2009年11月29日

私もお仲間に入れてもらおうかな



私の住んでいる保見団地は、猿投山西南麓に位置しているため、山と畑の境に行くと猪を捕獲する仕掛けをよく見かける。山裾には灌漑用の小さな溜め池も多く、「枝もの」の宝庫となっている。





道路脇にもこんな溜め池が






溜め池で釣り道具を肩に担いだ年配者にあった
「何が釣れますか」と私
「みんなでヘラを放流して楽しんでいる」と釣り人
私もお仲間に入れてもらおうかな  


Posted by かとうさとる at 01:38 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月28日

大地の芸術祭から見えたもの(1)





芝峠温泉から見た晩秋の越後妻有と越後の山並み



40万人が訪れた大地の芸術祭

11月23日(月/祝日)、大地の芸術祭の秋版が終わった。まだ公式発表はされていないが、過日放映されたNHKのワンダー×ワンダー「不思議と癒しの里山のアート」は、大地の芸術祭について、「この夏40万人の人が越後妻有を訪れた」と紹介した。

一口に40万人というが、政府主導の横浜トリエンナーレ2008の総入場者数が約31万人というから、まさに空前絶後。しかも東京23区より広い地域に作品が展開することから、その半数近くが滞在型鑑賞者と推定されるなど、前代未聞の事件が起きたとしか形容のしようがない。






三省地区コミュニティー施設は旧三省小学校を宿泊施設としてリニューアルしたもので
写真はラウンジの野外テラス。




ここまではメディアを通して多くの人の周知の範囲だが、大地の芸術祭の熱気が冷めない今、そこで何が起きて、そのことが現場体験した人たちにとって、地域にとって、さらには日本のアートにとって、どんな意味をもつのか。関わった一人ひとりがそれぞれの立場で考えるべきではないか。

私は幸運にも作家として関わると同時に、短い期間ではあったが、観者の一人として三省地区コミュニティー施設に滞在し、多くの関係者やツアーの人たちと膝を交えて接する貴重な体験をすることかできた。



先ずは個人的な反省を踏まえて
「蓬平/いけばなの家」と現代いけばな



「蓬平/いけばなの家」の入場者は、大地の芸術祭の発信拠点農舞台のある松代エリアに位置したという地の利にも恵まれて、1万人近い入場者を数えた。正確なデーターをとったわけではないが、1日の入場者の内、いけばな関係者は約1割というのが「Fの会」の共通した認識で、さらにほとんどの人が「現代いけばなを初めて見た」と答えている。






蓬平/いけばなの家は、蓬平集落に多い小堺姓の本家で、現当主が県外に転居したため、
空家プロジェクトとして「Fの会」の9人が挑んだ。写真はいけばなの家の外観。




この現代いけばなについて簡単に説明したい。70年代前後から登場してきたいけばなの新しい運動と作品を私たちは現代いけばなと呼んでいる。

残念ながらいけばな界において、認識する力と評価する力が弱いため、限られた作家個人の情熱と意志によって支えられているというのが実情だが、評価の対象外で心血を注いでする仕事に悪い仕事があるはずがない。

いささか手前味噌になってしまったが、クリスト展の企画の末端やジャンルを横断したアートイベントのプロデュースに関わってきた私が(?)言うのだから間違いはない。(こんなことを断言していいのかな)



逃がした魚は大きい

「蓬平/いけばなの家」は、東京を中心にこの現代いけばなを牽引するグループ「Fの会」の同人9人が、一人一部屋の個展形式で挑んだ。各作家の作品については、このブログでも全作品を掲載しているため割愛するが、私の気持ちの中では、大地の芸術祭という千載一遇のチャンスを逃したのではないか、という思いが日毎に強くなっている。






「妻有で陰翳礼讃」(正面)とした私の作品





「妻有で陰翳礼讃」(胎内)



確かに現代いけばなのプレゼン効果はあった、と思う。しかし、もし「蓬平/いけばなの家」の作品が一人一部屋ではなく、一軒丸ごと一作家が挑んだらどうか。民俗に端を発したいけばなという行為の同時代性が、その特異性ゆえに強力な磁場となったことは想像に難くないからである。






