2011年01月30日

街道てくてく旅に拍手


森上亜希子とおせっかいな
おばちゃんやおじちゃんに泣き笑い


私はスクラップマニアで、何十年にわたって文化関係、文芸関係、生活関係、地元関係、時事関係などなど、ジャンル別にファイルしてきた。職にあった当時は情報の玉手箱で整理を日課にしてきたが、ここ数年はA4の封筒に区分して放りいれたまま放置。それでも情報の都市鉱山で保存してきたが、いろんな意味でそろそろ処分を考える時期がきたようだ。

それにしてもこの国の政官業の体たらくはミットモナイ。これまで口を閉ざしてきたのは、付和雷同の輪に加わってはいけないという、私なりの矜持と言えば格好がいいが、どこかで諦めていたからだと思う。

いま、そのことを含めて反省している。きっかけはBSで再放送された「街道てくてく旅」で、番組についてはシリーズがはじまった当時から知っていたが、マジに見たのは初めて。





私が見たのは「熊野古道をゆく」春編と秋編のダイジェスト版で、旅人は元プロテニスプレーヤーの森上亜希子。春編は大阪~熊野本宮大社、秋編は田辺から伊勢神宮まで約650キロをただひたすら歩くだけ。

単調といえばこれほど単調な番組はないが、真実に勝るサスペンスはない。てくてく旅で出会うおせっかいなおばちゃんやおじゃん、笑顔がステキな森上亜希子。日本って捨てたもんじゃないと嬉しくなってしまった。自分も頑張らなくっちゃと思う。

朝日の28日付けオピニオンで、ジャーナリストの池上彰が「なぜ明るい面を見ないのか」と大手メディアの報道姿勢を批判していたが同感。

  


Posted by かとうさとる at 02:58 | Comments(0) | らくがき帖

2011年01月27日

かとうさとる展のご案内



初個展から今年で35年

以前は個展に#をつけていたが、めんどくさくなってやめてしまった。
#は年輪を数えるようなもので、あってもよかったのに…
と反省しているがあとの祭り。

ちなみに個展の回数を数えてみたが、20回まで数えて
また、めんどくさくなってやめてしまった。






第一回かとうさとる展(豊田市文化芸術センター)1976年
当時は行為に夢中で、仕事を記録するという認識がなかった。
唯一の記録がスナップとして撮ったこの一枚で
私のスタートを証明するエポックとなった。



名古屋のガレリアフィナルテで
かとうさとる展







35年前、床の間を離れた私の仕事は
いけばなからアートに越境したように見えるかも知れないが
身体の深層を脈々と流れているのは「空間をいける」という
いけばなの遺伝子で、私はその幸運を誇りたいと思っている。



かとうさとる展の
会期と場所はこちら










名古屋におでかけのご用なりともありましたら
是非お立ち寄りください。

ガレリアフィナルテの詳しい情報は
ウェブサイトで検索してください。  


Posted by かとうさとる at 00:21 | Comments(0) | いけばなから

2011年01月25日

市制60周年農村舞台第一回準備会開催


今日、市民文化会館で農村舞台アートプロジェクトの
第一回準備会を開催。長い行程の端緒についた。






写真は昨年試行した農村舞台アートプロジェクト
下山地区神明神社農村舞台のスナップ。
オジサンたちは舞台に背を向けて世間話に熱中
ここが世界のトヨタのおひざ元とは嘘みたい



これまでも何度も繰り返してきたが、豊田市は世界のトヨタの
おひざ元で先進的な工業都市のイメージが先行しているが
面積の約7割が森林という農山村型都市が実情である。

農村舞台のほとんどはこの森林地域の集落に点在。
高齢化⇒限界集落化という大きな悩みを抱えているが
地域まるごと文化資源として見直そうというのが
プロジェクトの主旨で、ある意味で豊田市の民度が
問われていると言ってもいいのではないか。







市制60周年ということで行政的なしがらみもあるが
この先、プロジェクトの経過を公開。
一人でも多くの人に関心をもっていただければと願っている。


梅一輪いちりんほどの暖かさ

帰路梅の開花が気になって
平芝公園の梅林に立ち寄った。






白梅はまだ二分咲きだが
このぐらいの開花がいい






紅梅は満開  


Posted by かとうさとる at 17:34 | Comments(0) | 農村舞台

2011年01月23日

まあ、なんとかなるでしょう



毎年「今年こそ!」と目標を立てるが達成率は数パーセントで
ほとんどが絵に描いた餅で笑ってしまう。
そこで考えたのがイヤでも目につくように
目標をボードに貼ってみた。





