2009年12月31日

それではよいお年を



第四コーナーまで
馬なり(?)で走ってきたが
ゴール寸前で失速したこの一年。





射穂神社の大鳥居(保見町)


いつ実るのか笑ってしまうが
来年も林檎の種をまくつもりだ。






射穂神社の参道


それではよいお年を。  


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2009年12月29日

でもオジサンは密かに中野友加里を応援



オジサンたちは
みんな真央ちゃんの応援団


私の家から中京大学まで直線距離で700~800メートルほどの距離のため、「室伏広治や浅田真央、安藤美姫を〇〇で見た」という話をよく聞く。浅田真央はウナギのかば焼きが好物で、店の勝手口から入ってきて、ウナギを捌くのを近くで楽しそうに見ているそうだ。そんなエピソードを聞くとオジサンたちがみんな真央ちゃんを応援するのも納得。





中京大学のアイスアリーナ。
今シーズン原因不明のスランプに落ちた浅田真央は、アメリカから帰国するとこのアリーナを拠点に全日本選手権に備えた。浅田真央をよく見かけるようになったのはこの時期で、みんな浅田真央を応援した。





近くのお店屋さんの駐車場にはこんな看板も


でもオジサンは
密かに中野友加里を応援


それにしても、バンクーバー冬季五輪代表の最終選考会を兼ねた全日本フィギュアスケート全日本選手権大会は凄かった。スランプが心配された浅田真央だが、前日の規定演技を見て当確を確信。既に安藤美姫がグランプリファイナルで内定しているため、残りは1枠で、私は密かに前回のトリノ五輪の代表選考に泣いた中野友加里を応援した。

先陣をきったのは中野友加里で、得点を稼ぐ冒頭の3連続ジャンプが不発に終わったため心配したが、後半は満点の演技でトップに。浅田にトップは奪われたがこれは想定内。ライバルは鈴木明子一人。





12月28日朝日新聞朝刊より転載



結果はいつも残酷だが
眩しくてわが身を恥じた。


中野に追いつくためには自己ベストの得点が条件の鈴木明子。この時点で中野の代表入りを確信したが、勝負はゲタを履くまでわからない。「ウエストサイド物語」の世界からマリアが飛び出してきたように、軽やかなステップで舞う鈴木明子を見て絶句。もう勝ち負けのレベルではない。

中野友加里、195.75点。鈴木明子195.90点。その差わずか0.17。「声援が私の背中を押してくれた」と大粒の涙を流した鈴木明子。「この気持ち(はりつめたプレッシャーとの戦い)は4年後まで続かない」と言葉を絞った中野友加里。結果はいつも残酷だが、眩しくてわが身を恥じた。


空を見上げると昼の月が







初いけ用の柳をお土産に
今日はおしまい






暇ネタでご容赦を







  


Posted by かとうさとる at 18:03 | Comments(0) | らくがき帖

2009年12月27日

初いけは藪椿に決めた


初いけは藪椿に決めた
そこで矢作川のお釣り土場へ






矢作川のお釣り土場は自生の藪椿の宝庫





鮎自慢で賑わった名残り








行く河のながれは絶えずして 
しかも もとの水にあらず。









よどみに浮かぶうたかたは 
かつ消えかつ結びて 
久しくとどまりたる例なし。









世の中にある人とすみかと
またかくのごとし。


(方丈記)

  


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2009年12月25日

川喜田半泥子の陶芸は半泥子一代のもの











プロを魅了する半泥子とは
どんな人物なのか。



23日(水)岐阜県立現代陶芸美術館で開催されている
「川喜田半泥子のすべて」の最終日を見た

半泥子は
加藤唐九郎をはじめ名だたる陶芸家が畏敬した伝説的陶芸家で
今も半泥子を語ると熱くなる陶芸家をたくさん知っている
プロを魅了する半泥子とはどんな人物なのか





  「川喜田半泥子のすべて」の入場券


近代陶芸史に大きな足跡を残した川喜田半泥子(1878-1963)は
百五銀行の頭取など数々の企業の要職をこなした実業家

最後の大茶人として名を成した
実業家の「耳庵」松永安左ェ門(1975-1971)とは
三つ違いというから
ほぼ同時代の実業家ということになる

半泥子が
鈍翁益田孝(1848-1938)
原三渓(1868-1939)
松永耳庵などと決定的に違うのは
数寄者に飽き足りず
自ら本格的な作陶を始めたことで
それも50代半ばというから尋常ではない

現代で言えば
細川護熙元総理が陶芸の道に進んで話題になったが
細川さんの場合は晴耕雨読といった文人生活の延長上で
半泥子と同列に扱えば細川さんが恐縮するのは自明
(生き方の問題で上下の区別はないが)






  山の地形を生かした現代陶芸美術館の外観
  豊田から岐阜県立現代陶芸美術館へは、東海環状で30分ほど
  土岐多治見インターを出て多治見方面に






  駐車場から美術館へのアプローチ(お洒落!)






