2016年10月17日
ルビコン川を渡った挙母祭り
挙母祭りは
旧挙母の総鎮守の神である子守大明神(挙母神社)の大祭で、県の無形民俗文化財に指定されている八台の山車が奉納され、とよたで最も華やかな祭礼として親しまれている。
祭りの起源ははっきりしないが、寛永年間には行われていたことがわかっているそうだ。
下の絵巻は
内藤藩の時代、挙母神社から挙母城内に曳き入れる様子を描いた「子守明神祭礼絵巻」(部分)だが、現在の祭りと比較すると興味深い。
絵は挙母神社を曳き出された山車が七州城(現在は豊田市美術館が建っている)に向かって進んでいる所を描いた部分。幟に神明町とあるから山車は新明町のもの。幟の先に一本の松が描かれている。伝え聞く熊野の松と思われる。左の三叉路は現在の郵便局の西、山車はここで左に曲がり御殿坂を登って挙母城内に向かった。20年代までこんな田園風景が残っていたから、時代が大きく動いたのはそんなに古い話でははない。
絵は挙母城内で勢揃いした山車の部分。山車の前では披露されているのは子ども歌舞伎。藩主は各町の出来栄えを批評し、「祭り評判記」としてまとめ、子守薬師の縁日に神楽殿に掲示されたというから、各町は面子をかけたことは想像に難くない。
(「豊田市の城下町展-中世~江戸期の豊田-」の図録より転載)
こちらは
大正時代の山車の曳き回し↓
場所は旧の竹生通り。正面の山車の後方に写っているのは竹生通の外れにあったという伝説の大松。残念ながら山車の上に人が乘っているかどうか、判明できないが、この頃から電線を避けるために山車の屋根に人が上がったらしい。
(「挙母-資料に見る明治・大正・昭和のあゆみ」より転載)
ルビコン川を渡った挙母祭り
余談に逸れるが、昨年文化庁は32件で構成する「山・鉾・屋台行事」をユネスコの世界無形文化遺産候補として提案すると発表した。
内、愛知は「尾張津島天王祭りの車楽舟行事」(津島市・愛西市)「知立山車文楽とからくり」(知立市)「犬山祭り車山行事」(犬山市)「亀崎潮干祭りの山車行事」(半田市)「須成祭りの車楽船行事と神葭霞流し」(蟹江町)の5件で最多。
残念ながら挙母祭りは、アップした絵巻を見てもわかるように。江戸期の山車行事と現在は大きく変質しているため、可能性は限りなくゼロに近いのではないか
当然のように一部の文化財関係者はユネスコ以前から「行き過ぎ」と警鐘をならしてきた。私も警鐘を鳴らす側に賛同してきたが、昨日、久しぶりに挙母祭りの曳きだしの熱気を見て、考えが変わった。
もともと祭りは町衆(市民)のエネルギーが爆発したもの。ルビコン川を渡ってしまった現在、元には戻れない。まさに伝統と創造の葛藤。新しい価値観が生まれる瞬間に立ち会っているように思えたからである。
前置きが長くなってしまったが
こちらが現在の挙母祭りの曳き出し↓
挙母祭りの山車は戦車のような「だんじり」とは別物
写真でもわかるように山車が傷むのは
文化財関係者の指摘を待つまでもなく自明
しかも事故が起きないのが不思議
考えは変わったと言ったが
祭りにリスクはつきものと思えども気分は複雑系
午後4時、打ち上げ花火の合図で、華車を先頭に八台の山車が一斉に曳き出されると、境内は興奮の坩堝。ユネスコ云々と薀蓄を垂れている自分が小さくて笑ってしまった。
Posted by かとうさとる at 15:26 | Comments(0) | とよた風土記