2010年02月28日

無人の天満宮は最高のミュージアム


浅田真央のホームリンクのある中京大学の構内を東側に抜けると、畑の中に小さな社がある。いつもは素通りする場所だが、祭礼の幟がたっていた。のんびりしたもので誰もいない。近づいて見ると社は天神様を祀る天満宮で、梅まつりの期間中とわかった。無人の天満宮は最高のミュージアムで、どんな箱モノも色あせて見えてきた。




天満宮の梅まつり(貝津町)

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して くだしゃんせ
ご用のない者 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
いきはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ





浅田真央のような初々しい枝垂れ紅梅





美は発見!道端の野茨に新芽が

  


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2010年02月27日

みんな頑張った女子フィギア


上村愛子のスキーフリースタイルモーグルで開幕したバンクーバーオリンピック。誰が競技日程を組んだのかしらないが、中盤にスピードスケート、終盤の山場に女子フィギアと、日本のために組んでくれたようなもの。残念ながらチームとしては波に乗れなかったが、終わりよければすべて良し。浅田真央、安藤美姫、鈴木明子の見事な演技で、茶の間に柔らかい春の光が射し込んできた。


バンクーバーオリンピックは
キム・ヨナのためにあったようなもの



フィギアについては、男子フィギァで銀メダルになった前回トリノオリンピックの覇者エフゲニー・ブルシェンコが、「四回転を成功した自分が、四回転にチャレンジしなかったライサチェクに負けたのはおかしい」と審査結果に異議をとなえていたように、フィギアの流れが、表現力とコンビネーションにウエイトが移っているのは明白。

こうした流れを決定的にしたのがキム・ヨナの出現で、悔しいが今回のオリンピックはキム・ヨナのためにあったようなもの。「西施の顰に倣う」(春秋時代の越の伝説上の美女)という諺があるが、キム・ヨナの目力はバンクーバーの伝説として語り継がれるのではないか。


みんな頑張った女子フィギア
浅田真央に万雷の拍手





2月26日中日新聞夕刊より転載


二度のトリプルアクセルを成功させるなど自己ベストの点数で銀メダルを獲得した浅田真央。「長かったようで、あっという間でした」と涙を流した浅田真央。キム・ヨナに敗れた涙ではなく、わずかなミスに対するアスリートとしての誇りが流した悔し涙で、どんな言葉も不要。


最も厳しい採点をされた
安藤美姫





2月26日中日新聞夕刊より転載


今回のフィギアの採点の中で、ショートプログラムでジャンプが回転不足と採点されるなど、最も厳しい採点をされたのが安藤美姫ではないか。フリーでもほぼ完ぺきな演技をしたのに、思ったほど点数がのびなかった。メダルをとってもおかしくなかったが、「今の自分のもっているものは全て出たので満足している。ただスピードが少したりなかったと思う」と安藤美姫。

安藤美姫が語っているように、採点が伸びなかったのはスピード感=キレがいま一つ欠けたためで、ジャンプの安藤から表現の安藤に移行したのは間違いではないが、安藤美姫本来のキレ=輝きを失ったのも事実。今回の選択はコーチの強い進言で決まったとのことだが、角を矯めて牛を殺したようなもの。もう一度スケールの大きい安藤美姫を見たいと思うのは、私一人ではないと思うが、どうか。



病とたたかう子どもたちに
勇気を与えた鈴木明子





2月26日中日新聞夕刊より転載

摂食障害を克服してオリンピックの舞台にたった鈴木明子。
それだけで十分なのにベストの演技で入賞。(説明不要)


  


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2010年02月25日

明川熊野神社の農村舞台探訪


足助と稲武の中間に
明川という宿駅があった


「中馬のおひなさま」で賑わう足助の町から武節(稲武)まで、塩の道として親しまれてきた中馬街道(現在の国道153号線)で約40キロ。その中間にあるのが明川という集落で、往時は中馬の宿駅の一つに数えられていたそうだ。





明川の塩の道と往時を偲ぶ常夜灯


中馬は、信州でつくられた馬の背で荷物を運ぶ人々の組合のことで、語源は賃馬・中継馬に由来。当時最も重要な物資は塩で、足助で荷直しされた塩は、中馬の背に積まれて信州に運ばれた。街道の要所々には旅の安全と馬の供養を祈って馬頭観音が祀られ、今も道往く人を見守っている。






