2010年03月29日

好きなことを仕事にできる幸せ


いけばなはフラワーデザインではない

私がいけばなを習いはじめた頃は、どの花屋にも「切り出し」の名人がついていた。いけばなで使う枝ものを切り出す人のことで、名人の一人に同じ流派の先輩がいた。「かとう君一緒に行くか」と言ってよく手伝わされたが、好きなことを仕事にできる幸せをこのとき学んだ。

あれから半世紀近い時間が流れた。切り出し屋は絶滅し、「切り出し」という言葉を知る人も少なくなってしまった。

狂言の有名な演目の一つに、主人と太郎冠者が立花の「真」になる花木を探しにでかける『真奪(しんばい)』という演目があるが、いけばなのために花木を切ることは、自然と慣れ親しんだ日本文化の一つと言ってもいいのではないか。

近年は自然保護の思想など難しい問題に直面しているが、いけばなにとって「切る」ことはいけばなの根源である「切る覚悟」を促すもので、簡単に譲るわけにはいかない。いけばなはフラワーデザインではないからである。


切り出した山躑躅を玄関にいける





   切り出したもの:山躑躅、枯れ枝、松の小枝
   いただいたもの:グラジオラス
   花器:山田和俊(猿投窯)
   書:加納俊治(小原和紙)  


Posted by かとうさとる at 00:05 | Comments(0) | いけばなから

2010年03月27日

桜も躑躅も李も桃も猿投の里は花ざかり


美空ひばりの
「リンゴ追分」を口ずさみながら
猿投の里をぶらりぶらり


♪♪お岩木山のてっぺんを 
綿みてぇな白い雲が
ポッカリポッカリながれてゆき
桃の花が咲き、桜が咲き
そいから早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃は
おら達の一番楽しい季節だやなー♪♪





猿投山麓にまもなく桃源郷が出現。
見ごろは4月上旬で、受粉作業が始まる中旬から下旬まで
その頃には真っ白な梨の花も見頃をむかえるはず。
猿投の里のアクセスは
①東海環状藤岡インターより5分
②猿投グリーンロード猿投東インターより数分





猿投の桃は絶品で夢に出てきそう
あと三カ月の辛抱。がまんがまん。
(写真は去年のイメージ)





見ごろを迎えた山躑躅
(県緑化センター)





足元に小さな花が
(県緑化センター)





雪柳の雲海。極楽浄土(?)
(県緑化センター)





見ごろは月末から月はじめ
県緑化センターのアクセスは
①東海環状藤岡インターより5分
②猿投グリーンロード中山インターより3分





芝に描かれた影のドローイング
(県緑化センター)





春陽会の丹羽先生と打合せのため県緑化センターからグリーンロードを通って成合へ。途中で旧道を発見。ハンドルを切ると落下した椿に道を阻まれてしまった。車から降りて土に還る椿を見ていると、改めていけばなは花を愛でることではなく、花で人間をいけることを実感。椿に感謝。





「この李は美味いぞ」と丹羽先生
「李下に冠を正さず」の桃はこの李のこと。



  


Posted by かとうさとる at 03:20 | Comments(0) | とよた風土記

2010年03月26日

豊田バレエ学校卒業公演


豊田バレエ学校を支えてきた
アラコ㈱元会長の関谷節郎さんが逝去


三月は旅立ちのシーズンで、豊田バレエ学校を支えてきたNPO法人豊田シティバレエ団理事長で、トヨタ自動車元専務、アラコ元会長の関谷節郎さんが、黄泉の国にひと足早く旅立った。昨秋、「かとうさんお話したいことがあるので一度時間をとってください」と、丁重なご挨拶をいただいたのが最後で、未だに信じることができない。

