2009年09月29日
青い空とコスモスと
どのように飛ばしたのか記憶は定かではないが
当時コスモスはワルガキたちの格好の遊び道具だった
駅の構内に咲いていたコスモスを摘み
花弁を間引きして捻じれを入れ
息を吹きかけると竹トンボのように空高く舞い上がった
あれから半世紀の余が過ぎた
市内でも休耕田にコスモスが植え付けられ
一面に広がるコスモス畑を見かけるようになったが
青い空に乱舞するコスモスと
ワルガキたちの歓声はそこにはない

中京大学の近くの休耕田に咲くコスモス(市内伊保町)

民芸館旧井上邸の居間にコスモスを活ける(2004年)
2009年09月27日
蒼風の「花伝書」に学ぶ

今日も一日日が暮れて
勅使河原蒼風「花伝書」より
わたしはあるとき人からきかれた
「あなたは満州のように花のないところに暮したらどうしますか」と
私は答えた「土をいけるでしょうと」と
わたしは 過去に満州の旅をして汽車の窓から
何時間たっても土だけの連続である満州の眺めを体験している
花があって 花をいけられることは しあわせとおもうが
花がなければ どうにかして花を探し出して
なんとしても花をいけねばならないというのではないのだ
花の前に「いける」があるのだとおもう

部屋に花一輪
花は言葉
花は歌
花:コスモス、擬宝珠の葉、薄の葉
器:吉川正道(常滑)
2009年09月26日
赤い花なら満珠沙華
―赤い花なら満珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る―
勉強をしないでポンツクばかりしていたワルガキにとって
ラジオから流れてきたこの歌は、ハイカラな異国の風景を運んできた。
その花が忌嫌うあの赤い花と結びつくまでかなりの時が流れた。
今はタモをもって小鮒を追った小川や田畑も家が建ち並び
私は帰る場所を失った。(満珠沙華は「赤い花」を意味する梵語)

一気に開花した彼岸花の群生(逢妻女川の堤防)

花:彼岸花、荻/陶:古常滑/場所:寺部八幡宮(2004年)
2009年09月25日
秋の妻有だより
大地の芸術祭
越後妻有アートトリエンナーレ2009秋版

妻有の空を飛ぶ秋アカネ?
妻有の秋を愛でながら作品と再会
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009は、9月13日(日)に幕を下ろしたが、今年は新潟デスティネーションキャンぺーンにあわせて、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009秋版を10月3日(日)~11月23日(日)の会期で、引き続き公開される。
新潟デスティネーションキャンぺーンは、JRグループと新潟県及び山形県庄内エリアの自治体や観光関係者が協同して実施する観光キャンペーンで、妻有の秋を愛でながら作品と再会できるのは嬉しい。
但し、秋版はオプションのため、廃校や空家プロジェクトの作品公開は土・日・祝日に限定されるためご注意を。また公開される作品リストなど秋版の詳細は「大地の芸術祭」のホームページで確認してください。
私は作品のメンテナンスを兼ねて月末に妻有入りするが、今回は予定を立てずに気の向くままぶらりぶらりと妻有の秋を巡ってみたい。

秋の妻有(パンフレットより)
2009年09月24日
足助でチェンジの手がかりを探す
チェンジ
23日(水)はお彼岸の中日。国政も民主党政権に代わり、匿名の政治から実名の政治へチェンジ。チェンジと言えばオバマ大統領の就任演説が鮮烈な記憶として新しいが、NHKが放映したオバマ大統領の国連総会演説も、困難な現実を見据えて未来に動き始めた米国の覚悟と決意を全世界に向けて語りかけたもので、背筋を伸ばして聞いた。宇宙船地球号のニューリーダーの一人として、鳩山さんを世界におくり出すことができたことを日本人の一人として誇りたい。
足助でチェンジの手がかりを探す
あいかわらずチェンジできないのが私で、
チェンジの手がかりを探して足助の町並みをぶらりぶらり歩いた。

巴川に架かる巴橋のたもとでオトリ鮎を泳がす釣り人。暇にまかせて1時間ほど見ていたが竿がたつ気配がない。今年は矢作川も巴川も不調と聞いていたが実感。それにしてもあの大量の天然鮎はどこに消えてしまったのだろうか。余談に逸れたがこの巴橋の上流一帯が東海一の紅葉の名勝として知られる「香嵐渓」で、今年の見ごろは11月中旬とのこと。