お祖母さんの代まで、明川で旅籠屋を営んでいたという酒井さんのお宅。塩の道は酒井さんの前を流れる阿摺川にそって北上。酒井さんがお嫁にきたときは既に中馬はトラックに代わり、旅籠は廃業していたそうだ。



この明川に
嘉永5年(1852年)の棟札の残る
農村舞台があると聞いて
車を走らせた。






農村舞台の建つ明川熊野神社の鳥居



農村舞台は絶滅危惧種

奥三河の春を告げる花祭りで知られる愛知県三河山間部は芸能の宝庫といわれている。こうした神事や芸能が演じられた舞台を一般に農村舞台と呼んでいる。市内にも多くの農村舞台が現存。八木哲也市議会議長の最近の調査によると79棟を数えるそうだ。

豊年を祈願する春祭り、実りの秋を祝う秋祭に、神事の余興行事として催される農村演芸(注釈参照)の場として、神社境内に舞台が建てられ始めたのは江戸時代も後半になった頃と言われている。中には文化5年(1808年)に建てられた中金町の岩倉神社のように、回り舞台のある本格的な舞台もあるが、そのほとんどが廃絶の危機に瀕している。

近年、こうした農山村の共同体の精神的支柱となった農村舞台を見直す機運が高まり、既に八木哲也さんを中心に有志による勉強会が始まっている。今回私が明川に足を運んだのも、この目で現代における農村舞台の可能性を探るためで、暇な私には格好の宿題で感謝。



明川の農村舞台の全景





明川熊野神社の農村舞台「明川座」の全景





背景の窓は「透見」





巨樹に囲まれた熊野神社境内



明川の農村舞台は一級の文化遺産


明川の農村舞台が建てられたのは嘉永5年(1852年)。間口約
16.00m、奥行き7.30m。旧足助町最大の規模で、左右に太夫座が設けられ、背景の自然を芝居の写景として取り込む「透見の窓」、奈落のスペースも十分。境内の環境とあわせて、私がこれまで見た農村舞台の中ではトップクラス。

この舞台は、中馬街道の宿駅として栄えたという明川の往時を偲ぶ貴重な文化遺産であると同時に、現代のアートハウスとしても斬新なもので、この先、どんな農村舞台に出会えるのか楽しみになってきた。


(注釈)
農村舞台で演じられた奉納芝居には、村人が役者をつとめる村芝居と、旅回りの役者を呼んで開く、買芝居の二つがあった。一般に農村歌舞伎とよばれているのは、村芝居の発展したもので、上演を重ねるうちに、村々の名物や出し物に特色が加わり、一つの座を形づくったもの。市内でも小原歌舞伎や旭歌舞伎、石野歌舞伎などが往時の形を今に伝えている。

  


Posted by かとうさとる at 00:27 | Comments(0) | 農村舞台

2010年02月22日

いま畑村洋太郎の失敗学に学ぶ


人も組織も頂上でつまづく

ニュースによると、大量リコールで米議会から公聴会への招致をうけていたトヨタ自動車の豊田章男社長が、訪米を決断したとのこと。この間のトヨタの対応は、火に油を注ぐようなミスマネージメントの連続で、失態の誹りを免れない。




トヨタ本社の全景



1995年、創業家以外で初の社長となった奥田碩は、社長就任の記者会見で「トヨタに大企業病の兆しがある」と課題を指摘。「あの堅実なトヨタがまさか」と話題になった。
同じ年、東海村で臨界事故が発生。雪印乳業の食中毒事件、三菱自動車のリコール隠し問題と、大企業の失態が続いた。

説明は省くが、これらの失態に共通するメカニズムを解き明かした東京大学教授の畑村洋太郎は、2002年、失敗から学ぶNPO法人「失敗学会」を設立した。私がこの間の経緯を記憶しているのは、当時、職としていたアートマネージメントにも「失敗学が応用できるのではないか」と考え、研究したことがあったからである。

