2009年03月11日
人物名鑑2 花もひとも粋な自由人 吉村 隆

吉村隆 よしむらたかし
1931年4月、龍生派二代家元吉村華丘の三男として東京に生まれる。生まれつきのスポーツマンとしての身の軽さと江戸っ子の面倒見の良さと人徳で、集団オブジェ、現代いけばな懇話会、8人の会など現代いけばなに大きな影響を与えた運動を支えた。近年は体調を崩して周りを心配させたが、越後妻有アートトリエンナーレ2006「小白倉いけばな美術館」に参加するまでに回復。隆ファンを喜ばせた。兄は龍生派吉村華泉家元で人もうらやむ仲の良さは有名。(社)龍生華道会副会長、Fの会同人。
花もひとも粋な自由人
私が吉村隆さんに初めて会ったのは、80年の熱い夏の日、お茶の水の「いけばな芸術協会」(主婦の友社ビル)で行われた「いけばなEXPO81とよた」の準備会だった。工藤昌伸先生が「みんなに説明した方がいい」とセットしてくれた会で、会が終わったあと「よかったら駅まで乗っけってやるよ」と声をかけてくれたのが吉村隆さんだった。
車に乗ると「駅はどこがいい、工藤が面白い男が出てきたというのでおマエさんに初めて会ったが工藤も見る目がないねェ」と言って笑った。一瞬ムッとしたが、その一言で構えていた緊張感がスーッと消えて気持ちが楽になった。
東京の会のあとなど「時間あるかい、ちょっと飲んでいくかァ」と居酒屋によく誘ってもらった。気がつくとみんな一緒で「あいつの花は良くないねェ」「あいつはダメだなァ」「ところでカトー、おマエさんの花もよくネェな ハハハ」と「花」を肴に時間の経つのを忘れた。
正直に白状すれば、当時吉村隆さんの「花」の本当の良さがわからなかった。根本を端正にまとめた美しいフォルムを花の美と信じていた私にとって、吉村隆さんの根本がバラバラで草木が勝手になびく「ゆるい花」はヘンな花にしかみえなかった。
私の花の常識が音を立てて崩れた
「いけばなEXPO81とよた」のシンポジウムで、パネリストが会場で「私の好きな一点」を選びその理由を解説するコーナーがあった。美術評論家の峯村敏明が長井理一の作品を「この人は初めて見たが天才だ」と、とりあげるなど、刺激的な作家論が展開した。
亡くなった千羽理芳先生は吉村隆さんの壺に活けた杉の投げいれをとりあげた。私は偶然活け込みの一部始終を見たが、魚河岸で巨大な本マグロを解体するように杉の束を手際よく解いたと思ったら、もう終わっていた。傾いた壺からはみ出た杉が生き物のようにゴロンと横たわっていた。人垣ができてきたためその場を立ち去ったが、私の花の常識が音を立てて崩れていくのがわかった。何年かたったあと、中日新聞の記者が「かとうさん、今だったらわかるけどあのときは何がなんだかわからなかった。もう一度見たいけど残念だわ」と述懐したが、ほとんどの人が同じような思いをしたのではないか。
「龍生派の古典はしないの」との問いに「オレがやってアニキより上手かったらアニキ困っちゃうもんな」と笑ったが、吉村隆さんは、花もひとも粋な自由人で、こんな人がいけばなにいることが嬉しくてたまらない。
1931年4月、龍生派二代家元吉村華丘の三男として東京に生まれる。生まれつきのスポーツマンとしての身の軽さと江戸っ子の面倒見の良さと人徳で、集団オブジェ、現代いけばな懇話会、8人の会など現代いけばなに大きな影響を与えた運動を支えた。近年は体調を崩して周りを心配させたが、越後妻有アートトリエンナーレ2006「小白倉いけばな美術館」に参加するまでに回復。隆ファンを喜ばせた。兄は龍生派吉村華泉家元で人もうらやむ仲の良さは有名。(社)龍生華道会副会長、Fの会同人。
花もひとも粋な自由人
私が吉村隆さんに初めて会ったのは、80年の熱い夏の日、お茶の水の「いけばな芸術協会」(主婦の友社ビル)で行われた「いけばなEXPO81とよた」の準備会だった。工藤昌伸先生が「みんなに説明した方がいい」とセットしてくれた会で、会が終わったあと「よかったら駅まで乗っけってやるよ」と声をかけてくれたのが吉村隆さんだった。
車に乗ると「駅はどこがいい、工藤が面白い男が出てきたというのでおマエさんに初めて会ったが工藤も見る目がないねェ」と言って笑った。一瞬ムッとしたが、その一言で構えていた緊張感がスーッと消えて気持ちが楽になった。
東京の会のあとなど「時間あるかい、ちょっと飲んでいくかァ」と居酒屋によく誘ってもらった。気がつくとみんな一緒で「あいつの花は良くないねェ」「あいつはダメだなァ」「ところでカトー、おマエさんの花もよくネェな ハハハ」と「花」を肴に時間の経つのを忘れた。
正直に白状すれば、当時吉村隆さんの「花」の本当の良さがわからなかった。根本を端正にまとめた美しいフォルムを花の美と信じていた私にとって、吉村隆さんの根本がバラバラで草木が勝手になびく「ゆるい花」はヘンな花にしかみえなかった。
私の花の常識が音を立てて崩れた
「いけばなEXPO81とよた」のシンポジウムで、パネリストが会場で「私の好きな一点」を選びその理由を解説するコーナーがあった。美術評論家の峯村敏明が長井理一の作品を「この人は初めて見たが天才だ」と、とりあげるなど、刺激的な作家論が展開した。
亡くなった千羽理芳先生は吉村隆さんの壺に活けた杉の投げいれをとりあげた。私は偶然活け込みの一部始終を見たが、魚河岸で巨大な本マグロを解体するように杉の束を手際よく解いたと思ったら、もう終わっていた。傾いた壺からはみ出た杉が生き物のようにゴロンと横たわっていた。人垣ができてきたためその場を立ち去ったが、私の花の常識が音を立てて崩れていくのがわかった。何年かたったあと、中日新聞の記者が「かとうさん、今だったらわかるけどあのときは何がなんだかわからなかった。もう一度見たいけど残念だわ」と述懐したが、ほとんどの人が同じような思いをしたのではないか。
「龍生派の古典はしないの」との問いに「オレがやってアニキより上手かったらアニキ困っちゃうもんな」と笑ったが、吉村隆さんは、花もひとも粋な自由人で、こんな人がいけばなにいることが嬉しくてたまらない。

ななかまど、むらさきしきぶ、野いばら|陶水盤|いけばな龍生展(上野松坂屋)
谷口皓一撮影|コンテンポラリーいけばなⅢ(婦人画報社)より
谷口皓一撮影|コンテンポラリーいけばなⅢ(婦人画報社)より