中馬街道の宿場町として古くから栄えた足助は、巴川の九久平の土場で荷揚げされた海産物と矢作川の彦宗土場で荷揚げされた海産物が最初に合流する場所で、格子戸の残る旅籠や古い町並みに往時を偲ぶことができる。足助は知恵者が多く、早くからこうした町並みを生かした独自の街づくりが進められ、365日歳時記として話題にこと欠くことがない。この日も足助川の橋の上で知恵者の一人として活躍する市教育委員の長橋さんとバッタリ。車を停めた長橋さんとしばし談笑。写真はマンリン小路。

中馬の資料を集めた資料館

間口の割に奥行きのあるのが足助の商家の特徴で、写真は精米所。

隣近所なのか、路上で野菜を分け合う懐かしい光景にカメラを向けると、おばさんは笑って背を向けた。私も一緒に笑った。

お目当てはこれ。27日(日)まで、「足助の町並み芸術さんぽ」と題して町並みを生かしたイベントを開催。私も類似したイベントの構想をもっているため、どんな作家がどんな仕事をしているのかリサーチが目的。写真は町屋の玄関を屏風仕立ての日本画で演出した伊丹靖夫さん。

出品者の多くは私が職(アートマネージメント)にあった当時、将来を託す新進作家として取り上げた作家で、気にかけてきたが全員が作家として自立。この先どのように化けていくか楽しみ。
今の私にとって足助の人たちの背中は眩しい
私は予てから「文化は身の丈にあったお洒落で、お洒落の基本は手入れをすることだ」と述べてきた。人もまちも手入れされたものはみんな美しく輝いているからである。今の私にとって、農山村の文化の集積を生かした独自のまちづくりを展開する足助の人たちの背中は眩しい。
2009年09月22日
暇ネタ 猪と人間の知恵比べは第二ランドへ

猪の侵入を防止する電気柵。高圧電流が流れているらしいが、人身事故にならないのかな。因みに「蓬平いけばなの家」の幟の旗竿は、この近くの竹藪で伐り出したが、私は竹の重さで転倒。もう少しで電気柵に触れるところで、一瞬真っ青。危ない危ない。
丹羽隆夫展実行委員会が牡丹鍋会に宗旨変え
豊田市は面積の7割を山林が占める山林都市で、山主の猪は男どもの格好の嗜好品として親しまれてきた。その猪に異変が起きているらしい。
猪は夜行性で、日中は日当たりのいい藪や森の中に隠れて眠っていて、夜になると餌を求めて行動するが、近頃は獣道ではなく、アスファルトの道路を闊歩し、人家の庭先まで集団で徘徊。作物に甚大な被害がでているとのこと。
そんな訳で市農林課も補助金を出して猪対策に乗り出した。目下のところの一番の対策は、田畑の周囲を高圧電流の電気柵で囲う方法で、濡れた鼻で電線に触れると電気ショックで二度と寄り付かなくなるというもの。
何故か丹羽隆夫展の反省会でこの猪談義に花が咲いた。当初は電気ショックの効果があったらしいが、近頃は尻から柵を倒して侵入する猪も増えてお手上げとのこと。猪の肉は腐る前が美味いとのことだが、最後は元藤岡中学校長の「美味い猪を手配するから牡丹鍋会をしよう」という〆でお開き。要はそう言うことで農家の人が聞いたら気楽で叱られそう。
因みに猪が増えたのは禁猟区が増えたこと、天敵の狐がいなくなったことから地球温暖化に及び、酒の肴は尽きることがない。暇ネタでご容赦を。
2009年09月21日
病人を抱えるようにして大王松を持ち帰る
撤花を依頼していた
大王松を引き取るため華道豊展の会場に着くと
花材置場の隅で大王松がぐったりしていた
水に浸した菰で大王松を包み
病人を抱えるようにして家に持ち帰った
蘇った大王松

