2008年11月27日

現代いけばなのカリスマ 千羽理芳先生逝く











千羽理芳先生(小白倉いけばな美術館図録より)

さる11月10日の朝、千羽理芳先生から携帯に電話が入った。確かに千羽先生だが声が別人のように細くて聞き取れない。「いろいろお世話になりました・・・」そんな風にも聞こえた。聞き返す間もなく電話は切れていた。胸騒ぎがして下田尚利先生に電話を入れた。「実は入院して連絡がとれないため心配している」と下田先生。26日の朝、その下田先生から「千羽先生がなくなった」と説明を受けた。私はまた恩返しができないまま大切な人を一人失った。



現代いけばなについて、美術評論家の三頭谷鷹史さんは私の作品集の解説の中で『1970年前後から登場してきたいけばな運動とその作品を一般に「現代いけばな」と呼んでいる』と定義している。1969年10月、お茶の水の日仏会館で開催された新しいいけばなの創造をめざした「現代いけばな懇話会」を端緒とした史観だが、「懇話会」前と後のいけばなの流れを概観してみると、その指摘の正確さが理解できる。

この現代いけばな界の黎明期に彗星のように登場し、現代いけばな運動を牽引したのが古流松應会家元で日本いけばな芸術協会副理事長の千羽理芳先生だった。流派を横断したこの運動は、雑誌「いけばな批評」の創刊(1973年)と連動し、全国各地で出口を求めて悶々としていた若い作家たちに勇気と希望を与え、いけばなは新たな時代の扉を開いた。

11月25日、その千羽理芳先生が心不全のため逝去した。現代いげばなはこれまでも工藤昌伸、重森弘淹、北條明直というかけがえのない精神的支柱を失った。衝撃で膝が崩れたがそれでもひとつの時代の終わりとして受容できたが、千羽理芳先生の突然の訃報は道半ばで言葉もない。「植物たちの生」という言葉に象徴される植物のエロスを引きだした初期の作品から、いけばなの担い手として、日本人の精神的源流にいけばなの根源を求めた近年のインスタレーションまで、千羽先生の軌跡は現代いけばなの軌跡そのものであり、その影響力とリーダーシップは余人をもって代えることができないからである。

いまはただ冥福を祈るばかりである。合掌。



一目見て輪廻転生という言葉を思い出した千羽理芳先生のインスタレーション
|花:朴の葉、えのころ草、孔雀檜葉|Photo:尾越健一|
(越後妻有アートトリエンナーレ2006「小白倉いけばな美術館」より)



  


Posted by かとうさとる at 05:23 | Comments(0) | 現代いけばな人物名鑑

2008年11月26日

時代を走り抜けたスーパー一座が終幕



岩田信市妖怪伝説

妖怪と言えば伊予の刑部狸が有名だが、人間の中にも稀に異能を超えて「妖怪」になった怪物がいる。私はこうした絶滅種の「妖怪」を密かに人類の文化遺産とよんでいる。名古屋にも何人か妖怪が棲んでいる。そんな妖怪の中でも東の一人横綱と衆目の一致するのが、私が畏敬するロック歌舞伎スーパー一座の岩田信市である。

妖怪のエピソードと言えば、私は犬山の岩田洗心館で行われた美術評論家の三頭谷鷹史さんの「前衛いけばなの時代」の出版祝賀会で、もう一人の妖怪、「超日常観察記」で日本雑学大賞を受賞した岡本信也さんと岩田さんの妖怪対決を目の当たりにしたことがある。狸の妖怪と酩酊した狐の妖怪の口論で話が噛み合うわけがないが、会話の断片から「ゼロ次元」に関わる名古屋の美術史を論じていることはわかった。ところが10分ほどしたころだったと思うが、突然「お前酔っ払っているな! 今まで俺の言ったことを全部忘れろ!」と、岩田さんが怒り出した。すでにかなり酔いがまわっているらしい岡本さんは柳に風。今頃気がつく岩田さんも岩田さんだが、二人の子供のようなやりとりが面白くて思わず笑ってしまった。

その岩田さんが主宰するスーパー一座が来月幕を上げる「大須師走歌舞伎」で30年の活動に幕を下ろすそうだ。この夏、17年続けてきた大須オペラが幕を閉じたように、予感はしていたが「ついにきたか」というのが正直な感想だ。まさに現代の河原乞食を見事に演じきって惜しまれて荷をたたむ。最高の美学だが、残念。

