2011年05月31日

白い雲と芍薬とスイカ







今日(30日)は
亡くなった妻の一周忌



一周忌といっても位牌もお墓もないため何もすることがない







空を見上げると昨夜の風雨がウソのように快晴
そう言えば一年前もこんな空だったことを思い出した







高見さんから届けられたスイカと芍薬を居間にお供え
  


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2011年05月27日

スタンプラリー⇒私のおススメは渓流釣り






農村舞台アートプロジェクトの準備も
いよいよ胸突き八丁


ここまでくると全てのスケジュールは逆算して退路を断つしかないため、まだ版下もできていないのに印刷会社と納品期限を設定。神経の太さに助けられているが、それでも胃がキリキリ痛むから無謀な試みなのかも。


今日もこれから地元の打合せがあるため
農村舞台のロケーションを簡単に紹介すると






こんな深い山をいくつも越えていくと、面積で県内最大
その内の約7割が森林地帯という農山村型都市を改めて実感






当然のように修験者の通るような山道を進むことも






最高のステージだがここまでくるのが大変






楽しみは寄り道で、山菜とりをする他県ナンバーの車をみかけることも。私のおススメは渓流釣りで、旭支所の人に話を聞くと「口の曲がったヤマメを釣った」と両手を広げた。一緒にいた都市部育ちの塚本支所長が「昔の話でしょう」と笑うと「いやちょっと前に釣った」と自慢。渓谷沿でそんなイワナやアマゴを食べさせてくれる店も見つけた。



  


Posted by かとうさとる at 15:11 | Comments(0) | 農村舞台

2011年05月24日

共感する悪所⇒城見町の農村舞台を再訪






共感する悪所から20年





豊田文化デザイン会議の現代美術展「共感する悪所」農村舞台のコラボレーションは、当時名古屋芸術大学助教授で現在名古屋大学准教授の茂登山清文さんが企画したもので、メンバーは



■中金町岩倉神社/福田篤夫(渋川)×近藤勝波(豊田)








下の写真は修復された現在の岩倉神社舞台



■坂上町六所神社/長尾浩幸(京都)×稲垣陽子(豊田)







■桂野町神明宮/伊藤光二(四日市)×水野シゲユキ(豊田)





■城見町神明社/セシル・アンドリュ(金沢)×かとうさとる(豊田)








農村舞台の下見調査で
その懐かしい城見町の舞台を再訪した






光陰矢のごとし







でも悔いはなし







豊田市文化財叢書「豊田市の農村舞台」によると、舞台の「虹梁」(こうりょう)に彫られた「若草模様」の彫刻を、市内最古の棟札(寛政10年)の残る西広瀬の八釼神社の農村舞台と比較。この舞台を市内最古で江戸時代中期に遡ると推定した。







文政7年再建の棟札







舞台正面から見た社殿


  


Posted by かとうさとる at 17:10 | Comments(0) | 農村舞台

2011年05月23日

家を出ようとすると突然の大雨







今日は亡くなった妻の一周忌が近いということで
妻の母と兄弟が集まって食事会





家を出ようとすると突然の大雨
雨には擬宝珠がよく似合うため二葉お供えして家を出た  


Posted by かとうさとる at 01:02 | Comments(1) | いけばなから

2011年05月21日

農村舞台スタンプラリー







スタンプラリーで農村舞台鑑定を検討


農村舞台アートプロジェクトの一環として「農村舞台スタンプラリー」を企画。皆には黙っているが78舞台の内、実際に足を運んだのは半分程度。

そんな訳で、マップ制作のため協議の合間をぬって、文化振興財団の小野富良市民文化会館所長、鈴木学文化課長と全農村舞台の下見を決行。

既に猿投・石野地区、松平地区は地元協議のときに済ませているため、旧下山地区⇒足助⇒稲武⇒旭⇒藤岡⇒小原地区の予定でスタートした。






スタンプラリーの仮チラシ


私は初めて足を入れた越後妻有でも道に迷ったことがない。二日目にはツアーガイドをしたほど。そういえば初めてロンドンで個展をしたときも道に迷わなかった。

まだ旭⇒藤岡⇒小原地区が残っているが、そんな「勘ナビ」を内蔵した私でも難儀しているほどから、完全踏破は至難で、ハードルは高い。






壊されていた若宮神社農村舞台(下山地区野原町)






