2009年04月29日

今日からゴールデンウィーク 若鮎前線北上中


すでに90万匹の若鮎が第一関門を突破

矢作川で天然鮎の遡上がピークを迎えた。若鮎の遡上をカウントしている矢作川研究所によると90万匹余が明治用水頭首工の魚道を遡上。第一群はすでに平戸橋の魚道を越えて、広瀬あたりまで遡上しているそうだ。
こんなニュースを聞けば、やもたってもいられず、クルマを走らせた。





明治用水頭首工の魚道。偏光レンズで水中を見ると若鮎が銀鱗をキラッキラッと光らせているのが見えた。シャッターチャンスを待ったが私の腕では撮影不可。





そんなわけで、矢作川研究所のホームページから写真を拝借。





魚道の最後に待ち受けるのは落差50㎝ほどの激流。若鮎はもろともせずジャンプして上流を目指す。若鮎の遡上数がわかるのはこの落差工の脇にテントを張って、監視員がカウントしているからで、ごくろうさま。



若鮎を追って新緑の矢作川を上流に走る





枝下町の両枝橋から上流を見る。釣り舟(上流の岩場付近)が一艘竿を立てていた。若鮎の第一群はこのあたりを遡上しているものと思われる。





東広瀬のチャラ瀬。このあたりにくると縄張りを確保して苔を食む若鮎も。正面は廃線になった名鉄三河線(猿投~西中金間)の鉄橋。




  


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2009年04月25日

今日は個展初日 絵馬展&かとうさとる展


風が描く空間のドローイング




24日付け中日新聞記事。芳名録を読むと「新聞を見てきました」と
但し書きをしている人が多く、あらめてメディアの発信力を痛感。




山口素堂の「目には青葉やまほととぎす初鰹」から
「目に青葉」とした外拝殿のインスタレーション。




風は自在 気の向くままに。奥は神輿澱




外拝殿に展示された絵馬




神輿澱から外拝殿を見る


神輿澱は「夜」の作品のため後日改めて公開

神輿澱は、西行の「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」から、「なにごとの おわしますかは しらねども」とした。神輿澱は「夜」の作品でデジカメでは撮影不可のため、写真家の石田真典さんに撮影を依頼。後日改めて公開します。

 

  


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2009年04月23日

今日は個展の公開制作


その前にちょつと一休み



豊田市のいにしえを詠んだ「立ちかえり猶見てゆかん桜花衣の里に匂うさかりを」の和歌から想を得たという「匂いさくら」(鈴木真幸登個展)


豊田市華道連盟理事長の鈴木真幸登さんが個展

18日(土)・19日(日)、豊田市華道連盟理事長の鈴木真幸登さんが還暦記念の個展「花と私と喜楽亭」を開催した。喜楽亭は明治末期から続いた料理旅館で、廃業後豊田市産業文化センター内に移築された。鈴木さんは予てからこの町屋建築の空間に花を手向けたいと想を暖めていたと聞いた。活け込みには大阪から友人の松井清志さん、田中美智甫さんもかけつけた。私も構想の段階から相談にのっていたため、鋏をもってかけつけた。気がつくと大府から野畑さんもかけつけるなど、戦場の中にも笑い声が。いつも一人の私の個展とは大違いで人徳の差を痛感。活け込みが終わったあと、松井さん、田中さんと鈴木さんを囲んで祝杯をあげた。





全日本かるた協会のみなさんにごあいさつ

19日(日)、近江神宮で開催される名人・クイーン戦、明治神宮で開催される選抜大会と並ぶ競技かるたの三大大会、第48回全日本かるた選手権大会が、豊田市産業文化センターで開催された。この大会は私が職にあった当時、子供たちに本物のかるた競技を見せたいと名古屋吉野会の故藤田さんと相談をして誘致したもので、かるた協会からは名誉段位(正式の段位とのこと)を、また歴代の名人・クイーンの名勝負を20年近くにわたって見続けてきた。かるた協会の会報に競技かるたの展望記事も書いた。そんなわけで一部には私を競技かるたの専門家として見る人もいるらしいが、正直に白状すれば札もとったことがない。札をとらなければばれない話だが、競技かるたのよき理解者というのは嘘ではない。