  岐阜県立現代陶芸美術館は
  美術館部門と世界の陶磁器文化の集積と交流を目的にした
  オリベスクエアの二つからなる複合施設




半泥子の陶芸は半泥子一代のもので
それ以外の言葉はみつからない。



半泥子の焼き物は
強い意志が働いているのに意志が見えない
造形が働いているのに造形が見えない
私なりに焼き物を見てきたつもりだが
そんな経験則は半泥子には何の役にもたたない

空気をやさしくつつむ存在感は他に比類がなく
驕った言い方になるが
半泥子の陶芸は半泥子一代のもので
それ以外の言葉はみつからない





  粉引茶碗 銘「雪の曙」 石水博物館蔵(図録より転載)



むろんこれは私の直観で
何の根拠もないが
同じ館内で開催されていた加藤孝造展を見て
直観は確信に変わった

加藤孝造は
織部賞を受賞した美濃の陶芸界を代表する陶芸家で
美濃の伝統を受け継ぐ最後の陶工として高く評価されている

どの作品もピュアで宝石のように輝いているが
半泥子を見たあとではみんな商品に見えてしまう
常設展の名だたる陶芸家の作品を見ても同様で
半泥子が今も多くの人に畏怖される理由が
なんとなくわかるような気がした






  志野茶碗 銘「赤不動」 東京国立近代美術館蔵(図録より転載)


なお、「川喜田半泥子のすべて」は
タイトルにあるように
陶芸のほか、建築、本画、書、写真、俳句など
多岐にわたる半泥子の仕事の全容が紹介されたが
長くなるため割愛した
ご容赦を  


Posted by かとうさとる at 00:45 | Comments(0) | アートの現在

2009年12月23日

豊田市美術館いまむかし











みんな山の学校とよんでいた



豊田市美術館が建っているのは

江戸時代に挙母藩の館があった場所で

七つの国が見渡せるところから七州台の愛称で親しまれてきた

明治41年9月

藩主の館跡に挙母町立挙母高等尋常小学校が移転

私が通った中小学校(現在の童子山小)の前身で

みんな山の学校とよんでいた






① 山の学校の愛称で親しまれていた中小学校

⑤の七州城図を重ねてみると

藩主の館跡に小学校が建っているだけで

江戸時代からほとんど変わっていないことがわかる

写真は昭和30年に撮影した人文字で

グランドは現在の美術館前庭として生かされている

左に隅櫓の石垣が見える

現在の隅櫓は昭和56年に再建されたもので

当時は蛇の巣があると言う噂で

みんな気味悪がって避けていた

左上は女学校と呼ばれていた豊田東高で

現在は移転して跡地利用が市民的関心事になっている

学校周囲の風景を見ると田んぼと畑ばかりで

私が農民作家と揶揄される理由がわかろうというもの(笑い)







② 山の学校のシンボルとなっていた大松。(昭和56年伐採)

野球をやっていた私たちワルガキにとって

大松を超えることは夢だったが

現実はエラーした球を探すのに必死で

それどころではなかった







③ 美術館の彫刻テラスから見た現在の市街地

①の写真と比較すると豊田市の変貌が一目瞭然







④ 中小学校のグランドを生かした美術館前庭

②の大松はこの前庭の中央正面の境界に聳えていた



いまむかしのキーワードは隅櫓






⑤ 挙母藩士の家に生まれた牧野敏太郎が描いた七州城図部分
(市指定文化財)