下田尚利先生の作品「風の栖」 藁のベットは風神さまの終の棲家で、
浴衣は食べた女のコレクションというから俵屋宗達もビックリ。




アートフロントとの協議の段階で、この「こと」に想像が及ばなかったのは迂闊としか言いようがない。逃がした魚は大きいというが、いけばな界にも美術界にも場所をもたない、放浪のジャンルの現代いけばなにとって、残念のひとこと。


  


Posted by かとうさとる at 01:17 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年11月25日

風の音に木漏れ日がゆれる美人林


もし惰性だとしたら怖ろしい話だ

昨日、蓬平いけばなの家の作品を撤収した。いけばなの家のシンボルとしてはためいていた幟をおろしながら、「いけばなは残らないから」と、独り言のように下田先生。「つまらない作品(一般的な意味で)が残るよりいいじゃない」と私。クリスト展で来豊したクリスト夫妻も「オー、クレージー」と両手を広げたが、私は、このこととどのように向き合うか否かで、いけばな人の器量が決まると思っている。「イヤならやめればいい」と、言い聞かせているが、もし惰性だとしたら怖ろしい話だ。


風の音に木漏れ日がゆれる美人林







風の音に木漏れ日がゆれる美人林(松之山)




  


Posted by かとうさとる at 16:08 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年11月23日

今日は大地の芸術祭秋版の最終日


本当の私は臆病で心配症

今日は大地の芸術祭秋版の最終日。当初の予定では、今日、現地入りするつもりでいたが、明日の未明に変更。現地からの便りによると妻有は秋も深まり家々では雪囲いの準備に追われているらしい。私はノーテンキのように見えるらしいが、本当は臆病で、「もし雪でスリップ事故でもしたら」と心配でたまらない。出発を延ばしたのもそんな訳で笑ってしまう。

心配症と言えば、大地の芸術祭のスタートに当たり、北川フラム氏がインタビューで、「アートは手段でその奥にあるものが大事」という意味のことを述べていたのを覚えている。そういう意味では、アーティストを傭兵にするようなしたたか大地に生まれ変わった現地を見れば、「アートによる地域おこし」という初期の目的は、概ね達成されたのではないか。

問題は、初期の目的を達成した大地の芸術祭の今後の展開である。ポスト北川フラムなど、杞憂であればいいが。このことについては、当ブログでもとりあげた朝日新聞の大西若人氏の記事の宿題と根で重なるため、前述した杞憂の意味と合わせて、もう少し時間をいただきたい。


大地の芸術祭あの日あのとき

Weekendイベントで、私はいけばなの行為の中にある「いける」ことの楽しさと、「つくる」ことの楽しさを、舞台裏を公開することで伝えたいと思ったが、うまく伝わったかどうか、今も心配(笑い)している。




写真家の尾越健一さんに「ヘェーかとうさん、生(なま)の花もいけるんだ」と笑われてしまったが、地元以外では初公開で、納得。




いけばなは自然と遊ぶ術と誰かが言っていたが、私もそう思う。




燻炭のドローイングの公開制作でパネルの下地をつくる。




完成した燻炭のドローイングの部分


  


Posted by かとうさとる at 04:18 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年11月20日

いままさに秋盛り


言葉が出てこない








猿投北中のグランドで



そこで我が家に帰り小さな秋を





いろは紅葉を鳥居一峯さんの籠にいける

  


Posted by かとうさとる at 02:32 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月19日

むかしむかし御作の城ケ根に砦があったそうな






御作の天徳院入口で見つけた四季桜



根引きの松と熊笹を手土産にしたが
今日は少々お疲れ



昨日(17日)は、寒気団が南下して1月上旬から中旬並みの寒さにふるえたが、今日は一転して小春日和。天気予報によると、明日(19日)はまた寒くなるとのこと。こんなときは締切りのないデスクワークをしていてはもったいない。




在名のテレビ局や各紙が足助の紅葉と小原の四季桜を競ってニュースに


農村舞台の下見調査を言い訳に小原方面にハンドルを切ったが、大渋滞。紅葉狩りの観光客が香嵐渓(足助)の渋滞を嫌って小原の四季桜に流れているらしい。どちらも、しばらくは近づかない方が賢明のようだ。