スーパー一座
スーパー一座は、1979年、前衛美術運動「ゼロ次元」のメンバー岩田信市と県美術館の「ゴミ裁判」の中心的人物の原智彦らが大須演芸場で旗揚げ。日本の伝統芸能の歌舞伎と外国の現代音楽のロックを合体させたユニークなロック歌舞伎で海外にも進出。パワフルで破天荒な舞台は理屈抜きで痛快。説明不可のため、先ずは見てのお楽しみ。

吉例大須師走歌舞伎
興業:平成20年12月2日(火)~12月25日(木)
小屋:大須演芸場
演目:「十六夜清心月現薊双葉」と「御贔屓勧進帳」の豪華二本立て
料金:全席指定前売り3,800円|当日4,000円
発売:チケットぴあ(☎0570-02-9999)、コンビニで販売
問合せ:スーパー一座☎052-262-5955

  


Posted by かとうさとる at 03:09 | Comments(1) | アートの現在

2008年11月24日

作品ライブラリー(9)いけばなの著作権を考える









セイダカアワダチソウを思いっきり手元に引き付けるため、逸る心を制して伐るのは搬入日の早朝と決めた。その日の朝、目が覚めると外は大雪で真白に積っていた・・・。



セイダカアワダチソウ

説明は省くがムシロフェンスの次はセイダカアワダチソウと決めていた。ところがやっかいな問題がもちあがった。横浜の坂田純さん(現在はバリ島に活動拠点を移し、バナナで漉いた紙のドローイングで国際的に活躍)が、個展でセイダカアワダチソウシリーズを始めたからである。

いけばなは様式(手法)を著作権フリーにすることで発展してきたが、個をベースにした現代いけばなに著作権フリーはないからだ。手法は論外としても問題は素材だ。現代いけばなにとって素材の選択は表現の核心にふれる重要な意味をもっているからだ。

むろん自然の草木には著作権がない。最終的には「良心の問題」であり、「知っていても影響されていない」という確信が背中を押した。西武時代の松坂は当時オリックスのイチローを抑えて「自信が確信に変わった」とコメントしたが、ギアチェンジという意味でいえば、このとき私の中で初めて「現代いけばな」という確かな意識が生まれた。



大雪というハプニングでスタートしたセイダカアワダチソウの正月個展
素材:セイダカアワダチソウ、和紙|七州画廊(豊田)1985年


  


Posted by かとうさとる at 01:55 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2008年11月18日

作品ライブラリー(8)中部いけ花公募展









焼いた田圃の土/寸法≒150㎝×70㎝×25㎝/会場:豊田市民文化会館(1985年)


イベントの時代の幕を開く

愛知の人間にとっていけばなの中心は京都で、私も「いけばな批評」(1973~1976)を知る前は、「華道京展」や「阿吽の会」展に何度か足を運んだことがある。「いけばなEXPO81」は、こうした伝統的ないけばなに安住していた中部以西のいけばな界に衝撃的な事件となった。

「中部いけ花公募展」は、名古屋を中心に「いけばなEXPO81」に衝撃を受けた有志が実行委員となって企画したもので、《全国公募のいけばな展を中部地区の各都市持ち回りで開催し、中部地区から現代いけばなを発信しよう》というもので、第1回を豊田市(1985年)で開催した。

シンポジウムのゲストに版画家の池田満寿夫、彫刻家の新宮晋を招いたこの公募展は、「いけばなEXPO81」のイメージと重なり、全国各地から130名余の作家が参加した。こうした流派を横断したいけばな仲間のネットワークは、全国各地の現代いけばなイベントと連動し、いけばなは新たな時代の幕をひらいた。

この作品は中部いけ花公募展に出品したもので、焼いた田圃の土をスコップで切り取って、ドーンと設置したが、確信があったわけではない。正直に白状すれば、当時この仕事の意味についても気がついていなかった。


中部いけ花公募展のポストカード



















  


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2008年11月15日

風土記 四季桜と深まりゆくとよたの秋

9月の末、落ちアユを食べに広瀬ヤナに出かけた。例年ならヤナに落ちアユが落ちる時期なのに生簀の中にアユがいない。「昔のことを思うと1ヶ月遅れている」とヤナの従業員。温暖化は川の中まで進んでいるらしい。
そんな訳で小春日和の12日、近場の里の秋が気になって車を走らせた。