国立新美術館で気持ちのいい美術展を見た

20日(月)、急逝した現代いけばなのカリスマ千羽先生をしのぶ会に出席するため新幹線にのった。予定より早く着いたため六本木の国立新美術館に立ち寄った。地元の作家が出品している春陽展が開催中ということもあったが、お目当てはアーティスト・ファイル展だ。この展覧会は美術館の学芸員が注目する旬の作家9人を選び、個展形式でひとつの展覧会にまとめたもので、解放された心が生み出す多様な表現の豊かさは人間賛歌そのもの。身体の中をそよ風が吹き抜けたような気持ちのいい展覧会で、図録も考えられないお値打ち。国立新美術館は、コレクションをもたないことから箱もの美術館と揶揄されているが、こんな意地を見せてくれると嬉しい。5月6日まで開催しているため東京にお出かけの方はお見逃しなく。





天国の千羽先生を囲んでしのぶ会

千羽先生と親しい人たちが集まった現代いけばなの同窓会のようなしのぶ会で、時間のたつのも忘れた。元日本いけばな芸術協会理事長の吉村華泉先生、工藤和彦先生のスピーチもなつかしい話が満載で、輪の真ん中に千羽先生がいるような気がした。たぶんほとんどの人が同じような光景を見たのではないか。会のおわりには子息の千羽理應さんが十代家元三世千羽理芳を襲名したことが披露され、なごやかに閉じた。



銀座のコーヒーショップでしのぶ会の反省と大地の芸術祭の打ち合わせ。長井理一さんのタクシーに同乗して東京駅に急ぐ。



午後23時発「ドリームとよた」にすべりこみセーフ。この年になって一人で深夜バスは侘しいが、多分これからもこんな生活が続きそうだ。
  


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2009年04月20日

ライブラリー(18)昭和美術館で華工房野外展




西瓜の虫よけ袋にペンティング(昭和美術館)1987年


假屋崎省吾名古屋初見参

昭和美術館は名古屋の南東八事にほど近い閑静な住宅地の一角にある森の中の美術館で、コレクションの80%が茶道に関することから茶の美術館として知られている。中でも尾頭坂あたりの堀川の東岸にあったという尾張藩家老渡辺規綱(号を又日庵といい、裏千家中興の祖といわれる玄々斎宗室は又日庵の末弟)の別邸から移築した茶室捩駕籠の席と書院は有名。

作品は、この昭和美術館で開催した華工房野外展に出品したもので、この野外展にはプレイクする前の假屋崎省吾、小原流の工藤亜美さんが出品。また美術評論家の中村英樹さんがクリストのヴァレーカーテンについて講演するなど、贅沢なものだったが、当時の私は勢いに任せているだけで、野球でいえば見逃しの三振。恥ずかしい話だがこんなことの繰り返しばかりで、未だに治っていない。
  


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2009年04月16日

越後妻有アートトリエンナーレ2009迄3ケ月


作品鑑賞のパスポート販売始まる

大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009の開幕まで3ケ月となり、作品制作や作品鑑賞パスポートの販売が始まった。Fの会も4月13日(月)「蓬平・いけばなの家」の進捗状況と集落の人たちとの協議のため現地に入った。夢は生活必需品とはいえ、いろんな意味で大変。




大地の芸術祭は、東京都23区より広い新潟県中越地域を舞台に、3年に一度開催されるアートの国際展で、今回は38の国と地域のアーティストによる作品350点以上の作品が里山に展開する。(うち新作は約200点)会場となる越後妻有地域はNHKの大河ドラマ「天地人」ゆかりの地で、オープニング映像の星峠の棚田に象徴されるように、全国有数の棚田地帯としても知られている。写真は今回九人のいけばな作家がしのぎを削る蓬平(よむぎひら)集落の棚田。