もともとあってないような予定のため、渋滞を避けて迂回。しばら行くと左手の山頂に何やら不思議な建物が。こうなったら調べるしかない。






「アレは」と聞くと「むかし砦があったそうだよ」と親切なお年寄り。
天徳院というお寺の脇に登山道があるとのことで、まずお寺さんへ。






ものの3分ほどで足が重くて動かない。
そういえば何十年と運動していないことを思い出した。






10分ほどで木々の間から砦(?)が見えたが、息も絶え絶え。
デジカメのシャッターを押したが、こちらも最後の一枚で電池切れ。

そんな訳で砦について説明。
地元に鎌倉時代に砦がつくられたという口伝が残っているが、定かではないとのこと。ところで山頂の砦に見えたのは展望台で電池が切れて正解。根引きの松と熊笹を手土産にしたが、今日は少々お疲れ。  


Posted by かとうさとる at 00:15 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月18日

境界を越えて生活や地域の中に生きるアート


今に生きるものづくりの文化の遺伝子

東海地区は猿投古窯の時代から最先端のロケット技術まで、千年の余にわたって「ものづくりの文化」を育んできた。こうした気質が遺伝子にあるのか、連綿として前衛であり続ける現代陶芸の旗手たちはもとより、岩田信市世代から三頭谷鷹史・茂登山清文世代まで職人的一途さ(誇り)をもったアーティストや批評家が多い。アートのビジネスモデルとは一線を画した愚直な彼らの存在が、愛知の草の根のアーティストたちを勇気づけたことは周知の史実で、私が(?)曲がりなりにも続けてこられたのも同じ理由で、感謝以外の言葉を知らない。


境界なきアート展~響きあうココロへ~

前置きが長くなってしまったが、こうした愛知の愚直な心意気を引き継いで活動しているのが、NPO法人愛知アート・コレクティブ代表の鈴木敏春さんである。鈴木さんは、アートデュレクターとして環境問題をアートで提案した「無冠の表現回路・エコロジーアート」(1990年)以来、アートの社会参加の先駆け的役割を担って活動を重ね、2002年前述したNPO法人を設立。現在に至っている。

この鈴木さんがいま力を入れているのが、回想法アートと言われるアートの福祉活動で、鈴木さんは独創的で魅力的な作品を創出する障害者のアートに着目。アウトサイダーアートとして積極的に紹介するなど、境界を超えたアートによる交流を実践。こうした活動の集大成の一つとして、関係者の注目を集めているのが、豊川市桜ヶ丘ミュージアム開館15周年記念特別展として、同ミュージアムで開催される「境界なきアート展」である。アートとは何か、愚直に問い続けるあなたの答えが見つかるかも。
遠方から予定される方は、豊川稲荷も近く、お参りしてはいかが。




境界なきアート展のチラシ。モノクロの挿絵は
豊川養護学校卒業生の辻勇二さんの鉛筆画「心でのぞいた僕の街」





境界なきアート展のチラシ裏面部分。出品作家はアウトサイダーアートを代表する山下清から、長谷川哲さんをはじめ、当地の第一線で活躍するアーティストの名がずらり。私たちはこうした良心的なアーティストをもったことを、もっと誇っていいのではないか。


境界なきアート展
会期:11月20日(金)~12月19日(土)【月曜日休館】※祝日開館
時間:9:30~17:00/観覧料:一般300円(学生以下無料)
会場:豊川市桜ヶ丘ミュージアム

記念シンポジウム「境界なきアートを巡って」
日時:11月28日(土)13:00~15:30
(講師)
三頭谷鷹史(美術評論家)
はたよしこ(No-Maアートデュレクター)
岡本信也(野外活動研究会代表)

講演会「回想法アートの試み」
日時:12月5日(土)14:00~15:30
(講師)
鈴木敏春(美術批評/NPO法人愛知アート・コレクティブ代表)