左上白く描かれているのが蓮池と呼ばれていた堀で

現在は美術館駐車場になっている

蓮池の右に隅櫓が見える







⑥ 昭和56年に再建された隅櫓

⑤の七州城図の隅櫓を目印にすると

現在の美術館の位置関係が理解いただけるのではないか



道祖神のように
道しるべになることを願って設置した
「すわらないで」







⑦ 道祖神のように道しるべになることを願って設置した私の作品

七州城図の右上

七州台の山と田んぼが接するあたりに設置した

私の作品「すわらないで」

遠方から電車できたお客さんを最初にお迎えするのが

この陶の巨大な座布団で

タイトルの「すわらないで」は

左の築山と対で「ごあいさつの」のつもりだが

みんな笑ってとりあってくれない

ちなみに、この作品は道祖神のように道しるべになれば

との思いから無銘にしたため

私の作品と知っている人は皆無。



平成7年(1995年)11月
豊田市美術館開館







⑧ 平成7年(1995年)11月豊田市美術館開館






⑨ 美術館の彫刻テラスから逆光の隅櫓を見る  


Posted by かとうさとる at 00:47 | Comments(3) | 美術・博物館+ギャラリー

2009年12月21日

まだ間に合う「近代の東アジアイメージ」


学芸員の学究魂に拍手

豊田市美術館で「近代の東アジアイメージ―日本近代美術はどうアジアを描いてきたか」後期展を見た。日本の近代美術を担った日本画家、洋画家さらには写真家たちがどのようにアジアをイメージしてきたか。107作家(ほぼオールスターで圧巻というより贅沢)約300点の作品で検証を試みたもので、内容については、芸術新潮12月号に詳しく掲載されているため省略するが、一目で「これはただごとではない」と背筋が伸びた。






豊田市美術館というと開館以来、東の水戸、西の豊田と称されるように、現代美術の発信拠点の一つとして知られているが、地方都市において、現代美術を定着させることは至難で、豊田においても例外ではない。「わかん!税金の無駄遣い!」の一言で、批判する市民も多い。こうした批判の矢面にたっているのが学芸員で、熱心なサポーターに支えられているが、私などキレなければいいがと心配するだけで、非力を痛感。

余談に逸れてしまったが、近代の東アジアイメージ」は、こうした豊田市美術館=現代美術という先入観をいい意味で覆すもので、一言で説明できないが、国立近代美術館や神奈川県立近代美術館の企画展を思い浮かべてもらえれば、理解いただけるのではないか。近代日本が脱亜入欧を目指した歴史と葛藤を、現存する作品の中から読み解き、明治の文人画や歴史画に端を発した第一章から、第八章の現代まで、見事なシンフォニーに書きあげた学芸員の学究魂に拍手。図録も労作で拍手。





図録より 高嶺格 Baby Insa-dong(2004年)



豊田市美術館の面目躍如と嬉しくなったのは第八章の現代編で、在日二世の恋人と結婚することになった作家(高嶺格)は、両国の間に深く横たわる在日問題の現実に直面。無関心という自分の闇に光を当てて希望につないでいく過程を、文章、写真、映像によって一室まるごと私小説に綴った。風のように自由でしなやかな思考と表現に、見ている私まで希望がわいてきた。もう一つ付け加えると第五章「カメラアイ」がお薦め。写真の時代といわれるが、木村伊兵衛、桑原甲子雄のモノクロムの写真をみているとその意味がよくわかる。これは見ての楽しみ。


と言っても時間がない。
「近代の東アジアイメージ」は
豊田市美術館で12月27日(日)まで!


  


Posted by かとうさとる at 05:56 | Comments(0) | アートの現在

2009年12月18日

YouTubeで「蓬平いけばなの家」の動画を公開


現代いけばなの醍醐味は
「いけこみ」という臨場感で必見。
美術とはまた一味違うライブ感を
YouTubeの動画で是非。






      妻有で陰翳礼讃を制作中の私。
      穴があったら入りたいが、参考までに。
      やはり削除します。御免!



YouTubeで「蓬平いけばなの家」を検索

YouTubeで、大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」のビデオを見た。写真家の尾越健一さんが撮影したもので、九人の作家の制作の舞台裏やWeekendイベント、お客さんとの会話など、いけばなの家の全容をドキュメントで編集。現代いけばなの醍醐味は「いけこみ」という制作の臨場感で、美術とはまた一味違うライブ感は、百聞は一見にしかず。是非お薦め。

  


Posted by かとうさとる at 01:44 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年12月16日

江戸東京博物館で「いけばな」の特別展


いけばな仲間の忘年会

14日(月)神田明神下神田川本店でいけばな仲間の忘年会があり、久しぶりに新幹線に乗った。いつもは浅草の羽子板市の時期にあわせて行っていたため、羽子板市を見るのを楽しみにしていたが少し残念。

それでもそこはいけばな仲間の忘年会。江戸東京博物館で開催中の特別展~歴史を彩る日本の美~「いけばな」を酒の肴(?)に盛り上がった。


先ずは上野の森の西郷さんにごあいさつ





私の常宿は、上野駅前のサウナに併設されたカプセルホテルで、侘しいが深夜の飛び込みOKで気軽。で早朝ホテル(?)をそっと出て上野の森を散歩。上野といえば先ずは西郷さんにごあいさつをしなければ。おはようございます。






