2012年02月26日
春の風を運ぶ第61回風景流いけばな展
夜も更けてきたが
まだ宿題が溜まっているため簡単に

景風流は地元で誕生した流派で
創流は戦後当地で池坊の名手として活躍した初代川村景風

会場正面の合作席


会場のディスプレー

こちらが家元の三代目川村景風さん
地元の豊田市を中心に数多くの門弟を輩出し
誠実な人柄でファンも多い
■景風流いけばな展は26日(日)まで
■会場は豊田市民文化会館A・B展示室
2012年02月24日
大地の芸術祭の出品作家決まる⇒Fの会は責任重大
大地の芸術祭
越後妻有アートトリエンナーレ2012の
開催概要決まる
既報のとおりアートのダボス会議として世界が注目する
越後妻有アートトリエンナーレ2012の開催概要が決まった

■会期⇒2012年7月29日(日)~9月17日(祝日)
■会場⇒新潟県十日町市・津南町地域の里山760平方キロメートル
開催概要並びに40を超える国と地域の
参加アーティストは「大地の芸術祭」で検索を

大地の芸術祭のランドマーク
イリア&エミリア・カバコフ(ロシア)「棚田」

女性の「性/生」をテーマにした向井山朋子の作品(部分)
前回の大地の芸術祭で私が好みで選んだベストワンはこれ!
旧飛渡第二小学校の体育館の空間を一万枚のドレスで埋め尽くした
向井山朋子の衝撃のインスタレーション
向井山朋子はオランダを拠点に活躍するコンサートピアニストで
世界を巡回しながらアートプロジェクトを展開する異色のアーティスト
今回はどんなアーティストと遭遇できるか楽しみ
私たちは前回に続いて
松代地区蓬平集落の
空家プロジェクトに挑むことが決まった
最初にいけばな仲間のみなさんにお詫びをしたい
前回の報告で現代いけばなの第一線で活躍する作家をノミネートして
参加すると書いたが、会場のキャパや大地の芸術祭の日程等から
当初の構想の変更を余儀なくされ「Fの会」の単独参加で決着
重ねてお詫びします
Fの会は責任重大⇒作品で応えるしかない

「Fの会」は東京を中心に活躍する現代いけばなの作家集団
写真はFの会展(2002年)の記念写真
■前列左から(◎印が参加者)
千羽理芳(故人)
◎日向洋一(神奈川)
◎かとうさとる(愛知)
吉村隆(東京)
◎大吉昌山(東京)
■後列左から
◎長井理一(東京)
◎大塚理司(東京)
◎宇田川理翁(東京)
小泉道生(神奈川)
◎下田尚利(東京)
◎早川尚洞(東京)
大坪光泉(北京に活動拠点を移して活躍)
◎粕谷明弘(東京)
蓬平いけばなの家

芝峠温泉から見た新潟杜氏の伝統を引き継ぐ蓬平集落

こちらが空家プロジェクトを予定している「蓬平いけばなの家」
参考までに
前回の蓬平いけばなの家を紹介


「蓬平いけばなの家」の入場者は9,879人を数え
古民家の床が「きしんで抜け落ちるのでは」と心配したことも度々

週末の土曜日は作家によるイベントを開催
今回は「いけばなのワークショップ」を予定
私の担当は9月1日(土)に決まったが
農村舞台とバッティングしないようにしないと大変
■写真はいけばな界の至宝、下田尚利先生のWeekend Event
こちらが私の作品⇒妻有で陰翳礼讃

今回、私は「蓬平いけばなの家」を飛び出したプランを描いているが
全ては5月中旬に予定しているロケハンの結果待ちで未定
2012年02月22日
観る人のいない花を玄関に活ける
転んでもタダでは起きないのがオジサン
猿投山の手土産のアオキを玄関に活けて遊ぶ

花⇒白梅のずばえ、南天、アオキ、雑木の小枝ほか
器⇒黒陶(河村俊郎)
絵⇒宮川洋一(春陽会)
2012年02月22日
ぐるっと猿投山
■猿投山のビューポイントはここ
2月21日午後、デスクワークの手を休めて
深見の区長と農村舞台の打合せを済ませた帰り
猿投山のビューポイント西中山の大池でクルマを止めた

豊田市と瀬戸市にまたがる猿投山は古くから
山嶽信仰・巨石信仰の山として崇められてきた信仰の山で標高629㍍
写真は西中山の大池から眺めた猿投山
山桜と藤のグラデーションが見られる新緑の頃がベストショット
■日本の焼物の歴史はここから始まった

