2010年10月18日

挙母祭りに足を運んだ


祭りの記憶はセピア色

半世紀余の前、当時の子どもたちにとって、生れ住んでいる在所は国家のようなものだった。普段はハナをたらしてケンカばかりしていた悪ガキも、ひとたび見知らぬ侵入者を見つけると、みんなでつけ回し、国外に追放するのが掟になっていた。

そなん悪ガキたちも町の子は苦手だった。子ども心にも自分たちの粗野が恥ずかしく、見るもの全てがハイカラで眩しかったからだ。


挙母祭りに足を運んだ


なかでも挙母祭りは鮮烈だった。飾り馬しか見たことのない悪ガキにとって、豪華な山車と祭囃子の音色は都の祭りそのものだった。


今日(17日)、デスクワークの合間をぬって
その挙母祭りに足を運んだ



挙母祭りに足を運んだ


挙母祭りは、挙母町の総鎮守の神である子守大明神の大祭に奉納される当地で最も華やかな祭りで、掛け声と紙吹雪の中を八台の山車が駆ける様は勇壮で必見。上の絵は子守明神(挙母神社)境内の山車揃の場面から挙母城内(豊田市美術館が建っている場所)へ山車を曳き入れられる様子を描いた「子守明神祭礼絵巻」の部分。(「豊田市の城下町展」図録から転載) 


みんな知らない顔ばかり


挙母祭りに足を運んだ


挙母祭りの最大の見せ場は八台の山車が各町に戻る「曳き出し」。
イモを洗うような混乱の中で、山車の周辺は「曳き出し」を前に
近寄り難いのか、ブラックホールのように空いていた。


挙母祭りに足を運んだ


当時、豊田市はまだ挙母市とよんでいた。
人口も五万人程度の小さな町で、町の子たちも野球や相撲などの学校対抗で顔に覚えがあって、ひと目でわかった。普段は威張っていた悪ガキ仲間も、この日ばかりはみんなお上りさんで笑ってしまった。

雑踏の中で誰かが「さとる!」と呼んだような気がして、思わず振り向いてしまったが、みんな知らない顔ばかり。また一つ私の居場所が消えてしまったが、この道を行くしかない。




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Posted by かとうさとる at 03:45 | Comments(0) | とよた風土記
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