2012年01月31日

とよたアウトナウ・舞台をかえた表現者たち














幻のアートと物産のコラボ展


昔、作家仲間で「一都市一作家選抜展ができたら面白いよね」と酒の肴にしたことがある。軽い冗談で言ったつもりだったが「作家だけでは面白くない、一緒に土産物を展示したらどうか」「あいつはいい、こいつはダメ」と、みんな言いたい放題。

基準はキャラ(オリジナリティ)が立っているか否かといういい加減なものだが、無責任な話題ほど楽しいものはない。名前は差し障りがあるため伏せるが、下手な展覧会よりも結構いい面子が揃ったから瓢箪から駒。もし実現していれば、アートと物産品がコラボしたユニークな都市対抗選抜戦が見られたのに残念。

問題は地元の豊田で、「和をもって尊としとなす」企業風土が影響しているのか、キャラ(毒素)の立った作家が見当たらず、肩身の狭い(?)思いをしたことを昨日のことのように覚えている。



豊田市美術館でとよたアートナウ


こんな自虐ネタを思い出したのは
とよたアートナウ「舞台をかえた表現者たち」の案内を見て
隔世の感を強くしたからである。







「舞台をかえた表現者たち」は先の農村舞台アートプロジェクトで
有形民俗文化財の農村舞台に新たな生命を与えた作家たちという意味




出品者は次の9人で
キャラは農村舞台アートプロジェクト
リレー個展で折り紙つき









■青山吉博さん(写真)と青山啓子さん(絵画)
写真は小原地区松名町蘆和神社農村舞台リレー個展









■石田真典さん(写真)
写真は国指定の杉本の貞観杉(上)と
旭地区杉本町神明神社農村舞台リレー個展







■市川明徳さん(書)
写真は旭地区榊野町野見神社農村舞台リレー個展







■稲垣陽子さん(造形)
写真は小原地区小原田代町八幡神社農村舞台リレー個展







■加納恒さん(造形)と加納茂登美さん(小原和紙)
写真は小原地区大坂町熊野神社農村舞台リレー個展







■柴田周夫さん(造形)
写真は松平地区六所神社農村舞台リレー個展







■本多晋一郎さん(彫刻)
写真は下山地区小松野町日月神社農村舞台リレー個展




会期と会場は

期間⇒2012年2月7日(火)~12日(日)

会場⇒豊田市美術館市民ギャラリー

問合せ⇒(公財)豊田市文化振興財団文化事業課☎0565-31-8804


  


Posted by かとうさとる at 21:40 | Comments(0) | アートの現在

2012年01月29日

風景の記憶












私たちは体験をとおして
季節の移り変わりを覚えた







遠く正面に見えるのが恵那山(猿投井上運動公園)


お祖母さんの野良仕事を手伝っていた頃
遠くに眺めた白銀に輝く恵那山は
秋が終わってまもなく冬がくる合図のようなもの

あれから60年近い歳月が流れた
いまも、銀嶺の恵那山を見るたびに
遠い記憶が蘇えってくるようで胸がしめつけられる



恵那山のビューポイントといえば
私が通った小学校から
眺めた恵那山は格別だった




♪矢作の川を下に見て
影勇ましくそびえけん
城跡童子の山嶺は
我が学舎の庭なるぞ♪

と、校歌に詠われたように
七つの国が一望に見渡せることから七州台と呼ばれた高台で
時が流れて小学校は豊田市美術館に代ってしまったが
景勝の地であることは今も昔も変わっていない







写真は昭和30年に空撮した中小学校の人文字
(現在の童子山小学校で美術館建設に伴って移転)
前から三校舎が小学校で後ろに見えるのは移転した旧豊田東高校
左に白く見えるのは復元される前の七州城隅櫓の石垣
左手前の畑とグランドの境の細い道が美術館のアプローチ
グランドはそのまま美術館の前庭に生かされるなど
豊田市美術館は高低差のあるこの地形を生かして建てられているため
愛着もひとしお








