2011年08月15日
農村舞台アートプロジェクトの経過報告(16)
しばし休息

地元協議の四日目 下山から旭に移動中
足助境で田之士里湿原の矢印看板を見つけて小躍り

湿原の脇を流れる水音に耳を傾けてしばし休息

しばらくすると漆黒の美しい蝶々が飛んできて私の足元にとまった
(どこにいるのかわかるかな)
リレー個展地元協議の五日目
今日(14日)は14時スタートということで、洗濯をしたあと仮眠。ほんの少しのつもりでいたが熟睡してしまい、時計を見ると12時半。着の身着のまま慌てて家を飛び出したが、そろそろ体力の限界かも。(要注意)
先ずは前日(13日)の阿蔵町須賀神社農村舞台から
阿蔵町須賀神社農村舞台⇒新宅雄樹(絵画)

「阿蔵の念仏踊り」で知られる下山地区の阿蔵町は、奥三河の設楽町と接する市境の集落で、そんな先入観があるせいか、私など奥三河文化圏の影響を色濃く感じてしまう。農村舞台のフィールドワークの楽しみは、同じ市内でありながら奥三河文化圏、東濃文化圏、南信文化圏などなど、異質の空気感を体感できることで、一口に農村舞台と言うがその背景は多様で興味は尽きることがない。
阿蔵の須賀神社農村舞台は幕末から明治初期の建物と推定されるが、当初は萱ぶきで回り舞台のあった本格的な地狂言の舞台で、隣接する国指定の設楽町田峯観音の農村舞台などの関係を調べてみるのも面白そう。

須賀神社農村舞台の内部。萱ぶきの天井に吊るされた太鼓は阿蔵の念仏踊りに使う太鼓。前回見たときは沢山あったため話を聞くと「15日に本番があるため練習で使っている」とのこと。

ベテランの石川泰弘さんが難儀をした重厚な空間で
気鋭の新宅さんがどんな仕事をするのか楽しみ
写真は制作方法の打合せをする作家の新宅雄樹さん(右)
背中は「しもやま里山協議会」会長の青山さん
左は阿蔵町組長の横山さん
小松野町日月社農村舞台⇒本多晋一郎(彫刻)

写真を撮ろうとしたらカメラの電池が入っていない
昨夜充電のため抜いたことを思い出したが後の祭り
写真は目視調査で撮った小松野町日月社農村舞台
「使っていただいて集落の人もみんな喜んでいるが、舞台が痛んでいるため本当に使えるかどうか心配している」と米田小松野組長さん。「いまの舞台を生かした仕事をしたいので大丈夫です」と本多さん。
日月社は私も食指が動いた舞台で楽しみ