問合せ
豊川市桜ヶ丘ミュージアム ☎0533-85-3775
NPO法人愛知アート・コレクティブ ☎052-882-3174







  


Posted by かとうさとる at 01:59 | Comments(0) | アートの現在

2009年11月16日

手折ると赤い血がドッと流れ出るようで怖い


ここ数日の冷え込みで楓に紅い命が一気に満ちてきた。
手折ると赤い血がドッとほとばしるようで怖いくらいだ。




中京大学構内の紅葉



そこで(?)道端の黄葉のひと枝を手折って手土産に




トニー・クラックのポスターを壁紙にした玄関でモビールの真似ごと


  


Posted by かとうさとる at 00:38 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月15日

NHKで「不思議と癒しの里山アート」を見た


これ以上説明はしたくない

毎週土曜日放映しているNHKのドキュメンタリー番組、ワンダー×ワンダー「不思議と癒しの里山アート」を見た。ワンダー×ワンダーは、自然・文化・紀行・人間ドラマなどをテーマに、HNKならではの映像と構成で、楽しみにしている番組の一つで、14日は大地の芸術祭をとりあげた。

番組は、一人去り、二人去り、老人一人になった旧川西町の大倉集落の空家の一軒一軒に、明かりを燈した近藤美智子さんの「HOME project」。過疎化が進む、長野県境の津南町足滝地区のほぼ全員のシルエットを、作品にした霜島健二さんの「記憶-記録」足滝の人々などなど、地元の人たちと現代アートの心の交流を、丁寧な取材で追った。

近藤さんの作品(№84)は近くまで行ったのに引き返してしまった。霜島健二さんの作品(№104)は、国道117号線に沿った長野県境の信濃川に架かる橋のたもとに案内看板が出ていたのを覚えている。長野道から入ると最初に見える看板で、いつも私を迎えてくれた。嬉しくて何度も立ち寄ろうとしたが、往路は先を急ぐため、復路は早く帰りたいため、そのまま車を走らせてしまった。そんな訳で残念ながら二作品とも見ていない。

衝撃を受けたのはそんなことではなく、関わったアーティストたちの瑞々しい感受性と人間性で、わが身の稚拙さが恥ずかしくなった。
これ以上説明はしたくない。





霜島健二さんの「記憶-記録」足滝の人々 は、2006年に制作したものを、集落の人たちの希望で再設置したとのことだが、時間が作品に新たな生命を与えていた。写真は2006年版公式図録より転載した。
  


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2009年11月12日

八ッ場ダム その時歴史は動いたか


もし、私が後世でNHKの歴史番組「その時歴史は動いた」のデュレクターをしていたとしたら、「八ッ場ダム問題」を取り上げたい。そこで何が起きて、その結果歴史はどのように動いたのか。史として結末を見てみたいからである。長くなるが、しばらくご容赦を。


八ッ場ダム問題の根は鞆の浦裁判と同じ

日本の河川総合開発計画のモデルになったアメリカのTVA(テネシー川流域開発公社)のダム群は、環境への悪影響を危惧する住民運動により解体(完了したかどうかは未確認)されるなど、先進国は脱ダムに向かっているが、日本は工事中も含めて計画中のダムが100近くあるというから驚き。私が後世の歴史番組で「八ッ場ダム問題」を取り上げたいと思っているのは、この結果次第で、日本の河川問題(治水と利水)の大転換につながるか、そのチャンスを逸するのか。まさに歴史的分岐点にたっていると見ているからである。

こんなことを考えるのも広島地裁の「鞆の浦裁判」と根は同じで、自然や景観を壊しても、土木工事を優先する経済至上主義を改める千載一遇のチャンスと考えているからである。人間の尊厳に鈍感な派遣問題も同じだ。




昭和初期の矢作川の水泳風景

かって矢作川は砂川と言われ、子どもたちの格好の遊び場だった。また大量の砂は三河湾に白砂青松の海原を生みだした。現在はダムにより土砂はせき止められ、河床も3メートルからところによっては5メートル近くも下がり、川底は固くなり海岸線はやせ衰えた。