話が余談に逸れてしまったが、トヨタの失態の予兆はこの頃から顕在化していたわけで、失敗学に学べば未然に防ぐことができただけに、かえすがえすも残念。


豊田喜一郎の夢の原点を辿る

トヨタ自動車工場の建設を伝える
昭和12年11月29日発行の①加茂時報

「擧母 資料にみる明治、大正、昭和のあゆみ」より転載





(記事の要旨)
町並びに工場誘致委員会の努力によって、擧母町南方の論地ケ原に建設中の豊田自動車工業株式会社の建設が目前になった。また北方の伊保原は、②愛知時計会社の飛行機試験場に内定し測量も終わった。③衣ケ原飛行場には民間飛行学校の建設案も具体化するなど、擧母町は大きく飛躍の時を迎えた。このチャンスを逃せば悔いを千歳に残すことになる。
このため町会議事堂において、町議、区長、商工会、耕地整理組合幹部などが参集し協議会を開催した。
●豊田工場の従業員は7千名と言われている
●明春3月までに4千余戸の住宅建設が必要
などの協議が行われ、町発展のために営利を度外視し、
家屋、土地会社を設立するための準備委員を推薦するなど、
大擧母建設のスタートを切ることになった。

(注釈)
①加茂時報
地元発行の地方紙で現在の加茂タイムスの前身。
②愛知時計会社(愛知航空機)
海軍用の航空機を生産。伊保原飛行場で訓練をうけていた
海軍航空隊は、昭和17年4月名古屋航空隊となり、神風特攻隊草薙隊は、昭和20年4月この飛行場から飛びたった。



伊保原飛行場の特攻隊兵舎(豊田市郷土資料館蔵)昭和20年

③衣ケ原飛行場
軍部から航空機生産の協力要請をうけたトヨタ自動車が工場建設に着手。のちに三菱重工業株式会社名古屋発動機製作所第22製作所に移管。跡地は現在のトヨタ自動車元町工場。
またまた余談に逸れるが、私の生まれ育った土橋から衣ケ原まで数キロと近く、私たち悪ガキは「アカ」と呼んでいた銅屑を拾って遊んだ。小銭を稼ぐのが目的だが、当時、土門拳の世界は日本中いたるところにあったのではないか。


建設中の豊田擧母工場





レールは資材を運ぶトロッコ
後方の山は野見山と思われる
(市政ガイドより転載)


昭和13年11月3日
豊田擧母工場操業開始






国産自動車の大量生産の夢をのせて竣工した豊田擧母工場
(市政ガイドより転載)


道をひらくのは勇気と決断





世界に飛躍したトヨタ旧本社
市民にとってトヨタは家族のようなもので
身の丈にあったこの大きさがトヨタの原点



  


Posted by かとうさとる at 02:30 | Comments(0) | とよた風土記

2010年02月20日

正三道(しょうさんみち)を往く


通る人も稀な正三道

江戸時代初期に活躍した仏教思想家の鈴木正三が開いた恩心寺に至る旧道を、私たち(鈴木正三顕彰会)は正三道と呼んで
いる。市内の上鷹見から山中に抜ける正三道は、うっそうとした木々が茂り、通る人も稀。恩真寺の梅林を見ての帰路、
ふと思いついて正三道に分け入った。


森を侵食する
藤蔓の生命力に足が竦む






巨大な藤蔓が正三道まで迫っていた。山が手入れされていない証拠で、原始の森に還るのも遠いことではなさそう。






巨大な大蛇のような藤蔓







ひっそりと咲く藪椿







じとっとした湿気で東南アジアの熱帯雨林のような谷間







木々を締め付けながら侵食する藤蔓
  


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2010年02月19日

風はきままなアーティスト


保見の大井橋を瀬戸方面に向かって最初の信号を左折すると教職員会館に抜ける里道がある。多分地元の人以外知らない里道なのか、通る人を見たことがない。どんな道なのか、ゆっくり車を進めた。突然に目に飛び込んできたのが写真の景色で、「おゞ!」思わず声が出てしまった。風はきままなアーティストで学ぶことが多い。





風が描いたドローイング

  


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2010年02月18日

バンクーバー冬季オリンピックが開幕


メダルは逃したが
記憶に残る勝者になった上村愛子


バンクーバー冬季オリンピックが開幕した。
日本代表は男子500メートルで長島圭一郎が銀、加藤条治が銅と二つのメダルを獲得。男子フィギァの高橋大輔、織田信成、小塚崇彦も好発信。26日の女子のフィギアフリーまで、ますます目が離せなくなったが、静かに見守りたいもの。





