2014年01月02日

小さな幸せが大事 












延喜式神名帳は
神社ハンターの必携アイテム



昨年は伊勢神宮の式年遷宮
出雲大社の平成大遷宮など神社ブームに沸いたが
遠くに行かなくても
近場の神社の由来を想像しながら巡るのも
ローカルな発見があって楽しい

ただ、想像すると言っても手掛かりがないと難しい
入門編は平安時代に施行された延喜式神名帳(式内社)に
記載された神社から入るのがお薦め


猿投神社は
近場のお伊勢さん




    大正時代の猿投神社/図説「豊田加茂の歴史」(郷土出版社刊)より転載
    猿投神社は盛期には20余坊の神宮寺があったというから
    明治の神仏分離令によって消えた神宮寺の痕跡を探すのも
    歴史ミステリーでお薦め
    


市内には七つの式内社があり
それぞれに来歴があってわくわくするが
中でも猿投神社は別格

神社の由来によると
猿投神社は景行天皇の第一皇子
大碓命(日本武尊の双子の兄)を祭神とし
宮内庁が管理する猿投山頂近くの東の宮と西の宮とあわせて
猿投三社大明神として古くから崇敬を集めてきた




    「猿投神社大祭絵巻」(部分)/同上「豊田加茂の歴史」より転載

上の絵図(村上昭氏蔵・豊田市郷土資料館)は
棒の手の集団が飾り馬を警護する
猿投祭りを描いたものだが
三河・尾張・美濃から186カ村が参集し
神輿渡御、火縄銃、棒の手奉納、献馬などが行われたというから
その華やかさと賑やかさは想像するだけでも胸が躍る

一口に186カ村というが
今で言えば三つの国と186の地域が集まったようなもの

当然のように起きるのが村々の面子をかけたケンカで
猿投祭りを別名ケンカ祭りと呼んだのも納得

これは農村舞台を調べていてわかったことだが
藤岡町誌によると
当時、三つの村が交代で警護にあたっていたが
藤岡地区の下川口村が警護のときに門の入り口付近で
ケガ人がでるケンカがあり
怒った下川口村が猿投祭りから脱退

下川口村は棒の手の奉納も辞めて
農村舞台で恵那系の人形浄瑠璃を楽しんだといから
歴史もいろいろ



時は流れて初詣














小さな幸せが大事








  


Posted by かとうさとる at 23:02 | Comments(0) | とよた風土記