私のポジションがばれてしまったが、現在計画中のダムのほとんどは洪水対策と渇水対策を主目的にした公共事業で、問題は至ってシンプルで分かりやすい。計画中のダムとダムの代替案を国民的議論にして深めればいいからだ。その答えが出るまでは当然ダム計画は凍結。水面下で既成事実を積み重ねるような姑息な輩は退場願うしかない。

ダムの弊害は割愛(前原さんの説明に耳を傾ければ十分)。問題はダムに代わる洪水対策と渇水対策だが、こちらも乱暴を承知で結論を急ぎたい。


TVA方式から持続可能な地域づくりへ

先ず洪水対策だが、近未来は地球温暖化による異常気象など予測不能のため、無責任かも知れないが、こんなときは自然とうまく付き合ってきた先人の知恵(土木)に学ぶしかない。既に国交省でも一部の河川で採用している近自然工法という事例もある。近自然工法とは、破壊された自然生態系の復元工法としてヨーロッパのドイツやスイスで誕生した思想と技術で、河川改修や森林の整備にとどまらず、道路や都市の基盤整備にも応用され、持続可能な地域づくりの重要な基本コンセプトとなっている。これなども参考になるのではないか。




矢作川水系は国交省の近自然工法のモデル河川として土木学会で発表されるなど、先進河川の一つとなっている。写真の工事は、支流の籠川で続けられているもので、落差工を取り壊し、生物が遡上できる自然河川に戻そうというもので、近年は源氏ボタルの大量発生が話題になった。




上の落差工も来年の夏にはこんな川相になるはずで、川ガキにはたまらない。


結論を急げば、洪水対策は堤防の補強とともに洪水の調整機能としての遊水地を優先的に整備することで対応できるのではないか。利根川の渡良瀬遊水地という事例もある。広大な遊水地(平時は湿地)は里池として野鳥の棲み家となり、渡り鳥も飛来するはずだ。用地の確保など解決すべき課題は多いが、場所によっては地下調整池という手もある。全国各地に整備された遊水地群は自然観察湿地群として環境の時代の世界モデルになるのは必須。他にも霞堤という先人の知恵もある。いずれにしてもダムの建設費用を思えば安いもの。環境問題に果たす役割はもとより、子どもたちの情操教育効果は私が説明するまでもない。


水はだれのものか

次は渇水対策だが、私が予てから疑問に思っているものに水利権がある。水利権とは河川の流水などを排他的に取水し、利用できる権利で、水利権に慣行水利権と許可水利権の二つがあることはよく知られている。ちなみに慣行水利権とは河川法制定(明治29年)以前より取水をおこなっていた農業用水などがもつ権利で、許可水利権は電力会社などがもつ権利と思ってもらえれば、理解いただけるのではないか。

問題はこの水利権の内容で、河川流量のほとんどを前述の団体企業が抑えているため、渇水対策など新規利水を申請する場合は独自に水源を確保しなければならないことである。一般に〇〇県の水瓶と言われる巨大なダムが生まれるのはこうした理由で、水はとうとうと流れていても、ダムから放流した水量以外に取水することができない。しかも水瓶の多くは水量の細い支流に作られるため、慢性的な水不足になるのは自明で、また新たなダム計画を生むという悪循環を繰り返してきた。(ダム神話のトラウマ)

平安の昔から「ままにならないものは加茂の流れに叡山の僧兵」と言われたように、河川工学は治水と利水との戦いの歴史で、私のような素人が口をはさむ問題ではないかもしれないが、今回は別。

限りある資源を有効に使うため、国民的コンセンサスで節水につとめているのに、耕作面積が半減した農業用水の水利権が半減したという話を聞いたことがない。電力会社の横暴をさしおいて農業用水を悪者にするつもりはないが、人間の命を守る水はだれのものか。緑のダムと言われる水源涵養林の整備とあわせて、既得権にとらわれず、持続可能な水利権の見直しの時期にきているのではないか。




豊田市の南部から西三河の田畑を潤す枝下用水の水源。枝下用水は明治27年、滋賀県出身の西沢真蔵が私財をなげうって完成したもので、私は豊田市視聴覚ライブラリーのアニメ制作で、西沢真蔵の伝記の制作にかかわったことがある。そんな訳で当時の人々の苦労がわかっているだけに、農業用水の水利権を問題にするのは辛いが仕方がない。


