2009年01月27日

岡本太郎 入魂の巨大壁画『明日の神話』を見た













蓬平いけばなの家の概要決まる

1月26日(月)、新大久保の大和花道会館で「Fの会」の大地の芸術祭に向けた協議があったが、気のせいかなんとなくみんな覇気がない。こんな時だからこそ意地を張らなくては。

余談にそれたが、協議の要旨は次のとおり。
(タイトル)
越後妻有アートトリエンナーレ2009蓬平いけばなの家-(仮)9人の個展
(主なイベント)
夏休みいけばな里山学校(公募によるキャンプ形式のいけばな里山学校)
Weekendイベント(いけばなの公開制作とトークなど)
蓬平いけばなの家フォーラム(報告会を兼ねた公開シンポジウム)



数奇な運命をたどった巨大壁画


覇気がないのは私も同じで、こんな時は他から元気をもらうに限る。お薦めは岡本太郎の巨大壁画『明日の神話』。と言っても私も知識として知っていたが見るのは初めて。他の予定をキャンセルして渋谷駅に急いだ。



澁谷マークシティ内の連絡通路に設置された岡本太郎入魂の巨大壁画『明日の神話』


幅30m、高さ5.5m。原水爆をモチーフにした岡本太郎の巨大壁画『明日の神話』は、「平面の太陽の塔」と呼ばれ、メキシコシティのホテルのロビーを飾るため1969年に完成したが、ホテルは資金難で開業前に倒産。壁画は建物から剥がされ、長い間行方不明になっていたが、岡本太郎の養女となった岡本敏子さんらの懸命な捜索によって、2003年メキシコシティの郊外の資材倉庫で34年ぶりに発見されたという、いわく付きの大作である。

その後修復作業が施され、被爆地である広島や『太陽の塔』がある吹田市などが作品の誘致に名乗りを挙げていたが、昨年11月、JR渋谷駅に隣接する澁谷マークシティ内連絡通路に設置された。

この数奇な運命をたどった巨大壁画を見た。大きさについてはある程度予測していたが、実際に目の当たりにするとその巨大さは理屈抜きで痛快。モチーフが原水爆というと悲壮感をイメージしがちだが、岡本太郎の怒りのマグマが人間の生のエネルギーとなって爆発。時代は愚直な前衛の時代を古いメディアとして葬り去ったが、とんでもない。今流行りのアートなどそれこそ柔道の石井慧ではないが、屁の突っ張りにもならない。

場所はJR渋谷駅改札口を出て1分程、井の頭線の矢印に沿って進むとこの作品に出会う。百聞は一見にしかずで、東京にお出かけの際には是非。  


Posted by かとうさとる at 14:29 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年01月25日

焼き物の常識を超えた 鈴木五郎






   「ただくさに作らんと頭が腐る」と鈴木五郎さん。
   「だだくさ」は、三河弁の「ものが腐るほど多い」という意味で、
   奥のギャラリーに四都市展の作品が焼き芋のように並べられていた。


私が鈴木五郎を推す理由


もし、私がヴェネチアビエンナーレの日本館キューレターであれば、第一に「現代いけばな」を取り上げるのは当然だが、心を無私にすれば鈴木五郎を推す。数寄や侘・寂と言った陳腐なジャポニズムではなく、時代を突き抜けた真に力のある伝統の現在こそ、アートのオリンピックと言われるヴェネチアビエンナーレに相応しいと思っているからである。

作品は「呼継」や「弥七田」の大壺や巨大な椅子、土瓶など、鈴木ワールドで決まりだ。五郎さんの巨大な作品群は、焼き物の常識を超えているため、全容を見る機会が少ないのは残念というよりも、日本美術の損失で、美術館のキューレターはどこを見ているのか、と不思議でならない。ちなみに「大壺の大きさの限界は?」と聞いたところ、「そんなもんお金出してくれれば(窯を作る費用)いくらでもできる」と煙草に火をつけた。

五郎さんはプロデュース感覚も秀逸で、明治村茶会の野点の美しさは他に比類がなく絶句。季刊誌TAIKIの創刊号で特集されているため必見。「本」の問合せは、03-3341-7183。もう一つは、アラビア半島のイエメンで、砂漠の真ん中に巨大な焼き物のモニュメントを林立させるというアートプロジェクトで、現地の砂漠の砂で焼いたというテストピースを見せてもらったが、実現すればW・デ・マリアの「ライトニングフィールド」と並ぶアースワークが誕生するはずだ。まあこちらはアラビアンナイトの世界で夢物語だが、「オレは頼まれたことをやるだけで、あとは知らん。かとうさんもやらんかん。」と、煙にまかれてしまった。



   鈴木五郎さんの工房(豊田市折平町)。窯の数は失念したが、穴窯、ガス窯、
   電気窯を用途に応じて使い分け、地下の倉庫には大量の土が寝かされていた。




   鈴木五郎 陶芸呼継の世界展より「呼継大壺」(豊田市能楽堂)


