2010年04月28日

明治用水頭首工を若鮎の第一陣通過






猿投窯の工房に咲いていた牡丹


新見さんが歳をとらないはず

猿投窯の山田和俊さんの工房を訪ねた足で、地域の論壇紙「矢作新報」を発行している矢作新報社に立ち寄った。社長の新見さんは先年まで矢作川漁業組合長をつとめるなど河川問題の論客だが、根っからの鮎キチで話はわかりやすい。
今年は春先の冷え込みで若鮎の遡上が遅れているらしく、
話をしていても若鮎の遡上が心配でならない様子。とうとうしまいにはたまりかねて携帯で電話。

「どうだや」「そうか上がったか」「わかった、今から行くで待っとれ」と話はそれだけ。相手はどうやら若鮎の遡上をカントする調査員で、今年一番の若鮎が明治用水頭首工の魚道を上ったらしい。「悪いけど鮎が上がったらしいでまた来てくれん」と新見さん。確か70歳を過ぎているはずだが、毎年こうした楽しみがあるから「歳はとらないはず」と納得。


明治用水頭首工を
ジャンプして遡上する
若鮎のイメージ写真






明治用水頭首工の魚道を遡上する若鮎





若鮎の遡上数は、ベテランの調査員が魚道の出口でカント。写真のようにジャンプしていくため、目が慣れれば若鮎が遡上する姿を見ることができるが、くれぐれも調査員の邪魔をしないように。(写真は矢作川研究所のホームページより転載)


  


Posted by かとうさとる at 23:40 | Comments(0) | とよた風土記