2010年12月30日

それではよいお年を



近場をあてもなくぶらりぶらり

年の瀬のカウントダウンも遠雷のよう
人生の達人五木寛之は、いまの時代を「下山の時」と命名。
この時代を楽しみながら生きていく覚悟を淡々と語っていたが
未練の多い私にはムリ。

そんなわけで(?)
昨日は頭を冷やすため、近場をあてもなくぶらりぶらり






藤沢から富国間の矢作川は、昔から大鮎の釣り場として知られていたが、近年は竿を立てる人も稀で、川の底で何がおきているのか心配。

明るいニュースは、日本カヌーワイルドウォーター選手権大会が開催されるなど、カヌー競技の瀬として生まれ変わったこと。この日も一人で黙々と練習をしている選手がいたが、川ガキ世代の私には鮎や白ハエがどこに消えたのかそちらが心配。単に私が釣り下手であればよいが…。






藤沢から押沢に抜ける里道でエノキの名木を発見






こちらは同じ場所でみつけた南天の群生


それではよいお年を

気がついたら三国山の麓、岐阜県土岐市の柿野温泉近くをぶらぶら
土岐市境の三箇町に農村舞台があったのを思い出してUターン。





三箇町の農村舞台は写真でしか見ていなかったが
たたずまいが気になっていた舞台の一つ






こんなふうにして引き寄せられたのも何かの縁で
来年はここでしようかな。

それではよいお年を


  


Posted by かとうさとる at 11:45 | Comments(0) | とよた風土記

2010年12月28日

残り花を玄関にいける



昨日の残り花を玄関にいける
「花」はもうひとりの私
どちらが私でどちらが私なのかわからないが
「花」に感謝






花:柳、南天、松、椿
器:中島将夫青磁(韓国池順鐸窯焼成)  


Posted by かとうさとる at 02:33 | Comments(0) | いけばなから

2010年12月26日

ひと足早く正月花をいける


磯崎神社で読売新聞の取材をうける

今日は磯崎神社で読売新聞の取材をうけた。既に農村舞台の展望について取材をうけていたため、簡単な現場写真程度と思って出かけると、本社のカメラマンを入れての本格的な撮影で、アレレという感じ。

この期に及んでもいい加減で笑ってしまうが、聞き違いでなければ、取材は正月号の特集(?)とのこと。わかっていれば、馬子にも衣装で着ていく服を代えたのに…でもマアいいか。


帰路正月用の花材を採集

取材のあと磯崎神社で門松の残りの梅と境内の椿を二枝、猿投窯の山田和俊さんの庭で南天を、道端で松の小枝を、最後に中京大近くの池の畔で柳の一枝を採集。





採集した花材を居間の机の上に並べて
さて、器は何にしようかな…。


居間に正月用の花をいける

玄関でなく居間にしたのは
亡くなった妻の写真が飾ってあるためだが
「似合わない」と妻が笑っているようで
自分でも笑ってしまう。






いくつか器を考えたが「帯に短したすきに長し」で
使い慣れた山田和俊さんの器に決めた。
花材:梅、松、柳、椿
器:猿投窯山田和俊


  


Posted by かとうさとる at 23:20 | Comments(0) | いけばなから

2010年12月24日

師走も残すところわずか


師走も残すところわずか。さすがの私も尻に火がついて
机の上に積んでおいた宿題を一夜漬けならぬ一週間漬けで
済ませ、どうにかピンチを脱出!

先延ばししていたインフルエンザの予防注射とがん検診も
駆け込みでクリア。歯の治療も明日で最後。
問題が片付くときというのはこんなものかも。


そういえば今日はクリスマスイヴ





帝国ホテルロビーに展示されたベルギーの人気フラワーアーティスト
ダニエル・オストがデザインしたクリスマスツリー。
過日、話のタネに足を運んだがブライダルフェアのようで
なんだか拍子抜け。 






春を待つ白木蓮の蕾

天気予報によると日本海側の上空に寒気団が流れ込み
明日の朝は北日本を中心に大雪のおそれがあるとのこと。
雪国の人には申し訳ないが初雪を早く見たい…。






こちらは満開の蠟梅
昔の私であれば、衝動に任せて蠟梅の枝を切ったが
今は無用な鋏みは使わない。

  


Posted by かとうさとる at 22:02 | Comments(0) | らくがき帖

2010年12月21日

水清ければ魚棲まず


私がいけばなに
向いていると思う理由



私がいけばなを習い始めたころ
「花は足でいけよ」と教えられたことを今も覚えている。






猿投山の湧水を集めて流れる里川


自然観察のルーツのようなもので
自然(植物)をよく観察していけよという意味だが
いけばなとは余り関係ない。






水清ければ魚棲まず






「いける」ということは「生贄」という言葉があるように
人間の闇とどう向き合うか否か複雑系で、聖人君子にはムリ。
私がいけばなに向いていると思う所以である。


  


