2016年12月05日

小田木人形座が夢の能楽堂デビュー





江戸時代中頃
稲武地区の小田木町に伝えられ
明治の始めに途絶えた小田木人形座の
復活に向けて取り組む
小田木人形座準備会改め小田木人形座が
12月3日土曜日午後2時
夢の能楽堂デビューを果たした






舞台は撮影不可のため
中日新聞と読売新聞の記事でどうぞ






  2016年12月3日中日新聞より転載





  2016年12月4日読売新聞より転載



ご褒美のようなデビューだが
一番身の丈を知っているのは
メンバーでこれからが勝負

新生小田木人形座の門出に
万雷の拍手を贈りたい




ひとみ座乙女文楽
八王子車人形西川古流座の感想は
別の機会にするが衝撃!
中でも車人形は想定外で圧巻








  写真は八王子車人形西川古流座の画像より転載

  
車人形は「ろくろ車」という
前に2個、後ろに一個の車輪がついた
箱形の車に腰かけて人形を操る
一人遣いの人形芝居で
話には聞いていたが
見たのは初めて


車を操作することで
リズミカルで
テンポの速い動きが生まれ

人形の足が直接舞台を踏むことで
力強さとリアリティが生まれる

まさに伝統の創造で
思わず背筋が凍った

車人形が考案されたのは
江戸時代の終わり頃というから
芸能の世界は前衛の連続系で
奥が深い
  


Posted by かとうさとる at 01:01 | Comments(0) | 小田木人形座

2015年08月04日

小田木人形座準備会「伝統復活に向け一歩」 



夜も更けてきたため簡単にするが
8月3日発行の読売新聞が
小田木人形座準備会の活動を
大きく報じた








  15年8月3日読売新聞「ひゅ~まん愛知」より転載



石の上にも3年というが
小田木人形座準備会が
立ち上がって3年目

「まだ準備会で仮免運転」と謙遜するが
9月下旬に予定している
農村舞台アートプロジェクト
黒田人形浄小田木公演では
300年の伝統をもつ黒田人形の
胸を借りて「寿式三番叟」を
上演するというから
ますます目が離せない
  


Posted by かとうさとる at 03:37 | Comments(0) | 小田木人形座

2015年05月04日

小田木人形座準備会の練習場決まる










小田木川で泳ぐ鯉幟




多ければ良いというものじゃないよね
このぐらいが丁度いい


小田木人形座準備会の
練習場決まる



農村舞台フォーラムの最大の収穫は
小田木人形座準備会のメンバーにスイッチが入ったこと
会報に続いて自治区と掛け合って練習場を確保するなど
みんな前ノメリで嬉しい誤算(大丈夫かな)




場所は小田木区民会館の2階
小田木は別に新しい公民館があり
こちらの区民会館は使ってないというからお大尽


で、一昨日の5月2日
メンバーで大掃除







撮らぬ狸の皮算用で笑ってしまうが
アトリエ公演ができそう


お宝見つかる!







寛政8年(1796年)作成の小田木の絵図
鉛筆書きで「人形田」や「文」の加筆が見つかったが
「人形田」は人形座の経費を捻出するための共有地の場所を
「文」は人形師で庄屋青木文蔵の自宅の場所を示すもの





小冊子「小田木人形座考」の原本も一緒に見つかったため
同時期に小田木人形座保存会が加筆したものではないか



こんな幟も!







村社の祭礼に立てた幟
左は明治21年に作成した幟
右は作成年は書いてないが
筆跡が似ているため
同一の人物が揮毫したものと
断定してもいいのではないか

問題は右の「小田木座」と揮毫された幟
小田木人形座は明治8年に「村中諸事緊縮の申し合わせ」の
村制定以来、一度も上演されなかったと記されている

幟の作成時期によっては
村人の人形座への処し方が推測できるため
調べる必要アリ


手がかりは佐藤清臣の落款





佐藤清臣は宮司にして水戸藩に仕えた国学者

明治5年、安倍総理が所信演説で引用した
稲武の素封家古橋暉児(ふるはしてるのり)は
民心教導の使命を果たすため佐藤清臣を招いて
「名月清風校」を開校

以来、佐藤清臣は校長として
また宮司としても稲武の発展に大きな足跡を記した
問題はこの幟をいつ揮毫したのかだが
現段階では不明

こんな写真も





明治32年頃の小田木集落
手前右の大きな屋根の家は人形座準備会座長の
山田良稲さんの自宅(大家なんだ)


  


Posted by かとうさとる at 02:36 | Comments(0) | 小田木人形座

2015年05月04日

小田木人形座準備会が会報を発行










大丈夫かな

連休明けには
農村舞台アートプロジェクト実行委員会が予定されているが
先の農村舞台フォーラムの最大の収穫は
江戸時代半ばに稲武地区の小田木に伝わり
明治の初めに途絶えた小田木人形座の復活に向けて
準備会にスイッチが入ったこと







みんなガチで本気になっちゃったみたいで
大丈夫かな


みんなやることは早い!




古橋暉児が奨励した養蚕の復活を目指して活動する
「まゆっこクラブ」と協働してこんな三番叟ストラップの計画も

写真は試作品で
ネーミングは地元の子供たちに依頼する予定
みんなやることは早い!

  


Posted by かとうさとる at 02:30 | Comments(0) | 小田木人形座