鎮守の秋祭りのようなライブプロジェクト
(旧下山地区神明神社農村舞台)





写真は恵那文楽の上演
さすが小原歌舞伎の地元
みんな目が肥えていて見巧者ばかり
(旧小原地区賀茂原神社農村舞台)


  


Posted by かとうさとる at 15:44 | Comments(0) | 農村舞台

2010年10月11日

小原和紙に小川喜数という努力の天才芸術家がいた


今週の一番の楽しみは
小川喜数 国亜起二人展


先週は農村舞台アートプロジェクトの報告書で家に缶詰。息抜きのため合間をぬって、ライブや農村歌舞伎や演劇と梯子をしたが、今週も同じパターンになりそう。

楽しみは、小原和紙の小川喜数先生(故人)と子息で日本画家の国亜起さんの二人展。小川先生は私がいけばなの外部に目を向けるきっかけとなった先生で、工藤昌伸先生や北条明直先生と並ぶ恩人の一人。





写真は「和紙と木彫、陶と華四人展」(1980年)の記念に撮ったもので、左から木彫の石川豊先生(故人)、小原和紙の小川喜数先生(故人)、猿投窯の山田和俊先生、私の四人。





天象(1982年)


小原和紙の加納俊治先生は小川先生について「小原和紙で一番才能があったのは小川君で、僕は彼が一番怖かった」と述懐したように、その実力は折り紙つき。





本間2枚折屏風「龍華」右隻部分(1995年)

今回は二人展ということだが、小川先生の全容を明らかにして「史」として適正な評価を仰ぐのは、私をはじめ残された者の責務。先ずは、この機会に一人でも多くの人に足を運んでほしい。





同上左隻部分


和紙と日本画
小川喜数 国亜起二人展は
10月12日(火)~17日(日)まで
豊田市美術館市民ギャラリーで開催



15日(金)追記





小川喜数 国亜起二人展は中日新聞、朝日新聞など各紙が報道


  


Posted by かとうさとる at 00:17 | Comments(0) | アートの現在

2010年10月10日

農村舞台アートプロジェクト番外編 石野歌舞伎


舞台と客席が一体になった猥雑さに
時のたつのも忘れそう


市内中金町の岩倉神社農村舞台で行われた
石野歌舞伎の公演に足を運んだ。




修復前の岩倉神社農村舞台


岩倉神社の舞台は、私が農村舞台に関心をもったきっかけとなった舞台で、文化5年に建てられた回り舞台のある本格的な舞台で知られているが、当時は、地元でも忘れ去られ廃絶の声も上がっていた。

以来農村舞台の再評価の運動(?)に30年近く関わってきたが、舞台が修復され村歌舞伎まで復活するとは、当時は想像も及ばなかった。




石野歌舞伎の公演を知らせるポスター





岩倉神社の参道






農村舞台の弱点は雨
天幕にたまった雨水をホースで排水していたが
昔はどうしていたんでしょうねぇ





世話役も観客も大変だが、みんな楽しそう





アトラクションで、小さい頃舞台で遊んだという
地元出身のジャズプレーヤーがバンド仲間とジャズのライブ





聞けば、みんな一流のバンドで活躍しているプレーヤーとのことで
上手いはず!





村歌舞伎の幕開けは、中学生による「菅原伝授手習鑑-車曳き」
舞台と客席が一体になった猥雑さに、時のたつのも忘れそう。

  


Posted by かとうさとる at 01:58 | Comments(0) | 農村舞台

2010年10月06日

入善町の発電所美術館でセシル・アンドリュ展


1995年は戦後50年の
ターニングポイント


過ぎたことを回顧するのは老いた証だが、私は職にあった当時、「文化による地域づくり」を標榜して職員を主導してきた(つもり)。その指針としたのが「文化の定点観測」で、現在がどこからきて、この道はどこに向かっているのか、確認作業が不可欠と思ったからである。そんな習性が身についたせいか、いまもコトを「史」として概観することが多い。





1月17日未明。淡路島を震源とするM7.2直下型の阪神淡路大震災が発生


戦後50年の1995年はいろんな意味でターニングポイントになった年で、阪神・淡路大震災、松本サリン事件。大和銀行ニューヨーク支店が米国債投資の失敗で11億ドルの損失をだした事件は、米国の金融破たんを予見するものだった。