Posted by かとうさとる at 21:20 | Comments(0) | いけばなから

2010年12月19日

とよた今むかし/師走の西山公園を散策



むかし西山に
愛知県園芸試験場挙母分室があった


所用の帰路、葉ボタンを分けてもらえることを思い出して豊田市緑化センターに立ち寄った。緑化センターは昭和25年(1950年)に開所した愛知県園芸試験場挙母分室の跡地を市が西山公園として整備したもの。

余談に逸れるが、旧園芸試験場は小学校の遠足コースの一つで、記憶を確かめるため手元の関連資料を調べたが愛知県園芸試験場挙母分室の記述はなかった。図書館で調べてみるつもりだが、緑化センターの沿革に記してあれば、市民も「史」として学ぶことができるのに、もったいない。






市制施行当時(昭和26年)の挙母市全図
上の円内に愛知県園芸試験場挙母分室と記されている
下左の円内は私が生れ育った土橋
下右の円内はトヨタ自動車本社工場

市制施行当時の統計数字
(  )内は平成22年12月現在の数字
人口:32,400人(423,305人) 現在比≒13倍
面積:38.65平方キロ(918.47平方キロ) 現在比≒24倍 



ファミリーで憩うには最適の西山公園





遠くに見える青い山並みは
「花祭り」で知られる奥三河に続く愛知高原国定公園
平成の大合併によって山並みの向こう側まで豊田市に編入。
農村舞台の記述で市域は面積で県内最大、その内7割が森林と
述べてきたが、実感として理解いただけるのではないか。






「マムシに注意」の看板にびっくり
自然が豊かな証だが公園内は大丈夫とのことで安心






綺麗な草花の温室のほか
見事な梅林やバラ園もあり、ファミリーで憩うには最適。






目的の葉ボタンは
虫がついて生育がよくないため先週全部処分してしまったとのことで
代わりに根のよくついたパラの木を二株、手土産にいただいた。
家に帰って鉢に植え替えたが上手く咲いてくれるといいが…



帰路車を止めてパチリ





大谷高校付近から見た保見団地  


Posted by かとうさとる at 01:34 | Comments(0) | とよた風土記

2010年12月17日

遅れてきたカメラマンに感謝!


日溜りの中を時間がゆらゆらと
流れては立ち止まって
また流れていく…



残暑に泣いた農村舞台アートプロジェクトから
三カ月近くがたったが、もう遠い昔の出来事のよう





「叢」という雑誌の取材で磯崎神社の舞台に着くと
日差しが無人の舞台の中ほどまで伸びていた。

カメラマンが少し遅れるとのことで舞台に上がると
日溜りの中を時間がゆらゆらと流れては立ち止まって
また流れていくのが見えた。

遅れてきたカメラマンに感謝!






帰路、梨農家に立ち寄ってジャンボ梨を小分けしてもらった
この大きさが標準サイズで約2キロほど。
人間は勝手に梨をジャンボにしてしまったが
梨の木は大変

  


Posted by かとうさとる at 21:30 | Comments(0) | らくがき帖

2010年12月16日

正月用の花材を下見


今日は切る覚悟がないため
仕切り直し






赤く熟れた小さな柿の実は野鳥の格好の好物
早く食べないと落ちちゃうぞ!






農家のオバサンに「綺麗ですね」と声をかけたら
「良かったら切っていっていいよ」とオバサン
今日は切る覚悟がないため
「ありがとう」と私






お釣り土場の藪椿
まだ蕾も堅くようやく見つけた一輪






こちらは茶の木









  


Posted by かとうさとる at 22:21 | Comments(0) | いけばなから

2010年12月14日

ガレリア・フィナルテで青木千絵展を見た


漆芸の未来をひらく青木千絵

いただいたDMの半具象のフォルムと質感が気になって
確かめるため名古屋のガレリア・フィナルテに足を運んだ。





通いなれたフィナルテの白い空間に足を踏み入れると、風を膨らませたような滑らかなフォルムのオブジェが目に飛び込んできた。ギリシャ神話に出てくる半身半獣のケンタウロスを彷彿させるフォルムと液状化した樹脂系の質感がなんとも瑞々しい。






作家は金沢在住の青木千絵さん。父君は元豊田市美術館副館長でカリスマキューレターの青木正弘さん。フィナルテのオーナーから説明を受けて驚いたが、このオブジェが興福寺の阿修羅像と同じ乾漆造と聞いて目が点になってしまった。