新しく見つかった神明神社農村舞台(足助地区千田町)






トレッキング並みの難コースも






ようやく辿りついたがヘトヘト。こんな空間で「花」を活けて見たいがドライブスルーに慣れてしまった今の私にはムリ。
神明社農村舞台(足助地区実栗町)



スタンプラリーの楽しみは「寄り道」








スタンプラリーの楽しみは目の保養と産直の農産物に食事。小原和紙の紙漉き体験(小原地区)、吟醸酒の名酒「蓬莱泉」「空」の蔵元関谷酒造(稲武地区)の酒造り体験などなど、寄り道コースは選り取り見取り。






食事のお薦めはヤナの鮎料理。農村舞台の近くには広瀬ヤナ(猿投地区)、川口ヤナ(藤岡地区)、おどヤナ(旭地区)、松平ヤナ、平瀬ヤナ(下山地区)などがあり、農村舞台の完全踏破はムリでも「ヤナ」ならできるのではないか。

ちなみに、今回は時間がないため「狐塚」(下山地区)の「どて定食」、「花の木」(足助地区)の「唐揚げ定食」、稲武地区の「味噌カツ定食」の定番を注文した。正直に言って余り期待していなかったが、これがみんな美味いから驚き。稲武の道の駅で買ったトマトも新鮮。「伊勢神」で買った「天然よもぎ大福」も驚きクラスでお薦め。



スタンプラリーを
二倍楽しくする必携ガイド






市内の公共施設などで無料配布





市内の公共施設などで無料配布






今回初めて見たが、豊田市のプロフィールからクルマの街の歴史、味覚、名産品までヴィジュアルで秀逸。こちらも市内の公共施設などで無料配布しているが、目ざとい私が初めて見たぐらいだから、数は少ないのかも。






中馬街道ファン必携のガイドマップ



必携ガイドの問合せは豊田市観光協会まで
0565-34-6642



  


Posted by かとうさとる at 13:26 | Comments(0) | 農村舞台

2011年05月19日

私のスクラップ歴は40年







以前はこんな風にクリアブックに整理していたが、これが意外と手間暇がかかるため、5~6年ほど前からはジャンル別に袋詰めしたまま放置。

放置していても鋏を入れた記憶が残っていて、いつでも引き出すことができるから手の記憶というのは不思議だ。






中にはこんな「お宝もの」のスクラップも。1971年というから40年前の週刊平凡の記事で、従来のいけばなに飽き足らなくなっていた私は、この「歴史的証言記録」の意味がわからないまま、スクラップした。






私が偶然スクラップしたのは、現代いけばなの端緒に位置づけられている、カリスマ大坪光泉さんの伝説的作品「龍生展のゴミ1/5」。



そんなスクラップマニアの
私の手が止まってしまった


理由は東日本大震災で、多分この未曾有の大震災を整理(スクラップ)できる人間はいないのではないか。






東日本大震災については多くのメディアが検証した特集を組んでいるため、新聞を山積みしておく意味はないように思うが、新聞には「未編集の素材」が詰まっていて、私に言わせれば「宝の山」。

「宝の山」と言うのは、前述した「未編集の素材」の山という意味で、新聞社も生き残りをかけている背景を考えれば、自分のアタマで編集したものと比較しないと「今の時代」は裏が多すぎて危険。



ゆでカエルの危険性

福島原発で、1号機のメルトダウン「炉心溶解」につづいて、2号機、3号機もメルトダウンしていることが確実になってきた。これがどういう意味を持つのか、私が説明するまでもないため、省くが事態は最悪。