猿投古窯の多口瓶の写しに笹を活ける(1884年)
須恵器の時代から鎌倉時代のはじめにかけて
千基を超える窯が焚かれたと言われている「猿投古窯」の名は
この山の西南麓一帯にかけて遠くは常滑まで続いていたことから
命名されたもの
■猿投神社と幻の神宮寺

猿投山の麓に鎮座する猿投神社は三河屈指の神社で
猿投山の東峯に東宮、西峯に西宮を祀り古くから崇敬を集めてきた
祭神は大碓命(日本武尊の同胞双生児)で西宮に宮内庁管轄の墓所がある

正月は神社に初詣をしてクリスマスを祝って葬儀は仏式
イスラムなど一神教の人たちからみるといい加減なものだが
異国の神様をもわけ隔てなく受け入れるのが私たちの民俗で
この国に生れてよかったと思っている人は多いのではないか
上の図は明治政府の廃仏毀釈によって消失する以前の
猿投神社を描いた「猿投大明神社頭焼失絵図面」で
境内の神宮寺は12~15坊に及んだとのこと
(図説豊田・加茂の歴史より転載)

猿投まつりは
旧暦の9月9日を祭日とすることから節句祭りと呼ばれ
かっては三河・尾張・美濃から186か村が参集し
神輿渡御、火縄銃、棒の手奉納、献馬などが行われた
上の図は祭礼の賑わいを伝える
「猿投神社祭礼絵巻」の部分で中央左の寺院と
杉木立の中の寺院に注目
(図説豊田・加茂の歴史より転載)

右の建物は上図の杉木立の中の寺院の遺構
駐車場左の雑木林が上図中央左の寺院址
境内や周辺で異様な磁場を感じることがあるが
後で調べると神宮寺のあったあたりとわかって
以来私は余程の事情がない限りパス
■見晴らしも最高



山頂近くの展望台からは三河湾から伊勢湾まで一望にできる
■なんでこうなったのかわからないが
オジさんはヘトヘト


東の宮の登山口




鳥居から東の宮まで約1,000㍍
舐めていたがかなりキツイ

どんな建物が建っていたのか気になる礎石の遺構

猿投山の最高地点に祀られている東の宮

西の宮はパス
宮内庁管轄の大碓命の墓所はこの奥
なんでこうなったのかわからないが
農村舞台の打合せのつもりが予定外の
トレッキングでヘトヘト
2012年02月21日
粉引の水滴にカサブランカを挿す
むかし豊田に木村孝二さんという
陶芸職人がいた
塵も積もれば山となるというが
家の中が民芸雑貨ギャラリーのようになってきた
空間に活けるという必要に迫られて
どうしても大きな花器に目がいってしまうが
小さな器もまた捨てがたいもの

写真の粉引の水滴(高さ9.5㌢胴周り9.0㌢)は
木村孝二さんからいただいたもの
木村さんは脱サラをして陶芸家になった方で
当時八草の古民家を借りて窯を焚いていた
芯の強さを内面に秘めているのに穏やかで
女性に人気があったのも納得
風のように豊田にきて風のように去っていってしまったが
いま、どこで仕事をしているのだろうか
もう一度会ってつもる話ができればと思っているが
だれか消息を知った方がいればと願っている

木村さんの水滴にカサブランカを挿す
2012年02月20日
2012年02月18日
新聞は知の世界無形文化遺産
夜も更けてきたため簡単にするが
亡くなった妻は時季がくると果実酒をつくるのを習わしにしていた
ふと、そんなことを想い出して倉庫の整理棚を探したところ
瓶がづらっと並んでいた
ラベルを見ると平成6年から亡くなった年の平成22年まで
ほとんどが梅酒に梅酢だが良く見ると
李に金柑に杏にアロエにニンニクまであった
22年の梅酒は「もって半年」とわかっていたはずで
どんな気持ちでつくっていたのか不憫でならない
余談に逸れたが問題は賞味期限でネットを検索したところ
カビや気になる匂いがなければ古いものほど美味しいとのこと
試しに飲んでみたがトロっとして絶品
失ってから
大切なものに気がついても遅い