NHKのドキュメンタリー番組で、加山又造は天竜寺の雲龍図をエアーブラシで描いたことについて、「いつの時代も最も新しい科学や技法を用いて新しい世界を拓いていくのが画家で、もし中世にエアーブラシがあれば彼らも使ったはず」と解説した。青木さんが乾漆の心に工業製品のスタイロフォームを用いたのも、今に生きる作家の証で拍手。



青木千絵展の会期と会場はこちら




  


Posted by かとうさとる at 03:00 | Comments(0) | アートの現在

2010年12月12日

弔辞に代わる人間賛歌の評伝はない


ブログ再開

ここしばらく、来年度に予定している市制60周年記念農村舞台アートプロジェクトの実施原案や依頼原稿の作成でデクスに缶詰。ヤマは越したが頭痛に歯痛が重なり、歯科医に事情を話すと「かとうさん、麻酔の針で歯茎に傷がついている」と他人ごとのよう。

それでも忙中閑あり。過日は東京でいけばな仲間の忘年会に出席。現代いけばなの重鎮から新世代まで一堂に会しての楽しい会で、時間の発つのを忘れてしまった。気がついたら買ったばかりのデジカメも一緒に忘れてきてしまった。幸いにして世話役の新藤華浩さんが保管していて、宅配で送ってくれるとのこと。(感謝!)





新幹線の車中で文芸春秋の特集企画「弔辞」を読んだ。
蓋棺事定というが、弔辞が心を打つのは
生前、伝えられなかった悔いと感謝の真情が込めらているからで
弔辞に代わる人間賛歌の評伝はないと実感。
人間っていいものだとしみじみ思う。
是非一読を!  


Posted by かとうさとる at 13:25 | Comments(0) | らくがき帖

2010年12月04日

カサブランカが開花


一事が万事で私の悪い癖

数日来の歯痛が激痛に代わったため、掛かりつけの歯科医院のドアをたたいたが、泥棒を見て縄をなうようなもの。診療台に座ると開口一番「神経を二本抜くから、痛かったら左手を挙げて」と歯科医。

時間にして約20分ほど。麻酔を4本も打つ荒治療で「かとうさん、もっと早くこないとダメだよ」と、歯科医にダメだしをされてしまった。

一事が万事で、他にも心当たりがあるため要反省!


カサブランカが開花





坂田さんと戸苅君にいただいたカサブランカが
一輪二輪と開花しはじめた。






開花したカサブランカは切り花(?)にして
机の脇、下駄箱、洗面所、手洗いと小分け






しばらくはカサブランカの収穫(?)で遊べそう
「いけばなは花と遊ぶ術」と言った人がいるが納得。  


Posted by かとうさとる at 01:25 | Comments(0) | いけばなから

2010年12月01日

猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


みんなはハハハと
笑うかも知れないが…


私が生れ育った土橋は、いまでこそトヨタ関連の工場地帯に変わってしまったが、カキツバタで知られる名勝八橋を流れる逢妻女川の最上流にあたり、当時は湧水のような清流が流れていた。





昭和20年代の逢妻女川はこんな感じ(イメージ写真は忍野八海の清流)


黒澤明の「夢」で描かれた水車のある風景のようと言うと、みんなはハハハと笑うかも知れないが、そんな田園風景が広がっていた。





「挙母/資料にみる明治・大正・昭和のあゆみ」より
時代劇のセットのような土橋の水車小屋(昭和20年代末頃?)


春になると、鮒や鯰やドンコが産卵のため小川をとおって田圃に遡上してきたが、魚たちの天敵は白鷺ではなく、タモをもって走り回る悪ガキ連。その悪ガキ連は塗ったばかりの田圃の畔を荒らすため、「くそ坊主!」と鍬を持った大人たちに追われて逃げ回っていた。今から思うと食物連鎖のようで、上手くできていたと納得。

悪ガキは遊びの天才で、山の中の灌漑用のため池に移動。さすがの大人たちもそこまでは追ってこなかった。のんびり釣り糸を垂れたり、水泳をしたりと、陽が傾くまでよく遊んだものだ。

私が里川やため池に格別な感慨を覚えるのも
そんな原風景と原体験があるからで、理屈ではない。

 
前ふりが長くなってしまったが
猿投山西南麓の「ため池群」を
私が勝手に自然遺産と思う理由






猿投山西南麓の保見に移り住んでまもなく30年近くなる。
今では猿投山の見える場所が第二のふるさと
というよりも、悪ガキの頃の原風景が残っているこの土地を
終の棲家にできる幸運を感謝。






家の近くの「ため池」群の一つ






子どもたちが近づかない「ため池」は
いにしえの時代に還りはじめているように見えた。
私が勝手に自然遺産と思う所以である。
  


Posted by かとうさとる at 21:30 | Comments(0) | とよた風土記