鈴木五郎の四都物語


その五郎さんから「鈴木五郎の四都物語」の案内が届いた。「四都物語」と言えば、NHKBSの特別番組「とっておきの美術、ドイツ、オーストリア四都市物語」を見たことがあるが、こちらは高島屋美術部創設百年を記念したもので、東京、横浜、名古屋、大阪の四都市で同時開催という画期的な新作展で、お薦め。
■平成21年2月18日(水)→24日(火)<4会場同時開催>
黄瀬戸:東京展=高島屋東京店6階美術画廊
呼継:横浜展=高島屋横浜店7階美術画廊
織部:名古屋展=JR名古屋高島屋10階美術画廊
志野:大阪展=高島屋大阪店6階美術画廊









  


Posted by かとうさとる at 17:28 | Comments(0) | アートの現在

2009年01月19日

オリジナル卓上カレンダーはいかがですか




「インスタレーション」のカレンダー見本


野草茶でひと休み

私は家を出てしまったが、お寺の和尚が法事の茶話で、私が生まれ育った土橋について「昔は三河線沿いの村の中で、〇〇と並んで貧乏村と言われたもんだが、変われば変わるもんだ。」と笑った。皆んなも笑った。「笑い」と「民主主義」は平和な社会のセーフティーネットだが、いまこの片方が可笑しい。

こんな時は野草茶でひと休みするに限る。私が愛飲している野草茶は知人の家族が栽培している三河高原のドクダミやヨモギやササなどでお薦め。

口直しに?オリジナル卓上カレンダーをプレゼントしますので、ご希望の方は郵便番号|住所|氏名を書いて、下記のメールでお知らせください。

E-mail:ikebanakato@yahoo.co.jp

ちなみに卓上カレンダーは「花」と「インスタレーション」の2種類で、1月末日までにメールをいただいた方に送らせていただきます。



「花」のカレンダー見本



  


Posted by かとうさとる at 21:38 | Comments(0) | らくがき帖

2009年01月16日

作品ライブラリー(14)花は戦い





竹、玉石|豊田市民文化会館(1986年)


華工房のこと

この作品は、「華工房」という私が関わったグループ展で発表したもの。「華工房」については、別の機会に述べるため割愛するが、毎回現代いけばなの第一線で活躍する旬の作家やジャンルを越境したゲストを招いたイベントを展開。このときも彫刻家の今井謹郎さんをゲストに招いた。

ライバルは勅使河原宏と決めた

一見して分かるようにこの作品は、「竹」の弾力を意図したもので、笑われるかも知れないがライバルは勅使河原宏と決めた。当時草月流家元の勅使河原宏が大規模な竹のインスタレーションを展開。竹=勅使河原宏=草月ブランドとしてガウディの「サクラダファミリア」のように聳えていたからである。言い訳をするなら「竹」をやるなと、自分に言い聞かせた。

中川幸夫は「生きる証である」と、「華・中川幸夫作品集」に記したが、当時の私にとって「花は戦い」だった。この竹は凶器で、事故がなくてよかったが、一歩誤ると大惨事になるところだった。当然管理者は強固に変更を要求したが、前回のライブラリー(13)で白状したように、聞く耳をもたずに強行した。竹の弾力だけで、際どい均衡が勝負を分けると決めていたからである。もちろん今ではこんな無謀な企みはしないが、このとき、私の中で「空間」が確かな形となって立ち上がってくるのを感じた。  


Posted by かとうさとる at 03:05 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2009年01月12日

明治用水のいまむかし





日本の近代土木の端緒をひらいた明治用水

矢作川を源に、西三河八市を潤す明治用水は、文政10年(1827)、碧海郡和泉村(現安城市)の豪農都築弥厚が幕府に出願したことにさかのぼる。弥厚は志半ばで病没、幾多の困難を乗り越え明治13年(1891)4月、日本の近代土木にエポックをしるした初の練積コンクリート造り(表面は石張り)の堰堤が完成。翌14年9月、明治用水と命名された。(写真は若子写真館所蔵)


ときは流れて

当時、山の学校とよばれていた中小学校(現童子山小学校で、当時の学校は現在豊田市美術館が建てられている)の遠足コースは、野見山と水源に決まっていた。どこで昼食をとったか覚えがないが、水源の「舟通し」を渡ると、堰堤に幅1メートルほどの板が架けられていた。

この堰堤を一人づつ順番に渡るのだが、足元を紺碧の水が濁流のように逆巻いて落下し、足が竦むどころの話ではない。板子一枚地獄の底というが、恐怖で膝が折れた悪ガキもいた。あれから半世紀余の歳月が流れた。日本の近代土木の端緒をひらいた堰堤は新しくできた水源ダムに水没。湖畔は桜の名勝に変わった。



トラックや鉄道に輸送手段が変わるまで、矢作川は物流の一大動脈だった。土場とよばれる川湊が賑わい、最上流の「古鼠土場」で荷揚げされた物資は馬車に積み替えられ、遠くは信州、東濃方面に運ばれた。手前の水路は川舟を通す「舟通し」の遺構。

  