いつでも、だれでも必要なときに必要な情報が手軽に入手できる
それにしても便利な時代になったものだ
16日付け朝日のオピニオン「デジタル最優先の新聞社」は
紙媒体から電子媒体の時代に先駆けたデジタル新聞社を
トップのインタビューとルポで構成したもので
「デジタル情報企業に脱皮せよ」
「紙育ちの連中に耳を貸すな、紙は後回し」と過激
ビジネスチャンスかも知れないが電子情報ネットワークにしかずで
私たちが新聞に求めるものとは別もの
紙媒体の新聞は
いつでも、どこでも、誰でも読むことができる
「知の世界無形文化遺産」で
失ってから大切なものに気がついても遅い
紙面はいろいろ
16日付け記者有論はトホホ
前回のブログで
「完走したライダーに与えられる栄誉は小さなバッチ一つ」と
書いたが、ライダーやサポーターたちが長い時間をかけて
育て上げたかけがえのない宝物で、新聞も例外ではない

目のいい方はコラムの本文を読んでいただきたいが
要旨は2月12日付のオピニオンで記者が
橋本大阪市長にインタビューした続編を呼び掛けたもの
インタビューは「まさかの意外性」で拍手ものだったが
記者有論は行間から自惚れと媚が透けて見えて居酒屋レベル
これは全くの余談だがここまで書いて
昔、朝日新聞の名物記者?で久米宏のニュースステーションの
コメンテーターをしていた菅沼栄一郎を想い出した
何でだろう
2012年02月15日
戸井十月の「旅のチカラ」を観た
NHKオンデマンドで
BSプレミアム「旅のチカラ」で放映された
「再び原野へ~戸井十月・メキシコの砂漠を
走る」を観た
番組が放映された2月7日(火)は
農村舞台アートプロジェクト委員会のまとめのためデスクワーク
再放送の2月11日(土)は滝山寺の「鬼まつり」と重なって
観ることは叶わなかったが「もしかしたら」と
チャンネルをVODに切り替えた
初めて知ったがオンデマンドは
お宝映像の山を露天掘りするようなものでさすがNHK


私が戸井十月を知ったのは世界の五大陸をバイクで踏破する
ドキュメンタリー番組を観たのがキッカケで
特異な経歴をもつ作家と知ったのはその後(省略)
私よりも少し若いが同じ世代のオジサンたちが
夢を追いかけている背中を見るのは何か嬉しい
語り口がいけばな仲間の日向洋一さんに似ていて
「横浜生れ?」と想像していたが生れは東京
父親は画家で秩父事件研究の第一人者の戸井昌造
名前の十月(じゅうがつ)は本名で
ロシアの十月革命から付けられたというから血は争えない
五大陸最後の舞台となったユーラシア大陸横断3万キロの旅で
シベリア鉄道を眺めながら
「親父はあの鉄道でウラジオストックからモスクアに行ったんだよな
オレはバカな親父だとづっと思ってきたけど
今なら少しわかるような気がする…」という意味の独り言を
つぶやいたのを今も覚えている
まさか!!
その戸井十月が肺癌に


2011年3月「5年以内の生存率50パーセント以下」と
肺癌の告知を受けた戸井十月が選択したのは
手術ではなく放射線と抗がん剤による治療
戸井を支えたのは旅の原点となった「バハ1000に出る!」という
強い意志で、2011年10月、医師も驚く奇跡の回復
戸井十月と仲間の「バハ1000」への挑戦がはじまった
再び原野へ!!
バハ1000にチャレンジ



「バハ1000」はメキシコのバハカリフォルア半島を舞台に展開する
最も過酷で危険と言われる世界最長のオフロードレース
こうしたレースと言えばパリダカが有名で
「バハ1000」を知ったのは番組が初めて
まだまだ世界にはメディアが伝えない感動のドラマが
いつぱいあるのではないか
余談に逸れたがメキシコの砂漠の原野約1200キロを
ノンストップで疾走する過酷なレースは説明不可のため省略

闘病中は「死という不安やおそれから
寝ていてもこのまま起きられないじゃないかと
ねられなかった」という戸井十月
画像は「バハ1000」の舞台に戻ってきた戸井十月
戸井十月プレランで転倒骨折!


レース前にコースを試走するプレランはもう一つのバハ1000!
画像は息が切れて酸素ボンベで補給する戸井十月


プレラン二日目
戸井十月転倒してまさかの骨折!
2011年11月18日
バハ1000スタート
11月18日の私と言えば「いけばな雑司ヶ谷」の会期中で
川村記念美術館へマークロスコを観に行った日
あのときメキシコで「バハ1000」がスタートしていたとは
私は新聞各紙を隅々まで読む方だが
「バハ1000」の記事は1行も載っていなかった


レースは30秒間隔で次から次へとスタート
戸井十月のチーム「エル・コヨーテ」(ゼッケン№212)
は80台目にスタートした(中略)