四季桜と小原和紙


紅葉と四季桜のコントラストが美しい旧小原村役場(豊田市小原支所)の四季桜


「和紙の里」として知られる豊田市の旧小原村は、国道419号線を瑞浪方面に向かって北上。約40分ほどの山里で、四季桜が見ごろを迎えた。四季桜の名の由来は、1年に2度、春と秋に咲くことからつけられたもので、「帰り花」のように思われるが、豆桜と江戸彼岸桜が自然交配した品種で、村では7,500本を越える四季桜を見ることができる。四季桜の特徴は開花期間が長いことで、私は初雪が舞う中で見上げたことがあるが、この世のものとは思えない四季桜の淡い光に言葉を失った。こんな楽しみ方は近場に住む者の贅沢で、誰でもというわけにはいかないかも知れないが、お薦め。




小川喜数氏の本間2枚屏風「紅白梅図」(1995年)

小原和紙は古くから伝わる「三河森下紙」をもとに、昭和の本阿弥光悦と称えられた藤井達吉翁が美術工芸和紙として考案したもので、無形文化財保持者(人間国宝)となった山内一生氏、世界の絵本作家が最も美しい紙と称賛する日展参与の加納俊治氏をはじめ、翁の薫陶を受けた多くの作家が連綿と紙を漉いている。



大井平公園と古橋懐古館


燃えるような大井平公園の紅葉。

豊田市の旧稲武町は、長野県根羽村と岐阜県恵那市に隣接する塩の道の要衝として古くから栄えた林業の町で、面の木峠の樹氷、国学者や維新の偉人、儒学者の一大コレクションを公開展示する古橋懐古館は必見。


香嵐渓と足助の町並み


巴川に架かる待月橋と紅葉。見ごろは20日すぎ

豊田市の旧足助町は中馬の中継地として古くから栄えた宿場町で、歴史的町並みや風光明媚な自然と、観光資源に事欠かない足助は、観光客が絶えることがない。中でも香嵐渓は東海地区でも有数の紅葉の名勝として知られており、シーズンになると数10キロの渋滞はザラ。今年はサブプライムローンの影響か、関東や関西方面の遠距離観光バスが減って、反対に近場のマイカー客が増えているそうです。夜の9時までライトアップしており、夜の紅葉狩りもお薦め。  


Posted by かとうさとる at 22:16 | Comments(0) | とよた風土記

2008年11月09日

花と書の空間展

あとの祭り

10月25日(土)・26日(日)の両日、豊田市指定の有形文化財「六鹿邸」で開催した「花と書の空間展」の写真が出来上がってきた。紙焼きを何度見ても私の茶室のインスタレーション「陰翳礼讃」の写真がない。自分でも久々に納得した一点で、何かの手違いと思ったが話を聞いて愕然としてしまった。

撮影は私が最も信頼している写真家の石田真典さん。私が希望した空間を撮ることが物理的に難しいとのことで、何度もカメラテストを繰り返してカメラ位置を決めた。問題はそのあとで、「れんじ窓の外から撮れないか」と相談をした。れんじ窓の外からカメラを入れてテストしたが、希望通り撮るのは無理とのことで、私は「無理なら仕方がない。何か考えるからここはいい」と答えた。私としてはれんじ窓の撮影のことを言ったつもりだったが、石田さんは「茶室の中もいい」と受け取ったとのこと。プロの写真家でも難しい作品を私が撮れるはずがなく、私の作品は幻の一点となってしまった。

私の幻の作品「陰翳礼讃」(写真なし)
素材:裸電球、鉄盤、水、柳、「陰翳礼讃」の淡墨(物部浩子)
広さ:4畳半




私のサブ作品「すわらないで」
8畳余の麻のジャンボ座布団を茶室の客間にどーんと設置。
座布団の上を歩いた人は、麻の感触と座布団に詰めた籾殻の擦れる音を楽しんだ。
素材:麻、籾殻、柳/広さ:8畳2間/撮影:かとうさとる



花と書の空間展

とき:10月25日(土)・26日(日)
ところ:豊田市指定有形文化財「六鹿邸」
出品:ゲスト日向洋一/奥村清美・織田照子・尾山享子・かとうさとる・甲谷美智子・後藤翠香・鈴木真幸登・野畑光風・藤井水園・物部浩子
撮影:石田真典



六鹿邸の土間の天井から吊るした物部浩子さんの題字



花と書の空間展会場風景①
正面は織田照子さんの作品。花材:柿/花器:猪飼護(常滑)
右は物部浩子さんの作品。花材:天井から吊り下げた観葉茎、水/花器:猪飼護(常滑)
書は後藤翠香さん
墨のドローイングは物部浩子さん