想定内なのか淡々と記者発表する東電と政府と原子力保安院
彼らの神経は不可解で説明不可。

『煮立っている湯にカエルを入れると、カエルは驚いて外に飛び出してしまうが、冷たい水にカエルを入れて温めていくと、ぐらぐらのお湯になってもカエルは飛び出そうとしない。最後にはゆで上がって死んでしまう』という「ゆでガエル」の喩話があるが、大震災から約2か月半。私たちは「ゆでガエル」の道に誘導されているのではないか。

信じるに足りる正確な情報があれば、英知を結集して未知の扉を開くのは自明の理で、人間の知性を侮ってはいけない。大手メディアは、ジャーナリズム集団としての誇りがあるならば、大本営発表を垂れ流すのではなく、真実を洗いだして国民に伝えてほしい。



文字が小さくて
読みにくいかも知れないが是非一読を







この2か月半、私たちは一々挙げるのが馬鹿らしいほどの「勘違い人間」を見てきた。断トツのトップが元自民党参議院議員で東電顧問のこの男で、唖然!呆然!絶句!



最後に目の保養にフォト歳時記





乙部の梨園






近づいてみると小さな実がいつぱい






こちらの小さな球は桃の実

果樹農家の話によると残すのは1割程度で
あとはみんな摘んでしまうとのこと。

  


Posted by かとうさとる at 02:39 | Comments(1) | らくがき帖

2011年05月16日

第36回中日いけばな展に足を運ぶ








農村舞台アートプロジェクトの準備で地元回りが続いているが
改めて豊田市の広さを実感。





並行してガイドマップに着手。
限られたスペースに「あれも入れたい、これも入れたい」と
アタマを捻っているが、こちらも難産。
こんな時は気分転換がイチバン。
14日(土)中日いけばな展に足を運んだ。



街に活気が戻ってきたが





栄オアシスで人だかり。人垣をかきわけて覗くと
ステージで「今風」のパーフォーマンスをしていた。
「今風」としか言えないのがオジサンの限界だが
時代というのはこんな風にして繋がっていくものかも…。






モダンアート展を見るため県美術館へ移動。
みんなのどかで平和だが落日前の穏やかさのよう。






こちらはオジサンにもわかりやすい「バンド演奏」






ウィンドーディスプレーはデパートの顔






ウィンドーディスプレーを楽しみに散策したが
最初に見た三越の「ゆかたガーデン」のみで全滅。



第36回中日いけばな芸術展






中日いけばな芸術展の入場券






鎮魂の思いが伝わってくるような理事長の庄司信州さん(嵯峨御流)






前豊田市華道連盟理事長の高田静萠さん(池坊)





懐かしい人の名前を見つけた
どうしているのかな野田理敬さん(華道古流)






中日いけばな芸術展と言えば全国でも有数の観客動員で知られてきた。
芋を洗うような混雑で作品も熱気にあふれていた。
才能は元気な業界に集まるというが
先行きが心配。



こんなときは初々しい花がいい






石田巳賀さん(石田流)






山本沙奈さん(草月流)






久野春翆さん(日本生花司松月堂古流)






デパート側がいけばなの現状をどのように見ているのか
会場周辺の品ぞろえを見れば一目瞭然。


  


Posted by かとうさとる at 11:33 | Comments(0) | いけばなから

2011年05月12日

蕗を活ける







花⇒蕗(1986年)
器⇒ガラスボール


今年も若鮎が戻ってきた


水を得た魚というが五月雨をだれよりも待っていたのは若鮎たちで、矢作新報社長で前矢作川漁業組合長の新見さんの話によると、明治用水の魚道を遡上した若鮎は既に50万匹を数えたそうだ。





明治用水の魚道をジャンプして遡上する若鮎(市制50周年記念誌)


最終的には矢作川研究所のカウントで約100万匹、矢作川漁協が網で掬って最上流部にトラックで放流する数をあわせると200万匹近くなるとのこと。秘密のポイント(支流)も教えてもらったし、この夏は久しくやめていた鮎釣りをしようかな。  


