2021年08月27日

K-TEN その時アートが動いた




月イチで地元紙の矢作新報で連載している
「ぶんかの定点観測」


127回目を迎えた今回は

アートの実験工房として小林美術研究所を主宰する小林豊・後藤嘉寿美さん夫妻が卒業生と共に立ち上げたアートの実験工房「K―TEN」を紹介



K-TEN  その時アートが動いた


彫刻家で美術教育のエキスパートとして活躍する小林豊さん(左)
同じく日本画家で豊田市文化財保護審議会副会長を務める
後藤嘉寿美さん(右)

小林夫妻とのお付き合いは
夫妻が豊田市に移住した頃に遡るから
40年近くになるが、近年はなんとなく疎遠になっていて
開口一番「(笑いながら)なんで僕の処に」とキツイ一言
まっ人生いろいろ(笑)


K-TEN  その時アートが動いた



宜しければ本文も

高度成長時代、モータリーゼーションの発展とともに、『ああ子育て戦争』(学陽書房)でベストセラー作家となった連句のジャンヌダルク、矢崎藍さん。時代は少し下るが小林美術研究所を主宰する小林豊・後藤嘉寿美夫妻など、多くの才ある人たちが豊田市に移り住んだ。

文化は外部刺激によって化学反応するというが、公募団体のヒエラルキーによって秩序が保たれていた当地の美術界にとって、小林夫妻、わけても彫刻家の小林豊さんの移住は、突然異分子が紛れ込んだようなもので、新旧の文化摩擦があったことは想像に難くない。

ちなみに小林豊さんは1955年福島県に生まれる。愛知県立芸術大学大学院を卒業後、故斎藤勝弘さんの豊田市芸術文化センターのレリーフ制作のアシスタントとして豊田市に来るようになったが、「まさか豊田市に住むようになるとは(笑)」と、小林さん。

前置きが長くなってしまったが、NHKの歴史ドキュメンタリー番組として人気を博した「その時歴史が動いた」に倣えば。

小林夫妻の豊田市移住は、入選を競う技芸中心の美術から、自らをアーティストとしてセルフプロデュースする新たな時代の幕開けを告げるもので、その狼煙(のろし)となったのが、1994年アートの実験工房として小林夫妻が卒業生とともに立ち上げたK―TENである。

ちなみにK―TENの「K」は、スキージャンプのK点(限界)と小林美術研究所の頭文字のKを現し、既に500名を超える卒業生が二つのK点を超え、社会の第一線で活躍する数多のアーティストやデザイナー、クリエイターを輩出。奇跡というほかない。

そのK―TEN27が豊田市美術館ギャラリーで開催されるというから、こんなチャンスを逃したらもったいない。



■会期≠8月31(火)~9月5日(日)
■会場≠豊田市市美術館ギャラリー
■問合せ≠☎0565-33-7931(小林)



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Posted by かとうさとる at 23:16 | Comments(0) | とよたの文化
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