その関谷さんが最も楽しみにしていたのが豊田バレエ学校の生徒の成長で、関谷さんの「お話し」も、多分バレエ学校のことだったと想像するに難くない。


豊田バレエ学校の実力は折り紙つき

チャイコフスキー記念豊田バレエ学校は、バレエの本場ロシアのワガノアメソードを継承した本格的なバレエ学校で、ロシア人スタッフの基本指導のほか、海外バレエ団への門戸を開いていることから、未来のプリマを夢見た生徒が全国各地から入学。その成否が関係者の注目を集めているが、既に海外のバレエ団でプリマとして活躍する卒業生を輩出するなど、実力は折り紙つき。昨夜(25日)、そのバレエ学校の卒業公演が市民文化会館で開催され、足を運んだ。






卒業公演はコンサート形式で、第7回ベルリン国際コンクール入賞披露、バリエーションに引き続いて、[眠れる森の美女]より[プロローグ]を全員で披露。











夢に向かって飛翔け

最後に卒業生を代表して答辞を読み上げたが、両親に対する感謝の言葉にみんな拍手。入学式に来賓の末席を汚したことがあり、両親の心配を目の当たりにしてきたため、私も思わずウルっとしてしまった。夢に向かって飛翔け卒業生!


  


Posted by かとうさとる at 04:36 | Comments(0) | とよたの文化

2010年03月24日

農村舞台はとよたの原風景


初めて岩倉神社の境内で
朽ちかけた建物を見たときは声を失った



私が初めて農村舞台を見たのは20数年前、地域を文化で活性化する方策を探るため、現地調査を始めたときに遡る。西中金町の岩倉神社の境内で朽ちかけた建物を見たときは声を失った。話には聞いていたが、中央に廻り舞台の遺構と左右に太夫座があり、たただごとではないと思ったからである。





修復前の岩倉神社の農村舞台(1990年頃)


放置すれば他の舞台と同じように廃絶に向かうことは一目瞭然で、時は待ってくれない。先ずは農村舞台が生きていることを証明する必要があるため、市民総合文化祭が20周年になったのを機に、同じ悩みを抱える集落に働きかけ民俗芸能祭を立ち上げた。昔話をするのは老いた証拠というが、農村舞台の再評価が始まろうとしているいま、当時の状況を明らかにしておくことも「史」として必要と考えたからである。





市の有形民俗文化財に指定され、農村歌舞伎も復活した岩倉神社の舞台。写真はご存じ「白波五人男」。千両役者!



農村舞台はとよたの原風景

前回のブログで「農村舞台の予備調査はじまる」と書いた。私は行楽程度に考えていたが集合場所に行って驚いた。移動は市のバスで、現地では支所長や関係者が立ち会うとのことで、二度びっくり。都合の悪い人は途中で帰ってもいいとのことで、一安心したが結局最後までつきあってしまった。





旧藤岡町飯野の秋葉神社の農村舞台。透見の借景が美しい舞台で、ライブやコラボレーションに最適。





和紙の里で知られる旧小原村雑敷の八柱神社の常夜灯。





石段を上ると左手に馬頭観音を見つけた。





モノトーンのグラデーションが美しい八柱神社の社殿。





火事(?)で失った舞台を再建した八柱神社の農村舞台。
舞台は今でも地元のお年寄りのよりどころになっているとのことで、みんなハハハと大笑い。文化財よりも元気が一番。





同じく旧小原村大草の加茂原神社の農村舞台。
参道は紅葉と四季桜の名勝としても有名。





笹戸温泉で知られる旧旭町笹戸の八幡神社の農村舞台。
写真は「お先に」と言ってそのまま帰ってしまった華道連盟理事長の鈴木真幸登さん。





国指定の旧旭町杉本の貞観杉を見上げる。





杉本の農村舞台は参道がキツイため、私は麓で待機していると、旭支所長の塚本誠さんが五平餅の差し入れ。一人で先にいただいたが、味噌の甘みとご飯の焦げ加減が絶妙で絶品。
ごちそうさまでした。





