2009年12月23日

豊田市美術館いまむかし











みんな山の学校とよんでいた



豊田市美術館が建っているのは

江戸時代に挙母藩の館があった場所で

七つの国が見渡せるところから七州台の愛称で親しまれてきた

明治41年9月

藩主の館跡に挙母町立挙母高等尋常小学校が移転

私が通った中小学校(現在の童子山小)の前身で

みんな山の学校とよんでいた






① 山の学校の愛称で親しまれていた中小学校

⑤の七州城図を重ねてみると

藩主の館跡に小学校が建っているだけで

江戸時代からほとんど変わっていないことがわかる

写真は昭和30年に撮影した人文字で

グランドは現在の美術館前庭として生かされている

左に隅櫓の石垣が見える

現在の隅櫓は昭和56年に再建されたもので

当時は蛇の巣があると言う噂で

みんな気味悪がって避けていた

左上は女学校と呼ばれていた豊田東高で

現在は移転して跡地利用が市民的関心事になっている

学校周囲の風景を見ると田んぼと畑ばかりで

私が農民作家と揶揄される理由がわかろうというもの(笑い)







② 山の学校のシンボルとなっていた大松。(昭和56年伐採)

野球をやっていた私たちワルガキにとって

大松を超えることは夢だったが

現実はエラーした球を探すのに必死で

それどころではなかった







③ 美術館の彫刻テラスから見た現在の市街地

①の写真と比較すると豊田市の変貌が一目瞭然







④ 中小学校のグランドを生かした美術館前庭

②の大松はこの前庭の中央正面の境界に聳えていた



いまむかしのキーワードは隅櫓






⑤ 挙母藩士の家に生まれた牧野敏太郎が描いた七州城図部分
(市指定文化財)

左上白く描かれているのが蓮池と呼ばれていた堀で

現在は美術館駐車場になっている

蓮池の右に隅櫓が見える







⑥ 昭和56年に再建された隅櫓

⑤の七州城図の隅櫓を目印にすると

現在の美術館の位置関係が理解いただけるのではないか



道祖神のように
道しるべになることを願って設置した
「すわらないで」







⑦ 道祖神のように道しるべになることを願って設置した私の作品

七州城図の右上

七州台の山と田んぼが接するあたりに設置した

私の作品「すわらないで」

遠方から電車できたお客さんを最初にお迎えするのが

この陶の巨大な座布団で

タイトルの「すわらないで」は

左の築山と対で「ごあいさつの」のつもりだが

みんな笑ってとりあってくれない

ちなみに、この作品は道祖神のように道しるべになれば

との思いから無銘にしたため

私の作品と知っている人は皆無。



平成7年(1995年)11月
豊田市美術館開館







⑧ 平成7年(1995年)11月豊田市美術館開館






⑨ 美術館の彫刻テラスから逆光の隅櫓を見る  


Posted by かとうさとる at 00:47 | Comments(3) | 美術・博物館+ギャラリー