フリースタイルスキーの女子モーグルの結果を報じた朝日新聞。スポーツには記録に残る勝者と記憶に残る敗者がいるが、上村愛子はメダルは逃したが記憶に残る勝者になった。


無謀を承知で勝負をかけた
里谷多英の背中に拍手


モーグルといえば、98年長野大会金メダル、02年ソルトレークシティー大会銅メダルの里谷多英。私生活のトラブルで誰もが過去の人と見向きもしなくなった里谷。代表候補からも外され、格下の下部大会から代表の座をつかみとった里谷。私は挫折から立ち向かう人間が好きで、密かに応援していたが、第2エアでバランスを崩して転倒。転倒しなくても上位入賞は厳しかったかもしれないが、無謀を承知で勝負をかけた里谷の背中に拍手。




レース前の里谷を取材した毎日新聞



カーニバルのような
スノーボードクロスに嵌まった


テレビ桟敷で見ていて意外に面白かったのがスノーボードクロス。ジャンプとヘアピンカーブの連続する約1キロのコースを1組4人が同時にスタート。早くゴールしたものが勝者という単純明快な競技で、カーニバルを見ているよう。レースは各組上位2人が勝ち上がるトーナメント方式で、日本ではマイナーだが欧米では人気種目とのこと。(納得)


  


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2010年02月15日

とよた美術展2010から見えたもの













35都道府県から
清新な作家470人が応募



いま、豊田市美術館で「とよた美術展2010」が開催されている。この美術展は、市制発足以来市民に親しまれてきた豊田美術展が50回になるのを機に、トリエンナーレ方式の全国公募にリニューアルしたもので、3回目をむかえた。

今回は、北は宮城から南は沖縄まで35都道府県から470人の応募があり、一次審査、二次審査を経て、入選作品56点が展示されている。入選率は1割強と狭き門。質も高く、展示方法も企画展同等以上の贅沢なレイアウトで見応え十分。





一次審査【書類審査】
小西信之(愛知県立芸術大学准教授)
高橋綾子(名古屋芸術大学准教授)
天野一夫(豊田市美術館チーフキューレター)

二次審査【作品審査】
北澤憲昭(女子美術大学教授)
草薙奈津子(平塚市美術館長)
建畠晢(国立国際美術館長)
牧野研一郎(愛知県美術館長)
吉田俊英(豊田市美術館長)



入賞作品を探すのが難しいほど
高いレベルで作品が拮抗



撮影不可のため、本展の概観を説明するのは難しいが、前述したように作品本位のゆったりとしたレイアウトと相まって、会場を爽やかな風が吹き抜けていくような、気持ちのいい展覧会というのが第一印象。

次に感じたのは、「残念ながらこれぞグランプリと審査員の意見が一致する作品は見い出せなかったが、準大賞が3点選ばれたように全体のレベルは高く、また尖鋭的な表現が揃ってもいた。」という審査講評に象徴されるように、1点1点キャプションを確認しないと、入賞作品を探すのが難しいほど、作品が拮抗していたことで、大賞なしも納得。


見えてきた
とよた美術展の役割と意義



それではなぜ大賞作品が出なかったのか。これは第1回からの作品傾向を見ての推測だが、バランスのいい審査員構成、豊田市美術館というステータスに惹かれて、同時代性のアートを追求するオーソドックスな作家が大挙して応募しているためではないか。

刺激的な表現にもかかわらず高い技術力と品格を感じるのはこのためで、カルチャーショックを受けるようなグランプリ作品と質を求めるのは二兎を追うようなもので欲張りというもの。残念ながら実施方法を見直さない限り、このジレンマは永遠に解決できないのではないか。

問題はこの現実をどのように見るかだが、私は今回の結果を肯定的に受け止めたいと思っている。なぜなら、尖ったグランプリ作品を輩出する展覧会は他に委ねても、同時代性の優れたアートの定点観測の役割を担う展覧会は、トリエンナーレ方式のとよた美術展をおいてないように思うからである。

最後に余談に逸れるが、係の女性に、図録は(?)と尋ねたが、困ったような顔をされてしまった。図録があれば前述したような意味を含めて、貴重な資料になるのにもったいない。