「蓬平・いけばなの家」は、蓬平集落の空家をいけばなで再生しようという試みで、現地に着くとスタッフが室内の片付けに追われていた。余談に逸れるが協議をしているとき建物の調査をしているという名古屋工業大学の学生の一群と遭遇。私が「豊田市の人間」と知ると学生たちがどっと沸いた。同じ愛知県というだけのよしみだが、こうした親近感は嬉しい。




アートフロントの水野真弓さんから建物の説明を受けるFの会の同人。
Fの会は東京を中心に現代のいけばなを発信する作家集団で、左からアートフロントの水野さん、同人の宇田川さん、粕谷さん、大塚さん、大吉さん、下田さん、日向さん。



蓬平集落の区長さんやお世話をいただく人たちと協議。旧松代町蓬平(よむぎひら)は、ほくほく線の「まつだい駅」から車で10分ほどの山間いの小さな集落で、若井姓と小坂井姓がほとんどとのこと。集落の峠の高台にはかって養蚕の里として知られた蓬平の記憶を物語る大地の芸術祭のパーマネント作品「繭の家」があり、必見。


越後妻有アートトリエンナーレ2009チラシ






  


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2009年04月13日

彫刻家・石黒鏘二「その原点と対話展」






「起きてもとくにすることもない」1975年


貧しくても幸せな時代があった

名古屋造形大学ギャラリーで開催中の彫刻家・石黒鏘二「その原点と対話展」を見た。石黒先生は前名古屋造形大学学長という経歴を持ち出すまでもなく、当地を代表する文化人にして芸術家で、門外漢の解説は野暮。

石黒先生の仕事については新聞や雑誌などに発表されたコラム、エッセイ、評論、公共空間に設置された数々のモニュメントや、この春出版した「記憶のモニュメント石黒鏘二作品集」をとおして、私なりに理解しているつもりだったが、初めて知る世界で、少しでもわかったと思っていたことが恥ずかしい。

本展はタイトルに「その原点と対話展」とあるように、私たちが知る環境彫刻に移行する前の70年代初頭から80年代初頭の鉄溶接による彫刻を展観したもの。時系列でいえば現在の環境彫刻に移行する前、彫刻の森美術館大賞展やヘンリームア大賞展など国内外の彫刻コンクールで活躍していた時期で、清々しい眼差しが光背のように彫刻を包んでいるように見えた。

石黒先生が、なぜこの時期に、このようなタイトルで旧作を持ち出したのか。現代の彫刻が建築と一体化することで得たものと失ったものは何か、人間がものをつくるとは何か。若い学生たちに自らの作品を通して問いかけているように見えた。芸術が真善美を価値の規範においた貧しくても幸せな時代があった。二つの時代を生きた作家の勇気のある問いかけに思わず背筋が伸びた。

彫刻家・石黒鏘二「その原点と対話展」は17日(金)まで
名古屋造形大学D-1、D-2、D-3ギャラリー
問合せ☎0568-79-1219
  


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2009年04月11日

今日は夏日 陽気に誘われて


あてもなく近場の野山をぶらりぶらり

このごろ私とは何か考えることが多い。
「私とは私の環境のことである。私がもし自分の環境を救わなければ
私は救われないことになる」(北條明直「いけばなの途」よりオルティガ・イ・ガセットの言葉)
この言葉を自分に置き換えるとその意味がよくわかる。
そんなわけでもないが、あてもなく近場の野山をぶらりぶらりと進めた。




猿投山の中腹でひとやすみ




猿投山中の広沢川で見つけた椿




里に近い山中で土に埋もれたトロミル水車を見つけた




ツツジが満開(緑化センター)




水辺には杜若が似合う




木立の向こうに連翹を見つけた




野薔薇をかきわけて連翹に近づいた




浅田真央、安藤美姫が学ぶ中京大学体育学部はこの近く(乙部)




手入れを放棄した果樹園で梨の花が爆発




浅田真央や安藤美姫が練習しているかも(中京大学アイスアリーナ)