2番手に走行した松井勉が転倒打撲するなど
サスペンスドラマを絵に描いたような
戸井十月のバハ1000は終わった

完走したライダーに与えられる栄誉はこの小さなパッチ一つ

エルコヨーテのチームメイトと喜びを分かち合う戸井十月
みんな「ユーラシア大陸紀行」で見慣れた顔ぶれで
私も一緒に祝杯をあげてしまった

癌の告知から7カ月
「挑戦すれば必ず何かある
骨を折った悔しさはあるがいろんなカタチでこの先
生きていけるという自信はついたよね」と戸井十月
番組に関心のある方は
NHKオンデマンドで
配信は2月21日まで
2012年02月12日
神仏習合の滝山寺「鬼まつり」
予てから観たいと思っていた
滝山寺「鬼まつり」を初めて観た
岡崎の滝山寺は天武天皇の勅願によって創建された古刹で
境内には三代将軍徳川家光の名によって建立された
久能山・日光と並ぶ三大東照宮の一つ「滝山寺東照宮」
五代将軍綱吉が建てた鐘のお堂など
歴史マニアには垂涎のパワースポットとして有名
「鬼まつりは」は天下太平・五穀豊穣を目的に
鎌倉時代からはじめられた滝山寺の伝統行事で
見どころは、運慶作と伝えられる
祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が登場し
松明を持った伴が駆け巡る「火まつり」



平時は境内の駐車場まで車で入れるが
さすがにこの夜は無理
遠くに車を止めて徒歩で滝山寺の参道へ
祭りには夜店がよく似合う

滝山寺の本堂まであと少し


最後の長い石段を登ると境内は人ひと人でいっぱい
時計を見ると午後7時20分
予定では五穀豊穣を願う狂言が演じられているはずだが見えない
そこは慣れたもので肩を右にしたり左にしたり
ウナギがくねるようにして最前列へ



「鬼まつり」のクライマックスは「火まつり」
肉眼では祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が見えたが
デジカメではやはり無理

滝山寺の「鬼まつり」を観た!
と言ってもニュースで見た程度でしかないが
それでも百聞は一見にしかず
何百年にわたって地域の人たちによって護られてきた
神仏習合のカオスは理屈抜き
民俗の深層の森にわけいって行くような
高揚感に夜が更けていくが
この道を行くしかない
2012年02月08日
豊田市美術館 今季は全館写真でサプライズ!
ニューズウィークで
新聞を読んでいる暇はない
7日(火)農村舞台アートプロジェクトの最終委員会が開催された
事務局から事業報告の概要説明のあと全員でフリートーク
行政絡みの委員会というと事務局主導の紋切り型の委員会が多いが
この委員会は文化活動を展開する市民の有志が立ち上げたあと
行政(事務局)を巻き込んだ経緯もあって
行政は委員の無手勝流の暴走(?)を押さえるのに必死で笑ってしまう
この日も事務局の事業報告の概要説明をうけたあと
ブレーンストーミング(グループによるアイディア発想法の一つ)
と、言えば格好はいいがみんなドンキホーテの集まりで
善良な文化振興財団(事務局)の職員は大変
私も他人ごとではない
今後の展開の指針となる農村舞台報告書(A4版150頁程度を予定)の
タイムリミットが刻々とせまっているからで
ニューズウィークで新聞を読んでいる暇はない
さあどうしよう
豊田市美術館で目の保養
あわてないあわてない
こんなときは目の保養がイチバン
豊田市美術館に立ち寄って
吉田美術館長とアート談義をしたあとぶらりぶらり


豊田市美術館は谷口吉生の代表建築として世界的に注目されているが
ピーターウォーカーのランドスケープデザイン(修景)もさすが
本物は本物を選ぶということで納得
山本糾-光・水・電気
山本糾の写真を初めて見たのは名古屋栄の画廊で
彫刻家の今井謹郎さんに薦められて足を運んだことを覚えている
画廊の名前は忘れてしまったが狭い階段を上がっていくと
モノクロームの「雲」が20点ほど展示されていたが誰もいない
そのときの光景を今もよく覚えている
「雲」を見ているのに光のシャワーを全身で浴びたような
静かな衝撃を受けたからである
あれから30年近く経った
山本糾も見たいが昔の自分に会えるかも知れないと
ワクワクドキドキ