Posted by かとうさとる at 15:25 | Comments(0) | いけばなから

2011年05月08日

フジの花を水に活ける






その前に
目から鱗の「仏の発見」



スランプの谷に入ってしまった
こんな時は焦っても仕方がない
あてもなく家を出て
あてもなく梅坪の三洋堂書店にぶらりと立ち寄った

目がとまったのが「仏の発見」で
手にすると紙質も生成りで見やすく
文字も大きく読みやすそう
そんな訳で早速ページを開いた

私は知を超越した翁を「妖怪」と呼んで畏敬しているが
万人が認める梅原猛と
爽やか系新妖怪の五木寛之の組合せである
もしこれで面白くなかったら日本に希望はない





昨年は親鸞上人の750回忌
今年は法然上人の800回忌ということで
全国各地で特別展が計画されている

極めつけは国立東京博物館の手塚漫画と
仏像が共演する「手塚治虫のブッダ展」で
仏像ブームはパワースポットブームと重なり
とどまることを知らない

こうした背景について梅原猛は
「戦後日本人は、科学の発展によって
人類は無限に幸福になれると信じていた
それが信じられなくなった。」と語り

五木寛之は
「その中で、いったい仏とは何かということが
いわゆる哲学的な命題として浮かびあがってきたのかもしれませんね
庶民感覚の中でも
日常的な道徳観を超えたものに対する
無意識の願望がいま動きはじめているなと
そういう感じがするんです。」と応じる

「仏の発見」となっているが二人の会話は
仏陀から川端康成、岡本太郎、美空ひばりまで時空を自在に飛び交い
西洋哲学とは異なる風土に根差した日本哲学の存在に思い至る
専門家も私たちのような普通の人間も
目から鱗の「日本学入門書」でお薦め




フジの花を水に活ける






ノダフジが見ごろを迎えたが
私は丸くふくらんだヤマフジの野趣がいい
家の近くの道端で切ったヤマフジをガラスに沈めてみた






フジと言えばやはり「藤娘」
もう30数年も前になるが
職にあった当時出番を前に林家一楽を名乗っていた
二代目正楽の舞台を下手袖で見ていた古今亭志ん朝が
「上手い」と独り言を言っていたのを傍で聞いたことがある
色紙の「藤娘」はその時いただいたもの  


Posted by かとうさとる at 00:56 | Comments(0) | いけばなから

2011年05月05日

松平地区の農村舞台





その前に新聞を読んで

朝日の紙面で一番ストレートに響くのは「記者有論」で
そこだけいつも立ちあがっているように見える。

5月3日付けの「記者有論」で、目が点になったのは《今回の大震災はしばしば敗戦にたとえられるが、戦争が終わったときのように、それまでの指導者や体制が刷新されたわけではない。同じ人間や組織のままで、単なる復元ではなく、構造転換の種を蒔いていかなければならない。難しい仕事になるだろう。》と記した末尾の結び。






原子力の「安全神話」を必要とした人間や組織が「フクシマ後」の構造転換の種を蒔く。よく考えたら泥棒に部屋の鍵を渡すようなもので、国民もなめられたもの。
 





それではどうしたらいいか。その答えを5月1日付けの書評欄で見つけた。「証拠改竄-特捜検事の犯罪」の書評の中で、評者の後藤正治は《メディアの多様化のなかで新聞の位置が揺らいでいるが、それでも信頼性という点で新聞はいまももっとも上位を占めている。記者魂と自省こそ新聞ジャーナリズムの明日を切り開くものである。》と結んでいる。「記者魂と自省」この評者の言葉を記者クラブの各社は噛みしめてほしい。




松平地区の農村舞台






お父さんが指を指しているのは徳川(松平)氏発祥の地「松平郷」




①六所神社農村舞台(坂上町宮口)





市内の農村舞台の中で最も美しい舞台の一つで
市の有形無形文化財に指定されている六所神社農村舞台



②神明宮農村舞台(九久平町)