我慢強いあなたにただ感謝

統計によると、日本の海岸線の約8割は護岸堤防や消波ブロックの人工海岸線に変わってしまったとのことだが、私など海釣りにいくことが多いため、統計を読まなくても(?)こんなことは皮膚感覚でわかる。八ツ場ダム問題に門外漢の私が関心をもつのも、いけばなをしながらも、こんなことを思っているからであり、芸術活動の基本は未来をひらく意志以外にないと、いつも考えているからである。

ここまでお付き合いいただいた我慢強いあなたにただ感謝。
これに懲りることなくお付き合いいただければ幸いです。



  


Posted by かとうさとる at 19:01 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月10日

伊保川の河岸林に沈む夕日を見て帰宅






我が家から車で数分のところにある中京大学キャンパスのプラタナス






いつものように伊保川の河岸林に沈む夕日を見て帰宅







そういえばこんな歌を聞いたことがあったっけ
(少し気恥ずかしいが)


田舎の堤防、夕暮れ時に  ぼんやりベンチに、すわるのか
散歩するのも、いいけれど  よりそう人が、欲しいもの
 あの娘がいれば、僕だって  寂しい気持ちにゃ、ならないさ
 まわりの暗さは、僕達のため  あの娘が来るのを、待っている
夕暮れ時は、さびしそう  とっても一人じゃ、いられない

(NSP 夕暮れ時はさびしそう)



  


Posted by かとうさとる at 01:04 | Comments(0) | らくがき帖

2009年11月09日

生き残りをかけたあいちトリエンナーレ





愛知県美術館ロビーで開催中のあいちトリエンナーレ2010
プレイベント現代美術の発見Ⅴ 市川武史オーロラ展のDM。



アジア最大の現代美術の祭典

少し前まで美術館は生き残りをかけた時代と言われたが、いま一部で言われているのは〇〇ビエンナーレ、〇〇トリエンナーレと言われている国際展で、狭い国内マーケットに、ピンは越後妻有アートトリエンナーレ、横浜トリエンナーレから、キリは市町村のまちおこしのアートイベントまで目白押し。関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国のコンテナ船の衝突事故がおきたが、国際展もまた危険水域に入ったのではないか。

私の地元の愛知県でも、来年8月下旬から10月末まで約2月余のロングランで、あいちトリエンナーレが予定されている。このトリエンナーレはポスト万博として計画されたもので、アジア最大の現代美術の祭典を目指している。狭い海峡に巨大船が新たに就航するようなもので、その成否が関係者の注目を集めている。




あいちトリエンナーレのチラシ


発信力の磨き直しが必須

私も成功を願っているが、県民レベルでどの程度浸透しているのかというと心もとない。8日付の朝日新聞朝刊で各省庁の電子申請システムの利用率が使い勝手の悪さから低迷していると報じているが、一事が万事。

ネット発信に偏りすぎて一般的意味での露出が少ないこと。ジャンル、会場が多岐にわたり、いつ、どこで、だれが、なにをして、それがどんな意味をもつのか。マーケティングの欠如(失礼)などなど、今日的な要因が複合的に重なっているためで、問題解決は容易ではない。確かに手続きなど行政的には落ち度はないかもしれないが、マネージメントの不在と同じで、軽視するととりかえしのつかないことになるのは自明。

しかも、来年はアートと海を巡る百日間の冒険を掲げた強力な瀬戸内国際芸術祭と競合するため、発信力を磨き直さないと、このままでは遅れをとることは必至。もちろん勝ち負けで言っているのではない。チャンスはピンチというように細心の注意をしないと、期待が大きいだけにアート不信につながる危険性を危惧しているからである。(危機管理の問題)




