2015年12月17日

愛馬物語の題名と発行日決まる







太郎公と私のラブストーリー


大割烹だるまのオーナー夫妻から
プロデュースを依頼されている
本の題名と発行日が決まった


題名は「太郎公と私のラブストーリー」
発行日は2016年2月







  太郎公と私のラブストーリーのチラシ





  巻頭のグラビア「太郎公のふるさと」より



チラシを作成したのは
PRと退路を断つためだが
ブラジルの五輪工事と同じで
あとは突貫工事で間に合わせるしかない
  


Posted by かとうさとる at 07:48 | Comments(0) | 編集出版

2009年08月08日

図録 今に生きる丹羽隆夫






図録 今に生きる丹羽隆夫

図録 今に生きる丹羽隆夫は、画家として、また美術教育のエキスパートとして将来の大成が嘱望されながら、29歳の若さで早世した丹羽隆夫さんの全容を記した遺作集である。私が本書の編纂を思い立ったのは、5年前、隆夫さんの父親である丹羽晧夫さん(愛知教育大学名誉教授)の作品集の編集のためアトリエの倉庫を調査しているとき、丹羽隆夫さんの作品を発見。無言の圧力に衝撃を受けたのがきっかけで、以来隆夫さんの稀有な才を惜しむ関係者の協力を得て、今日を迎えた。

内容は
1 評論「丹羽隆夫の世界」
2 座談会「今に生きる丹羽隆夫」
3 図録
4 資料編
5 よせがき
の各章に分け、学校崩壊の渦中にあって、生徒に勇気と希望というメッセージを伝えるため、全身で絵を描き続けた丹羽隆夫さんの全容を明らかにしたもので、一人でも多くの人に本書をお薦めしたい。
規格は
1 書名/図録 今に生きる丹羽隆夫
2 規格/A4版80ページ
3 発行人/丹羽晧夫
4 編集/かとうさとる
5 印刷/凸版印刷㈱
6 頒布/2000円

今に生きる丹羽隆夫展

本展について、丹羽隆夫さんが奉職した藤岡中学校、上郷中学校の関係者の皆様には近日中にご案内を投函しますが、名簿の把握が十分でないため、ご案内の範囲が限られています。両中学校卒業生でこのブログを読まれた方は、皆さんに展覧会の情報をお伝えください。
1 展覧会名/今に生きる丹羽隆夫展
2 期間/2009年9月8日(火)~13日(日)10:00~17:30
3 会場/豊田市美術館市民ギャラリー
4 主催/今に生きる丹羽隆夫実行委員会
5 共催/財団法人豊田市文化振興財団
6 後援/豊田市・豊田市教育委員会






丹羽先生のよかったところ(上郷中3年3組)
楽しかった。明るかった。やさしかった。
おもしろかった。けっこう小心者だった。
おごってくれたこと(ふとっぱら)。
心の記録のコメントを入れてくれた。
よく面倒を見てくれた。
いろいろなことを聞いてくれた。
気軽にしゃべれた。
相談しやすかった。真剣に相談にのってくれた。
すぐ「GIVE AND TAKE」といった。
元気にしてくれた。プラスに考えてくれた。
いつも笑顔だった。
丹羽先生の変だったところ
すべてはでな(蛍光色)服。
ちょつと笑い方が変(あやしげ)だった。
せきの仕方がかわっていた。リアクションが変だった。
変な言葉、同じ話ばかり、変な物語。
いつも夢の話をした。
車がボロイ。まゆげをうごかすところ。
妹のくつ下をはかせてきた。
「たのしい」を「つまる」と言っていた。
もし今丹羽先生に会えたら
「先生泣かせてくれたね」と言う。そして抱きつく。
おごってもらう。
その時考える。
おごってもらう(おこのみやき)。
死んじゃつたものは会えない。
ランチャ・デルタに乗せてもらう。
たくさん話したい。いっぱいいっぱい話したい。
ほんものかどうか確認する。
にげる。
分かんない。
抱きつく。
セガラリーを勝負する。
とりあえずさわってみる。
まじまじと見る。
びっくりする。
いろんな話を聞く。そして抱きつく。
パーティー。
物語のお話を聞く。
できた子どもの話で盛りあがる。
写真をとる。
一緒に酒を飲みたい。
とりあえず、おどろく。
さいこう、新車に乗せてもらう。あやまる。お礼をいいたい。
たくさんお話をする。「ゴメンナサイ」と「アリガトウ」って言う。
さけぶ。
いっぱいしゃべっちゃう。
3年3組のクラス全員といっしょに、もう1度ディズニーランドに行く。
うれしくて泣いている。
今までのいろんなことを話してみたい。
とにかく話す。あと上中祭や合唱コンクールをいっしょにやりたい。
もう1回みんなで修学旅行に行きたい。
おどろく。
立ちどまる。
あいさつをする。
たくさーんお話をする。
逃げる。


