2013年11月19日

加茂一揆⇒その時歴史は動いた







「郷土を知る会」は
いつも忘れたころに例会の案内が届く
ゆる~い会で気が楽





    郷土を知る会の会員は17名いるが
    みんな自分の都合を優先するため例会の参加者は
    いつもこんなもの


今回のテーマは「加茂一揆」

先ずは加茂一揆の発端となった現場を見て
あとは食事でもしながらみんなで勉強しようという
いい加減な例会で笑ってしまう




    今回の講師は「郷土を知る会」会員の安藤勇さん
    安藤さんは新修豊田市史概要版を編纂した博覧強記の郷土史家で
    写真の加茂一揆の案内版も安藤さんの手によるもの


加茂一揆は天保7年(1836年)
天候不順による凶作と
高い米価に苦しんだ農民が蜂起した事件で
蜂起からわずか五日間で
一万人を超える三河地方最大の一揆に発展



その時歴史は動いた




    加茂一揆は天保7年(1836年)9月21日
    写真の滝脇村石御堂(滝脇町)に
    下河内村(大内町)辰造をリーダーに70名が集結
    わずか5日間で1万人を超える一揆に発展したが
    どう考えても偶発とは考えにくい
    現代のような通信手段のない時代に
    どんな方法で連絡を取り合っていたのか不思議


この加茂一揆は
翌年、大阪で起きた「大塩平八郎の乱」と並んで
幕藩体制崩壊の端緒をひらいた一揆として知られているが
大塩平八郎の乱は教科書で習ったり
映画にもなったりしているため知らない人は少ないが
反対に加茂一揆は知る人も少ない




    加茂一揆の経路と参加した村の一覧(新修豊田市史概要版より転載)

幕府の直轄領でおきた二つの事件に危機感をもった
水戸藩主徳川斉昭は第11代将軍徳川家斉に
「戊戌封事」(幕府改革案)を提出したが
明治維新まで30年

徳川発祥のお膝元で起きた一揆が
幕府に与えた衝撃は想像するに難くない



国指定史跡
松平氏遺跡を簡単に






    松平東照宮(松平氏の始祖松平親氏の館跡)








産湯の井戸にとりつけられた葵の御紋
安藤さんから徳川本家の御紋と
御三家など分家の御紋とを見分ける方法(違い)の
説明を受けたが忘れてしまった
ちなみの写真の御紋は徳川本家の御紋とのこと






    松平氏の始祖親氏が眠る墓所「高月院」



    「街道をいく」シリーズで
    高月院を訪れた司馬遼太郎(朝日文庫「濃尾参州紀」より転載)



例会は三河湖畔の「腰掛山荘」に移動

ヘボの釜飯と自然薯のとろろ定食がお薦めとのことで
私はとろろ定食を注文したが
これが美味でみんな久しぶりにとろろご飯を食べたと満足

食後は安藤さんの加茂一揆につづいて
同じく「郷土を知る会」会員で
川の研究家梅村錞二先生の豊田市の外来生物問題のレクチャー
なんか仲間内で聞くにはもったいない話ばかりで
しかもみんな話上手
穴があったら入りたい

なんとかしないと
ホントにもったいない

  


Posted by かとうさとる at 23:42 | Comments(0) | とよた風土記