旧稲武町桑原の熊野神社の農村舞台。稲武は長野県と岐阜県に接し、中馬街道と秋葉街道が交差する要衝として栄えた宿場町で史跡も多い。写真は稲武支所長の中根学さん。





「俺は疲れたからお前らよく見とけ」と座り込んでしまった美術連盟理事長の伊丹靖夫さん。左は劇団ドラマスタジオの岡田隆弘さん。みんなおつかれの様子。





疲れたときは目の保養が一番
写真は明川の熊野神社参道脇の梅林





旧下山村和合の神明神社の農村舞台。どこかで見たことがあると思ったら、越後妻有の社殿によく似た造りで、納得。





下見の最後は坂上町の六所神社の農村舞台。市議会議長の八木哲也さんが「今日はほんの一部を見ただけですので、あとは自分で見に行ってください」と〆のあいさつをしたが、みんな「もう結構」と笑ってお終い。先は長そうだ。

  


Posted by かとうさとる at 00:11 | Comments(0) | 農村舞台

2010年03月21日

農村舞台の予備調査はじまる


先ずは関係者全員で
上々のスタート


3月20日(土)豊田市議会議長の八木哲也さんのよびかけで、
農村舞台の再生に向けた予備調査が始まった。予備調査と言っても下見をしただけだが、文化振興財団、文化振興課、文化財課、美術館、関係地区の支所長、議員が参加しての意思表示で、セレモニーとしては上々のスタートとなった。





東京23区より広い地域を回るため1ケ箇所10分程度の強行軍で、少々バテ気味。前列左から八木哲也さん(市議会議長)、伊丹靖夫さん(美術連盟理事長)、市川明徳さん(書家)、私かとうさとる、中根学(稲武支所長)、柴田典夫さん(陶芸家)、後列左から市会議員の三江弘海さん、北川智昭さん(美術館学芸員)、酒井利秀さん(文化振興財団)、岡田隆弘さん(劇団ドラマスタジオ主宰)、伊藤達也さん(文化財課長)、最後の方は名前を失念してしまいました。ごめんなさい。
(背景は旧足助地区明川の農村舞台)



テレビがなかった時代
祭礼のシーズンが近づくと
我が家の庭先は農村舞台に一変


私の親父は、数人の仲間と、民謡と民俗芸能をコラボレーションした獅子舞の一座を組んで、NHKのど自慢大会の中部地区大会で優勝。初めてテレビ放映されたのど自慢全国大会(昭和29年)で準優勝するなど、いまは絶滅した地芸能の継承者の一人だった。そんなこともあって、各地の盆踊りや祭礼に招ねかることが多く、シーズンになると我が家の庭先は、練習や音合わせを見に来る近所の人たちで、農村舞台のような賑わいを見せていたことを覚えている。

ところが私は親父の獅子舞を見たことがない。覚えているのは三河万歳や鳴り物を得意とする親父で、のちに一座を組んでいた人から「お前の親父の胡弓は名人だったぞ」と聞かされたことがあるが、当時は胡弓の弦のすりきれるような音が耳障りで仕方がなかった。





深い眠りから覚めた農村舞台に春の訪れ



私が農村舞台に惹かれる理由

獅子舞と言えば今も鮮烈に覚えていることがある。昭和28年頃だったと思うが、部落の祭礼で見事な獅子舞があり、神社の境内に万雷の拍手が鳴り響いた。私も荒ぶる神が現れたと恐怖に震えながら大人に交じって拍手した。しばらくして一段と拍手が高まった。獅子頭をもった人を見て思わず卒倒しそうになった。そこにすくっと立っていたのはまぎれもなく祖父で、今もあの祭りの夜の出来事を信じることができないが、親父が祖父の影響を受けていたことは間違いない。

