2014年04月18日

小田木の人形座 ルーツは伊那谷の人形芝居?














4月5日(土)
小田木人形座準備会は
大阪能勢町「能勢人形浄るりシアター」と
交流会を開催した





    4月18日発行矢作新報「ぶんかの定点観測」より転載


全国各地の人形のカシラを識る
能勢人形浄るりシアターの松田館長は
小田木人形座のカシラを一目見て
関西系と関東系が混在していると指摘

準備会はまた一つ
小田木人形座のルーツを探るヒントを得た




道の文化が運んだ
伊那谷の人形芝居群




  




   財団法人ポーラ伝統文化振興財団は
   「心の美」となる無形文化財に対する伝承と保護を基本方針に掲げて活動
   企業のステータスの一つにメセナ活動があるが
   プレゼンだけが先行している企業があるなかでポーラの活動は本物
   
   「伝統と文化」はポーラ伝統文化振興財団の機関誌で
   日本の民俗と美意識が連綿として息づく多様な無形文化財を
   初心者にはわかりやすく
   経験者にはその奥深さを謙虚に学ぶことができる良書
   興味のある方は財団法人ポーラ伝統文化振興財団で検索をお薦め



同じように
関西系と関東系の人形が混在していると
いわれているのが
三河(豊田市)と中馬街道が結ぶ
伊那谷の人形芝居群だ


「出馬千疋入馬千疋」を数え
東西の物流の要衝として繁栄した飯田は
古くから諸国の異文化をもった旅人が往来
神楽・念仏踊・歌舞伎・人形浄瑠璃など
多種多様の芸能が集積し
伊那谷の寺社や集落に分散土着した

映画「千と千尋の神隠し」の湯治場の
モデルになった遠山郷の「霜月まつり」
同じく「大鹿村騒動記」の舞台となった
大鹿歌舞伎など
話を聞けば思い当たる人も
いるのではないか

中でも人形芝居は往時
30余の座を数えたというから
江戸時代の中頃
伊那谷に想像を超える人形ブームが
起きたことは間違いない

現在でも黒田人形保存会、今田人形保存会
早稲田人形保存会、古田人形保存会が
国選択無形民俗文化財に指定されるなど
中・近世芸能史の宝庫として
関係者の注目を集めている



黒田人形と人形舞台



   黒田では元禄年間(1688~1703)に正岳真海と言う僧侶が
   義太夫・三味線・人形などの遊芸を黒田の人々に教えたのが始まりと言われ
   以来、300年余にわたりその伝統が受け継がれ現在に至っている
   


   現存する黒田人形舞台は天保11年(1840)に建て替えられた黒田人形専用舞台
   間口8間・奥行き4間・総ニ階建て瓦葺き出桁造りで
   文化庁は建立の古さ・規模の壮大さ・工夫された装置など
   建築史上貴重な舞台として昭和49年(1974)
   国の重要有形民俗文化財に指定した



黒田人形を観るなら



   左の太夫が黒田人形保存会の高田正男会長
   ローマは一日にして成らずというが
   伝統とは創造の連続と高田会長の背中を見て納得


■下黒田神社春祭奉納上演
毎年4月第2日曜日午後1時~
前日の土曜日午後7時~
■飯田人形劇フェスタ
毎年8月開催


今年は豊田市の
農村舞台アートプロジェクトにも出演

■日時:9月21日(日)午後6時~
■会場:小田木八幡神社人形舞台跡地



最後に下黒田神社春祭奉納上演より
さわりを少し











外題は
奥州安達原三段目袖萩祭文の段


娘を勘当した夫や召使の手前
やさしい言葉すらかけてやれない
母親「浜夕」

雪の寒さから持病で倒れた娘「袖萩」
倒れた母を介抱する孫娘「お君」
言葉を発しない人形が
生きているようで思わず落涙









  


Posted by かとうさとる at 12:40 | Comments(0) | 農村舞台