2014年02月27日
歴史ミステリーこの道標の立っていた場所を探せ

郷土資料館の庭で咲く枝垂れ梅
BSプレミアムで
「妻は、九ノ一」の再放送がはじまった
見るのは三度目だが何度見てもいいものはいい
余談に逸れたが
前のブログで記したように
昨日、松谷敬一さんの葬儀に参列した帰路
豊田市郷土資料館の「一弓入魂」に足を運んだ
この道標は
どこに立っていたのかな

安政3年(1856年)9月に立てられた道標
道標は今でいう道路標識で
ナビがない時代この標識にどれほどの人が安堵したか
想像に難くない
多くは道路改良で取り壊されて
近代的な標識に代わってしまったが
今でも古道や旧道を歩くと
路傍にひっそりと佇んでいる道標を見かけることがある
郷土資料館には役割を終えたそんな道標が何本も移設され
目を閉じると往時の旅人の姿が浮かんでくるようだ




私は昭和42年(1967年)
郷土資料館がオープンした当時から通っているため
見慣れた風景になってしまったが
ふと生れ育った土橋の文字をみつけて足がとまった
身の周りの世界は小さくて広い
東⇒岩津天神(岩津)・屋くし(不明)・おかざき(岡崎)
西⇒土はし(土橋)・みや口(宮口)・なごや(名古屋)
南⇒うへの(上郷の上野?)・大濱茶屋(碧南)・亀さき(半田)
北⇒ころも(挙母)・さなげ(猿投)・あすけ(足助)
該当する当時の街道は
挙母城下から西に向かう「名古屋道」
同じく矢作川の堤防沿いに南に下る「岡崎道」
同じく樹木を経て矢作川の河口の大浜村(碧南市)
に向かう「大浜道」の三つ
東西南北の行先からこの道標が大浜道で
名古屋道と岡崎道が交わる場所に
立てられていたことがわかる
調べれば具体的な現在地を特定できるが
今回はここまで
こんな風に道標一つでも少し関心をもてば
いつも見る風景が変ってくるから
身の周りの世界は小さくて広い