上の空撮写真に重ねると
池(地下は収蔵庫)は手前から二つの校舎の左半分にあたり
松林は往時のまま







左は漆の高橋節郎記念館
同じように空撮写真を重ねると
三つ目の校舎の後ろ右半分にあたる







高橋節郎記念館の休憩スポット
新緑の頃ここから眺める美しさは
豊田市美術館で最も癒やされる空間の一つ
写真は美術館図録より転載







陶のオブジェは私の好きな金子潤の「だんご」




で、ここがビューポイント
のはずだったが…







下に見えた矢作川も
遠くに続いていた恵那山も
どこに消えてしまったのか
複雑系で説明不可




最後に今日の紙面から







中日新聞の「ニュースを問う」は
2年前愛知県豊川市で起きた家族5人殺傷事件のその後を報じたもので
記者は公判の全てを傍聴

被告が抱える自閉と知的障害に対する理解が少しでもあれば
避けられたかも知れないと事件の背景をテキストに
現代社会が抱える問題点を指摘
地に着いた取材記事で拍手(パチパチパチ)







こちらはJR西日本前社長の刑事裁判で
無罪になった背景のカラクリを弁護士の立場から
わかりやすく解説したもので目から鱗








  


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2012年01月26日

今年も紅梅前線到着













あなたは
「豊田郷土を知る会」を
御存じですか



市内で郷土史のグループと言えば市井の郷土史家
故若子旭さんがよびかけて設立された豊田市郷土史研究会が
よく知られている

毎年紀要を発行するアカデミックな郷土史研究会には
足元にも及ばないが「豊田郷土を知る会」もそんなグループの
一つに数えてもいいのではないか

今日その「豊田郷土を知る会」の総会があり出席した
人数の少なさは慣れているがレジュメを見てびっくり
新役員の末席に広報・記録担当として私の名前が

要は私に「会報を発行してほしい」とのことだと思うが
「みなさんよろしいでしょうか」「異議なし」「異議なし」
余分なことを言ってもみっともないため
私もハハハと笑ってオシマイ

メンバーは小・中・高校の元校長や、元郷土資料館長など
キャリアを聞くと少し敷居が高いように思う方もいるかも知れないが
みんな気さくでいい人たちばかり

出入り自由のゆるい会で気楽なもの
あなたも郷土を知る会に入りませんか
ご連絡をお待ちしています




平芝公園に紅梅前線到着






平芝公園で紅梅の蕾がはんなりと彩づいた
見ごろは例年並みの2月中旬から下旬になるのではないか






剪定された梅の枝
話を聞くとゴミ処理場で燃やされてしまうとのこと








数枝拾って家に持ち帰り居間に活けたが
もったいない

■花⇒紅梅・白梅・蠟梅・椿
■器⇒猿投窯山田和俊焼〆め


  


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2012年01月24日

今日は公園デビューの予行演習







BSシネマ~心のビタミン邦画珠玉作~
「かもめ食堂」を見た


主人公はフィンランドで小さな食堂を営む日本女性サチエと
店に集う一風変わった人々との温かい交流を描いたもの







画面は主人公のサチエを演じた小林聡美







画面右ははトリプル主役のミドリを演じた片桐はいり
左はマサコを演じたもたいまさこ

詳しい感想は省くがタレント映画が氾濫するなかで
このキャスティングをした監督(萩上直子)の勇気と良心
監督の起用に応えたトリプル主役の三人に拍手(パチパチ)




今日の本題はこちら
県緑化センターで
公園デビューの予行演習






豊田市の風景について今から100年ほど前
ロンドンで霧の画家として名声を博した
牧野義雄は著書のなかで次のように書いている







牧野義雄「ピカデリー・サーカスの夜景」(豊田市美術館所蔵作品展図録より転載)


「私の生れ故郷は、日本の擧母です
三河地方のそれはそれは小さな山村の村です
それで、あたりの景色はとても美しいのに
擧母を通りかかる旅人にしても草鞋を脱ごうとしません

魅力的な景勝の地にこと欠かない日本では
私の故郷などものの数にも入りません
それでももし仮に
英国か米国に擧母が置かれていると仮定してみましょう
美しい擧母の景色ゆえに、きっと有名になったはずです

何といっても自分の生れ故郷です
それだけで、私は私なりに擧母を誇りに思っております」






雲海のような雪柳と桜のグラデーション(県緑化センターで昨年3月末撮影)


