2011年01月14日

タイムトンネルの扉をひらく


野見山から水源までぶらりぶらり


遠出のチャンスの乏しかった田舎の小学生にとって
春と秋の遠足ほど待ち遠しい日はなかった。
そんな遠足の定番の一つが、野見山の山頂から尾根づたいに
水源(明治用水堰)まで歩く、片道8キロほどのコースで
目を閉じると、悪ガキたちの歓声が聞こえたような気がして
思わず振り向いてしまった。



タイムトンネルの扉をひらく


野見山の名の由来は
相撲の神様野見宿禰を祀る
山頂の野見神社からつけられたもの。



タイムトンネルの扉をひらく


沢の湿地でみつけたシデコブシの群生
自生個体群は絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている貴重なもの



タイムトンネルの扉をひらく


野見山の山頂から見た豊田市の市街地
中央を北から南に蛇行するのが矢作川
右奥の白い橋が豊田大橋
その手前の白い橋が久澄橋
遠足はこの久澄橋を歩いて渡った。



タイムトンネルの扉をひらく


山頂から西南の方向に振るとトヨタ自動車の本社が真下に見える



タイムトンネルの扉をひらく


東南に振ると三河の山並みが続いている
遠くの構造物は第二東名となる東海環状の吊り橋
遠足は尾根づたいに水源まで下って行ったが
今から考えると小学生にはかなりハードで
昔のガキはみんな元気。


遠足のゴールは水源

西三河八市を潤す明治用水は
幕末から明治のはじめにかけ
全国に先駆けて開削された農業用水。
旧堰は近代土木の端緒となった歴史的産業遺産なのに
なぜか、知る人も稀で残念!



タイムトンネルの扉をひらく


前回のブログ「平戸橋は文化遺産の宝庫」で土場とよばれる川湊の話をしたが、旧堰の船通しとよばれる閘門の遺構は、往時の矢作川の物流を物語る貴重な産業遺産の一つ。私は職にあった当時、文化財の担当者に「なぜ国指定にしないのか」と質したことがあるが、「かとうさんここだけの話だけど、僕たちも申請しているが建設省がウンといわない」と担当者。治水上邪魔な構造物という認識で、理由を聞いて唖然としたことがあるが、その期も何の処置もないということは、今も情況は変わっていないということらしい。



タイムトンネルの扉をひらく


水源とよばれていた当時の明治用水堰
(豊田加茂の歴史下巻より転載)


余談にそれたが、
堰堤の上に幅1mほどの板が架けられていて
恐怖に足が竦んで板の上を這うようにして渡ったが
先生は「落ちんように気をつけよ」の一言で知らん顔。




タイムトンネルの扉をひらく


目で見る豊田加茂の100年より転載


この堰の上を小学生に歩かせて平然としていた学校も大したもの








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Posted by かとうさとる at 03:33 | Comments(1) | とよた風土記
この記事へのコメント
時々多摩川に行くのですが、取水堰などがいくつかあって、見あきることがありません。
矢作川にもこんなに素晴らしい堰があるとは、訳もなく嬉しい気持ちになっています。
それにしてもさとるさん、「人生最後のステージ」とは、まだちょっと早すぎますよ。
Posted by risi@いけばな at 2011年01月16日 10:09
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