玄関に大王松を活ける

器は猿投窯の山田和俊さん
左は春陽会の宮川洋一さんの油絵
右上は石彫家の国島征二さんのリトグラフ
右下は小原和紙の加納俊治さんの書
2009年09月20日
大王松の反撃にショック
穴があったら入りたい
前回「久々にいけばなの醍醐味を味わうことができそうだ」と書いたが、穴があったら入りたい。
17日(木)夜、華道豊展中期展の活け込みをした。残念だが相撲で言うと不用意の立会で、自分の相撲をとることなく大王松に完敗。活け込み日に別の予定を入れるなど慢心からくる油断で自業自得。いつもならゼロからリセットして納得するまでやり直すのに、入れた予定のため試合放棄で終了。本音を言えば公開したくないが、事実は消すことができないため、自戒の意味を込めて公開した。
9月21日(月)
前言訂正で申し訳ないが写真は削除
ご容赦を
後悔先にたたず
2年ぶりに名子の筏で竿を出した。当日の釣果はサワラの2年子、このほかカワハギ、キジハタ、サンバソウ(石鯛の子ども)など五目。敦賀の「日本海」で名物の「焼きサバ」とアジの開きを土産に追加。いつもなら素直に美味いと舌づつみをうつところだが、食が進まない。展覧会の会期中に予定を入れた罰だが、後悔先にたたず。不用意の週末で反省しきり。

名子の筏から見た敦賀湾。白い建物は敦賀火力発電所

名子の筏から見た敦賀湾

サワラの2年子
2009年09月16日
久々にいけばなの醍醐味を味わうことができそうだ
明後日、活け込みを予定している「華道豊展」の大王松が見つからず諦めかけていたが、行きつけの花成の社長から「太い枝のバサパサのものしかないが、よければ明日入るがいいかん?」と電話。
太い枝?バサバサ?相手にとって不足はない。むろん二つ返事でOKを出した。久々にいけばなの醍醐味を味わうことができそうだ。

とよたアートナウ2006
「喜楽亭13人の書と花」
「喜楽亭13人の書と花」は、市内で活躍する書家と華道家が数寄屋の空間に挑んだもので、いけばなを始めて半世紀近くなるが、初めて大王松を使った。このとき次の勝負花は大王松の一色と決めた。それが華道豊展とは考えていなかったが、カードを切ってしまった。やるしかない。
2009年09月15日
イタリアの職人の風を運ぶ 切り絵師・瞬寛
池坊展の最終日に足を運ぶ
天皇陛下御即位20年、天皇皇后両陛下御結婚満50周年を記念した池坊展の最終日に足を運んだが、芋を洗う混雑に早々に退散。足が止まったのは二代目池坊専好の立花の再現を競った役員席で、伝統の強みを実感。同時に親しくさせていただいてきた先達の「花」の老いに、わが身の明日を重ねて複雑系の寂しさも。

池坊というと伝統の継承というイメージがあるが、いけばな界で最も革新的な展開をしているのが池坊で、好き嫌いは抜きにしてまさに一人勝ち。写真は鏡面ガラスでディスプレーした華道家元四十五世池坊専永の大作。
切り絵師・俊寛展
-イタリアの風景と職人たち-
会期:9月30日(水)~10月6日(火)
会場:銀座松坂屋別館4階美術画廊
切り絵師・俊寛が、銀座松坂屋で個展を開催する。俊寛との出会いは、8年ほど前、フィレンツェでイタリアンワインのソムリエとして活躍している亀山絵美さんの家に招かれたとき、紹介されたのが最初で、翌日「僕の絵を見て欲しい」と作品を持参した。
正直に白状すると、切り絵という先入観と年齢が若いことなど、少し見くびっていたが、一目見て絶句。気の遠くなるような作業と超絶技巧、イタリアの職人たちによせる暖かい眼差し。思わず俊寛の顔を見てしまった。フィレンツェの名家コルシー二家の宮殿で毎年5月に開かれている職人展で優勝するなど、新進切り絵師として実力は折り紙つき。他に比類のない俊寛の世界を是非お薦めしたい。

「フィレンツェの風景 シニョーリア広場」 500×1000mm

「オーバーホール」 600×800mm

「最後の儀式」 800×600mm

名古屋の個展を紹介した朝日新聞記事(参考)

名古屋の個展を紹介した朝日新聞記事(参考)
2009年09月14日
大地の芸術祭に感謝
9月13日(日)、7月26日(日)から50日間のロングランで開催された大地の芸術祭が幕を下ろした。丹羽隆夫展の搬出と重なったため閉会式には出席できなかったが、今はただ「大地の大祭」に感謝。

