2011年11月07日
連句のジャンヌダルク
フォト彩時記

赤い実が野鳥を誘うのは種の保存というクロガネモチの罠
でもこんな罠ならみんなハッピーでいいな

こちらは市民文化会館前のケヤキ並木
街路樹のケヤキが大きくならないのは粘土層があるためで
昭和のはじめ頃、三河線上挙駅前付近で焼かれた衣焼きの土は
このあたりから採ったもの
さて、今日の本題はこちら
連句のジャンヌダルク
矢崎藍さんのこと
私が生まれ育った土橋は、いまでこそトヨタ元町工場など市内でも有数の工場地帯になってしまったが、私が悪ガキの頃は吊った蚊帳に蛍がとまるようなのどかな集落だった。そんな土着型の私にとって都会の人間(文化)はいつも眩しかった。

豊田市はトヨタ自動車の発展とともに多くの才能が移り住むようになった。小学館児童雑誌の編集者を経てトヨタマンと結婚した矢崎藍さんもそんな一人。
80年から作家活動に入り、ベストセラーになったデビュー作「ああ子育て戦争」をはじめ、教育や家族をテーマにした作品で知られている。

そんな矢崎藍さんのもう一つの顔が連句のジャンヌダルク。ジャンヌダルクは、いま、私が思いついて付けたものだが、近代文芸の流れから取り残されていた連句に、コミュニケーション文芸という新たな生命を与えた藍さんに似合いのネーミングで、我ながら上手く付けたものだと自画自賛

その矢崎藍さんがライフワークとしているのが連句の付け句で、「さとるさん、どうしよう…」と藍さん。経緯は省くが、話を伺うと、1999年1月に連句のホームページを開いて募集をはじめた付け句が10万句を越えてしまったとのこと。
たった一つの前句からはじまった付け句の輪が10年、10万句を越え、しかも日々刻々投句が増えているというから「どうしよう」と藍さんが戸惑うのも納得。(あとのやりとりは省略)
とりあえず印刷してみました…
と藍さん

矢崎藍さんからいただいたご案内

そんなわけで昨日(日曜日)、とよた連句まつりに足を運んだ
といってもご挨拶程度で手土産にお饅頭をいただいたが
お邪魔しただけで恐縮

今回は地域の連句会とのことでみんな家族のよう

左から二人目が矢崎藍さん
で、こちらが世界初公開の
付け句10万句の原本

さあ、どうしよう
Posted by かとうさとる at 20:57 | Comments(0) | とよたの文化