最後に準大賞作品を紹介




(美術展チラシ掲載写真より転載)

平野知映(兵庫県)《Hirano Cantabile》(部分)
仏像の三尊形式のように配置された球体のスクリーンに作者の顔を映したユーモラスな映像作品。写真ではわかりにくいが、土俗的な霊性を内包するなど大賞作品となっても納得。




(美術展チラシ掲載写真より転載)

渡邉野子(滋賀県)《待つ身体-3のパースペクティブ》
完成度と品格で、今回のとよた美術展を象徴する平面作品。




(美術展チラシ掲載写真より転載)

伊藤純代(埼玉県)《doll house#1》(部分)
存在感が際立っていた床置作品。こうしたおとぎ話のような仕事を見ると、私もつくづく遠くへきたものだと思う。


とよた美術展は
豊田市美術館で2月28日(日)まで
同時開催の「知覚の扉Ⅱ」もお薦め






  


Posted by かとうさとる at 03:25 | Comments(0) | アートの現在

2010年02月13日

あいちアートの森豊田プロジェクトが面白い


久しぶりに手ごたえのある展覧会を見た。一つは「あいちアートの森豊田プロジェクト」で、もう一つはトリエンナーレ方式による「とよた美術展2010」。一度に紹介するには分量が多いため二度にわけて紹介したい。


あいちトリエンナーレに向けた
アートキャラバン


あいちトリエンナーレ2010パートナーシップ事業「あいちアートの森=アートが開くあいちの未来」は、「文化庁の地域芸術振興プラン推進事業」を活用し、市町村、地域の文化施設、芸術系大学と連携。県内6カ所の会場で展観する県主導のアートプロジェクトで、冠名にあるように、この夏開催される「あいちトリエンナーレ2010」に向けたキャンペーンイベントとして話題を呼んでいる。





会場と会期は次のとおり

●広小路プロジェクト(名古屋) 済み
●東栄町プロジェクト(北設楽郡東栄町) 済み
●堀川プロジェクト(名古屋)1月5日~3月7日
●常滑プロジェクト(常滑)2月6日~3月7日
●豊田プロジェクト(豊田)2月4日~3月14日
●佐久島プロジェクト(幡豆郡一色町)2月27日~3月14日
詳細は「あいちアートの森」で検索を。


豊田プロジェクトは
町屋建築の喜楽亭と美術館の
二会場で開催


さて、「あいちアートの森/豊田プロジェクト」は、(財)豊田市文化振興財団が主管する「とよたアートナウ」と豊田市美術館が主管する「知覚の扉Ⅱ」の二部構成で開催。会期は次のとおり。
●あいちアートの森豊田プロジェクト とよたアートナウ
~14日(日)まで。会期がないためまだの方は急いで。

●あいちアートの森豊田プロジェクト 知覚の扉Ⅱ
2月20日(土)~3月14日(日)

私が見たのは地元の作家を中心にした「とよたアートナウ」と、「知覚の扉Ⅱ」の美術館会場作品で、このあと、美術館がノミネートした作家が同じ町屋建築を舞台に、どのようなアプローチを見せるか楽しみ。


豊田市美術館会場
市川平「コンタクト・ドーム」
空っぽの快感


ヤノべケンジの「ジャイアント・トらやん」、「ウルトラ-黒い太陽」も凄かったが、市川平の「コンタクト・ドーム」は、中身が空っぽで、何もないことが凄い。こんな爽快な作品を見るとやっぱりアートは凄いと納得。





市川平というアーティストの経歴は知らないが、リチャード・セラの「ダブル・コーンズ」が小さく見える。どうせやるならこのぐらのことをしなければ。





越後妻有のジェームズ・タレルの「光の館」もいいが、ここからの星空も見てみたい。あいちアートの森はパフォーマンスやイベントも予定されているとのこと。難しい話はなしで「やればいい」のに、もったいない。



豊田プロジェクトとよたアートナウ
豊田の作家も本領発揮






ほろ苦い思い出の残る喜楽亭

豊田プロジェクト「とよたアートナウ」の会場となった喜楽亭は、市内にあった大正末期から昭和初期にかけての代表的町屋建築を移築したもので、当初は伝統文化を中心に利用されていたが、近年は町屋建築の骨太の構造が食指を誘うのか、美術展会場としても注目を集めている。喜楽亭の元は老舗の料亭で、私が初めて酒の味と苦さを知ったのもこの喜楽亭で、鴨居の傷まで覚えている。


