2009年10月16日
現代いけばなを拓いた大坪光泉さん
民俗性と不易流行という
同時代性を併せ持つ現代いけばな
もし、私がヴェネチアビエンナーレ日本館のコミッショナーであれば、現代いけばなの旗手といわれる何人かの作家を推す。理由は日本という固有の民俗性と不易流行という同時代性を併せ持つのは、サブカルチャーの現代いけばなをおいてないからである。
中でも第一に推すのが現在北京に在住している大坪光泉さんで、大坪さんの他に比類のない、風のようなしなやかな発想と確かな仕事を世界に発したいと思うのは、私一人ではないのではないか。
次はイベントで、全世界のメディアを招いたオープニングは、鈴木五郎の巨大な焼き物を使った婆娑羅の大茶会で決まりだ。アニメ、ファッションからオタクまで現代の風俗の粋を集めた破天荒なデモストレーションで、サンマルコ広場まで花魁道中にならって、顔見せ道中をしてもいい。どうせやるならこのぐらいやらないと面白くない。
余談に逸れたが、大坪さんは未だ正体のわからない怪人二十面相のようなもので、一筋縄ではいかない。そんなわけでエピソードと作品の一部を紹介して、あとは想像力を働かしてもらうしかない。
現代いけばなを拓いた大坪光泉さん

70年代のはじめ、私は地方で新しいいけばなの方向性を模索していた。そんなとき偶然見つけたのが、「週刊平凡」に掲載されたこの記事で、理解はできなかったが、何故かわくわくしてスクラップしたことを昨日のことのように覚えている。

龍生展のゴミの1/5 いけばな龍生展(東京上野松坂屋)1971年
「いけばな批評」だったと記憶しているが、同人の座談会で、現代いけばなの端緒となった出来事として「龍生展のゴミの1/5」を取り上げた。「いけることからも、つくることからも解放された、行為としてのいけばなのエポックをしるした」というのがその理由で、納得。

私が最も衝撃を受けた「植物人間」(1978年「いけばな龍生」11月号)

名古屋市文化振興事業団が主催した「表現としてのいけばな」は、一作家一部屋の個展形式で、現代いけばなの到達点をしるした画期的ないけばな展となった。企画したのは美術評論家の三頭谷鷹史さん、石田流家元石田秀翠さん、私かとうの三人で、人選を一任された私は、大坪光泉さん、現在はタレントとして活躍している假屋埼省吾さんをはじめ10人のいけばな作家に依頼。「表現としてのいけばな」を体現するテキストとして「植物人間」を選んだ。

化粧する大根(1989年)

リンガジャポニカ(1991年)

制作スナップ 「嵐の金曜日」を歌いながら(1993年)

制作スナップ 「嵐の金曜日」を歌いながら(1993年)
大坪光泉(おおつぼ こうせん)
栃木県足尾銅山の町に生まれる
1960年より龍生派、吉村華泉氏に師事。
写真は「現代のフラワー・アーティスト大坪光泉」より転載。
現在北京在住。「Fの会」同人