四つの生活目標と七つの実施目標に二つの検討目標
具体的な進行管理表まで貼り付けて手配は万全。
まあ、なんとかなるでしょう。  


Posted by かとうさとる at 00:00 | Comments(0) | らくがき帖

2011年01月21日

雲の切れまから陽が射してきた



懇意にしているマツタニの社長と
フィナルテの仕事の搬入方法について協議
空を見上げると雲の切れまから陽が射してきた。





なんかいいことがありそう
  


Posted by かとうさとる at 02:34 | Comments(0) | らくがき帖

2011年01月19日

タイトルは方舟


とにかく寒い

昔、半分に割った竹を火で炙ってソリを作って遊んだことや
雪合戦をして遊んだことを覚えているから
豊田で大雪になっても不思議ではない。
問題はエアコン生活に慣れて
体感温度の調節ができなくなったことで
とにかく寒い。


予告して退路を断つ

まだ技術的な問題や搬入方法など未解決の問題は残っているが
ガレリアフィナルテの個展プランを決めた。タイトルは「方舟」。
敢えて予告したのは退路を断つためで説明は不要。





写真は前回のガレリアフィナルテの個展
期日:2007年5月7日(月)~19日(土)
タイトル:かとうさんは農民作家
素材:籾殻、籾殻の燻炭、菰、段ボール、貫板、木工ボンド  


Posted by かとうさとる at 00:03 | Comments(0) | いけばなから

2011年01月17日

今朝は豊田も一面雪景色


営業にならない
私にチャンスをくれた
フィナルテのオーナーに感謝


予てから打診のあったガレリアフィナルテの個展が決まった。
日程については打診の段階で決まっていたが
勝手に思い違いをして、スタートが遅れてしまったが
営業にならない私にチャンスをくれたオーナーに感謝。


今朝は豊田も一面雪景色





綿の花をつけた山茶花の生垣






保見に移り住んで30年近くなるが
最初に目に飛び込んできたのがこの雑木林で
以来、「雑木林をまるごと作品にしよう」と何度思ったことか。
その都度、跳ね返されて今に至っているが
まだ諦めていない。






灰色のベールに覆われた豊田市美術館






七州城の隅櫓も雪化粧






言葉不要






「すわらないで」とタイトルをつけた私のパーマネント作品
豊田市駅から徒歩で美術館まで約15分ほど
ここまでくると美術館は目と鼻の先
真意は「一休みしていきませんか」という意味で
座っている人を見ると嬉しくなってしまう
 
  


Posted by かとうさとる at 02:43 | Comments(0) | とよた風土記

2011年01月14日

タイムトンネルの扉をひらく


野見山から水源までぶらりぶらり


遠出のチャンスの乏しかった田舎の小学生にとって
春と秋の遠足ほど待ち遠しい日はなかった。
そんな遠足の定番の一つが、野見山の山頂から尾根づたいに
水源(明治用水堰)まで歩く、片道8キロほどのコースで
目を閉じると、悪ガキたちの歓声が聞こえたような気がして
思わず振り向いてしまった。






野見山の名の由来は
相撲の神様野見宿禰を祀る
山頂の野見神社からつけられたもの。






沢の湿地でみつけたシデコブシの群生
自生個体群は絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている貴重なもの






野見山の山頂から見た豊田市の市街地
中央を北から南に蛇行するのが矢作川
右奥の白い橋が豊田大橋
その手前の白い橋が久澄橋
遠足はこの久澄橋を歩いて渡った。






山頂から西南の方向に振るとトヨタ自動車の本社が真下に見える






東南に振ると三河の山並みが続いている
遠くの構造物は第二東名となる東海環状の吊り橋
遠足は尾根づたいに水源まで下って行ったが
今から考えると小学生にはかなりハードで
昔のガキはみんな元気。


遠足のゴールは水源

西三河八市を潤す明治用水は
幕末から明治のはじめにかけ
全国に先駆けて開削された農業用水。
旧堰は近代土木の端緒となった歴史的産業遺産なのに
なぜか、知る人も稀で残念!