瀬戸内国際芸術祭2010のチラシ


アートで万博
愛地球博の遺産を使わない手はない


これは乱暴な私見だが、ここまできたら愛地球博の遺産を使わない手はない。「アートで万博/あいちトリエンナーレ」を強力に発信したらどうか。あいちにおけるジャンルの多様性は、三年に一度の開催を意味するトリエンナーレだけでは説明できないが、「アートで万博」とすることで、およその理解は得られるのではないか。生き残りをかけた国際展の時代において、明快なメッセージを発信することは不可欠で、手をこまねいている時間はない。



市川武史オーロラ展(観覧無料)

市川武史オーロラ展は、あいちトリエンナーレ2010プレイベント現代美術の発見Ⅴ として企画されたもので、市川武史さんは、ロンドンを中心に浮遊する彫刻作品で国際的に活躍。私が関わった日英アートフォーラムで一緒にしたが、繊細でシャープな感性と若さを眩しい思いで仰ぎ見たことを覚えている。今回は初めて絵画作品を手がけたということだが、シャープな浮遊感はさすが。





市川さんは作品制作のためスウェーデン北端の小さな町を訪れ、オーロラに触発されてこの絵画を制作したとのこと。オーロラ展は愛知県美術館 ロビーで、12月13日(日)まで。関連企画としてサウンドパフォーマンス市川武史×建畠哲(詩人)を11月20日(金)18:30-19:30 同美術館10Fラウンジで予定。  


Posted by かとうさとる at 02:44 | Comments(0) | アートの現在

2009年11月08日

写真が描く戦後1945-1964 日本の自画像


もう一つの真善美
非情の目がとらえた戦後日本の原風景



愛知県美術館で写真が描く戦後1945-1964「日本の自画像」を見た。終戦の焦土の中から奇跡的発展をとげ、経済大国として歩み始めた東京オリンピックまで。19年間の日本の自画像(原風景)を、戦後日本の写真界を代表する11人、168点の写真で描いたもので、県美術館に急いだ。

使用されている写真の多くは、既刊の写真集や各社が競った戦後50年の記念誌で見ていたが、こうした形でまとまって展観するのは初めて。自由という一縷の希望に託して必至に生き抜いた戦後日本の光景は、姿勢を正さずして見ることができない。


写真リアリズムというと土門拳を思い浮かべるが、人間の想像力を超えた現実を目の当たりにしたとき、カメラをもった人間は戦場カメラマンであり、リアリズムという選択肢以外にない。身体と一体化した重厚なアナログカメラという幸運もあったと思う。命を削り取るようにして切り撮った一枚一枚の写真を前にすると、どんなリアルなニュース映像も色あせて見える。生みの苦しみのなかにいる今の日本とって、忘れてはいけない原点で必見。





本展の構成は、作家におもねることなくテーマ別に厳選。写真のフレームの材質もマットの紙質も統一され、爽やかで見やすい。企画はパリ在住の日本写真史研究者のマーク・フューステルで、写真の選定・構成・展示のすべてを一人で担当したとのことで納得。


11人の写真家は次のとおり

石田泰博(1921-)
川田喜久治(1933-)
木村伊兵衛(1901-1974)
田沼武能(1929-)
東松照明(1930-)
土門拳(1909-1990)
長野重一(1925-)
奈良原一高(1931-)
濱谷浩(1915-1999)
林忠彦(1918-1990)
細江英公(1933-)

写真が描く戦後1945-1964「日本の自画像」は
愛知県美術館で12月13日(日)まで





  


Posted by かとうさとる at 00:13 | Comments(0) | アートの現在

2009年11月05日

洞が峯と前田公園










私はいつも後手後手で
反省の連続



初冠雪のニュースが届いたのが昨日、
今日(4日)は南の各地でも初霜を観測。
我が家も冬モードに切り替えた。
私もこんな風に早め早めに切り替えることができるといいが、
いつも後手後手で反省の連続。
こんなときは気分転換が一番とデスクワークを中止。
近場の紅葉を探しに家を出た。







民芸館側の山麓と
山頂の手入れの落差はひどい



前田公園は、
昭和9年、地元出身の実業家前田栄次郎が
私費を投じて造営した公園で、
平戸橋北方の洞が峯の山頂に聖観音菩薩を安置。

山麓には六角堂(前田家記念堂)、多宝塔を、
山中には仏像を設置するなど、全山を宗教公園として整備。

私が小学生の頃は遠足の定番コースになっていた。
最初の作品集の〆を
この石段の献火のインスタレーションにしたのも、
そんな記憶に導かれたもので、
公園に隣接して民芸館ができたこともあるが、
今でも何かあると足が向いてしまうから不思議だ。