県緑化センターを紹介するのに牧野義雄から入ったのは
足助の香嵐渓や小原の四季桜など魅力的な景観スポットに
こと欠かない豊田市の中で、県緑化センターが牧野義雄が紹介した
「擧母」と同じように過少評価されているのではと
常々感じていたからだが、少し回りくどかったかも







県緑化センターは、県政100年を記念して
市内藤岡地区西中山町に建設された広大な自然公園で
昭和天皇在位50年を記念して建設された昭和の森に続く
ロケーションとスケール感は利用しなければもったいない







蠟梅が見ごろ







木瓜はごらんのようにまだ真珠の玉のよう

公園デビューはまだまだ先
やることをしなければ



  


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2012年01月19日

奥三河の「花祭り」考(3)











蠟梅を居間に挿して春を待つ






花⇒蠟梅、薔薇
器⇒中島将夫「高麗青磁」
版画⇒国島征二
写真⇒石田真典





名大野依記念交流会館で
奥三河の「花祭り」の伝承を考える
シンポジウム



■シンポジウムの開催経緯と内容⇒下の朝日新聞記事を参照
■とき⇒1月21日(土)・22日(日)
■会場⇒名古屋大学野依記念学術交流会館(名古屋市千種区)
■参加⇒無料
■参加方法⇒メール(hanamatsuri@lit.nagoya-u.ac.jp)か
実行委員会(052-747-6770=電話とファックス共通)で申込み






記事の中で、佐々木名古屋大学准教授は「花祭りのような無形文化財を映像に残す場合『何が花祭りの本質なのか』という議論を避けて通れない」と語っているが、神事と芸能が未分化で混在する花祭りの本質を探ることは、日本人の深層を流れる民俗の精神的源流を探ることで、過疎化で存続が危ぶまれている今がラストチャンス。

本件とは別に、この花祭りの全貌を記録した展覧会が、いま、三州瓦で知られる「高浜市やきものの里かわら美術館」で開催されている。




高浜市かわら美術館で
花祭りの全貌を記録した
民俗写真の先駆者芳賀日出男の
ドキュメンタリー写真を初公開







芳賀日出男は折口信夫に民俗学を学んだ民俗写真の先駆者

本展はこの芳賀日出男の代表作「花祭り」の組写真をとおして
国の重要無形民俗文化財「花祭り」の本質を探るというもので
ユネスコの世界無形文化遺産に向けた運動を後押しする展覧会として
関係者の注目を集めている  

■会期⇒2月12日(日)
■会場⇒高浜市やきものの里かわら美術館
■芳賀日出男講演会
-写真家芳賀日出男の活動の軌跡と花祭りについて-
2月5日(日)14:00~16:00/入場無料








榊鬼の反閇の舞
愛知県北設楽郡東栄町月(1969年)かわら美術館所蔵作品パンフより転載








せいどの若者たち
愛知県北設楽郡東栄町月(1969年)かわら美術館所蔵作品パンフより転載




組写真は60年から70年代のはじめにかけて記録したもので
集落の風習として連綿と営まれる花祭りの原風景を知る
貴重な学術資料で必見!








山より里に降りてくる榊鬼
愛知県北設楽郡東栄町月(1971年)かわら美術館所蔵作品パンフより転載







民家を巡り、疫神を祓う榊鬼
愛知県北設楽郡東栄町月(1972年)かわら美術館所蔵作品パンフより転載




かわら美術館のアクセス







(問合せ)
高浜市やきものの里かわら美術館
☎0566-52-3366
http://www.takahama-kawara-museum.com/




  


Posted by かとうさとる at 22:18 | Comments(0) | らくがき帖

2012年01月18日

新聞は私の生活の一部のようなもの













フォト彩事記





写真の正面に白く見えるのは枯れた松
去年の今頃だったと思うがこの松の梢に
白鳥が一羽とまっていた






主のいない湖面は時間が静止してしまったよう





ここは読む力(複眼力)を
鍛えるしかない



私は根っからのドラゴンズファンで
当然のように新聞も中日と決まっていたが
気がついたら朝日新聞に代わっていた
決めたのは2年前に亡くなった妻で
私の朝日歴はかれこれ30年近くなる

そんな訳で私の1日は朝日新聞に目を通すことからはじまる
夜は夜で「社会の出来ごと」「文化」「生活」「地域」「医療福祉」
「連載もの」「ハウツウ」などなどジャンル別にスクラップ