次に徳川家の菩提寺寛永寺にお参り。
寄進された灯篭の存在感に歴史の重みを実感。






五重塔(重要文化財)
 





不忍池


西郷さんにごあいさつしたあとは
大江戸線で両国の江戸東京博物館へ
お目当てはもちろん
「いけばな」の特別展






入場券売り場で、「65歳以上の方は半額ですが」と受付嬢。一瞬ムッ!としたが半額はお得。ありがとう。






江戸東京博物館NEWS。
企画展の内容や研究成果が簡潔で読みやすくお薦め。






江戸東京博物館の展示ディスプレー。立体教科書をみるような花のお江戸のディスプレーは、モダンな見世物小屋に入ったようで痛快。



特別展「いけばな」
~歴史を彩る日本の美~


日本人にとって花は季節の先触れとして、古くから霊的な存在として親しまれてきた。また花は自然美を象徴するものとして、日本人の美意識を育み、美を生活そのものとする日本文化の深層を今も流れ続けている。こうした日本人の花との関わりは、いけばなという独自の様式を生みだした。

本展は、サブタイトルに~歴史を彩る日本の美~とあるように、こうしたいけばながたどってきた歴史や文化的背景を、花伝書や立花図、花を楽しむ情景を描いた絵巻、屏風などを中心に紹介するもので、必見。

本展の内容は
プロローグ いけばなの源流。
第一章 いけばなの成立
第二章 豪華になるいけばな
第三章 流派の誕生といけばなの大流行
第四章 はなの器
エピローグ いけばなの近現代と広がり
で構成。

いけばな仲間の忘年会で話題になったように、現代のいけばなの研究成果からみると、池坊に偏った監修で不満も残るが、重要文化財の立花図屏風や花伝書の原本が、これだけまとまって紹介されるのは画期的。生活を美に高めた日本文化の典型として、いけばなにスポットがあてられたことを素直に喜びたい。




特別展「いけばな」~歴史を彩る日本の美~のチラシ


本展の会期は
2010年1月17日(日)まで。

各流派による今後の作品展示は
12月18日(金)~20日(日) 
龍生派 吉村華泉
2010年1月2日(土)~4日(月) 
一葉式いけばな 粕谷明弘
2010年1月9日(土)~11日(月・祝) 
小原流 小原宏貴
2010年1月15日(金)~17日(月) 
清風瓶華 早川尚洞




  


Posted by かとうさとる at 06:10 | Comments(0) | いけばなから

2009年12月13日

卓上オリジナルカレンダーのプレゼント


2010版卓上オリジナルカレンダーを
先着10人の方にプレゼントします。


希望される方は
住所、氏名、メール等連絡方法を
下記のメールアドレスに入れてください。


ikebanakato@yahoo.co.jp





卓上カレンダーの見本














それでは風邪などひかないように。


  


Posted by かとうさとる at 02:27 | Comments(0) | らくがき帖

2009年12月12日

大根の漬物に挑戦


猿投山の麓は果樹や野菜づくりが盛んで
大根や白菜の出荷が盛期を迎えた


昨年、春陽会の宮川先生においしい沢庵をいただいた。何でも柿の葉で漬けたとのことで、大根が出回るのを楽しみに待った。ところがほとんどが青首大根で、昔ながらの漬物用の大根を作っている農家が見つからない。過日、ようやくこの大根を作っているおじいさんを見つけて車を止めた。





大根畑で腰を曲げているおじいさんを見つけてごあいさつ

「大根分けてもらえる(?)」と私。
「いいよ、どのぐらいいるねぇ」とおじいさん。

「(束にした大根を見て)一束」と私。
「わかった。いいのを抜いてあげるわ」とおじいさん。

「いくら(?)」と私。
「うーん、150円くれるかん」とおじいさん。

「そんな安くていいの」と私。
「じゃ200円くれるかん」とおじいさん。

「ところでどのくらい干したらいい(?)」と私。
「直角に曲がるぐらい柔らかくなったらいい」とおじいさん。





これで200円!
今日はこれまで


  


Posted by かとうさとる at 00:19 | Comments(1) | らくがき帖

2009年12月11日

猿投山のビューポイントを発見


「秋の日はつるべおとし」というが
人生の秋もまたつるべおとしで
気がついたら年の瀬も残すところわずか。


12月10日(木)晴
習慣というのは怖ろしいものだ


今日は(?)デスクワークの手を休めて、農村舞台の調査のため車を走らせた。豊田市の面積は広大で県内の約2割を占め、しかもその内の7割が三河山地の山林というから大変。自慢ではないが私は土地カンがいいため、ナビがなくても道に迷ったことがない。もちろん妻有でも迷ったことがない。そんな地理に明るいはずの私が、庭のように思ってきた猿投山のビューポイントを見落としていたとは。