山頂に桜台(?)という名の茶店があったことを思い出して
石段をのぼったが、誰もいない。
振り返ると聖観音像が別人のように見えた。






不思議なモニュメントにドッキリ。
戦時中前田公園の銅像は軍用に供出。
また戦後は灯篭や仏像群が持ち去られたり破壊されたそうだが、
形状から銅像の台座と思われる。
それにしても民芸館側の山麓と山頂の手入れの落差はひどい。
(地権者の問題があると聞いたが真偽のほどは知らない)






鳥居のトルソー(?) 
ミロのビーナスや唐招提寺の仏像のトルソーを持ち出すまでもなく、
人間はどういう理由かわからないが
欠けたものに惹かれる遺伝子をもっているらしい。






茶店があったとおぼしき場所で、
空を見上げると楓の枝先が稚児の頬のように色づいていた。
残念だがいまの私は時の流れを見ているだけだ。  


Posted by かとうさとる at 03:09 | Comments(2) | とよた風土記

2009年11月03日

いけばなに独自の世界をひらいた谷口雅邦さん


生き残りをかけた
国際展に最もふさわしい作家


先に「現代いけばな人物名鑑」で大坪光泉さんを紹介したとき、「もし私がヴェネチア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーであれば、現代いけばなの旗手と言われる何人かの作家を推す」と書いた。その一人が、A.C.C.フェローシップを受けニューヨークに滞在するなど、現代いけばなの国際化の道を拓いた谷口雅邦さんである。私が谷口さんを推すのは、谷口さんの日本という風土(アニミズム)に根ざした鮮烈な仕事は、古くてもっとも新しい仕事であり、生き残りをかけた国際展の切り札となると思っているからである。




白米のインスタレーションの公開制作(龍生会館スタジオ)1985年





白米のインスタレーション(龍生会館スタジオ)1985年



いわき市立美術館「もうひとつの美術館」(1985年)で発表した「白米のインスタレーション」について、企画者の南嶌宏(当時の学芸員で第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー)さんは、「日本人にとって特別の存在である米を床に散華することについて、いけばな界からクレームがくることを覚悟していたが、美術サイドからクレームがきたのは意外だった」と述懐した。(私の質問に対して)今なら笑い話だが、谷口さんの先進性を示すエピソードとして理解いただけるのではないか。





玄米のインスタレーション(真木画廊)1987年





「トゥ・ザ・ディプス」展(青山スパイラルガーデン)1987年





カインドウウェア主催ビル・ロビンソン プレパーティーディスプレイ 1988年



(注釈)
谷口さんの仕事については、アートフォーラム谷中、資生堂・ザ・ギンザ・アートスペースなど衝撃を受けた個展は枚挙にいとまがないため、「コンテンポラリーいけばな」Ⅱ(婦人画報社)に収録された作品を転載した。「コンテンポラリーいけばな」は、婦人画報社が日本を代表する現代いけばな作家を三巻に分けて紹介したもので、このブログの作成にあたってページを捲ったが、現代いけばなの到達点が見事に記録されており、婦人画報社の見識と英断に感謝。今後こうした歴史的書籍は諸般の事情で発行不可のため、古書店で見つけた方は是非入手をお薦め。




「コンテンポラリーいけばな」Ⅱ(婦人画報社)



谷口雅邦(たにぐちがほう)
青森県弘前市に生まれる。龍生派家元吉村華泉に師事。テキサス工科大学、アンチ・ドクメンタ-インサイド-国際美術展、国際芸術センター青森より特別招聘されるなど、国際的に活躍。現在に至っている。

天使の実 谷口雅邦展
会期:2009年11月30日(月)~12月12日(土)12:00~19:00
会場:巷房(3F)巷房2・階段下(B1F)
東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル3F・B1F
☎03-3567-8727


  


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