私が農村舞台に惹かれるのは、私の深層にもそんな血が流れているからではないか。そうとしか理由が思いあたらない。  


Posted by かとうさとる at 13:01 | Comments(0) | 農村舞台

2010年03月19日

新聞をよんで




3月19日朝日新聞より転載


最近のテレビランキングから

毎週木曜日のテレビ欄に「テレビランキング」が掲載されている。政権交代以降ニュース番組が健闘していたが、ここしばらくランク入りしていない。原因の一つは、展望も示さず悲観論を煽る報道姿勢にうんざりしているからではないか。地元の中日は別にして、大手マスコミも同様で産経は論外。日経、読売も文化欄以外は読む気がしない。朝日新聞もダッチロールで心もとない。紙が好きで各紙を応援しているだけに気が重たい。


朝日新聞のコラム「経済気象台」から

例によって余談に逸れたが、朝日新聞の経済欄に「経済気象台」というコラムがある。日刊ゲンダイのコラムにしてもそのまま通用しそうなアクの強いコラムで、内容もバラツキがあり不思議に思ってきたが、第一線で活躍する経済人・学者など社外執筆者が日替わりで書いているとのことがわかって納得。第一線で活躍する経済人・学者もいろいろいると言うことらしい。


ピンチは最大のチャンス

その経済気象台の17日付け「一諾千金」は、リコール問題に端を発したトヨタ悲観論→日本経済悲観論が蔓延するなかで、勇気と希望を与える久々のクリーンヒット。18日付けの経済気象台「国のリスク」もタイムリーで、柔道で言えば合わせ技一本で、メダルもの。




3月17日付け朝日新聞コラム「経済気象台」より転載


米議会の公聴会を幾度も傍聴したというコラムの筆者は、質疑を見ての感想として、先ずトヨタバッシング一辺倒の報道に異を唱え、訴訟社会の米国で簡単に謝罪したのは軽率という見方は古い米国観と一蹴。世界が注視するなかで、トヨタが約束する安全対策、ユーザー向けアフターケアは、トヨタの企業文化を世界に発信する機会を与えられたと見るべきではないか、とピンチをチャンスにかえた。


一諾千金に学ぶ

タイトルの一諾千金は、広辞苑によると[漢代の季布は信義に篤いことで知られ、その承諾を得ることは黄金百斤よりまさるとされた故事から、信頼できる承諾。転じて、一たび与えた承諾は千金の重みがあるから、必ずこれを実行しなければならない]という意味で、コラムは「一諾千金、トヨタの国際的重責遂行力が問われることは言をまたない。」とボールをトヨタに投げて結んだ。

とどのつまりは自己責任ということだが、トヨタの安全基準がグローバルスタンダードになるという展望は、災い転じて福となすもので、身体が弱っている今、希望に勝る良薬はない。一諾千金に学ぶのはトヨタだけではないのではないか。  


Posted by かとうさとる at 15:50 | Comments(0) | らくがき帖

2010年03月16日

花と器と場の至福の出会≠野畑光風展


三月に入って、三つのいけばな展に足を運んだ。松坂屋豊田店で開催された「峯月いけばな展」、市民文化会館で開催された「景風流いけばな展」、大府市の大倉公園内の旧大倉別荘で開催された「野畑光風展」の三つで、一つはデパートの催事場、一つはホワイトキューブのギャラリー、一つは数寄屋建築と、それぞれ異なった場で展開。いけばなと場の問題を考える上で、興味深い展観を見せていた。今回はその中から、3月14日(日)に足を運んだ野畑光風展を取り上げたい。



伝統と近代の美意識が生み出した
旧大倉和親氏別邸(大倉公園)


大倉公園は、大正8年にノリタケの初代社長の大倉和親氏が建てた別邸を、大府市が買い取り、公園として整備したもので、ツツジの名勝として聞いていたが、訪れたのは初めて。





交通情報で「知多道が事故のため渋滞」というニュースを聞いたため、一般道を半田経由で大府に向かったが、一般道も三河湾に架かる衣浦大橋で渋滞。どうにか会場の大倉公園に辿りついたが閉館時間まで30分と少し。小高い山の地形を生かした公園の坂道を急いでのぼっていくと、木立の中に見事な茅葺門が見えた。閑静なたたずまいに、一瞬、時間のことも、ここが市街地であることも忘れてしまいそう。