正面の山が猿投山。日本の焼き物の歴史はこの山の西南麓からはじまった。


猿投棒の手会館の前の県道の坂を東に数100メートル下ると、狭間の左手正面に猿投山が見える。当然のように狭間は湿地になっていて、奥に入ると見事な山躑躅の群落がある。私の「花」の秘密基地で、何かがあったときは内緒で切らしてもらっている。問題のビューポイントは、この狭間の湿地を水源とする溜め池で、溜め池マニアの私としては二重の迂闊。






写真の正面の白いガードレールがいつも通る県道で、何十年とこの道を通っていたのに、溜め池があることに気がつかなかった。行きも帰りも猿投山しか見ていなかったためで、習慣というのは怖ろしいものだ。

(追記)
長い間、溜め池の存在に気がつかなかった理由がわかった。地元の人に話を聞くと、白く露出している箇所は、数年前まで雑木林だったとのことで納得。伐採した後は紅葉の苗木が植林されていて、湖畔の紅葉と猿投山の景観は想像するだけでも楽しい。その頃には私の「花」も晩熟しているだろうか。楽しいような、侘しいような複雑系でわからない。






湖畔のクヌギを見上げると風もなく年の瀬ということを忘れそう。






足元でざわざわと枯れ葉の音がした。
こんな風にして今年も過ぎていくのだろうか。  


Posted by かとうさとる at 02:10 | Comments(1) | とよた風土記

2009年12月09日

12月8日 今日も小春日和


矢作川の河床が
どのくらい下がったのか
この目で見てきた






矢作川に架かる東名高速の橋脚。河床から1メートル以上埋まっているはずのケーソンが露出し、補強されているのがわかる。目測だが、東名の開通から40年で、4m近く下がったことになる。何年前か失念したが、この橋の上流で河床が下がったため縄文時代の河岸林が発見され、話題になったが、全国各地の河川で同じ問題が起きているのではないか。(岡崎)





手前は名鉄本線の鉄橋。後方の工事中の橋は、秀吉が日吉丸といった当時、野武士の蜂須賀小六と出会ったという国道1号線の矢作橋。ここでもケーソンが大きく露出しているのがわかる。(岡崎)


今日も小春日和





西三河最古の寺院遺跡、国指定の北野廃寺に初めて立ち寄った。(岡崎)





鏡のような明治用水ダム湖。対岸は旧堤の遺構。(豊田)

  


Posted by かとうさとる at 01:58 | Comments(0) | らくがき帖

2009年12月08日

今頃気が付いているようでは遅いが


命日は志の引き継で死亡記念日ではない

6日の日曜日、親父の7回忌と祖母の33回忌の法要で、檀家寺(土橋の法雲寺)の住職が面白い話をした。法然上人は死に際して弟子にお墓は不要と諭し、法弟子の親鸞上人はさらに過激で、「賀茂川に散骨してもいい」と諭したそうだ。

つまり、死は単なる肉体の消滅に過ぎず、二人の生命(思想)は永遠に生き続けているということを言外に諭したもので、まさに強烈なリアリズムに目から鱗。このあと住職は、「命日というのは親から子へ、子から孫へ志として生き続けるもので、死亡記念日ではない」と結んだ。





法要が済んだあと、夜の演劇まで時間があるため、近場の初冬を探しに車を走らせた。写真は廃線になった名鉄三河線の鉄橋。「もの」は消滅するときノスタルジーという共感に代わる。


白状すれば、私は法事でもない限り、両親のお墓に足を運んだことがない。その法事も連絡がない限り気にかけたこともない。矛盾するが、そのことをいつも心のどこかで気にかけてきた。世法即仏法を方便に使うのは余りにも調子がいいが、住職の話を聞いて、少し救われた気がした。





私が密かに南天街道とよんでいる旧足助町の県道脇の南天。
グリーファーム(栗園)の土止めとして植えられたもので、全山南天に染まる。



本題は、その夜見た地元の劇団の
創立10周年記念「夏の夜の夢」のことである


話が抹香くさくなって恐縮だが、本題は、その夜見た地元の劇団の創立10周年記念「夏の夜の夢」のことである。内容はシェクスピアの代表作で説明不要のため省くが、数十年にわたって当地の演劇活動を牽引してきたベテランが裏に回り、満を持しての挑戦で、関係者の意気込みがひしひしと伝わってきた。ところが私の中で響かない。なぜ響かないのか。舞台の半分ぐらいはそんな自分と自問自答を繰り返した。





