2010年07月09日
岡崎の伊賀八幡宮で蓮が見ごろ
私も好きなようにさせてもらうから
まアいいか。
一昨日、農村舞台アートプロジェクトの会議がありプログラムの概要が決まった。オープンまで50日。場所とアート部門の作家やライブ部門の出演者が決まっただけで、印刷物も白紙。「今月中に頼むでね」とみんないい加減だが、私も好きなようにさせてもらうから、まアいいか。
そんなわけで、ここ数日は農村舞台のマップの原稿やマネージメントの推敲で徹夜状態。睡眠不足だと思うが後頭部にチクリチクリと針で刺すような痛みがあり、気になるが、まずはここを乗り切ってから。
まだ八分咲きで
今月いっぱいは楽しめそう
余談に逸れたが今日(8日)は、亡くなった妻の名義になっている車の名義変更のため岡崎に車を走らせた。本当の目的は伊賀八幡宮の蓮の花を見るためで、久しぶりに目の保養をさせてもらった。

伊賀八幡宮は、文明2年(1470年)松平氏4代親忠が松平氏の氏神として創建。天下人となった徳川家康が社殿を改築。現在の社殿は焼失したため、3代将軍家光が寛永13年(1636年)に造営したもの。近年の研究調査で、家康と伊賀八幡宮について新たな発見があり話題になったが、詳しく記憶していないため割愛。(建物はほとんどが国の重要文化財)

神域を守る隋身様を門の両側に祀る隋身門
手前の石橋は渡ることはできない。(昔渡った記憶があるが)

見ごろを迎えた蓮と隋身門

まだ八分咲きで今月いっぱいは楽しめそう
帰路大樹寺に立ち寄る
大樹寺は、松平氏4代親忠が文明7年(1467年)建立した松平氏の菩提寺。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに敗れた松平元康(家康)が大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとし、住職の上人に諭されて自害を思いとどまったという逸話は有名。家康が座右の銘とした「厭離穢土、欣求浄土」は、このとき上人が家康に説いたものと言われている。

大樹寺の総門、山門、本堂は岡崎城の天守閣と南北一直線上にあり
家康と大樹寺の歴史を今に伝えている。
Posted by かとうさとる at 03:52 | Comments(0) | らくがき帖