花と書の空間展会場風景②
書は物部浩子さん




ゲストの日向洋一さんのインスタレーション
空間の読み方、人の使い方の巧さ、指示の的確さ、手際の良さに脱帽。食事会で「今日手伝ってくれた人はみんな手慣れていて巧いよね。僕は愚図の人は嫌い、結局わかってないんだよね」と日向さん。ヨイショ?の巧さにも脱帽。
花材:松、エゾ松の角材、脱色した中国柳、サンゴミズキ/広さ:8畳2間



鈴木真幸登さんの作品。花材:秋草/花器:青磁大水盤



野畑光風さんの作品。花材:南天、イチジク、ダン竹ほか/花器:常滑焼甕



尾山享子さんの作品。花材:鶏頭ほか/花器:伊藤雄志(常滑)
書は後藤翠香さん



甲谷美智子さんの作品。花材:孟宗竹、薄板、オンシジゥム


藤井水園さんの作品。花材:石榴、ジャンボ南瓜、藤蔓/花器:民具


奥村清美さんの作品。花材:サンゴミズキ、ダリア、菊ほか/花器:常滑焼甕























  


Posted by かとうさとる at 18:39 | Comments(0) | いけばなから

2008年11月08日

大地の芸術祭に向けた「Fの会」の方針決まる

蓬平・いけばなの家
10月30日(木)、新宿の大和花道会館で「Fの会」(東京を中心にいけばなの第一線で活躍するいけばなの作家グループ)の会議が開催され、第4回大地の芸術祭に向けた基本的方針が決まった。

私は世話人を引き受けた、前豊田市長で名誉市民の「傘寿を祝う会」と重なり欠席したため、事務局の大塚理司さんから次のような報告を受けた。

10人のいけばな作家による個展
1名称/蓬平・いけばなの家(旧松代町蓬平集落)
2内容/10人のいけばな作家による個展形式による現代いけばな展
3イベント/①いけばなワークショップ②いけばな里山学校
①ワークショップは、毎土曜日いけばなの公開制作とトークを予定
②里山学校は、都会の子供と地元の子供が交流するいけばな体験キャンプを予定(1回)
4参加予定/宇田川理翁(東京)、大塚理司(東京)、大吉昌山(東京)、粕谷明弘(東京)、かとうさとる(豊田)、下田尚利(東京)、千羽理芳(東京)、長井理一(東京)、早川尚洞(東京)、日向洋一(横浜)
5企画運営/Fの会(下田尚利代表)



第3回大地の芸術祭「小白倉いけばな美術館いけばな里山学校」のスナップ


総合プロデューサーの福武聰一郎氏は「第4回大地の芸術祭はこれまでの集大成」という主旨のメッセージを発信。また総合ディレクターの北川フラム氏も「相当変わったものになる」という意味の発言をしている。

深化する大地の芸術祭の現在を随時リポートしていきたいと思っているが、今日はご容赦を。  


Posted by かとうさとる at 02:47 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2008年11月04日

今日は文化の日

11月3日
新聞各社が最も力を入れているのが社説で
社説は社会の羅針盤と言われてきた。

今日は文化の日。職にあった当時はこの日の社説を読み比べるのが楽しみの一つになっていた。新聞のスクラップブックが手元にないため定かではないが、自分が見た最後の社説は10数年前の読売の社説で、「文化とメセナ」をテーマにお茶を濁したような一文だった。それでも読売はいい。朝日も毎日も日経も中日も通常の時事ネタで、文化が心の問題からカルチャーの問題にすり替えられた、と思った。

文化という理性を失った社会が暴走(モラルハザード)するのは自明の理で、各社が自戒の意味を含めて今日の「文化の日」をどのように書くのか楽しみにしていたが、プレス発表の叙勲や文化功労記事のオンパレード。一般市民の関心は「文化の日」ではなく秋の三連休に向いているのかも知れないが、言論の府といわれる大新聞まで三連休では救いようがない。

「花と書の空間展」を報告するつもりでいたが、撮影を依頼した石田さんの写真が出来上がっていないため、雑感を記したが「文化の日」の変質は根が深い。


  


Posted by かとうさとる at 04:04 | Comments(0) | らくがき帖

2008年11月02日

映画とビデオインスタレーションの境界










挙母劇場と昭和劇場とアート座の
三座が支えた挙母の大衆文化






東映系の時代劇でいつも満員だった挙母劇場


戦後から昭和30年代半ばまで映画産業は隆盛を極めた。
才能が時代を作るのか、時代が才能を作るのか知らないが、
溝口健二がいて、黒澤明がいて、小津安二郎がいて、
成瀬巳喜男がいた。木下恵介もいた。