もうひとつの日課は行き付けのニューズウィークで
中日、毎日、読売、日経、スポーツ紙などに目を通し
気になった記事がある場合はコンビニで買ってスクラップすること
だから新聞は私の生活の一部のようなものと言ってもいい

たかがスクラップとみんなは笑うがスクラップという作業を通して
記憶の手がかりが残るから人間の五感というのは不思議なもの

問題はこのスクラップが意外と難儀で
スクラップを習慣にしている私でも1週間溜まったらアウト

もう一つの問題は
中枢記事に恣意的と思われる編集が入りはじめたことだが
考えて見れば新聞は記者という人材が全てで
そういう意味では最も高コストの企業ということになる
そこには経営上のジレンマが出るのは当然

ここは読む力(複眼力)を鍛えるしかない



前置きが長くなったが
簡単に12日の紙面から







村上隆はニューヨークのオークションで生存する作家としては
当時の為替レートで約16億円という最高額で落札されるなど
今世界に最も影響力のあるアーティストの一人
そんな村上隆がオピニオンのインタビューで登場したから目から鱗

取材した記者の
《「思いの丈を全身全霊で作品に表現している」。五百羅漢図に取り組む村上さんは、倉庫を改造した巨大なアトリエ狭しと駆け回っていた。政府の震災対応や日本のアート状況に対し、憤りも口にした。怒りをエネルギーにするかのようにブルドーザーのごとく前へ前へ進む。熱く、圧力さえ感じさせる生き方に圧倒された。》とう感想が全て

難しい話をしなくても難解と敬遠されるアートの現在と
この国の構造矛盾と勉強不足が一度に分かってしまう
タイムリーヒットで記者に拍手







「記者有論」は朝日の記者版「多事争論」

記者は年末年始商戦の「絆」の氾濫について問題提起しているが
「絆」の氾濫の根は商業モラルの問題ではなく
村上隆の憤りと根底で重なるためセットでお薦め


  


Posted by かとうさとる at 02:35 | Comments(0) | らくがき帖

2012年01月16日

世界に広がる付け句の輪




気分転換に
正月の残り花を寄せ集めて遊ぶ



いけばなは植物と遊ぶ術と言った人がいるが
下手でも楽しいから術まで入ったら
どんなに気持ちがいいことか






花⇒柳、松、蠟梅、木瓜、南天、藪椿、千両
カサブランカ、アンスリウム、グロリオ―サ
器⇒吉川正道 
場⇒自宅玄関




世界に広がる付け句の輪





地元のオピニオン紙「矢作新報」に月イチで掲載している
コラム「とよたの定点観測」



豊田市はトヨタ自動車の発展とともに多くの才能が移り住んだ。小学館児童雑誌の編集者を経てトヨタマンと結婚した矢崎藍さんもそんな一人。

80年から作家生活に入り、ベストセラーになったデビュー作「ああ子育て戦争」をはじめ、教育や家族をテーマにした作品で知られている。

矢崎藍さんのもう一つの顔が連句のジャンヌダルク。私が勝手に付けたものだが近代文芸の流れから取り残された連句に、コミュニケーション文芸という新たな生命を与えた藍さんに似合いのネーミングと思うがどうか。

余談に逸れたが、そんな矢崎藍さんがライフワークとしているのが連句の付け句で、去年の今頃(新春)だったと記憶しているが、藍さんから「どうしよう」と電話が入った。

話を伺うと、99年1月連句のホームページをひらき、BBS掲示板に前句を載せたところ、はじめは連句会仲間で付け合いをしていた付句の輪が広がり、気がついたら十万句を越えてしまったとのこと。しかも日々刻々投句が増え続けているというから、「どうしよう」と藍さんがとまどうのも納得。

「先ずはギネスに登録してみんなに知らせたら」と私。「そんなことをして意味はあるの」と藍さん。中略するが最後は私も「どうしよう」とギブアップしてしまった(笑い)。

平安時代の末、短連歌が三句、四句とつながり鎖連歌(長連歌)に発展したが、平成の付け句の輪はネットをとおして世界につながり世界最長の鎖連句に。

ギネスのことはさておいて、この鎖連句は矢崎藍さんとその仲間のころも連句会の手により、一巻一万句、十巻の版下原稿となってまとめられた。

このまちにはまだまだ素晴らしい人たちがいる。そんな人たちを一人でも多く紹介できればと思っている。









  


