2009年10月01日

暮色の豊田大橋を渡る


激動の時代に生きる

10年の余が過ぎたが、未だに昨日のことのように覚えている新聞のコラムがある。「大きな歴史の節目になると、社会全体を独特の雰囲気や空気が覆うことが多い。自分がどこにいるのかわからなくなったとき、人は巨大な存在を手掛かりに居場所を確かめようとする。そのために、古くから人間の創造力は多くの巨大なものを生み出してきた。」という切り口で、20世紀末の気分とその背景を解き明かした。

私にとってその巨大な存在の一つが豊田大橋で、この橋を通るたびに塞いだ気分が解き放されていくのがわかる。そんな訳で診療所に薬を受取りに行くコースを変更して豊田大橋に向かった。


暮色の豊田大橋を渡る

豊田大橋の正面。背景に見えるのは豊田スタジアムで、デザイン・設計はともに亡くなった建築家の黒川紀章。豊田大橋は橋から直接河川敷に降りることができるなど、歩行者と親水性を重視したため、当然のように通常の橋よりも割高で、一部の週刊誌がバルブ大橋と書いた。市民も賛否で割れた。この橋を通った神谷満雄先生(鈴木正三研究家)は、「日本はバルブのとき飲み食いしただけで、後世に残るモニュメントを造らなかった。豊田市は豊田大橋を造った。もっと評価しなければ」と話したが同感。


暮色の豊田大橋を渡る

グランパスの試合やコンサートなどがあると
大橋の歩道は縁日のように人でであふれる


暮色の豊田大橋を渡る

手前は下流に架かる久澄橋。後方に見えるのが豊田大橋。
右の突起物は豊田スタジアム。竹藪の向こうに矢作川が流れている。



残り花をトイレに飾る

豊田大橋からトイレへ。スケールが一気にダウンしてしまったが、
リフレッシュはまず身近な足元から。


暮色の豊田大橋を渡る

花:みずひき、ヒメヒマワリ、器:作家ものだが名前を失念


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Posted by かとうさとる at 00:58 | Comments(0) | とよた風土記
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