南天はガジュマルの幹のように野生化して、私など鋏を抑えるのに必死。(コラ!花泥棒)


今頃気が付いているようでは遅いが
あわてない、あわてない


答えは意外なところにあった。私がいけばなを通して求めているのは、生きる証しとしてのリアリズム(同時代性)で、私が演劇を見たり、いろんな「こと」に進んで関わるのは、その手がかりを求めているからに他ならない、ということに思い至った。

住職の話に響いたのも、「今に生きるリアリズム」で、前述した演劇が響かなかったのも同じ理由。自分はリアリストと、今頃気が付いているようでは遅いが、千里の道も一歩から、あわてない、あわてない。

  


Posted by かとうさとる at 00:19 | Comments(0) | らくがき帖

2009年12月05日

山茶花梅雨もあがり空には虹が



昨夜は行きつけの店に車をおいてきたため
バスと電車を乗り継いで迷惑をかけた山路へ





家を出ると昨夜来の山茶花梅雨で雑木林もしっとり





豊田市駅に着くと雨もあがり
東の空にはきれいな虹がかかっていた


  


Posted by かとうさとる at 20:46 | Comments(0) | らくがき帖

2009年12月04日

大地の芸術祭から見えたもの(最終原稿)


津南のカサブランカ

大地の芸術祭秋版搬出の帰路、津南観光物産会館でカサブランカを土産にした。6本で千円。ワケアリということだが、街のカサブランカよりはるかにモノがいい。ちなみに楽天市場で調べてみたら津南のカサブランカはブランドということで納得。








開花したカサブランカをいろんなところに挿しているが追い付かない。
千円でこんな贅沢ができるのも大地の芸術祭のおかげ。(感謝)



総括を急がなければ

NHKの「SONGS」井上陽水最終夜を見た。陽水は寺山修司と並んで自由詩で三本の指に入る詩人と思っているが、テロップで流れる文字を追いながら、その秘密の一端が覗き見えたような気がした。

陽水は歌で連句の歌仙を巻いている。一人で詠んで一人で捌いている。それも並の捌き手ではない。昔、雑誌で「飲んだあとはみんなで連句をして遊ぶ」というような記事を読んだことを思い出した。無意識のうちに連句の世界に遊んでいる。でないと、あんな世界は生まれるはずがない。

大地の芸術祭の総括をしなければ、と心の準備をしていたが、井上陽水を聴いてしまったため、また時が過ぎてしまった。大地の芸術祭の賞味期限が切れかかっている証拠で、総括を急がなければ扉が閉まってしまう。





長野道の豊田飯山インターから十日町市まで、国道117号線で約1時間。
遊び心のある人は旧道をスローライフで行くことをお薦め。
写真は長野と新潟の県境付近の旧道。




こんな時は単純明快が一番
朝日新聞大西若人氏の記事を再考


こんな時は単純明快が一番。宿題になっていた朝日新聞の大西若人氏の記事を再考して、総括に代えたい。

問題の記事は、8月3日(月)朝日新聞の文化欄に、「大地舞台に現代アート」のタイトルで掲載された。一言で言えば大西若人氏の事業評価で、大地の芸術祭の評価と新たな歴史を紡ぐための課題を明らかにした。

若人氏の事業評価は、世界にも類のない「妻有ブランドの確立」というもので、これは40万人の人が不便を承知で越後妻有を訪れたことが証明しているため省略。問題は課題で、指摘の箇所を以下全文転載する。





私が最も衝撃を受けた向井山朋子さんのインスタレーション。(作品№12旧飛渡第二小学校)
「妻有ブランド」はこの1点で納得。(デジカメでは撮影不可のため天井部分を参考に掲載)
この作品については、大西氏も「1万着以上の白いドレスをつった胎内巡りのような空間で、
女性の「生」をテーマにして、激しさと安らぎを感じさせた」と記した。



妻有型の意味

大地の芸術祭の課題について、大西氏は「魅力の維持が鍵」として、【北川さんが今回唱える「グローバル化ですべてが均質になるなか、人と違うことをしてほめられるのが、現代アート」という言葉も効果的で、内外のメディアの注目度も高まる一方だ。しかし「安定」は、表現の源のひとつともいえる、飢餓感や批判性とは距離がある。自然や人々と接して心を動かされるのは当然としても、「妻有型」といった作品化のスタイル化が現われているとしたら、寂しい。】と記したあと、美術の魅力を失わないままどう着陸させるか。そのヒントとして前述した向井山朋子と塩田千春の作品を紹介した。

この指摘は、妻有ブランドが確立した今、新たな歴史を紡ぐ取組みの重要性を説いたもので、【北川さんは、妻有について「展覧会の仕組みや展示数も含めて再考すべきとき」と語り、今後は少数精鋭の展示を試みる可能性も示唆した。】と末尾に続けた。

妻有型の意味は、もう説明不要。文面をそのまま忖度してほしい。
(オイオイ乱暴になってきたゾ!)





