2009年02月13日

今日は春一番 蠟梅の残り花をいける



花:蠟梅、椿、松|花器:中島将夫青磁筒花器|自宅玄関



中島将夫という高麗青磁の名手がいた

私は何でも凝る方で一時期麻雀に嵌まったことがある。メンバーは小さな会社の社長、料理屋の大将、建築家、火葬場の運転手、舞台照明家、陶芸家、議員などで、なんでこんなメンバーになったかわからないが、みんな夜が明けるまで卓を囲んだ。天敵は陶芸家の中島将夫さんで、「ハブだ」の「マングースだ」のと互いに悪口を言って楽しんだ。

中島将夫さんは、美濃焼で知られる土岐の窯元の家に生まれ育ち、縁があって豊田市に移り住んだ。若くして家を出たため、社会的には無名だが、韓国を代表する陶芸家の池順鐸に師事をした高麗青磁の名手で、毎年夏になると韓国に渡っていた。私に気を使わせないためか、「いらな誰かにあげりん」と言って、新聞紙で焼き芋のように包んだ青磁の茶碗をいただいたこともたびたび。写真の青磁の花器も池順鐸の窯で焼いたものとのことで、やはり同じように新聞紙で包んで「あんた使いん」と言って煙草に火をつけた。

私の個展など自分のことのように寸暇を惜しんで助けていただいたが、私は憎まれ口を返しただけ。「かとうさんが言っていた粉引の大鉢でも何でも作るから、絶対花をいけてよ」と言ったのが最後の言葉で、中島さんは帰らぬ人となってしまった。
  


Posted by かとうさとる at 20:16 | Comments(0) | いけばなから