前回のブログ「平戸橋は文化遺産の宝庫」で土場とよばれる川湊の話をしたが、旧堰の船通しとよばれる閘門の遺構は、往時の矢作川の物流を物語る貴重な産業遺産の一つ。私は職にあった当時、文化財の担当者に「なぜ国指定にしないのか」と質したことがあるが、「かとうさんここだけの話だけど、僕たちも申請しているが建設省がウンといわない」と担当者。治水上邪魔な構造物という認識で、理由を聞いて唖然としたことがあるが、その期も何の処置もないということは、今も情況は変わっていないということらしい。






水源とよばれていた当時の明治用水堰
(豊田加茂の歴史下巻より転載)


余談にそれたが、
堰堤の上に幅1mほどの板が架けられていて
恐怖に足が竦んで板の上を這うようにして渡ったが
先生は「落ちんように気をつけよ」の一言で知らん顔。







目で見る豊田加茂の100年より転載


この堰の上を小学生に歩かせて平然としていた学校も大したもの






  


Posted by かとうさとる at 03:33 | Comments(1) | とよた風土記

2011年01月12日

今年の予定が決まる


人生の第二幕のラストステージに
素晴らしいチャンスを与えてくれた
「天」に感謝!



一年の計は元旦にありというが
ここにきてようやく今年の予定が固まった。







1月5日(水)読売新聞より転載


■地方紙のコラム「ぶんかの定点観測」の連載
■ガレリアフィナルテ個展/2月下旬~3月上旬
■農村舞台アートプロジェクトのプロデュース
■(仮)とよたの映像文化30年のコーディネート
■構成吟「衣里八景」の脚本
■私家版「花いける」(枝垂れ桜/紅葉/落葉)
などなど

他にも市制60周年関連の企画モノや
私も同人として参画している「Fの会」のいけばなイベントなど
不確定なものもあるが、どの予定も身に過ぎたもので
人生の第二幕のラストステージに
素晴らしいチャンスを与えてくれた「天」に感謝!


  


Posted by かとうさとる at 21:46 | Comments(0) | らくがき帖

2011年01月07日

平戸橋は文化資源の宝庫


衣里八景に詠まれた景勝地

平戸橋一帯の景について、「衣里八景」を刊行した江戸時代後期の漢学者永田蘭泉は、村人が急流の中で漁をしている光景を抒情豊かに詠んでいる。また平戸橋一帯は勘八峡とよばれ、昭和2年には愛知県10名勝に選ばれるなど、県下でも有数の景勝地として親しまれている。

こうした山地水に恵まれた地形は、西沢真蔵が私財を投じて開削した枝下用水、前田栄次郎が造営した前田公園、越戸ダムに活かされ、近年は「民芸の渓」として日本有数の規模の民芸館も整備されるなど、今も地域の生活や産業を支えている。






平戸橋のイメージイラスト
作画は平戸橋在住の画家吉田稔さん


ざっと平戸橋について述べたが、この下にとよたの物流を支えた産業遺産が眠っていることを知る人は少ないのではないか。「土場」と呼ばれた川湊で、河口の平坂(西尾)や大浜(碧南)から舟で運ばれた海産物は、中馬の背に積まれ、遠くは信州に運ばれた。



往時を偲ぶ土場の遺構





平戸橋から川相を見るとこの橋が山地と平地を分けていることがわかる。写真の左、中ほどの川に突き出た岩のあたり一帯が川湊の終着駅、彦宗土場。その上、家が見えるあたりが百善土場。右の上、竹藪の中に眠っているのが、岩村藩が利用したという記録(岩村歴史資料館)が残る越戸土場。付近には流れ橋の遺構も。






彦宗土場の賑わいを描いた古井彦宗家の襖絵
(渋谷朗-人と仕事-より転載)






対岸のトンネルは木材を引き入れる百善土場の遺構






上流から流されてきた木材は百善土場で大きな筏に組み直され、河口の平坂や知多半島に運ばれた。(目で見る豊田・加茂の100年より転載)






百善土場の貯木場(大正7年頃)






越戸土場の場所を標した説明板






越戸土場で荷揚げされた物資は堤防に設けられた「切れ所」を通って運ばれた。写真の石柱は「切れ所」の遺構。石柱に彫られた溝は、洪水時に板を差し入れて締め切り、水を防いだ痕。また石柱の位置は、矢作川が天井川と呼ばれていた当時の河床の高さを示すものとしても興味深い。