巴川沿いに開けた九久平は岡崎と足助を結ぶ七里街道の要衝で
古くから松平地区の政治・経済の中心として栄えてきた。






正面に見える橋を「港橋」といい、その名のとおり土場(川湊)のあったところで、川問屋に陸揚げされた海産物は七里街道を通って足助、さらには遠く信州まで運ばれて行った。






巴川最上流に位置した仁右エ門土場跡の碑(港橋下流)






神明宮は往時の面影を色濃く残すこの九久平の町並みの南
小高い山の上にあった。






石段を上がって行くと正面に社殿、右に舞台が見えてきた。






神社総代の話によると明治期に建てられたもので、もとは社殿の西側にあったものを昭和33年に現在地に移築。当時は回り舞台があって芝居も盛んに奉納されていたが移築したときに取り壊されたとのこと。






舞台の内部はこんな感じ
写真は舞台で一人語りを演じる古屋和子さん





③神明宮農村舞台(桂野町)

「郡界川水系ガラ紡遺跡群」で知られる桂野町は、巴川の支流郡界川に沿った東西に細長い集落である。かって家族で営まれた家内工場群のぬくもりが今も消えることなく漂っているのであろうか、どこか懐かしさを覚えるから不思議だ。一度川沿いをゆっくり歩いてみようかな。






豊田文化デザイン会議のコラボレーション「共感する悪所」」(1991年)で使ったことがあるため、油断したのが間違いのもとで、神社の入り口がわからない。結局諦めて翌日再度出直す羽目になってしまった。






20年ぶりに再訪した神明宮農村舞台






写真はその「共感する悪所」で、神明宮の舞台を使った水野シゲユキさんと伊藤光二さんのコラボレーション。二人を組み合わせた企画者の茂登山清文さんの眼力に脱帽。みんなどうしているのかな…。
 


④志賀神社農村舞台(岩倉町)

岩倉町は巴川を挟んで九久平町の対岸に古くから開けた集落で、子どもを見つけて「志賀神社はどこ(?)」と聞くと、「ついて来て」と自転車を走らせた。なんだかNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を見ているようで、嬉しくなってしまった。






階段を上がって行くと木立の中に空間がポッカリ穴が空いたような広場があり、その正面に社殿が鎮座していた。






舞台は明治時代に建てられ、当時は回り舞台もあった本格的な舞台だったが伊勢湾台風で大破。現在の舞台はその後建てなおされたものとのこと。



⑤神明社農村舞台(王滝町)

王滝渓谷は「東海の昇仙峡」の名で親しまれている景勝地で、松平親氏や鈴木正三ゆかりの名刹妙昌寺もあるため、私も幾度となく足を運んでいるが、神社を見たことがない。本当にあるのかな…。






妙昌寺の近くで野鳥を撮影しているグループに聞いたが「知らない」とのこと。諦めて出直そうと思ったときに、歩いてくるオバサンに遭遇。「王滝の神社はどこ(?)」と私。「確か山の上だよ」とオバサン。






七里街道に面した王滝渓谷の第二駐車場に車を止めて、オバサンに言われた山道に足を踏み入れたが、農村舞台を探すのにトレッキングをする羽目になるとは。(少し疲れました)






確かにあったが、ホラー映画に出てくるような佇まいでちょつと不気味。個人的にはこんな空間で展覧会をしたら面白い、と思わないでもないが、それにしてもこの空気感は普通と違う。帰路、王滝渓谷の方から登る参道を見つけたが似たようなもで、スタンプラリーの難所になりそう。






この舞台は昭和7年に建てられたものだが、現存する舞台の前にも古い舞台があったとのことだが、もう知る人もいないとのこと。






外見は朽ちかけて見えるが手入れをすれば十分使えそう



今日はここまで

ざっと松平地区の農村舞台を紹介したが、元治元年の棟札の残る幸海町の津島神社農村舞台、歌舞伎を上演したときの古い上演目録を残す坂上町の豊栄神社農村舞台、滝脇町の春日神社農村舞台など既に消滅した舞台も多く、紹介した舞台が同じ道を辿っても不思議ではない。
今日はここまで、お疲れさまでした。
  