いけばなの家の受付。ここでパスポートを拝見。

週末はWeekendイベント。いけばなのライブやトークに人の華が咲いた。

立ち返りなお見てゆかんいけばなの家。
たくさんの出会いを、ありがとうございました。
2009年09月13日
近場の秋を探してぶらりぶらり
私が生まれ育った土橋は、トヨタの工場地帯の一つとして知られているが、私が悪ガキの頃はのどかな田園風景が広がっていた。近くの野原や土手には季節の枝ものや草花が無尽蔵に自生していた。トヨタの元町工場の進出とともにそんな田園風景は一変。田畑は工場用地となり、工場を囲むようにアパートが建つようになった。懐かしい里の風景を見つけると遠い昔の自分が見えるようで、時間の経つのを忘れてしまいそうだ。
こんなシグナルがでるときは道に迷っているからで、アブナイアブナイ。
そんな訳で気分転換のため近場の秋を探してぶらりぶらり。

新富国橋を渡って小峯の集落に向かう途中で見つけた秋

お目当ての彼岸花は「まだ」とのことで、黄花コスモスをパチリ

一人ぽっちのコスモスを見つけた
矢作川で秋を探す
私の道草の定番は川辺と草花の見える野山と決めている。
どちらが好きかと聞かれても「囲碁の本因坊と将棋の名人のどちらが強いか」と聞かれるようなもので、比較のしようがない。

この辺りは通称「お釣り土場」と呼ばれている鮎釣りの一級ポイントとして有名。写真の左奥の岸辺には、藪椿の群生とその昔矢作川の水運で栄えた「越戸土場」の遺構も。空も流れる水も秋の気配そのもの。

釣り人の姿を求めて車を移動。中流の広瀬から富田の瀬は、下流の「お釣り土場」と並ぶ一級ポイントとして有名だが、既に鮎は落ちてしまったのか、無人の川舟に秋の気配が。
2009年09月10日
妻有ギャラリー(7)衝撃の向井山朋子
向井山朋子とは何者か
今回私が最も衝撃を受けたのが向井山朋子「Wasted」。五感に高圧電流が流れたような衝撃に言葉を失った。アントニー・ゴームリ―の作品もそうだが、衝撃的作品に限って写真が上手く撮れていない。そもそも学校の体育館を埋め尽くしたインスタレーションをデジカメで撮ろうと思うのが無謀な試みで、諦めるしかないようだ。
向井山朋子とは何者か。ガイドブックを開くと「オランダを拠点に世界で活躍するコンサートピアニスト」とある。「ピアニスト?」、頭が混乱して理解不能。そんな訳でインターネットで検索。私が知らないだけで、とんでもないアーティストということがわかった。興味のある方はネット検索をお薦め。

満天の星座のように吊り下げられた純白なドレスを見上げる
さて、余談に逸れたが向井山朋子「Wasted」は、純白のドレス12,000着を空間にインスタレーションしたもので、プロジェクトは会期終了後、インドネシア、オランダなど全5ヶ国を巡回するとのこと。「参加者は衣服を受け取り、月経のときにパフォーマンスをする。その体験が、作家にフィードバックされ、次のコンサートにつながる」というコンセプトは絶句。

月経の血で染めたのか、ドレスの塔に錆びた朱が滲んでいる。後日「吐き気がする」と、拒否した人もいたと聞いたが納得。

向井山朋子の胎内?それとも幻覚か。
2009年09月10日
妻有ギャラリー(6)妻有にアーカイブが誕生
インターローカルアートネットワークセンター
硬質な輝きで異彩を放っていたのが清水・松代生涯学習センター(旧清水小学校)に設置したインターローカルアートネットワークセンターで、今回の大地の芸術祭の収穫の一つ。アーカイブの中心となっているのがディレクターの川俣正で、私は全体を川俣作品として見ているが、正確なところはわからない。いずれにしても大地の芸術祭を学術的に記録した資料室が誕生したことは、妻有の国際的なポジションを確立するビッグヒット。

インターローカルアートネットワークセンターの正面。お洒落で脱帽。

インターローカルアートネットワークセンターの展示。
大地の芸術祭を学びたい人は先ずここに。
リチャード・ディーコン「マウンテン」
この作品は前回の目玉作品の一つとして取り上げられていたが、私の好みではないため無視してきたが、桐山に向かう途中で偶然遭遇。黒姫山を背景に堂々としたリチャード・ディーコンを見て私の不明を反省。

リチャード・ディーコン「マウンテン」
クロード・レヴェック
「静寂あるいは喧騒の中で」
今年のヴェネチアビエンナーレのフランス代表作家。ガイドブックに「このアーティストに注目」と紹介され、人気スポトの一つとなっていた。建物の構造的問題から各部屋ごとに異なる作品を設置しながら建物を力技で支配したのはさすが。

