2013年03月19日
郷土資料館から博物館へ移行の機は熟した
矢作新報のコラム
「ぶんかの定点観測」を
「ままよ新聞」と
コラボで再構成

3月15日(金)矢作新報コラム「ぶんかの定点観測」
豊田市郷土資料館特別展『明治の傑人岸田吟香』が幕を閉じた
後追原稿になってしまったが
展覧会を検証することも
文化の定点観測の重要な役割であり
ご容赦いただきたい
岸田吟香(きしだぎんこう)は挙母藩の飛地
現在の岡山県美作市に生まれた挙母藩士
特別展のタイトルにあるように
吟香は民間人として日本初の『新聞紙』を創刊
日本初の本格的な和英辞書『和英語林集成』を刊行するなど
文明開化の時代を切り開いた明治の傑人
また、資料には載っていなかったが
百人一首の競技かるたのルーツも吟香である
興味は尽きないが、郷土資料館の資料に詳しいため割愛
特別展の印象について記したい

豊田市郷土資料館特別展『明治の傑人岸田吟香』入場券

特別展のパンフレット『ままよ新聞』

『ままよ新聞』の「ままよ」は「なんとでもなれ」という意味の
岸田吟香の口癖からとったもの(ままよ新聞より)

岸田吟香はこんな人物(ままよ新聞より)

挙母藩は「飛地」(とびち)といわれる離れた領地が
遠江国榛原(現在の静岡県牧ノ原市)に5000石
美作国(現在の岡山県美作市)に5000石あった
岸田吟香はこの飛地の美作国で生れた挙母藩士(ままよ新聞より)

岸田吟香、挙母藩を脱藩(ままよ新聞より)

岸田吟香、横浜で『新聞紙』『海外新聞』を発刊(ままよ新聞より)

日本初の本格的な和英辞書『和英語林集成』が完成(ままよ新聞より)

岸田吟香『東京日日新聞』の従軍記者として台湾出兵に従軍(ままよ新聞より)
さて、吟香が独力で文明開化の扉を開けたように
郷土資料館も新たな時代に向けて扉を開けたというのが
特別展を見ての私の感想である
理由は二つあって
一つは豊田市美術館との初の連携企画に立ちあげたこと
ことの発端は岸田吟香の四男が
日本の近代絵画を代表する岸田劉生で
豊田市美術館が「麗子像」など劉生の代表作を所像していることから
作品の借用を打診
その後、展示スペースの関係で豊田市美術館が
特別展示「岸田劉生とその時代」として協力するプランが浮上
2館の連携企画に発展したのは周知のとおり
もう一つは展示そのものの魅力
吟香の多岐にわたる膨大な資料を
パズルのように組み立てた構想力は
郷土資料館の学芸の「力」を証明するもので
学ぶことの面白さ、楽しさを余すことなく表現
みんな食い入るように魅入っていた
中でも最大のヒットは新聞形式のパンフレット
新聞1枚で吟香の傑人を証明した取材力と構成力に脱帽

岸田吟香逝く(ままよ新聞より)
これまで私は
郷土資料館の特別展には何度も足を運んだが
同時代性の刺激を受けたのは初めての体験で
郷土資料館から博物館へ
移行の機は熟したと思うのは
私一人ではないと思うがどうか

豊田市郷土資料館特別展は終わってしまったが
連携企画「岸田劉生とその時代」が4月7日(日)まで
豊田市美術館で開かれている
問合せは同館☎0565-34-6610へ
Posted by かとうさとる at 01:01 | Comments(0) | 美術・博物館+ギャラリー