我が家まで数分。池の対岸は室伏広治が毎週調整するハンマーのグランド
  


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2009年04月09日

寺部八幡宮で「絵馬展」と「かとうさとる展」














寺部八幡宮は尾張藩家老 渡辺半蔵守綱ゆかりの神社で、写真の手前が外拝殿、奥が神輿澱


寺部八幡宮で個展をします

寺部八幡宮厄払い行事実行委員会は、秋の大祭に合わせて平成元年より 毎年作家に奉納絵馬を依頼し、外拝殿に掲示してきた。本年度で20枚の「絵馬」が揃ったことから絵馬の記念展とあわせて、17年度絵馬制作者のかとうさとる展を計画した。今回の依頼は、絵馬を制作した作家の中で、一番融通の利きそうな私に白羽の矢がたったといういい加減なものだが、私もいい加減のため、「いいよ」と二つ返事で受けてしまった。

日時:2009年4月24日(金)~30日(木)日の出から日没
前夜祭:2009年4月23日(木)19時~
会場:寺部八幡宮「神輿澱」・「外拝殿」
主催:寺部八幡宮厄払い行事実行委員会


今回の私の仕事は
(神輿澱)
タイトル:なにごとのおわしますかは知らねども
素材:鉄水盤|水|和紙|電球
(外拝殿)
タイトル:目に青葉
素材:萌黄色のオーガンジー(≒120㍍)

あとは当日のお楽しみ
遠方からお越しいただける方はご一報いただければ幸いです。
E-mail:[email protected]
☎090-1098-9099


  


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2009年04月06日

ひさしぶりに常滑の吉川正道さんにあった





吉川さんは
まだまだ大化しそうで
目が離せない






60年代後半から70年代にかけて
六古窯の一つに数えられながらもしがらみのない風土に魅せられて
全国各地から無垢な若者たちが常滑に集まった

杉江淳平、鯉江良二、柴田周夫(豊田)など
フレンドリーな地元の作家に迎えられた彼らは
大阪万博に実物大のピアノのオブジェを出品するなど
焼き物の常識をこえた作家集団となって
常滑の名を全国に発信した

作家集団の中心の一人が
神奈川県の茅ヶ崎からきた吉川正道さんで
シャープな意匠感覚で常滑焼のイメージを一新

軽やかさを追及する焼き物の常識を覆した
重量感のある白磁の「おもたばち」で
吉川正道の世界を確立

2005年には
中部国際空港の1階エントラス回廊を爽やかなブルーで彩る
高さ2.8㍍、幅27㍍の大陶壁と巨大なモニュメントを制作するなど
建築空間にも進出
海外でも高く評価され現在に至っている

今回の展覧会は
日仏交流150周年事業企画パリ展開催を記念したもので
今年はロンドン、ニューヨーク、シンガポールでも
展覧会の予定が入っているとのこと

半年ぶりにあった吉川さんは
まだまだ大化しそうで目が離せない

余談に逸れるが吉川さんは
昨年名芸大造形科教授に就任
奥さんは沖縄のシーサーなど
ユニークなオブジェで活躍する吉川千香子さん

まかない料理(アナゴの天ぷら)の名人で
ごちそうになったことがあるが絶品


その足で草月展へ

同じJR名古屋高島屋の催事場で
名古屋の草月の人たちが頑張っていた。




加藤都志江社中の合作の部分
琳派の屏風絵を模した桜の大作で
デジカメのフレームに入りきらないため
右部分をトリミングしたが
アクリルの器に浮かべた笹の葉の意匠がお洒落





こちらは草月展実行委員長
斎藤沙映さんのグループによる合作





こちらは菊池朱里さんさんのグループによる合作
左から稲垣静章さん、菊池朱里さん、坂巻静明さん  


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2009年04月02日

いただいた花桃を練り込みの壺に挿す


「好きなだけ伐っていいでね」と言う林さんのご厚意に甘えて
一枝伐らしてもらった。



花:枝垂花桃|陶:伊藤雄志(常滑)|絵:宮川洋一(春陽会会員)


