2013年05月07日

猿投の果樹園で桃の摘実作業が盛り 














「今年はどう?」と私
「長い事やっているけど
冬の格好をしてやるのは初めて」と桃農家の林さん







「今年は実がつくときに冷えたため
いつもに比べて実が小さいけど
暖かくなれば大丈夫」と祈るように林さん

  


Posted by かとうさとる at 19:21 | Comments(0) | フォト歳時記

2013年05月07日

市内でカキツバタを見るなら百々貯木場…のはず















百々貯木場の
今むかし










矢作川と百々貯木場をつなぐ樋門
矢作川の河床が下がっているの一目でわかる


市指定「百々貯木場」は、矢作川の水運が盛んであった
大正時代の中頃から昭和初期に利用された近代産業遺産。





代々の当主が「善六」を名乗った百々の材木商
今井家が所有したことから「百善土場」の名で呼ばれた
大正7年頃の百々貯木場の賑わい。(目で見る豊田加茂の100年より転載)


矢作川上流で伐採された木材は
「管流し」や「筏流し」という方法で川に流され
百々貯木場に集められた。
集められた材木は筏に組み直し更に下流に流すものと
製材するものとに仕分けされた。






兵つわものどもが夢のあと 


地場産業を支えた「百々貯木場」も
交通の発達や上流のダム建設など社会変化により衰退。
長い間土砂に埋もれていたが、史跡公園として整備。
近年はカキツバタのかくれた名勝として
訪れる人も多い。



ところが
そのカキツバタが変






市内でカキツバタを見るなら百々貯木場と楽しみに来てみたが
茅や蒲などの野草に覆われて、カキツバタが咲いていない。






桟橋に降りて見つけたカキツバタ


カキツバタが変と言ったが
これが自然の生態系で
カキツバタも野におくのが一番。



こちらは製材所あと




人造石工法で造られた百々貯木場「製材所」の遺構


首都高や高速道路など近代土木は半永久的と信じられてきたが
笹子トンネルの天井板の落下事故など劣化が著しく
社会問題化しているのは周知のとおりだが
明治・大正時代に用いられた人造石工法は
百年経過してもびくともしない。

例によって余談に逸れるが
この人造石工法を日本で初めて導入したのが明治用水の旧堤。
現在の頭首工が完成したとき
当時の建設省がこの旧堤をダイナマイトで撤去しようとしたが
頑丈すぎて諦めたという話があるほど。

現在、旧堤が近代の産業遺産として残っているのは
けがの功名で、世の中何が幸いするのかわからない。



矢作川の船着場

百々貯木場「製材所」の脇を抜けたあたりが
矢作川の船着場があった場所のはず…
実は私も確認するのは初めて。






船着場に上り下りするため石に刻まれた階段






写真ではよくわからないが樋門は岩場の向う
樋門の位置から推定すると当時の矢作川は
岩場の真ん中より上あたりを流れていたのではないか。

(注釈)河川の河床が下がるのはダムなどの建設により
上流から川砂が流れなくなったためで全国共通。
河床が下がることによって橋脚のケーソンの露出
海岸線の砂浜の減少など大きな影響が出ている。








百々の船着場は写真左の岩場を利用していたのだろうか。
このあたりの瀬は鮎釣りの一級ポイントで
太公望が竿を立てるのももうすぐ。











  


Posted by かとうさとる at 00:35 | Comments(0) | とよた風土記