Posted by かとうさとる at 02:07 | Comments(0) | 農村舞台

2011年05月03日

徳川氏発祥の地「松平郷」



松平郷を
二度訪れた司馬遼太郎


「濃尾参州記-街道をゆく43」(朝日文庫)は、週刊朝日に連載された人気シリーズ「街道をゆく」の中で発表されたもので、司馬遼太郎の急逝により未完となった。内容は戦国時代、斉藤道三、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など多くの武将を輩出した、美濃、尾張、三河の史跡を司馬史観を交えながらルポタージュした紀行文で、詳細は朝日文庫新装版で。






「濃尾参州記-街道をゆく43」については、本書の松平郷のルポを巡って地元が反発。週刊誌の話題になるなどひと悶着あったが、全ては時間が解決。この日(2日)も、六所山の山懐深い松平郷を散策しながら往時を偲ぶ県外ナンバーの車に乗った家族づれを多く見かけた。



国指定史跡の松平氏遺跡






松平氏は、応水(1394-1427)の頃に旅の遊行僧「徳阿弥」がこの地を訪れたことにはじまったとされている。徳阿弥はこの地の松平太郎左衛門の末娘の婿として家を継ぎ、名を親氏(ちかうじ)と改めた。






松平家の邸跡は、東照宮の社殿辺りにあったとされ、松平宗家の親氏、二代泰親、三代信光までがこの邸内に住んだと言われている。後に信光は西三河平野に進出、安祥城を手中におさめ、戦国期の一大勢力に成長した。






西三河平野に進出した松平氏は、織田、今川の両雄に挟まれ苦難の時代を迎える中、九代目に後に江戸幕府をひらいた家康が誕生した。

三代信光が西三河平野に進出した松平郷には信光の兄・信広が残り、明治初期に領地を返上し、東京に居を移すまで、代々松平太郎左衛門家として故郷の地を守り続けた。






松平東照宮境内に建てられた松平氏遺跡の案内看板






松平三代が眠る高月院の山門






高月院境内






六所山を背景にした高月院のランドマーク

農村舞台アートプロジェクトが始まる頃は
秋茜がみなさんをおもてなしします。
予定に入れてみませんか。














  


Posted by かとうさとる at 15:10 | Comments(0) | 農村舞台

2011年05月02日

まだみんな絵に描いた餅





今日(1日)は雨の中、松平地区の地元説明会。松平地区はその名の通り徳川(松平)氏発祥の地で、司馬遼太郎が「濃尾参州記-街道をゆく43」で松平郷を紹介しているため、読んだ方もいるのではないか。

松平の農村舞台については次回にして
今は身体の芯に力が入らないため身の回りことをサラリと。



農村舞台アートプロジェクトは
まだ絵に描いた餅






農村舞台アートプロジェクトの工程表
今月半ばまでが正念場で一つひとつ課題を潰していくしかない





農村舞台アートプロジェクトの説明資料≠概要






農村舞台アートプロジェクトの説明資料≠スタンプラリー






農村舞台アートプロジェクトの説明資料≠ツアーの募集




身体の芯に力が入らない
原因の一つはこちら
減築ができない


身の回りのものを減らしていくことを「減築」というそうだ。私も減築を始める年齢になったが欲が深いのか、まだ「あれもしたいこれもしたい」と、考えていることは増築計画ばかり。アタマと身体のバランスがずれていると感じるのはこのギャップが原因で、わかっているが難しい






何度も片づけるが終わってみるとゴミが出ない






亡くなった妻はモノを捨てられない私を見て
「お父さんはケチだもんね」と笑ったが案外図星かも






気晴らしに居間の牡丹をコバルトブルーの皿に移し替え  


Posted by かとうさとる at 03:46 | Comments(1) | 農村舞台