インターローカルアートネットワークセンターは、大地の芸術祭をはじめとする世界のアートプロジェクトの事例を収集するアーカイヴだが、展示、ディスプレーに川俣正の眼が行き届いていて、プロジェクトを追体験しながら世界のアートを学ぶことができる。私は農舞台とセットで、大地の芸術祭の博物館が誕生したと高く評価しているが、余り話題になっていないようで不思議。導入のディスプレーはお洒落でさすが川俣とうなってしまった。いつか雪に埋もれた季節に再訪したいものだ。(作品№198松代生涯学習センター2F/旧清水小学校)


バレエの森下洋子は「一日稽古を休むと自分にわかり、二日休むと仲間にわかり、三日休むとお客さんにわかる」と日々の稽古の重要性を説いたが、大地の芸術祭は森下洋子がいうところの三日を超えて四日目(四回)を迎えた。大地の芸術祭に「希望の創造」というこの国の未来が託された以上、妻有型という甘えはもはや通用しない。妻有ブランドの対価で、いやならやめればいい。(乱暴な結論で恥ずかしいがご容赦を)


最後に大地の芸術祭について
感じたことを記して終わりたい






大地の芸術祭は自分さがしのひとり旅(蓬平いけばなの家)



大地の芸術祭は当初予定の3回が終わり、「アートによる地域おこし」という当初の目的を達成。実行委員会も直接関わる地元自治体や団体と昨年設立されたNPO法人に運営の主導権が移項した。今回はその再スタートの第1回ということで、一部に心配する向きもあったが、国民的関心事となり、観客数40万人という大成功を収めたのは、これまでも繰り返して述べてきたとおりである。

ポスト北川フラム、全国に蔓延した大地の芸術祭現象(真似)など心配がなくなったわけではないが、ここでは触れない。大事の前の小事で、みんなが頑張っているときに、後ろから石を投げるようなことはしてはいけない、と戒めているからである。

最後に、前述したように大西氏は「妻有ブランドの確立」と事業評価を下したが、私は短い期間だったが、現地に滞在し、多くの人と交わる中で、「妻有はアートの聖地」になった、と確信した。数多国際展がある中で、アートをめぐり、人とひとがふれあい、「ヘンなの!」と言ってみんなで笑い、勇気をもらえる一期一会の国際展が他にあるだろうか。私が大地の芸術祭に惹かれるのもこのためで、創造の現場に少しでも関われた幸運を感謝している。

支離滅裂な原稿になってしまったが
これで私の大地の芸術祭の報告を終えたい。
ここまでお付き合いいただいた皆さんに深謝!









  


Posted by かとうさとる at 01:24 | Comments(1) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年12月02日

いま、テレビドラマ「JIN-仁-」に嵌まっている



タイムスリップそのものを
サスペンスの隠し味にしてしまうから上手い



いま、珍しくテレビドラマ
「JIN-仁-」に嵌まっている

このドラマは
南方仁(大沢たかお)という脳外科医が
ある日突然
幕末の江戸へタイムスリップ

満足な医療道具もない中
人々の命を救い
さらには坂本龍馬(内野聖陽)
勝海舟(小日向文世)
緒方洪庵(武田鉄矢)らと交流を深め
歴史の渦の中に巻きこまれていく-


普通この手のドラマは
筋立てに無理があり
見るに堪えないものが多いが
このドラマはタイムスリップそのものを
サスペンスの隠し味にしてしまうから上手い

脳外科医が主役ということで
当然のように医療シーンが多いが
科学的で紛れがない

登場人物も一人ひとりがよく練られていて
物語の展開が分かり易く
いつも一気に見てしまう


私はこれまで
コミックの原作というものに
偏見をもっていたが
何年にも渡って読者に磨かれていく
コミック作家の構成力を
見落としていたらしい

内野聖陽演じる坂本龍馬は
龍馬の肖像写真から
飛び出してきたようなリアリティで
来年の大河ドラマの龍馬役は大変だ



映画「ひまわり」を彷彿させるテーマ音楽

何よりもいいのがストーリーの間に
繰り返して挿入されるテーマ音楽で
美しくてもの哀しい旋律は
ソフィア・ローレンが主演した
映画「ひまわり」を彷彿させる

重厚な歴史スペクタクルは、
ヒューマンラブストーリーに代わり
胸がしめつけられるようで
オジサンは困ってしまう


「JIN-仁-」は

毎週日曜日午後9時から
TBS系で放映中


  