茅葺門から邸内に足を踏み入れると
手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。






冠木門の奥が大倉氏の旧邸で、路地のツツジに見事な花が咲いていた。ツツジにリボンを結んだもので、お洒落な心遣いに期待が増幅。一瞬「写真を」と思ったが、帰りに撮ればいいとパス。この判断が後で後悔することになったが、今できることを先送りする私の悪い癖で、反省。



爽やかな風とスローな時間に包まれて
いただいたお茶は最高の贅沢


ご案内をいただいた野畑光風さんは、私の30年来のいけばな仲間の一人で、女流いけばな作家として高く評価されているが地元での個展は初めてとのこと。いわば満を持しての個展で、爽やかな風とスローな時間に包まれていただいたお茶は最高の贅沢。ごちそうさまでした。






奔放な雪柳と灰を被った窯変の壺の出会いが至福の作品で、この「花」を見れただけで納得。「花器は誰?」と私。「黒ちゃんの壺」と野畑さん。黒ちゃんの愛称でいけばな仲間と交友のあった黒澤有一さんは、常滑が一番元気だったころ常滑で活躍していた作家で、現在は実家のある秩父で窯を構えているとのこと。懐かしい名前に、過ぎた時の流れを実感。






数寄屋に風を呼び込んだ花木のインスタレーション






黄色が鮮やかな連翹のインスタレーション






先のインスタレーションとは異質の花明りで歌の一首も。



野畑さんに感謝

閉館時間がきたため野畑さんにお礼の挨拶をして辞したが、写真を予定していた路地のツツジの花が見当たらない。管理が厳しいとは聞いていたが、杓子定規のお役所仕事に唖然。余談に逸れたが、花と器と場の至福の出会いにご案内をいただいた野畑さんに感謝。  


Posted by かとうさとる at 17:03 | Comments(0) | いけばなから

2010年03月13日

新たな農村舞台の収穫はなし


こんなことで
本当にいいのかな


過日、春のような陽気に誘われてデスクワークを中断。農村舞台の下見を口実に家を出た。下見といっても、道草ばかりで目的の舞台まで遠く、新たな舞台の収穫はなし。自由人(?)の特権だが、こんなことで本当にいいのかな。


初めて大鷲院に立ち寄る




総欅造りの大鷲院の山門


農村舞台は、塩の道(現在の国道153号線)に沿って広く分布しているため、足助を中心に何度も行き来しているが、神社仏閣も見応えがあり、塩の道の深さに感嘆。

慶長7年(1602年)に再興された磨崖仏で知られる大鷲院もそんな寺院の一つだが、立ち寄ったのは初めて。アクセスは、足助の香嵐渓から国道153線を稲武方面に6分程。左手に総欅造りの山門が見える。正面の扁額は明治の元勲山岡鉄舟の筆によるもので、寺格が理解いただけるのではないか。




大鷲院の参道


見上げると大石垣が続き、本堂はまだ先。情けないが杉本の農村舞台の参道で懲りたため、ここでUターン。
しなければいけないことがたくさん残っているのに
こんなことで本当にいいのかな。



  


Posted by かとうさとる at 16:57 | Comments(0) | 農村舞台

2010年03月12日

まもなく桜前線到着


ひと足早く高知県で桜が開花。今年は例年より10日ほど早く、愛知の開花予報は、21日(日)春分の日あたりとのことで、何かいいことがありそう。





市内で最も早く開花が予想される市民文化会館裏手の桜。枝ぶり、色艶ともに見事な大樹で、文化会館を訪れる人の目を楽しませていたが、近年病が発生したのか、幹の上部を伐採。少し痛々しいが、元気でいてくれることが何より。






私が通った山の学校(中小学校)は桜の名勝として知られていたが、美術館のテラスの斜面の桜は当時のまま、今も見事な枝ぶりで、美術館を訪れる市民の目を楽しませている。逆光のためよく撮れていないが、蕾もふくらんで開花も早そう。