毎週のように新作が上映された。
レコードにA面とB面があるように映画は二本立で、
中には三本立てというお得な映画もあった。

ニュースも映画館で観た。
私が生まれ生んでいる豊田市でも
挙母劇場、昭和劇場、アート座の三館がしのぎを削り、
いつも満員だった。学校の芸術鑑賞会も映画だった。




なぜか映画鑑賞会はいつも昭和劇場だった。
規則にうるさいオジサンがいて私は叱られた記憶しかない。



挙母劇場と昭和劇場は芝居小屋から映画館になったため、
座席は畳敷きで花道もあった。
当然のように映画は畳の上で座って観るものと思っていた。

雨の日は畳の湿気とアンモニア臭で
なんとも複雑な臭気が充満していたが、
花道で立ち見の大人の足元をかき分けて、
いつも最前列に割り込んだ。

もう一つのアート座は、
市内初の全館イス席のハイカラな映画専門館で、
初めて従兄と近所の叔父さんに連れていってもらったときは、
外国に行ったような気がした。

内容は覚えていないが「やっぱりゲーリークーパーはいい」とか、
「グレースケリーは一番綺麗だ」と話していたのを覚えているから、
観たのは「真昼の決闘」ではないか。


挙母の下町から
映画館が消えた



昭和30年代後半、
豊田市はマイカー時代の到来で人口が急速に増え、
学校は増築に増築を重ねたが、それでも追い付かなかった。
娯楽の中心はテレビがとって代わり、
映画館はニシンの消えた番屋のようになった。

記憶に間違いがなければ昭和劇場が壊され、
次いで挙母劇場が壊された。
アート座は進出したスーパー長崎屋の7階でリニューアルしたが、
客足は日ごとに途絶え、まちから映画館が消えた。

あれから半世紀近い時間が流れた。
映画はシネマ・コンプレックス、シネコンという
新たなビジネスモデルとなって帰ってきた。

今年のイチ押しは
カナダのモントリオール映画祭でグランプリをとった
「おくりびと」で決まりという声が高い。
物語の内容は省くが、
庄内平野と名峰月山が織りなす四季と健気に生きる人々。
久石譲の美しい旋律の音楽が重なり、
心の中の澱が洗い流されていくようで、流れる涙も気持ちがいい。

観たのは隣町(三好町)のシネコンで、
市内の上映館を探したがない。
思わず「嘘だ」と叫んでしまった。

どんなに都市化しても
シネコンのない中心市街地は住む人のいない家、
食べる人のない料理と同じで味気ないことこの上ない。
これからは努めて声を大にしていきたいと思う。




昭和26年10月にオープンしたアート座の全景



ビデオインスタレーションの
アイデンティティを問う



最後に、似て非なるもの(ジャンルを異にする意)かも知れないが、ビデオインスタレーションについて触れたいと思う。

私が美術展で初めて映像作品に接したのは15年ほど前、
愛知県美術館と名古屋市美術館が共同企画した
「還流-日韓現代美術展」だった。

偏りを承知でいえば、
同じころ水戸芸術館で開催された「作法の遊戯展」とともに、
「具体」からはじまった日本の現代美術が
ターニングポイントに達したことを記録した
画期的な美術展だったように思う。

その中に衝撃的ビデオインスタレーションがあった。
韓国の陸根丙(ユク・クンビョン)の作品で、
深い思考と想像力を喚起する映像力に新たな時代を予感した。

前述の言葉と矛盾するが陸根丙の映像を見ていて、
黒澤明の「野良犬」を思い出した。
拳銃を奪われた三船敏郎扮する若い刑事が、
血眼になって犯人を追うシーンで、
黒澤明は刑事の焦燥感を飢えた狼のような眼だけで描いた。

こんなのはホンの一例で映画の斬新性は枚挙にいとまがない。
頭が古いかも知れないが、
そんな訳で、ビデオインスタレーションが
アートとしてもてはやされることが自分には理解できない。
美術館の中を暗幕で仕切った映画館もどきの見せ方は、
単なる実験映像にしかず、としか思えないからだ。

私がライフワークとしている現代いけばなは
未だアイデンティティー(脱いけばな)を厳しく問われているが、
ビデオインスタレーションも同じ問を避けて
通ることはできないのではないか。

旧い映画世代の私には
映画とビデオインスタレーションの境界が
グレーゾーンに見えて戸惑うばかりだ。


  


Posted by かとうさとる at 14:43 | Comments(0) | アートの現在