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2012年01月13日

果樹の剪定作業が盛期を迎えた





豊田市はトヨタ自動車の本社があることから
近代的な工業都市のイメージが先行しているが
面積で県内最大、その内約7割が森林で
農産物の出荷額は県内有数というから
正確には農山村型自動車生産都市とよぶべきではないか

そんな豊田市の農産物を代表するのが果樹栽培で
いま、猿投山の南山麓一帯で果樹の剪定作業が盛期を迎えた



猿投の桃は熱心な桃農家が
品種改良を重ねて生み出した芸術品







「山梨や長野などの桃の産地は耕土が深いため
桃の木も20年から30年はもつが、猿投はサバ土で耕土が浅いため
12年から15年ぐらいしかもたないから大変」と桃農家の林金吾さん






私叔したいけばな研究家で山梨県大月市出身の美食家北条明直先生は
生前「御地の桃は山梨の桃より美味」と手紙にいただいたが
猿投の桃は一朝にして成ったものではなく林さんのような
熱心な桃農家が品種改良を重ねて生み出したもの

果報は寝て待てというが
夢に出てきそうで困ってしまう
林金吾さん、今年も美味しい桃を宜しく


  


Posted by かとうさとる at 23:29 | Comments(0) | フォト歳時記

2012年01月13日

お釣り土場で藪椿の定点観察










その前に安物買いの銭失い



あっても役に立たないものを盲腸に例えることがあるが
人間の器官は使わないと退化するようだ

いい例がパソコンを使うようになって漢字が書けなくなったり
携帯の普及で電話番号など数字が覚えられなくなったりしたことは
誰もが経験しているはず

同じようにナビの普及で方向音痴が増えたと思うのは
私一人ではないと思うがどうか

そんなナビ嫌いの私が通販でナビを買った(配達料別で約30,000円)
早速車に取り付けて試しに近場を走ってみた

何かハイクラスの車に乗っているような優越感に笑ってしまうが
初めてということは何でもこんなもの

まあ、そんなことはどうでもいいが
1999年に出来た豊田大橋が載っていない
当然のように豊田スタジアムも出来ていない(いつの地図だ!)

テレビも見ることができると宣伝していたが
ガイドブックを読むとオプションで別売りとのこと
文句を言おうと保証書を探したがゴミに出したあとでアウト

後の祭りでどうしようもないが
一事が万事でイヤになってしまう




気分はブルーだが
お釣り土場で藪椿の定点観察



市内の中心部から足助方面に向かって5キロほど車で走ると
矢作川に架かる平戸橋に着く
この橋の上流部一帯は勘八峡とよばれ
1927年(昭和2年)に制定された愛知県新十名勝に選ばれるなど
県下でも有数の景勝地として親しまれている







お釣り土場はこの平戸橋の下流右岸
写真の竹藪のあたりから籠川合流点までの愛称で
上流部の民芸館や前田公園、越戸ダム、枝下用水などと併せて
このあたりは文化資源(観光資源)の露天掘りをするようなもの







お釣り土場の名の由来は定かではないが、ワンドやザラ瀬が続き
少しでも釣りをしたことのある人間なら理解いただけるのではないか







春を待つ鮎釣り舟



お釣り土場の発見其の一
河岸林と藪椿の群生







私が秘かに春の定点観測木と決めている藪椿の群生
まだ蕾も堅く見ごろは例年並みの二月中旬から下旬頃になるのでは






野鳥の鳴き声と瀬の水音のシンフォニーが奏でる静けさは
ここが市中心部から数キロの場所とは思えない







このイラストは私が「平戸橋いこいの広場」の所長をしていた当時
提案したお釣り土場「椿の小径」のイメージ(作画は吉田稔さん)

在任期間が定年後の2年と短かったため
十分なプレゼンができないまま
立ち消えになってしまったのは残念




お釣り土場の発見其のニ
お釣り土場恐るべし









越戸土場は矢作川右岸の最上流に位置する土場で
ここで荷揚げされた海産物は岩村道を通って
遠くは東濃地方まで運ばれて行った

逆に女城主で知られる岩村藩には年貢米を
松平氏が木曽川の兼山湊に替えるまで
岩村道を利用して陸路12里(約48キロ)を運び
越戸土場から平坂湊を経て江戸に運んだと言う記録が残っている

