2021年02月22日

渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍






地元紙の矢作新報に月イチで連載している「ぶんかの定点観測」が11年目を迎えた。


渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍


   『邊半蔵家-徳川を支えた忠義の槍』ポスター



今回取り上げたのは豊田市郷土資料館で開催されている『令和2年度特別展渡邊半蔵家-徳川を支えた忠義の槍』

「なんか難しそう」と、敬遠される方もいると思うが、百聞は一見に如かず。この機会に足を運んでみませんか。



豊田市郷土資料館特別展
『渡邊半蔵家-徳川を支えた忠義の槍』
の概要はこちらで↓



渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍


   ぶんかの定点観測#121


昔から寺部は茶処として有名で、どの家に行っても縁側でお抹茶が出ると評判だった。昭和初期の名古屋美術倶楽部の出品目録を見たことがあるが、寺部ゆかりの道具類は秋田の佐竹家に匹敵する名品ぞろいで、膝が震えたことを覚えている。

秋田の佐竹家はオーバーだが、それもそのはずである。時の寺部藩主は幕末を代表する武家茶人十代渡邉半蔵規綱(又日庵。1792~1871)。裏千家中興の祖、裏千家十一代家元・玄々斎宗室は規綱の末弟という土地柄である。




渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍


   『渡邊半蔵家-徳川を支えた忠義の槍』展の概要



渡邉家はエピソードに事欠かないため余談に逸れたが、江戸時代の寺部を治めた渡邉半蔵家。初代守綱(1542~1620)は、徳川家康から「槍の半蔵」の名を賜る武功と信頼を得て「徳川十六将」の一人として活躍。晩年には尾張徳川家初代義直を補佐するように家康から命じられた名家である。

以後、歴代当主は一万石以上の知行地をもつ「万石以上年寄」として、幕末まで尾張藩の要職にあって尾張徳川家を支えた。

令和2年度特別展「渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍」は、令和2年度が守綱没後400年の節目にあたることから豊田市郷土資料館が企画したもの。



渡邉半蔵家徳川を支えた忠義の槍


   会場外に展示された長篠合戦図屏風のディスプレイ
   手前が守綱が持っていた長さ4・2㍍の長槍のレプリカ


家康から拝領したと伝わる「南蛮胴具足」や市指定「長篠・長久手合戦図屏風」。市指定守綱寺障壁画「松に禽鳥図」、渡邉家に伝来した大身槍、加賀藩の武士の家計簿ならぬ渡邉家の様々な文書書留などなど、新発見を含む資料をもとに、渡邉家の実像や職務を紹介。

会場の外には守綱が持っていた長さ4・2㍍の長槍のレプリカに触れるコーナーも。私も試しに持ったが重~い(笑)。


ざっと渡邉半蔵家展を概観したが、市内最古の古代寺院址が往時の豊かさを語る高橋郷から渡邉家まで、寺部の暮らしと歴史が見事に連続した構成は見応え十分。

■会期は4月11日まで。
■問合せ☎0565・32・6561。


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Posted by かとうさとる at 01:26 | Comments(0) | とよたの文化
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