Posted by かとうさとる at 02:02 | Comments(1) | らくがき帖

2009年12月01日

豊川稲荷に楳図かずおも真っ青な資料館があった





其のⅠ 
豊川と言えば
何をさておいても天下のお稲荷さんに
お参りしなければ




28日(土)、農村舞台をテーマにした準備会が、仕切り役の八木市議会議長が公務で早く終わったため、当ブログでも紹介した「境界なきアート展」のシンポジウムを聴くため、豊川市桜ケ丘ミュージアムに急いだ。






先ずはお稲荷さんにごあいさつ。写真は豊川稲荷の総門。







豊川稲荷は日本三大稲荷として余りにも有名のため説明はパス。同じ三河のため豊川には何度もきたことがあるが、境内に足を踏み入れたのは初めて(罰あたり!)。受付で尋ねると、大小90余の堂塔伽藍を数えるというから、さすが天下のお稲荷さんだ。写真の正面がお稲荷さんの本殿。







レトロな雰囲気がただようお稲荷さんの表参道。稲荷ずしが美味そうだがお客さんがいない。おばさんに聞くと「夕方はこんなもの」と苦笑していたが、どこも大変なんだ。




其のⅡ 
シンポジウムは
予定調和にしないことが成功の秘訣




桜ケ丘ミュージアムに到着すると、既に三頭谷鷹史さんの基調講演が始まっていた。一番後ろの空いている椅子に座り、右、左、前と見渡して思わず笑ってしまった。豊田では絶対集まらない濃いキャラばかりで、この展覧会の特異性を象徴していると思ったからである。笑ったのは、自分は違うと思っているが他人から見れば同類という意味で、誤解のないように。

シンポジウムの内容は長くなるため割愛するが、三番目にマイクを握った岡本信也さんの「シンポジウムの意味がわからない」というアイロニーを交えたトークで講義のような空気が一変。司会の鈴木敏春さんが「時間がオーバーしているから」と制するまでヒートアップ。シンポジウムは予定調和にしないことが成功の秘訣らしい。いいことを一つ学んだ。

さて、境界なきアート展は、障害者(人間の尊厳に配慮した言葉が必要)の作品を通して、アートとは何かを問うもの、と勝手に想像していたが、とんでもない。自由な発想と研ぎ澄まされた感受性が昇華した作品群は、アートの本質である人間の尊厳とは何か。健常者に問いかけているようで、思わず衣を正してしまった。企画に賛同して出品したアーティストの作品も濁りがなく、気持ちがいい。

会期は12月19日まで
会場は豊川市桜ケ丘ミュージアム
問合せは☎0533-85-3775




其のⅢ 
楳図かずおも真っ青!
サミゾチカラコレクション
「看板と広告の資料館」


シンポジウムが終わったあと、同じシンポジウムにきていた地元在住の花仲間の戸苅幹晴さんから「さとるさん、面白い人を紹介するから」と誘われた。サミゾさんと呼ばれたその人は、なんとなく難しそう。(自分のことを棚にあげてよく言うと思うが)、そんな訳で、見かけによらず人見知りする(?)私は、挨拶もそこそこに戸苅さんのワゴンに乗った。







豊川稲荷から5分ほどで「着いたよ」と戸苅さん。
「何!これ」と私。
楳図かずおも真っ青!







サミゾチカラコレクションは、佐溝さんが青年時代から40余年にわたって集めたホーロー看板や日本の広告史を飾った小道具など約2万点を収蔵したもので、報道ステーションなどメディアでたびたび紹介されているとのことで納得したが、家の中に入ってさらにびっくり。







どの部屋も懐かしい看板や小道具、資料で足の置場もないほど。
どこで寝ているのか心配になって、思わず「寝るところはあるの」と私。
「僕は一人者だから」と佐溝さん。(納得)







サミゾチカラコレクション「看板と広告の資料館」のオーナー佐溝力さん。気さくな方でひと安心。何でもコレクションの看板を野外展に出品したところ、「ゴミと間違えられた」と大笑い。そういえばいけばなの野外展もゴミとよく間違えられたから、気持ちはよくわかる。(ハハハ)




サミゾチカラコレクションの問合せは
〒442-0809 愛知県豊川市大橋町3-39
電話・FAXとも 0563-84-4403
  


Posted by かとうさとる at 01:20 | Comments(0) | らくがき帖