  


Posted by かとうさとる at 12:50 | Comments(0) | 編集出版

2008年10月07日

丹羽晧夫作品集



愛知教育大学名誉教授の丹羽晧夫さんは、美術教育のエキスパートとして、また春陽会会員として活躍するなど、愛知を代表る美術家の一人として知られている。本書は豊田芸術選奨受賞記念展の開催にあわせて丹羽晧夫さんの画業と膨大な業績を一書に編纂したもの。

今だから明かせるが、当時丹羽晧夫さんは癌が脳に転位し本書を見ることは難しいと言われていたが、本書の編纂作業を通して奇跡的に回復。主治医も医学的に説明できないと驚いていたそうです。

写真は作品集の表紙を飾った「イカルスの墜落」1998年

発行:丹羽晧夫作品集編集委員会
規格:B4変形上製本184頁
編集:かとうさとる
デザイン:かとうさとる
デザイン監修:村越昭彦・北沢洋二
印刷製本:凸版印刷㈱  


Posted by かとうさとる at 01:53 | Comments(0) | 編集出版

2008年10月03日

澁谷朗-人と仕事-とよたの保健医療福祉と市民文化




市民が楽しく読める医療・文化の豊田現代史
 
澁谷朗氏は、豊田市の保健医療福祉の発展に大きな足跡をしるし、平成9年度日本医師会最高優功賞を受賞。平成17年秋の叙勲では旭日雙光章を受章し、皇居において天皇陛下に拝謁の栄を浴した。また文化協会会長、文化振興財団理事長として、二度にわたる国内最大規模の市民野外劇を成功に導くなど、豊田市の医療と文化の振興と発展に大きな足跡をしるした最大の功労者です。
 
本書は、澁谷朗氏の歩みを縦軸に、とよたの保健医療福祉と市民文化を「史」として編纂したもので、メディアは市民が楽しく読める医療・文化の「豊田現代史」が初めて誕生したと報じた。

第1章 澁谷家のこと
第2章 保健医療福祉
第3章 市民文化
第4章 メーキング市民野外劇(写真下)
資料編 保健医療福祉と市民文化関連年表
発行:澁谷朗-人と仕事-監修委員会
規格:A4版上製本208頁
編集執筆:かとうさとる
デザイン:かとうさとる・凸版コミュニケーションズ
印刷:凸版印刷㈱ 






  


Posted by かとうさとる at 14:21 | Comments(0) | 編集出版

2008年09月28日

華・かとうさとる作品集





 
ここに収められているのは「手さぐりの中から」のタイトルで重ねた個展の記録と、この間に制作したいくつかの作品である。こうした冊子にまとめるなど考えもおよばず、そのときどきの思いの端を手さぐりしてきたにしかなく、稚拙なぶれはいまも逸る心を萎えさせる。しかし愚鈍だからこうした無為な行為を重ねることができたのかも知れない。
 
むろんこれでよしという思いはさらになく、いまある澱をすべて吐き出し、未知の潮への手だてとしたい思いこそ切である。お目とおしいただきお言葉なりとも賜れば幸いです。
 
 1989年早春
 かとうさとる


空間をまきこんだ確かな自然と植物の造形
工藤昌伸(いけばな研究家)

かとうさとる氏の仕事については、全国各地で行われた公募展やイベントで発表された作品から、私なりの理解を持っていたものだったが、この作品集の刊行にあたって送ってくださった内容のコピイを拝見して、あらためてこの作家の持っている優れた感性について知ることが出来た。豊田市民文化会館での個展の仕事をはじめ、折にふれて見せて頂いたいくつかの仕事が見事に連続して展開されていて、かとうさとる といういけばな作家の日本の自然と植物への限りない愛着と、その周辺の空間をまきこんで確かな存在感をあらわしている作業の全貌が明らかにされている。
 