市民文化会館に足を踏み入れると
いけばなで春爛漫






第59回景風流いけばな展は
市民文化会館A・B展示室で14日(日)迄。
写真は家元の川村景風さんの作品。  


Posted by かとうさとる at 04:26 | Comments(0) | とよた風土記

2010年03月10日

井上陽水は絶滅危惧種


絶滅した上質の先人や友人たちに
時代の語り部として選ばれた井上陽水






井上陽水 GOLDEN BESTのジャケット



先週の金曜日(正確には土曜日の未明)、昨年夏、教育テレビで4夜連続放送したシリーズの再放送、「井上陽水~40年を語る~」第1夜と第2夜を見た。

デビュー40周年を迎えた井上陽水の道のりと創作にかける思いを、本人のインタビューと時代とともに過ごした仲間たちからの証言で構成したもので、昨年、NHKが「SONGS」、「井上陽水~40年を語る~」と、2度にわたって陽水を特集した理由がわかった。





GOLDEN BESTは、初期の作品から最近のヒット曲まで
網羅した2枚組のアルバムで、このアルバム1枚で納得。


バルブに踊った人間もいたが
絶滅した上質な人間も数多いた80年代


番組は、70年代を特集した第1夜に引き続いて、第2夜で「麻雀・亡き人々・最後のニュース」をキーワードに80年代を特集。「あの人は、どこまでが本当でどこまでが冗談なのかわからない。虚と実という人間としての深さというようなものを学んだ。」という阿佐田哲也をはじめ、吉行淳之介、筑紫哲也、五木寛之、沢木耕太郎、黒鉄ヒロシ、伊集院静、忌野清志郎など、無頼派の心根をもった先輩や友人たちとの交友を通して、劇的に変化していく陽水を描いた。

バルブに踊った人間もいたが、絶滅した上質な人間も数多いた80年代。私も工藤昌伸先生や北条明直先生に憧れて、現代いけばなの流れの中に身を投じた時代で、最後の時代のバスに乗客として乗り合わせた幸運を感謝。


残り2夜の再放送はNHK総合テレビ
13日(土)午前1時~午前2時50分。
既に見た人はもう一度
見ていない人は是非お薦め。
  


Posted by かとうさとる at 15:30 | Comments(0) | らくがき帖

2010年03月07日

あいちトリエンナーレ長者町地区企画コンペ






ここまできたら成功してほしい

あいちトリエンナーレ2010の準備も大詰め。(のよう)
規模は問題にならないが、私も長年こうしたアートイベントの制作に関わってきた。岡目八目というが、適度の距離があると大局が読めるもので、現役のときに気がついていれば、もっとみんなの役にたてたのに、と少し後悔。

余談に逸れてしまったが、ここまできたら成功してほしいもの。あいちトリエンナーレの詳細はホームページの検索を。




あいちトリエンナーレ2010のチラシ



あいちトリエンナーレ2010
長者町地区の企画コンペ説明会に参加


愛知芸術文化センターアートスペースの企画コンペ(決定)に引き続いて、長者町地区の企画コンペが発表され、3月6日(土)現地で第1回説明会が開催された。公募要項だけでは詳しいことがわからないため、私も足を運んだ




長者町コンペのチラシ


(募集内容)
長者町地区を展示空間にした12企画を公募。
製作費等の助成額は100万円を上限。
(選考方向)
第1次選考(書類審査)
第2次審査(プレゼンテーションとヒヤリング)
(応募方法)
3月1日(月)~3月31日(水)必着
(詳細)
あいちトリエンナーレ2010ホームページ確認
国籍、年齢不問(個展、グループも可)のため
興味のある方は是非!





