2009年10月19日

挙母まつりの曳きまわしを見た












祭りは生き物
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
過去・現在・未来をつなぐ



「挙母まつり」は
三河・尾張・美濃の各村が参集し
棒の手など農民の武芸を奉納する
「猿投祭り」とともに
当地を代表する大祭で
県指定の豪華な八台の山車が
勇壮に市中を練ることで知られている







豊田市駅前のロータリーを曳きまわす地元喜多町の山車


祭りは生き物で
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
過去・現在・未来をつなぐことは自明だが
この問題は悩ましい

「挙母まつり」も例外ではない
「挙母まつり」と言えば
山車の屋根の上に
若衆が溢れるように乗って
勢いよく曳きまわすことで知られているが
当初からやっていたわけではない

郷土史家によると
電線をよけるため竹を持った若衆が
屋根に乗ったのが始まりとのことで
いつか人数が増えて
屋根の上で祭りを鼓舞する
現在の形になったそうだ







山車の上に乗って祭りを鼓舞する若衆
末尾の絵図の山車と比較するとその違いは明白



当然のように
文化財としての山車を守ろうとする古老と
新たな祭りの創世に燃える若衆が
祭りのあり方を巡って対立したが
雨降って地固まるの喩にあるように
豪華さと勇壮さをあわせもった
「挙母まつり」として現在に至っている

久しぶりに
「挙母まつり」の曳きまわしを見て
達観するだけでは何も生まれないこと
いけばなもまた
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
同時代性のいけばなを創りあげることを確信
ここまできたらやるしかない







交差した二台の山車が紙吹雪のかけあいでエール
祭りはクライマックスへ



挙母まつりの由来


余談に逸れたが
「挙母まつり」の起源は
江戸時代のはじめ頃で
現在のような型態になったのは
文化文政年間の頃

当時は山車を大手門から
挙母城内(現在の豊田市美術館)に曳き入れ
藩主や重臣らに供覧

こうした町衆の心意気は
挙母ッ子の誇りとして
今も祭りの中に脈々と息づいている







挙母城内に引き入れられた山車
山車を舞台に演じられているのは子ども歌舞伎か
(「豊田市の城下町展 中世~江戸期の豊田」図録より転載)






左の池は挙母城内という絵図の設定と池の形から
蓮池(現在の豊田市美術館駐車場)とよばれていた濠
目にしたのは初めてだが想像していたとおりで感動







町内(竹生通り?)を練り歩く大正期の挙母まつり
家の軒より高い山車に
人々が畏敬の念を抱いたのは想像に難くない

  


Posted by かとうさとる at 02:44 | Comments(0) | とよたの文化