自らをイベント・プロデューサーとも語る、かとうさとる氏だが、これまでの各地のイベントの成功も氏のすぐれた企画と努力に負うところが多い。現代のいけばな界においてきわめて貴重な存在である、かとうさとる氏の、初めての作品集の刊行に際して心からの祝福の言葉を贈り、今後の活動に大きな期待をしていることを申し上げたい。


華・かとうさとる作品集
発刊:1989年/規格:A4変形68頁英訳付/文:工藤昌伸(いけばな研究家)/頒布4千円/在庫:若干有
  


Posted by かとうさとる at 12:01 | Comments(0) | 編集出版

2008年09月28日

花・かとうさとる作品集





かとうさとる展|夕映え|豊田市美術館(2003年)



1991年夏、豊田市美術館準備室のプレ企画展として開催されたクリスト展に関わった私は、展覧会の準備のため、名古屋駅にクリスト夫妻を迎えた。ミーティングが終わったあと、名刺代わりに渡した私の作品集を見ていたクリストが、突然「かとうの作品を見たいので案内してほしい」と席をたった。「申し訳ありませんが、みんな消えてしまって無い」と私。「オー・クレージー」とジャンヌクロード。一瞬何のことか意味がわからなかったが、私の身体の中で、膝がガタガタと音を立てて崩れていくのが見えた。手さぐりの中から重ねた私の長い時間がこのひと言で報われたと思ったからだ。 
 
クリストのことは夢のまた夢だが、この作品集は、いけばなという民俗から出発した私の仕事の足跡を時間に沿って記したものである。大きな時代の分岐点にたっているいま、こうした形で自分史を記すことができることを感謝している。

 2005年春
 かとうさとる


無骨の抒情
三頭谷鷹史(美術評論家)

今回の作品集によって、いけばな作家かとうさとるの全体像が、ようやく明らかになるのではないだろうか。今、彼は現代いけばなという大きな山を登り終えた節目にあたり、実に適切な時期の出版になったと私は考えている。1970年前後から登場してきたいけばな運動と作品を一般に「現代いけばな」と呼ぶが、かとうのいけばな活動の大半がこの現代いけばなに費やされたのである。今回の作品集は、かとう個人の仕事を検証する機会となるとともに、現代いけばな全体を考察するための材料を提供してくれるはずである。

いけばなは伝統的要素を強く残した分野であり、伝統的な「型」を継承の主軸にした花形を誇り、日本の人々もそれがいけばなだと認識している。しかし、この認識には大変な誤りがある。なるほど伝統の継承はたえず重要視されてきたが、新しいいけばなを目指す運動も並行してあり続け、いけばなは確実に変化してきているのである。しかもその変化は思いがけないほど大きく、いけばなというジャンルの壁さえ越えてしまうほどであった。典型的な例が勅使河原蒼風の作品である。勅使河原は1950年代にいけばなの範疇に納まり切れない作品を発表し、いけばなでも彫刻でもないという意味で「新造形」と命名するものの、国内的には承認されなかった。海外において彫刻として高い評価を受けたのを機会に、結局は「彫刻」と呼ぶことにしたのである。

問題が解決されたわけではない。かとうの「私の仕事」として区分された作品を見れば、そのことがよくわかるはずである。多くがインスタレーションと呼ぶより仕方がない作品であり、美術の越境が明らかに見てとれるであろう。かとうはこれらの仕事を「いけばなから発展した空間造形」と説明しているが、彫刻とインスタレーションの違いはあっても50年前の「新造形」とほぼ同様の問題を抱えていると言っても過言ではない。ここで私たちは、いけばなか美術かといった、所属をめぐる議論を再び繰り返してよいのだろうか。だんじて否である。むしろ「いけばなであり美術でもある」仕事、ジャンル横断的な仕事として素直に受け入れるべきである。ただし、横断的仕事であるにしても、いけばなが美術に同化したということではない。

かとうは「私の仕事」について、その原点は「活ける」行為だと語る。「造る」ではなく「活ける」と語るのは、美術的な造形との違いを主張していると受け止めてよいし、私が現代いけばなに関心をもった理由もそこにあった。現代美術とほとんど変わらない外観でありながら、どこかに異質な造形所作があって、大変興味深かったのである。確かに美術的な造形とは性格が違うのである。

