2012年01月18日

新聞は私の生活の一部のようなもの













フォト彩事記





写真の正面に白く見えるのは枯れた松
去年の今頃だったと思うがこの松の梢に
白鳥が一羽とまっていた






主のいない湖面は時間が静止してしまったよう





ここは読む力(複眼力)を
鍛えるしかない



私は根っからのドラゴンズファンで
当然のように新聞も中日と決まっていたが
気がついたら朝日新聞に代わっていた
決めたのは2年前に亡くなった妻で
私の朝日歴はかれこれ30年近くなる

そんな訳で私の1日は朝日新聞に目を通すことからはじまる
夜は夜で「社会の出来ごと」「文化」「生活」「地域」「医療福祉」
「連載もの」「ハウツウ」などなどジャンル別にスクラップ

もうひとつの日課は行き付けのニューズウィークで
中日、毎日、読売、日経、スポーツ紙などに目を通し
気になった記事がある場合はコンビニで買ってスクラップすること
だから新聞は私の生活の一部のようなものと言ってもいい

たかがスクラップとみんなは笑うがスクラップという作業を通して
記憶の手がかりが残るから人間の五感というのは不思議なもの

問題はこのスクラップが意外と難儀で
スクラップを習慣にしている私でも1週間溜まったらアウト

もう一つの問題は
中枢記事に恣意的と思われる編集が入りはじめたことだが
考えて見れば新聞は記者という人材が全てで
そういう意味では最も高コストの企業ということになる
そこには経営上のジレンマが出るのは当然

ここは読む力(複眼力)を鍛えるしかない



前置きが長くなったが
簡単に12日の紙面から







村上隆はニューヨークのオークションで生存する作家としては
当時の為替レートで約16億円という最高額で落札されるなど
今世界に最も影響力のあるアーティストの一人
そんな村上隆がオピニオンのインタビューで登場したから目から鱗

取材した記者の
《「思いの丈を全身全霊で作品に表現している」。五百羅漢図に取り組む村上さんは、倉庫を改造した巨大なアトリエ狭しと駆け回っていた。政府の震災対応や日本のアート状況に対し、憤りも口にした。怒りをエネルギーにするかのようにブルドーザーのごとく前へ前へ進む。熱く、圧力さえ感じさせる生き方に圧倒された。》とう感想が全て

難しい話をしなくても難解と敬遠されるアートの現在と
この国の構造矛盾と勉強不足が一度に分かってしまう
タイムリーヒットで記者に拍手







「記者有論」は朝日の記者版「多事争論」

記者は年末年始商戦の「絆」の氾濫について問題提起しているが
「絆」の氾濫の根は商業モラルの問題ではなく
村上隆の憤りと根底で重なるためセットでお薦め


  


Posted by かとうさとる at 02:35 | Comments(0) | らくがき帖