猿投山麓は桃色吐息

猿投の桃が満開になった。梨は三分咲きで、10日頃には桃の花と梨の花のシンフォニーがみられそう。




正面の山は尾張と三河を分ける猿投山





桃の大きさと数をイメージしながら花を摘む林金吾さん。美食家の北條先生が「御地の桃は美味」と絶賛したように林さんの桃は絶品。
  


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2009年04月01日

お薦め選書4 北條明直著作集









在りし日の北條明直先生


北條明直(ほうじょうあきなお)


大正12年(1923)山梨県大月市に生まれる
国学院大学で折口信夫に学ぶ

昭和22年(1947)文部省芸術課に勤務し
芸術祭の企画運営を担当

昭和25年(1950)いけばな界では
はじめての文部大臣招待日本華道展(日花展)の担当官として
いけばなにかかわる

文部省を離れたのち
跡見学園女子大学、都留文科大学で美学、美術史を教える

いけばなをはじめ、日本伝統芸術の研究に携わり
私財を投じて「いけばな造形大学」を経営
また映画「姫路城」(文部大臣賞)
「歌舞伎の魅力」(国際映画コンクール銀賞)など
伝統芸術を題材にした数多くの作品を手がけるほか
日本アマチュア演劇連盟会長としても活躍

平成16年(2004)大月市の自宅で逝去(享年81歳)



戦後の混乱期から
いけばなの世界、演劇の世界、映像の世界を走りつづけた
北條先生のプロフィールをざっと記したが
訃報を聞いたときは
新たないけばなの道を拓いた
雑誌「いけばな芸術」(1949-1953)の先学
山根有三(美術史家)、重森弘淹(写真評論家)
工藤昌伸(いけばな研究家)の訃報に接したときとは別の意味で
いいようのない寂寥感に襲われた






北條明直著作集全3巻
(至文堂平成9年発行)


①いけばなとは何か
②いけばな人物史
③花の美学

北條明直著作集は
いけばなの道に賭した北條先生渾身の学術書で

《いけばなは、自然の文脈から草木花を切り離して、
人間の文化の文脈に移しかえる作業です。

そこに違った文脈と文脈との背馳、葛藤が起こるのは当然で、
それをいかに克服するかが、いけばな芸術の問題点となります。

そこでは、他の芸術以上に、
自然に対する認識とその洞察力が要求されるでしょう。

殊に現代社会における人間と自然との関係は、
かっての自然順応の時代とは違って、
一層私たちに先鋭的問題を課しているのです。

いけばなは、たかだか造形作業の一つのように見えますが、
実は自然と人間との根源的な問題に、たえず直面することによって、
私たちに作る上での思考をうながすところのものなのです。》


と記した末尾の「あとがきにかえて」は
「現代いけばなとは何か」という公案に対する
北條先生からの至高の贈り物で、座右の書としてお薦め



北條明直の思想の原点

北條先生の思想の原点を知る手がかりの一つが
「いけばなは自然への洞察の深さを求めるもの」と題して
北條先生からいただいた玉稿で
その序文に、次のように記している

《私の家は、鎌倉時代から、北條氏の末裔としていま私が住む、
山梨県大月市岩賑町岩殿にあって、
山梨、神奈川、静岡にまたがる広大な修験の統括を行ってきました。

明治5年、維新政府のもと、修験は廃絶され、我が家も没落します。

私はいま郷里に戻り、かっての修験の霊場岩殿山に日夜接し、
家にある中世、近世の古文書や仏具にふれる中で、
遠い密教の流れと日本の山岳信仰などにしきりと、
思いを馳せるのです。

修験道は縄文期に生まれた日本人の森(山)の思想が
密教や道教などと習合し、そこに神秘的な行為をくりひろげますが、
そこには日本人の自然に対する根源的なコスモロジーが
脈々と伝えられています。》

下記の原稿は
著作集の執筆時期と同じ頃
北條先生から
「いけばなの途を考える」と題していただいた玉稿の抜粋で
著作集③「いけばなとは何か」の推敲のあとが伺える
貴重な遺稿







  


Posted by かとうさとる at 02:32 | Comments(0) | いけばなお薦め選書