説明会の参加者はざっと100人。
資料を読めば説明はなくてもわかる内容になっているため、
興味のある方は事務局に問合せを。
電話=052-971-6113 FAX=052-971-6115
[email protected]

次回説明会は3月20日(土)14:00~





人数が多いため3班にわけて現地下見





なんかみんな元気がないなァ


説明会の次は
あいちアートの森
「堀川プロジェクト」を見るため
堀川界隈へ






堀川に架かる五条橋(都市景観重要建築物)は、名古屋城築城により、それまで尾張の中心だった清州から武士、町人、神社・仏閣など、城下町まるごと移転した「清州越し」によって、清州の五条川に架かっていた橋が移築したもの。「清州越し」の由来は知っていたが、橋を渡ったのは初めて。





五条橋の界隈は、堀川の水運を利用して、米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを商う商家が軒を連ね、今もそこかしこに往時の繁栄を偲ぶことができる。写真は四間道の商家と町並み。





疫病や火災などから身を守るため、屋根の上に小さな社を祀る「屋根神」は、名古屋独特のもので、風土記では読んでいたが、実際に見たのは初めて。名古屋については私なりにわかったつもりでいたが、穴があったら入りたい。

そんなわけで
あいちアートの森は後日に
  


Posted by かとうさとる at 05:01 | Comments(0) | トリエンナーレ

2010年03月04日

野山は春の息吹でいっぱい






蠟梅と紅梅と白梅のアンサンブルで梅花もラストウィーク





名前は知らなくても木々が芽吹くのは生命が芽吹くよう





アカシアの壁の向こうに青い空





晩秋に咲いた四季桜がまた満開。四季桜も大変

  


Posted by かとうさとる at 00:09 | Comments(0) | とよた風土記

2010年03月02日

国指定の杉本貞観杉と農村舞台


豊田市のもう一つの顔は
農山村型都市の顔


平成の市町村合併で豊田市は足助町、旭町、稲武町、藤岡町、小原村、下山村の4町2村と合併。岐阜県、長野県と県境を接し、面積は918.47平方キロメートル、県全体の17.8パーセント。内7割が山林という、農山村型の顔をもった自動車のまちに生まれ変わった。

農山村型を象徴する一つが、旧町村を中心に現存する農村舞台で、今回とりあげた杉本貞観杉もその一つに加えたい。県下最大の杉で、国の天然記念物に指定されている。名前の由来は、平安前期の貞観時代(859年~876年)に植えられたと伝えられていることから、昭和19年に天然記念物に指定された際、当時の愛知県知事が命名したもの。


国の天然記念物
 旧旭町杉本貞観杉






石垣に囲まれて窮屈そうな杉本貞観杉



杉本貞観杉は、旧旭町の小渡から入るコースもあるが、国道153線で足助を通り抜け、新盛交差点を左折。県道19号線で約15分ほど。杉本郵便局が目印。初めて見た貞観杉は、老木を想像していたが枝葉が茂り、樹齢が信じられない。もう一つ意外だったのは民家に接していたこと。舗装された道路と石垣に挟まれて窮屈そうで、これも意外。


貞観杉と縄文杉を比較





神明社の麓に鎮座する貞観杉


( )内が縄文杉

目通幹周 11.7m  (16.10m)
樹高 45m (30m)
推定樹齢 1100年 (推定3000年以上)






杉本神明社の石段から貞観杉を見下ろす。
手前の杉もナカナカのもの。



越後妻有の空家のような
旧旭町杉本神明社の農村舞台






貞観杉から石段を登ると、杉本神明社の参道の向こうに農村舞台が見えた。運動不足のため這うようにして参道を登ったが、青息吐息。誰もいない参道で何をしているのやら。






越後妻有の空家のような杉本農村舞台


八木さんの資料によると昭和31年再建とあるが、貞観時代に遡る杉本の歴史を考えると再建前の舞台を見てみたいもの。
作品を制作するとしたら、私は先にとりあげた明川の農村舞台のよううな立派な舞台よりも、越後妻有の空家のような杉本の舞台に食指が働く。どこかで琴線に触れているためと思うが、わからない。(写真はいずれも10年2月25日撮影)




  


Posted by かとうさとる at 01:59 | Comments(1) | 農村舞台