時代を経て明治・大正に活躍した岩村出身の歌人で
実践女子学園の創始者下村歌子は
明治4年4月8日父のあとを追って上京。三国山の麓で
「綾錦着て帰へらずば三国山またふたたびは越えじとぞ思ふ」の
一首を詠み、挙母から岡崎を経て東京に向かったというから
もしかしたら下村歌子もこの土場から舟に乗ったかもしれない

何気なく立っている石柱がそんな物語を見てきたと思うと
お釣り土場恐るべし







対岸の上流部には矢作川最上流部の彦宗土場があり
荷揚げされた物流は足助を経て遠く信州に運ばれて行った
写真は彦宗土場の賑わいを描いた古井彦宗家の襖絵
(渋谷朗-人と仕事-「とよたの保健医療福祉と市民文化」より転載)






余談に逸れたが
越戸土場のあった辺りは対岸と渡し舟で結ばれていたが
交通機関の発達と管理上の問題から廃止
代わって昭和26年に同じ場所に流れ橋が竣工
この流れ橋も昭和34年の伊勢湾台風で流失

川の中央から対岸に見える遺構は流失した橋脚の一部







イラストはこの流れ橋を「吊り橋」として復元することで
対岸の文化資源と一体になった「水辺自然公園」が
生まれるとの構想で提案したもの

「椿の小径」と同様に私の力不足から
絵に描いた餅になってしまったが残念







対岸の古鼠水辺公園
絶好の寒ハエポイントだが釣り人がいない
近年川は危険なものというイメージが先行して
子どもが遊ばなくなった(遊ばせない)のは
大人の責任回避で間違っているのではないか







上流の岐阜県境で伐採された材木の多くは
管流とよばれる方法で矢作川に放たれた
こうした材木の集積地として繁栄したのが対岸の百善土場で
写真は「目で見る豊田加茂の100年」から転載した
大正7年頃の百善土場の賑わい

現在百善土場は近代の産業遺産として整備され
カキツバタの咲く頃がお薦め
  


Posted by かとうさとる at 00:17 | Comments(0) | とよた風土記

2012年01月12日

近場で美術館巡りをしたがみんなクローズ





美術館など公共施設の休館日は概ね月曜日と思っていい
但し月曜日が祝日などに重なるときは平常通り開館し
翌日の火曜日が振替休館日になるため注意が必要

祝日明けの一昨日10日(火)
予め「振替休館日かも」と企画展のチラシを確認したが
祝日休館のクレジットがないためダメ元で
高浜市やきものの里かわら美術館と
碧南市藤井達吉現代美術館に車を走らせた



かわら美術館に着いたが


高浜は三州瓦を地場産業として発展した市として有名
豊田市でも当時東田と言った現在の寿町で瓦が焼かれていたが
ルーツは高浜の三州瓦で縁がなくもない






かわら美術館はこの瓦をテーマにした美術館として
豊田市美術館と同じ1995年に開館

「やきものの里」の名にたがわず美術館の周辺は瓦一色
中でも圧巻は玄関正面のオブジェ
三州瓦と言えば黒い瓦と鬼瓦が代名詞のため
一瞬鬼瓦と思ったがどこから見ても鯱
まあ細かい事は言わない

余談に逸れたが今回足を運んだのは
日本の民俗写真の第一人者、芳賀日出男の展覧会を見るため
特に奥三河の花祭りなどの貴重な民俗資料が見られるということで
何も考えずにハンドルを切ったが玄関に「本日閉館」の文字
いつものことで笑うしかないがトホホ






瓦のオブジェで構成されたかわらの里公園
この公園のランドスケープは背景の木立の山頂に安置された
日本最大の陶製観音像。私は苦手だが興味のある方はどうぞ








公園の片隅にはこんな案内も

今は境川から続く運河のようになってしまったが
私たちが子どもの頃の三河湾は白砂青松の格好の海水浴場で
小学校の林間学校も高浜から少し南下した玉津浦だった



看板を読んでいて
ふと玉津浦を想い出して寄り道







玉津浦は国道247のバイパス脇の公園の名に残るのみ
その玉津浦の沖合を埋め立ててできたのが
中電の火力発電所と碧南海釣り公園

左側が火力発電所の温排水口
寒くなると黒鯛やマダカ、カイワレが温排水口に集まるため
名人は幅15㌢ほどの柵の間から器用に竿を出して
結構の釣果を出しているというから何でも工夫はするもの