山本糾の写真について解説した学芸員の一文
「雲」は「水」に代わっていたがキーワードは「光」で
山本糾はあの時のまま

で、こちらが山本糾展のチラシ
ここまで引っ張っておいて詐欺みたいなものだが
展覧会の解説はめんどくさいため省略(ゴメン)
今季は全館写真でサプライズ!
山本糾一人で十分満足できるのに
今季の豊田市美術館は特別展も写真のサプライズ
もし私の記憶に間違いがなければ
豊田市は確か有数の写真コレクションをもっているはず
市内在住で岳人の編集長を歴任した
山岳写真研究家の杉本誠さんが企画した
◎世界的な文化人類学者の「フォスコ・マライーニ写真展」(1989年)
◎写真展「ウェストンの見た明治・大正の日本」(1996年)
▲「日本の山岳写真80年」(1998年)
◎「今、地球を歩く水越武写真展」(2000年)
▲「新世紀を拓く世界の10人の山の写真家展」(2001年)
の写真が杉本さんの尽力で豊田市に寄贈されたはず
(注釈)◎⇒確実 ▲⇒不確定(自信がない)

余談に逸れたが
こちらがもう一つの写真展
「みえるもの/みえないもの」のチラシ

豊田市美術館は定期的に所蔵作品展を開催し
コレクションの全容を公開しているが
本展は写真に関係したコレクションを中心に構成したもの
所蔵作品だけで
これだけの勝負ができるのは驚きの一言!
普通の美術館であれば
大概これで体力を消耗してしまうところだが
常設展でクリムトやエゴン・シ―レなど
「ウイーン分離派」が待っているという贅沢さ
ふるさと自慢というのは笑ってしまうが
まあ、こんなものでご容赦を

会場で中川幸夫を見つけて嬉しくなってしまった
確か学芸員の都筑さんが
「中川幸夫のファン」と言っていたのを覚えているが
こうした形で見れるのは幸せ
写真は「中川幸夫の花」(求龍堂)から転載

こちらはボルタンスキー
■会期は
山本糾展⇒4月8(日)迄
みえるもの/みえないもの⇒3月25日(日)迄
■アクセスは

■問合せは
豊田市美術館☎0565-34-6610
今夜は飲みに出かけるつもり
こんなことをしていていいのかな
2012年02月04日
NHK金とく 飛騨古川の三寺まいり
NHK名古屋放送局制作の「金とく」は、内田勝康アナが登山家の田部井淳子と組んで挑んだ「北アルプス大縦走」。ショートスケートの勅使河原郁恵と組んで挑んだ「日本海から太平洋横断!自転車の旅」など、中部地区にこだわった特選番組で、好きな番組の一つ。

飛騨古川の三寺まいり(朝日新聞2012年1月16日朝刊)

3日の放送は、小正月の1月15日の夜、1000本以上のローソクが灯され、その灯りの中、町の人たちが町内の三つのお寺をまわる岐阜県飛騨古川の伝統行事「三寺まいり」をとりあげた。

番組は、この行事に欠かせない巨大ローソクづくりがはじまる秋から
雪に染まる初冬、幽玄なローソクの灯りに包まれる行事の二ヶ月を
ヴァイオリニストの古澤巌と

女優の緒川たまきの二人の案内で進行
キャスティングした番組ディレクターと
誠実な人柄で応えた二人に拍手(パチパチパチ)
祈る心が紡いだ奇跡の飛騨古川



三寺まいりで結ばれたご夫婦、飛騨の匠の技を受け継ぐ宮大工、和ローソクの伝統を守る職人、知恵と技の伝授が連綿と引き継がれる飛騨古川
祈る心が紡いだ奇跡のような美しい情景に言葉を失ってしまった
番組は4日(土)午前10時5分から
NHK総合で再放送の予定
見ていない方はお見逃しなく
2012年02月03日
すわらないで
ここまで来ると
豊田市美術館は目と鼻の先

豊田市駅から豊田市美術館まで徒歩で15分ほど
ここまで来ると豊田市美術館は目と鼻の先
お客様を迎える道標には道祖神が似合うと
だんごのような丘を二つ築いて
低い丘の上に石舞台のような陶のオブジェを設置した

タイトルの「すわらないで」は
美術館まであと少しだよ
というメッセージでつけたものだが
あるとき座っている人をみかけたときは嬉しくなってしまった
道標は無名性がいいと作品にサインもしていない
それでもタイトルだけはご挨拶に必要と
ステンレスのキャプションを何度か設置したが
誰かがいたずらするのか1週間ほどでなくなってしまった
そんなわけで今では作品のタイトルを知っている人はもちろん
私の作品と知っている人はほとんどいないのではないか
気分は少し複雑系だが
道祖神のように道標となって
行き交う人を見守ってくれれば嬉しい