越戸の「流れ橋」の位置を標した説明板
渡し舟に代わって流れ橋が架けられたが伊勢湾台風で流失。


幻の未来図





余談に逸れるが、私は文化振興財団文化部長の職を辞してから、2年間「平戸橋いこいの広場」の所長を勤めた。暇な(?)私に何かできることはないか、と考えたのが市制100年を目標にした平戸橋の未来図で、平戸橋の文化資源を生かした試案をイラスト入りで作成。関係者に引き継いできたが、残念ながら絵に描いた餅とお蔵入りになってしまったらしい。

写真のイラストはそんな未来図の中の1枚で、流れ橋の復元が河川法の関係で難しいため、橋脚のない吊り橋として提案したもの。作画は平戸橋在住の画家吉田稔さん。






越戸土場のあった一帯は「お釣り土場」の通称からもわかるように
冬の寒ハエにはじまり、ウグイ、コイ、アユと最高の漁場として有名。
また河岸林は藪椿が群生。以前は大きな枝ごと伐らしてもらったが、
近年は散策を楽しむ人も多く、さすがの私も鋏がでない。






「藪椿の小径」のイメージイラスト








  


Posted by かとうさとる at 05:51 | Comments(0) | とよた風土記

2011年01月05日

春の訪れを告げる紅梅一輪



今年は、今年こそ、と言って60年の余が過ぎた。
性懲りもなく、また今年は、今年こそ、
と夢を見ているからドンキ・ホーテのようと笑ってしまう。

心中期するところがあった個展の予定も、先方の都合で延期になったが
雨降って地固まる。今しなければいけないことのカタチと順番が
確かな形で見えてきたから吉報と感謝。






恵那山遠望(平芝公園)







春の訪れを告げる紅梅(平芝公園)



  


Posted by かとうさとる at 02:42 | Comments(0) | フォト歳時記

2011年01月03日

お伊勢さんに初詣



作品プランは出かけの口実

10数年ほど前から想を温めてきた作品プラン
(アナログ画像と造形のコラボレーション)の可能性を探るため、
1月2日、初詣で賑わう伊勢神宮に足を運んだ。
と大層な理由をつけたが、
出かけの口実のようなもので笑ってしまう。





お伊勢参りの玄関口近鉄宇治山田駅


お伊勢さんまで名古屋から近鉄特急で1時間20分
バスを乗り継いでも1時間半と少し。






俗界と内宮神域をつなぐ宇治橋


根性なしの私は洪水のような人の流れを見てプランは早々に白旗。
ラジカセで音録がせい一杯。なんとかなるでしょう。






だれがつけたのか五十鈴川の名







伊勢の神前に日ごと欠かさずお供えされる酒は
灘の生一本「白鷹」と決まっているそうだが
伊勢は酒処で名酒の菰樽が積まれて壮観。






平成25年の式年遷宮に向けて
用材を伐りだす山の神に安全を祈願する「山口祭」にはじまり、
着々と準備が進められているが、浄財集めもそのひとつ。


正殿は見えるのに
前に進まない






みあげるような巨木の向こうに
内宮正殿が見えてきた






ところがこの人出
正殿は見えるのに前に進まない






前の写真からここまで進むのに2時間近く
倒れて警備員の担架に運ばれた人も






みんながお参りしている横を私はスル―(このバチあたり)







屋根から青い空に突き出した千木(ちぎ)







式年遷宮を待つ別宮の古殿地






最後に美味しいお神酒をいただいてご機嫌


冒頭のプランはお神酒が効いて白紙になってしまったが
何事もプラス思考が大事。(いい加減ということかも)


















  


Posted by かとうさとる at 03:54 | Comments(0) | らくがき帖

2011年01月01日

新年明けましておめでとうございます



いつものように夜があけて一日がはじまった
おだやかで時の流れが止まっているような年のはじめ
「今年こそ」と、なんど願ってきたことか

性懲りもなく、今年も願をかけたが笑いがイチバン
本年もどうぞよろしく






タイトル/禊(1988年) 
場所/猿投神社
器/猿投窯山田和俊「紅釉大鉢」


   


Posted by かとうさとる at 15:58 | Comments(0) | らくがき帖