寄り道をしたが
予定通り碧南市藤井達吉現代美術館へ







久々に館長の木本さんに会いたいと思ったがこちらもクローズ

世界標準の豊田市美術館は別にして、近年地方の美術館活動が活発になってきた。予算の縮小という背景もあるが、学芸員が地域の潜在的な文化資源の掘り起こしに真剣に向き合うようになった努力の結果で、キツイようだがこれが普通。

今回足を運んだ二つの美術館は双璧で、中でも碧南市藤井達吉現代美術館は限られた予算の中でも工夫次第でできるという見本。百聞は一見にしかず、説明するのが面倒のため興味のある方は御自分でどうぞ。






大浜の湊で繁栄した碧南のももう一つの顔は
60余の寺院を数える寺町で
蓮如上人ゆかりの応仁寺など名刹巡りもお薦め

写真は美術館と道路を隔てた西方寺
写真では写っていないが西方寺の隣は九重味淋の本社






寺町もいいが私の興味は矢作川の物流の拠点となった大浜湊の歴史で
衣の里の経済的礎を築いた矢作川の水運を調べるためには不可欠

碧南市藤井達吉現代美術館の次回企画展が
「はるかなる衣ヶ浦のみなと-海運と産業の歴史」というから楽しみ



先ずは名刺代わりにご挨拶






梅原猛が碧南市出身ということで構想された「哲学体験村」
幸福論の箴言コーナーを再見したくなって立ち寄ったが
当然のようにこちらもクローズ

ちなみに前述した箴言コーナーで今でも覚えているのが
「人生にとって幸せとはパートナーを見つけることだ
もし、そのパートナーがあなたの妻であり夫であれば
あなたは最高の幸せ者だ」という意味の言葉で納得!



今回はじめてブログをオープンにしたが
先ずは名刺代わりに御挨拶まで










  


Posted by かとうさとる at 00:18 | Comments(0) | らくがき帖

2012年01月06日

愛するいけ花|谷口雅邦作品集












いけばなに解放区があった時代



時代は気まぐれで不思議な悪戯をすることがある
いま、いけばなは若い人がいないと言うが
60年代後半から80年代半ばにかけて
若い人たちの熱気で満ち満ちていた場所があった

流派もキャリアも問わないいけばな解放区で
現代のいけばなを代表するカリスマたちは
みんなここから世界に飛び立っていった



民俗を源流とする
いけばなの到達点を標した
谷口雅邦作品集






谷口雅邦作品集|装丁


そんな解放区のカリスマを代表する谷口雅邦さんが
「愛するいけ花」谷口雅邦作品集を出版した





谷口雅邦作品集|Part1 習作


谷口さんのプロフィールを簡単に記すと

谷口さんは1944年青森県に生れる
1970年に龍生派家元吉村華泉に師事

東北の風土を連想させる独自の世界で
数多くの国際展に招聘されるなど
今に生きる日本美術の求道者の一人として活躍





谷口雅邦作品集|Part2 個展


作品集の構成

本書は現代のいけばなに独自の世界を拓いた
谷口さんの仕事の全容を標したもので
Part1 習作
Part2 個展
Part3 合同展
Part4 イベント作品
Part5 舞台美術
Part6 ディスプレイ、インテリア
Part7 雑誌企画のための作品
の7章で構成






谷口雅邦作品集|Part3 合同展


識者が推奨する谷口雅邦の世界

私の下手な解説では誤解を招きかねないため
作品集に批評文を寄せた識者の名をもって代えたい

■中村英樹(美術評論家)「見えない奥の気配を活ける」
■早坂暁(作家)「風土を活けるアーティスト」
■日沼禎子(女子美術大学准教授)「-幸福への進化探る挑戦」
■三頭谷鷹史(美術評論家)「幸福への進化」
■南嶌宏(美術評論家)「零度の創造-谷口雅邦」