建物の入口の暗い物置らしい部屋に設置された作品。

二階は三部屋にわかれ、異なる三つの作品が。各部屋ともオープンのため、三作品が関係しているのかも知れないが、理屈抜きで楽しめた。

ガイドブックに掲載されていた参考イメージの実作。
アントニー・ゴームリ―
「もうひとつの特異点」
クロード・レヴェックと並ぶ注目作家の一人。10数年前、名古屋市美術館のアントニー・ゴームリ―展を見た印象が強かったため、ガイドブックの作品の参考イメージを見てその変貌に驚いたが、十年一日のわが身を恥じるべきか。

建物の内部を補強して建物丸ごと「ゴームリ―美術館」に変貌させた完璧な仕事に脱帽。私のデジカメでは撮影不可のため、ポストカードを使用したが、内部の天井を見上げると大仏殿の天井を見上げるより雄大で無限の宇宙を見るよう。ポストカードがこの深さを現わしていないのは残念。

私がデジカメで撮ったアントニー・ゴームリ―。私の記憶に間違いがなければ、ゴームリ―の空間はこのデジカメの世界に近いように思っているが、正直なところはわからない。
2009年09月09日
妻有ギャラリー(5)蓬平から桐山へぶらりぶらり
空を見上げると
一面に鰯雲が広がっていた
昨日、丹羽隆夫展のオープニングも無事終えた。懸案の作品の保存については、前市長で名誉市民の加藤正一さんが同席した美術館長に「作品の収蔵について検討できないか」とあいさつしたことで、ひとまずボールは投げられた。改めて、亡くなった人をどのように「史」として評価するのか否か、同時時代に生きた人間の大切な役割の一つということを実感。私もその責を逃れることはできない。今朝空を見上げると一面に鰯雲が広がっていた。雲の向こうに紙を漉く小原和紙の小川喜数先生の背中を見たような気がした。どうやら予てから想を温めていた小原和紙の黎明期とその仕事を「史」として書きとめる時期がきたようだ。
古巻和芳+夜間工房
「繭の家-養蚕プロジェクト」
妻有ギャラリーの下書きをストックしていたが、気がついたらクロージングまで4日。賞味期限が迫ってきたため、このギャラリーも特急に予定を変更。各駅を飛ばして終着駅まで急ぎたい。
蓬平集落を紹介されたとき最初に案内されたのがこの「繭の家」で、そのときの気持ちのいい衝撃を今も鮮やかに覚えている。手前の長持ち風の箱を開閉すると蚕の一生が生と死というシンプルな対比で現れる仕組みで、電子化した繭の音と映像が永遠の命を刻んでいるよう。大地の芸術祭が目指したものの答えの一つが「繭の家」で、集落の民話として大切に守り継がれていくに違いない。

古巻和芳+夜間工房「繭の家-養蚕プロジェクト(蓬平)
アンティエ・グルメス「内なる旅」
機会を改めて総括で後述するが、私は大地の芸術祭を訪れた多くの人たちの背中をお遍路さんの背中に重ねて見ていた。アンティエ・グルメスさんの「内なる旅」は、そんなお遍路さんの心をとらえた。

妻有を旅してきた「内なる旅」のゴールまで
あと300メートル

二つめのカーブを曲がると馬頭観音が迎えてくれた

植生が杉木立からブナ林に代わりはじめた。
朴の木の緑が目に鮮やか

足を止めて朴の木をパチリ

内なる旅の胎内へ

黄色い梯子を登るのは誰?

御山が開けた聖なる場所に「内なる旅」のゴールがあった

心の宇宙を木立ちにドローイングした「内なる旅」。
また新たな旅へ。
2009年09月08日
妻有ギャラリー(4)松代エリアはアートと棚田のテーマパーク
大地の芸術祭のラウンドマーク
私が3年かがりでプロデュースしている丹羽隆夫展の飾りつけが済み、今日はオープニング。いま、オープニングの準備を終え、ひと息ついたところ。そんな訳でブログも下書きしたまま間があいてしまった。ご容赦を。
余談に逸れたが、妻有からの情報によると大地の芸術祭全作品踏破の人もぼちぼち出始めたそうだ。クロージングまで今日を入れて6日。まだ妻有に入っていない方は急いで急いで。
さて、大地の芸術祭のランドマークと言えば、イリア&エミリア・カバコフの「棚田」にとどめをさす。これはもう説明不要でパス。