アートも臨界点に達していた。臨界点を象徴するのが1990年に開館した水戸芸術館に続いて竣工した豊田市美術館だった。バルブの象徴と指摘する人もいるかも知れないが、出口のない迷路に入ったいま、未来の扉をあけるためにも、私は20世紀の日本美術の到達点のひとつとして評価、検証する時期にきたと思っている。





水戸芸術館の作法の遊戯展は、「美術の現在」とサブタイトルにあるように、日本の現代美術の到達点を記録したもので、この年から1995年の5年間を私はアートの安土桃山と呼んでいる。(独断と偏見)



地方の時代をひらいた
下山芸術の森「発電所美術館」


1995年5月、地方分権推進法が成立。この年もう一つの美術館がオープンした。富山県入善町下山芸術の森「発電所美術館」で、私も開館直後とその後も幾度か足を運んだ。地場の文化資源を生かした地域づくりのモデルになったユニークな美術館で、地方の時代の端緒をひらいた。





国の「登録有形文化財」に指定されている発電所美術館の外観
(写真はホームページより転載)


発電所美術館は、取り壊される予定だった北陸電力の「旧黒部川第二発電所」(大正15年建設)を美術館にリニューアルしたもの。





発電所の構造を生かした展示空間(写真はホームページより転載)


左に発電用のタービンをまわす導水管の口が見えるが、私は初めてこの空間にたったとき、いまにも水が勢いよく流れてくるような恐怖感で足がすくんでしまった。


発電所美術館秋季企画展
セシル・アンドリュ展


産業遺産の魔力に魅かれて多くのアーティストがこの空間に挑んで話題になっているが、今回の秋季企画展は、金沢在住の造形作家セシル・アンドリュさん。セシルさんとは、豊田文化デザイン会議でコラボレーションして以来、折にふれてご案内をいただいているが、目に見えない言葉の世界をテーマに制作活動を続けている知的なアーティストで、発電所美術館とあわせてお薦め。







セシル・アンドリュ展は
10月9日(土)~12月19日(日)まで
富山県入善町の発電所美術館で開催






問い合せ
〒939-0631 富山県下新川郡入善町下山364-1
TEL&FAX0765-78-0621
  


Posted by かとうさとる at 22:48 | Comments(0) | アートの現在

2010年10月03日

いけばな展見て歩き



この一カ月、農村舞台アートプロジェクトの合間を縫って、
あいちトリエンナーレパートナーシップ事業「現代いけばなアート展」、池坊展、草月流愛知県支部展の三つに足を運んだ。


松坂屋の池坊展は
名古屋の歳時記のようなもの






いけばな人口が衰退するなかで一人勝ちの様相を呈しているのが池坊で、展覧会を囲むように京都の名店が門前市をなす光景はさすが。





東海地区は伊藤玉林、亀沢香雨など華道史に足跡を標した立華の名手を輩出した池坊王国で、こうした伝統の担い手として衆目の一致するのが特命派遣教授の柴田英雄。長谷川等伯の「松林図」を彷彿させる凛とした空間の支配力は他に比類がなく心地いい。


草月流愛知県支部展
「茜色に誘われて」






勅使河原蒼風、ニ代家元霞、三代家元宏と、伝統的ないけばなの世界にあって「表現としてのいけばな」の道を拓いた草月の創造のスピリットを継承することの至難さは想像に難くないが、草月に元気がないといけばなは面白くない。いわば草月の現在を確認することは「いけばなの定点観測」をするようなもので、楽しみ。





高島屋の正面を彩った四代家元勅使河原茜さんの大作





今回の草月展はJR高島屋の開店10周年を記念したもので
店内にはこんなお洒落なディスプレーも。





会場の入り口を演出したインスタレーションの部分。
草月を見る楽しみの一つは自由な気風にみちていること。
この作品も実作はアーチ状のインスタレーションで、
身体をつつむような浮遊感はさすが。




あいちトリエンナーレを意識したこんな作品も





この一点だけで納得





生物多様性と同じように
表現も多様性が大切
草月愛知県支部展展は
5日(火)JR高島屋で開催中





  


Posted by かとうさとる at 15:02 | Comments(0) | いけばなから