2012年06月14日
「ALWAYS三丁目の夕日」現象は気のせいではない
東京スカイツリ―のオープンを機に
「ALWAYS三丁目の夕日」現象ともいえる動きが
起きているように思うのは気のせいだろうか
東京タワー、東海道新幹線、東京オリンピックと
日本中が湧き立った昭和30年代
まだ貧しかったが未来は希望に満ち満ちていた
「明治は遠くなりにけり」という言葉も流行った
豊田市内でそんな記憶の場所を探すとなると
やはり合併した旧町村ということになる
人生に夕映えが必要なように
町にも夕映えがあるはず

6月12日、農村舞台アートプロジェクトの地元説明会の帰路撮った武節の町並み
中でもお薦めは旧稲武町武節の町並み(旧飯田街道)
そのままで昭和の映画ロケができそう
地場商店の崩壊から櫛の歯が欠けていくように
壊れて行った町並みを沢山見てきた
残念ながら武節の町並みも近い将来には
同じ道を辿るのは想像に難くない
多くは言わないが
人生に夕映えが必要なように町にも夕映えがあるはず
そのことに気がついてほしいと思う
こちらは昭和4年の武節の町並み
稲武の由来は昭和15年稲橋村と武節村の合併により
稲橋村の「稲」と武節村の「武」から名づけられたもの

写真は市制60周年記念写真集「ふるさと豊田」(郷土出版社)から
転載したもので、昭和17年の大火により焼失する前の
武節の町並みを記録した貴重な一枚
Posted by かとうさとる at 04:16 | Comments(0) | らくがき帖