Posted by かとうさとる at 14:28 | Comments(0) | とよた風土記

2009年01月10日

作品ライブラリー(13)栄NOVAに進出





名古屋で初めての個展はお洒落なファッションビル「栄NOVA」だった
寸角、段ボール、クヌギ、パワーライト(光源)|栄NOVA(名古屋)1986年



いけばなの領域

この作品は、個展「手さぐりの中から」シリーズの三作目として発表したもので、今から見れば完全にインスタレーションだが、当時は、まだインスタレーションという言葉さえ聞いたことがなかった。当然のように「活ける」という方法論しかなく、無限のキャンパスを前に武者震いする自分と、「いけばなの領域」との狭間で最後まで葛藤が続いた。自然への畏怖という素朴な民俗からはじまった私の「花」の矜持で、この葛藤はいまも私の中で連綿と途切れることがない。


私の悪い癖

ところで、私の悪い癖は、自分の作品のことになると、突っ走って周りが見えなくなることで、この作品も作品の一部が通路にはみ出している。「消防法違反で直すように」と指摘されたが強引に押し通してしまった。当然のように次からは出入り禁止で、そのことによって多くの人が迷惑を被ったと言う話を風の噂に聞いた。後に名古屋市民ギャラリーの所長から「かとうさんには注意するようにと言われていたが普通の人で安心した」と言われて、ブラックリストの存在を知ったが、関係者の間では有名だったらしい。恥ずかしい話だが、この悪い癖は今も治っていない。  


Posted by かとうさとる at 03:30 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2009年01月06日

作品ライブラリー(12)箱根の森イベント




箱根の森をキャンバスに見立てて「空間のドローイング」の試行
連結した塩ビパイプ≒80m|「84いけばな公募展・箱根の森イベント」(1984年)



打ち上げの刺激を求めて

3日の朝日新聞のフロントランナーは、「暗い世相笑いで吹き飛ばす」と春風亭小朝を取り上げた。その中で小朝は落語家の東西交流を進める狙いについて、「東西の落語家が入り乱れて、初対面同士が酒を飲んで、そのうち密談したりなんかして、それから交流を始めた、なんて人たちもいる」と、打ち上げの刺激を一番に挙げている。

1976年、現代いけばなのオピニオングループの「8人の会」が主催したアンデパンダン形式の「いけばな公募展」が、短期間の間に市民権をもつようになった背景の一つがこの「打ち上げ」のパワーで、流派や肩書を外した刺激的な交流はまたたくまに全国に波及していった。私もそうした一人で、「打ち上げ」の刺激を求めて各地のイベントにかけつけた。

この作品は1984年3月、箱根で開催された「84いけばな公募展・箱根の森イベント」に出品したもので、いま振り返ると、この頃から「空間のドローイング」という空間認識が芽生え始めたようだ。  


Posted by かとうさとる at 02:55 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2009年01月03日

口直しに玄関の花を活けなおした




梅、南天、松、椿|猿投窯山田和俊自然釉花器|自宅玄関



何事もシンプルが一番

紅白歌合戦がはじまった頃、居間で横になって休んでいた妻の様子がおかしい。主治医から「何かあったら愛知医大の救命センターに自分の名前を言って診てもらうように」と、アドバイスを受けていたため、初めて救急車を呼んだ。

明け方、入院の準備のため一旦自宅にもどり、病院に急ぐと、若い看護師たちが「初日の出」に向かって手を合わせていた。幸い妻の容態は昨日になって奇跡的に回復。こんなに早く回復するのなら、心配して妻に初めて書いた手紙を返してほしい、と思ったが後の祭り。

単身生活の楽しみは食事を考えることで、昨日、今日と炊き込みご飯を工夫した。米は魚沼産のコシヒカリより美味いと評判の湧水で作った無農薬の産直。炊飯器は買ったばかり。今日は「決まった」と箸を持って炊きあがるのを待ったが、これが今までで一番不味い。原因は蟹缶やキノコ、野菜など冷蔵庫の具をみんな入れたためで、味が滅茶苦茶。いけばなも昔から「一色生け」が最高と言われているが何事もシンプルが一番。それにしても明日もこのご飯を食べるのか、と思うと辛い。

口直しに玄関の花を活けなおしたが、「花」まで炊き込みご飯のようになってしまった。シンプルが一番とはいかないが、心配がなくなったから、まあいいか。

  


Posted by かとうさとる at 19:00 | Comments(1) | いけばなから

2009年01月01日

2009元旦 初いけ





花:梅、椿、松|器:染付鉢|場:自宅玄関
 





花は美しいけれど
いけばなが美しいとはかぎらない
花は いけたら 花ではなくなるのだ
いけたら 花は 人になるのだ
それだから おもしろいし むずかしいのだ
自然にいけようと
不自然にいけようと
超自然にいけようと
花は いけたら人になるのだ
花があるから いけばなはできるのだが
人がなければ いけばなはできない

(勅使河原蒼風「花伝書」より)














  


Posted by かとうさとる at 01:38 | Comments(0) | いけばなから