少しでもアートに関心のある方であれば
このラインアップを見ただけで理解いただけるはず





谷口雅邦作品集|Part4 イベント作品




谷口雅邦作品集|Part5 舞台美術




谷口雅邦作品集|Part6 ディスプレイ、インテリア




谷口雅邦作品集|Part7 雑誌企画のための作品



愛するいけ花
谷口雅邦作品集の入手方法


■発行⇒㈱美術出版社
■規格⇒A4版160ページ
■定価⇒本体価格3,500円+税
■購入⇒全国書店で注文可
  


Posted by かとうさとる at 15:31 | Comments(0) | いけばなお薦め選書

2012年01月04日

花祭りから農村舞台が見えた










1月2日夜
奥三河の花祭りを見るため
車を走らせた



鉄は熱いうちに打てというが後悔先にたたず
昨年の末頃から怠惰という錆が全身をジワジワ浸食
一時も早くエンジンを始動させないと大変

一番手っとり早い方法は外部刺激で
昨夜(2日)、奥三河の花祭りを見るため車を走らせた






国の重要無形民俗文化財に指定されている
花祭りの起源は鎌倉時代の後期から室町時代にかけて
奥三河の集落に伝えられた神楽の一種で
この日足を運んだのは東栄町古戸の花祭り







古戸の花祭りは家庭画報新春号
春を寿ぐ奥三河の「花祭り」で紹介されているため
詳しくはそちらで目通しを













豊田から東栄町の古戸まで約2時間
舞庭では山見鬼が伴鬼二人を従えて
レゲエのライブハウスのよう

私は人混みをかき分けて最前列へ








神事が済んだ花祭りは
テ―ホヘ、テホヘの掛け声にのって猥雑な芸能の場に一新
鬼たちと酔っ払いたちとのかけあいは当意即妙の寸劇を見るよう

よく観察しているとこの酔っ払いたちはみんな花祭りのプロで
鬼たちを挑発し舞庭をトランス状態に導く
酒臭いのが難点だがお神酒というぐらいだから
まあいいか(パチパチ拍手)






この舞庭を支配するのが太鼓を叩く宮大夫
ゆるーいこんな太鼓が身体と共振するのは
民俗のなせる魔力で理屈では解けない







子どもたちの「花の舞」にあわせて
舞庭は「歌ぐら」の大合唱

いままで迂闊にも聴き逃していたが
日本というよりも南方系のリズムで
「歌ぐら」は花祭りの由来と起源に結びついているのではないか









時計を見ると深夜の2時頃
舞うこどもたちも大変







左手に剣、右手に鈴を持って舞う「剣の舞」
このあと花祭りの主役「榊鬼」が登場するが
時計を見ると深夜の3時近く
後ろ髪引かれながらもここらが潮時と舞庭を後にした

花祭りについては私なりに理解しているつもりでいたが
圧倒的な熱気の前には無力で所詮付け焼刃

救いは花祭りとは対極にある
農村舞台の身の丈が立ち上がってきたことで
今後の展開の糧にしなければ

錆ついている暇はない

  


Posted by かとうさとる at 01:14 | Comments(0) | 農村舞台

2012年01月01日

目出度さも中ぐらいなりおらが春










行く年くる年


寺部八幡宮の「初詣らいぶ」がはじまった頃は
私もオブジェを奉納したり
手筒花火の輪の中に入って火の粉を浴びたり
餅を搗いたりして
朝帰りが元旦の定番だった

テレビを見ていて
ふと、そんなことを想い出して
寺部八幡宮に車を走らせた






2012元旦0:00 
カントダウンを合図に初詣らいぶ







豊田煙火の花火師と
陣中太鼓連のコラボレーション







お拝殿では津軽三味線のライブ
村松典子さんと売り出し中の村松さつきさんの親子ユニットで
「冷たくて手が切れそう」と典子さん







なにごとのおわしますかはしらねども
とぎれることなく続く初詣の列

人混みの中で昔の仲間たちを探したが
木の葉が落ちるように一人減り、二人減りと
歳月の流れを実感!





今年もまた
初いけをできる幸せに感謝









花⇒柳、木瓜、南天、千両、葉牡丹
カサブランカ、グロリオ―サ、アンスリウム
器⇒セラミッククラフト






  


Posted by かとうさとる at 20:40 | Comments(0) | いけばなから