こんな時代だからこそ
愚直な仕事を見たい


余談に逸れたが、とよたアートナウの出品者は40万都市を代表する作家6名。一巡しての印象はさすがにみんな上手い。矛盾するようだが、先に『財団がノミネートした地元作家と、美術館がノミネートした作家が、同じ町屋建築を舞台に、どのようなアプローチを見せるか楽しみ。』と述べたのは、この上手さが気になったからである。

上手さは作家としての重要な資質ではあっても、アートの本質ではないと思っているからで、「また訳のわからんことを言っている」と思うかもしれないが、私にとってはどうしても譲れない一線で仕方がない。こんな時代だからこそ、愚直な仕事を見てみたい、して見たいと思うのは私一人ではないと思うがどうか。どんな答えが待っているのかわからないが、先ずは二次の「知覚の扉Ⅱ」を見てからの楽しみ。





安藤尤光さんの篆書の部分。刻字の大家として活躍する安藤豊邨さんの子息で、清潔感が空間を支配して気持ちがいい。






石川泰弘さんのインスタレーションの部分。豊田では三本の指に入る作家で久々に気持ちのいい仕事を見せてもらったが、ここまで決めるとケチの一つもいいたくなる。(御免)






伊丹靖夫さんの室礼の部分。豊田では頭一つ抜けた洒落な画家でファンも多い。私は天の邪鬼だから、何でもできてしまうと、皮肉の一つも口に出そう。(悪い癖)






新宅雄樹さんの室礼の部分。努力家で大成が楽しみ。






杉浦イッコウさんのセラミックインスタレーションの部分。気負いがなく気持ちがいい。さすが。






日展会員として活躍している橋本昇三さんの小原和紙。






  


Posted by かとうさとる at 06:47 | Comments(0) | アートの現在

2010年02月09日

ラジオ深夜便にデビューしようかな





コーヒー一杯分の値段で一月楽しめます。



以前にも、ラジオ深夜便のファンということを書いたことがあるが、楽しみは「深夜便のうた」で、いま流れているのは北島三郎の「母」と、ペギー葉山の「夜明けのメロディー」の二曲。




深夜便のうた「夜明けのメロディー」を
作詞をした五木寛之(左)と歌手のペギー葉山(右)。
最高の芸術作品は人間そのものというが、二人を見て納得。



それぞれに味わいがあるが、今月は、「夜明けのメロディー」を聞くために、深夜便を聞いているようなもの。



玄関の花をいけかえる





花:剪定した柿の枝、樫の葉、山茱萸、アンスリウム
陶:中島将夫「青磁花器」  


Posted by かとうさとる at 22:48 | Comments(0) | いけばなから

2010年02月05日

近場で見つけた春



豊田スタジアムの東の畑で
菜の花が満開








平芝公園の白梅が
一つ二つと開花








舞木の果樹園近くの生垣で
見つけた蠟梅









蝋梅をいける(旧作で失礼)




見ごろを迎えた
お釣り土場の藪椿





樹高が高くてさすがの花木ハンターの私でも手がでない






お釣り土場の説明は小ブログの
12月27日「初いけは藪椿に決めた」を参照
  


Posted by かとうさとる at 23:17 | Comments(0) | とよた風土記

2010年02月02日

剪定した柿の枝をいける






私がこんなおいしい獲物を
見逃すはずがない






農道脇に剪定した枝が捨てられていた
私がこんなおいしい獲物を見逃すはずがない







早速家に持ち帰って玄関にいけた
花:剪定した柿の枝、蝋梅、南天、藪椿、樫の枝
器:白磁(吉川正道)  


Posted by かとうさとる at 20:33 | Comments(0) | いけばなから

2010年02月01日

アスファルトに季節はずれの寒の雨


まもなく立春





ゴミステーションのアスファルトに季節はずれの寒の雨。






みんな冷たそう
白鷺も風邪をひかなければいいが




  


Posted by かとうさとる at 20:02 | Comments(0) | らくがき帖