イリア&エミリア・カバコフ「棚田」(松代フィールドミュージアム)

新しくランドマークに仲間入りした
パスカル・マルティン・タイユー「リバース・シティ」

下から見上げると獲物を狙う凶器のよう

黄花コスモスが高い空に映えて、妻有は秋一色。

リチャード・ディーコンの「マウンテン」の設置されている場所にあるのが清水の棚田。黒姫山を背景に雄大なスケール感が爽快。
造形実験カロス
「田野倉環境感知器09三九郎道」
集落の道々から家々に立てられた狐のフラッグに誘われて車を進めたが、気がついたら森の中の狭い崖の道に入り込んでしまった。引き返すにも車が谷底に落ちそうで進むしかない。山側を見ると気味の悪い石仏。目を閉じて車を進めると突然山が開け、狐のフラッグが一斉に揺れていた。おまけに狐が一匹鎮座してこちらを見ている。ガイドブックによると地元に伝わる三九郎狐をモチーフした作品で、「風が吹くと狐が駆けめぐる楽しい装置」とのこと。

以前の自分であれば気持ちのいい静寂も、理由はいわないが今は苦手。
2009年09月03日
妻有ギャラリー(3)津南・松之山エリア見て歩き
発電所美術館の塩田千春展を見て帰る
いけばなの家のウィークエンドイベントのため、水曜日の夜豊田を出発。帰路は、入善町の発電所美術館で開催中の塩田千春展「流れる水」を見て、富山から北陸道経由で帰宅した。
発電所美術館はオープンしたときに一度訪ねており、アクセスについては承知しているはずだったが、何度も道を間違えてしまった。余談に逸れたが、先ずは大地の芸術祭の見て歩きをリポートしたい。

塩田千春展-流れる水(展覧会図録より)
大地の芸術祭見て歩き

豊田から高速を飛ばして約4時間。映画「阿弥陀堂だより」が撮影された飯山市まで来ると十日町市まで約40㎞。逸る心を抑えるためポットのお茶を飲んでひと休み。写真は千曲川の「道の駅」から見た飯山市の朝焼け。
津南町エリア
津南町エリアは、長野県栄村と隣接する西の端に位置するため、ツアーもマニア中心になるのは仕方がないが、大地の芸術祭の格差問題の火種の危険性をはらんでいるように見えた。「北東アジア芸術村」も中心となる「マウンテンパーク津南」のメンテナンスが十分でないため、池に浮かべた西雅秋のリングが干上がるなど無残。地元とのコミュニケーションの問題だが、市町村合併のしこりが残っているとしたら作品が浮かばれない。

津南エリアを救った李在孝(イ・ジョヒョ)の作品。
松之山エリア
松代エリアと並ぶ大地の芸術祭の中心エリアで、作品の質量とも充実。ホルタンスキー+カルマン「最後の教室」は何度見ても衝撃的で、この作品に出会うため松之山を再訪する人も多いというが納得。上手く撮れていないが、今回の目玉作品は、空家の空間を蜘蛛の巣のように張り巡らした塩田千春の「家の記憶」で、私も二度足を運んだ。

塩田千春「家の記憶」の天井部分

大棟山美術博物館は、七百年近い歴史をもつ村山家旧宅と庭を博物館にしたもので、「堕落論」で知られる坂口安吾が現当主の叔父にあたるところから、安吾の貴重な遺品を展示。温泉に棚田にアートに坂口安吾まで、松之山は見どころ満載。温泉と言えば、滞在中温泉巡りをしたが兎口温泉「翠の湯」の野天風呂は野趣満点でお薦め。

三省ハウスで「妻有の杜」(作品№9 十日町エリア旧東下組小学校)をフィールドワークで記録している建築家の丹下公仁さんと面識を得たが、「社」を前に言葉はいらない。

気の向くままハンドルを切っていたら、ひと山ふた山越えた小さな集落で懐かしい昭和の匂いのする家を見つけた。家の横には大地の芸術祭の幟が立っていた。車を止めると私と同世代とおぼしき女性が目で挨拶。「作家さんですか」と聞くと「はい」と小さな声。

潮田友子「記憶の部屋下布川の人々」は、現地の人々の写真や言葉をコラージュした仕事で、空家プロジェクトの定番の一つだが、「道に迷っていただいてありがとうございました」と潮田さん。人柄も仕事も丁寧で、ビッグネームに浮かれていたわが身が恥ずかしくなった。潮田さんに感謝。