2012年05月17日
百善土場今むかし
カキツバタと言えば伊勢物語に描かれた三河八橋が有名だが
私が生れ育った土橋は
唐衣きつつなれにし妻しあれば
はるばるきぬる旅をしぞおもう
と詠まれた八橋を流れる逢妻男川の最上流部にあたり
田に水を張る頃はカキツバタの群落が
いたるところで見られた
いまは工場地帯のど真ん中で夢のまた夢になってしまったが
過日、百善土場にカキツバタが咲いていたのをふと想い出して
クルマを停めた
夏草や兵(筏師)どもが夢のあと
百善土場(どうぜんどば)の名の由来は江戸時代から続く
百々町の材木問屋今井家が代々善六を名乗ったことから
百々町の「百」と善六の「善」からつけられたもので
写真の石造りのアーチは矢作川と貯木場をつなぐ水門
平戸橋の越戸ダムができる昭和のはじめ頃まで
矢作川上流で伐採された木材は、時瀬(旧旭町)や小渡(同)
百月(旧小原村)月原(旧足助町)の筏土場で筏に組まれ
矢作川を下り百善土場に集められた
写真は大正11年旧旭町の時瀬を下る筏
(目で見る豊田・加茂の百年より転載)
百善土場の貯木場に集められた木材は
再び筏に組み直され河口の平坂(西尾)や
遠くは知多半島まで運ばれた
写真は大正7年頃の百善土場の賑わい
(目で見る豊田・加茂の百年より転載)
(注釈)
二枚目の写真は同じ角度から撮ったもの
下の写真は左上の搬入路の現在
夏草や兵(筏師)どもが夢のあと
Posted by かとうさとる at 01:35 | Comments(1) | とよた風土記
この記事へのコメント
おはようございます、加藤さん!
家の近くなのに正確な名前や言われなど知りませんでした。
また昔の貴重な写真もありがとうございました。
私は百々の貯木場といつも呼んでいました。
家の近くなのに正確な名前や言われなど知りませんでした。
また昔の貴重な写真もありがとうございました。
私は百々の貯木場といつも呼んでいました。
Posted by 春ちん at 2012年05月17日 10:53