かとうをはじめとする現代いけばな作家の作品が、ほとんどが一時的な設置であるインスタレーションとなっている。たとえ使う素材が恒久的な種類のものであったとしても、仮設的に組み立て、ほどなく解体してしまうのだ。美術では、当然ながら絵画や彫刻があるわけで、インスタレーション一色になるということなどありえない。花の生命は短く、いけばなはもともと仮設の造形であり、そうした造形によって形成されてきたいけばな人の美意識が、現代いけばなに流れ至っていると考えるほかないのである。同様に、「造る」という構築性よりも、「活ける」という刹那的な行為性こそ、現代いけばなの強い性格になっているようなのだ。

かとうの場合、現代いけばな作家のなかにおいても、さらに異質、あるいは異端である。素材選択にもそのことがよく現れていて、彼が多様するムシロなど好例である。いけばな的センス、美術的センス、その両方からして扱いにくい素材であり、洗練された美を生み出すにはあまりにも無骨な素材なのである。しかし、無骨さは否定すべきものではない。「私の仕事」の末尾の作品は、2003年10月の個展で発表したもので、ムシロ(菰)、建築足場用丸太、ベニヤ板という無骨三兄弟を素材にしている。当時の個展評で、私は次のように記した。「丸太やムシロ、ベニヤ板というのは、そのままでは無骨すぎる素材であるはずだが、それが嘘のように気にならない。無骨さが気負いのない表現によって昇華され、譬えるなら質の良い民謡のような、土の匂いをふくんだ叙情性を漂わせる作品になっている。(略)それにしても作家その人を素直に語る表現は深さを感じさせるし、心地よい。その人の生活や感情に根ざした表現こそ本物であり、私たちはそうした素直な表現を長く見失ってきたのではないだろうか。」

かとうは、野のいけばな人である。土の匂い、あるいは土俗が彼の作品のコアになっているのだ。このことは彼が豊田市に生まれ、今もそこに生活していることと無縁ではないかも知れない。自動車の町として知られるのが豊田市だが、現代産業都市の顔のほかに農村という顔をもつ、少なくとも彼が育った頃はまるで田舎であった。現代いけばな作家の大半が東京在住であり、かとうとは生活感情において相当に異なっていると見てよいのではないか。風土的要素が作品表現に及ぼす影響については、よほど極端な辺境でない限り、これまで無視されてきたが、大いなる反省材料である。

今回の作品集には「私の花」と区分され、主に花器に花を活けた作品が掲載されている。15年ほど前に出版された最初の作品集にはなかった区分で、一見したところ伝統的ないけばなへの回帰のようであるが、そうではない。現代いけばなを登り終え、これから新しい道を歩み始めようとしている、その宣言だと私は勝手に理解している。冒頭に掲載されているのは、地域出土の古い多口瓶(写し)に地域採取の笹を活けた作品である。地域の文化的風土をいとおしみ、確かめるような作品選択であり、この冒頭の作品選択は原点からの再出発を象徴的に語っているのではないだろうか。

「私の花」の二番手に「ヨリシロ」と題された壺と松を並列した作品をもってきたのも、やはり象徴的である。いけばなのルーツとしての依代がテーマであるが、依代であるはずの松に葉はなく、松を活けるはずの花器の壺は逆さに置かれている。植物と花の関係を逆説的に表現することで、いけばなの原理を鋭く浮かび上らせた名作だと思う。この「私の花」にはモダンダンスの舞台、座敷、古寺の縁側など、様々な場所を彩った花が登場して楽しませてくれるし、白磁の大壺に柿を活けた作品には注目させられる。野趣たっぷのり枝葉が素晴らしいばかりか、その大胆な活け方が効を奏して、彼ならではの野に根ざしたいけばなを実感させるからだ。背後の壁には「切」の一字、自然の生命を切り取って成立するいけばなへ向けられた、かとうの自覚と覚悟を示す言葉であろう。

「私の花」と「私の仕事」は、互いに許しあうといった甘い関係ではなく、相互に批評し合う緊張関係にある。この緊張関係をじっくり見据えるなら、現代いけばな作家かとうさとるの葛藤が見えるであろうし、彼の闘いの核心部分に触れることができる。この作品集はいけばなにとって貴重な一書となるはずである。

花・かとうさとる作品集
発刊:2005年/規格:A4版104頁英訳付/執筆:三頭谷鷹史(美術評論家)/頒布:4千円/在庫有




  


Posted by かとうさとる at 11:18 | Comments(0) | 編集出版