2013年04月30日

伊那谷探訪(下)映画「大鹿村騒動記」の村









信州で2番目に山奥の村





大鹿騒動記のサイン入りポスター(ビガ―ランド観光協会)


原田芳雄の遺作となった話題の映画
「大鹿村騒動記」の舞台となった南アルプスと歌舞伎の里
大鹿村は中央自動車道松川インターから車で約40分ほど。








大鹿歌舞伎パンフレットより転載


信州で2番目に山奥の村の楽しみは
大鹿村騒動記で全国に知られた
国選別無形民俗文化財大鹿歌舞伎。

大鹿歌舞伎は、300余年前から
大鹿村の各集落の神社の舞台で演じられてきた村歌舞伎。
盛期には村内の13箇所に芝居専用の舞台があったというから
話を聞くだけでもその熱狂ぶりが目に浮かんでくる。

天保の改革の禁止令や明治の警察による圧力など
村歌舞伎や人形浄瑠璃が受けた迫害の歴史は
こうした民衆の熱気を畏れたもので
いつの時代も為政者の考えることは同じ。





「大鹿村騒動記」で大鹿歌舞伎が上演された大磧神社
鳥居の後方に二本の御柱が立っているが見えるかな


デジカメの電池が切れたため写真に撮ってないが
鳥居をくぐると御柱が結界のように立っていた。

御柱と言えば諏訪大社の御柱祭が良く知られているが
伊那谷と諏訪地方が一つの文化圏として繋がっている証で
興味は尽きないが、これはまたの機会にして省略。





大鹿歌舞伎春公演が上演される大磧神社農村舞台


大磧神社の舞台は間口6間(10.8m)、奥行き4間(7.2m)
回り舞台があり、上手に太夫座、下手には花道がついている。

私なりに各地の農村舞台を見てきたが
気負いのない身の丈を伺わせる佇まいは生きている証で
「大鹿村騒動記」の舞台になったのも納得。


伝統は未来につなぐ力


余談に逸れるが
豊橋で発行している三遠南信の応援誌「叢」の「アート点描」で
美術評論家の鈴木敏春さんの取材を受けたことがある。





黒田人形浄瑠璃保存会からお土産にいただいた地元のお酒「喜久水」
飯田で一番多く飲まれている定番酒で、軽くて飲み飽きない酒通のお酒とのこと


予てから「叢」のレベルの高さに注目していた私は
撮影のため同行した写真家の山本典義さんに
「叢」を支える豊橋の民度に敬意を払っていることを伝えたが
山本さんから返ってきた言葉は意外なものだった。

「かとうさん!一度、飯田に行ってくるといいよ」と山本さん。
話を聞くと、飯田の文化の高さに衝撃をうけて
「叢」をはじめたとのこと。

その時は「叢」のレベルを知っているだけに
半信半疑というのが正直な感想だったが
まさに百聞は一見に如かず。

私たちは「伊那谷は芸能の宝庫」と一口に言うが
伝統とは播いた種を育てて未来につなぐ力で
前衛の連続ということを見落としていたのではないか。

今年も農村舞台アートプロジェクト2013を予定しているが
私の飯田詣でははじまったばかり。
  


Posted by かとうさとる at 21:19 | Comments(0) | 農村舞台

2013年04月29日

夏はきぬ/若鮎前線遡上中

















明治用水の魚道をジャンプして遡上する若鮎(矢作川研究所HPより転載)


豊田市矢作川研究所ホームページによると
4月28日現在で210,252匹が明治用水の魚道を遡上。

昨日一日で39,600匹が通過したというから
五月雨による大漁遡上を考えると
最終的には1,000,000匹近くになるのではないか。



それでも若鮎は上流をめざす














河口から45,8㎞。マラソンでいえば
フルマラソンを走り切ったところにあるのが平戸橋の越戸ダム
それでも若鮎は魚道を見つけて上流をめざす。












越戸ダムの魚道はところどころにトロ場があって
若鮎が群れているのが肉眼でも見える。

川鵜から若鮎を守るためネットも張られていて
矢作川の生態系や自然を守るため
どれほど多くの人たちが関わっているのか
思いを馳せるだけで頭が下がる。









魚道の最上流は小川のよう
川の中に設置された箱は天然鮎の遡上実験装置というが
何を実験しているのかな。









魚道で小さな旅をした若鮎は
越戸発電所の導水路を通って本流へ



もう一度生命輝く
若鮎のジャンプをご覧あれ








  


Posted by かとうさとる at 23:12 | Comments(0) | フォト歳時記

2013年04月28日

茶人の美意識に学ぶ












花/山藤
器/ガラス皿


京都で雨が降ると
壁に水を打つ茶会が流行った理由


時は6月下旬。
小堀遠州の京都伏見屋敷に三人の数寄者が遠州を訪ねた。
遠州は早速三人を茶席に迎え入れたが
席入が済んだところで、急に夕立が降ってきた。

通り雨で中立の頃には雨もあがり
後入で席入りした三人は、床を拝見して首をかしげた。
床には花入れのみで花はなく
代わりに床の壁にさっと水が打たれていたからである。

中立で雨に洗われた木々の美しさを見た目には
どんな花を活けても敵わない。
壁の水によって雨に洗われた外の景色を思い起こさせようという
遠州の作為で、現代美術のアートシーンも真っ青。

この逸話にはオチがあって
この後、京都では遠州の作為に倣って
雨が降ると壁に水を打つ茶会が流行ったというから
話が上手く出来過ぎているが
遠州の美意識に学ぶものは多い。

  


Posted by かとうさとる at 19:36 | Comments(1) | 花日記

2013年04月27日

伊那谷探訪(中)黒田人形浄瑠璃と人形舞台 










小田木人形座準備会は
みんなドンキホーテの集まり


小田木人形座準備会は
江戸時代中頃に稲武地区の小田木村に伝えられ
明治の初めに途絶えた「小田木人形座」を
「市民の手で復活させよう」と手を挙げたドンキホーテの集まり。

まあ、難しいことを考えても仕方がない。
下見の下見でいいから「みんなで飯田に行こう」と
4月25日(木)、午前9時半、稲武交流館を出発。

メンバーは山田良稲(小田木)、山田千佳子(小田木)、川角周由(小田木)
片桐敏夫(稲武支所)、後藤修二(稲武交流館)、私かとうの6人。



いろはのいも分からない素人が
300年の伝統をもつ黒田人形に突撃






伊那谷探訪(上)で
飯田の人形ブームの歴史的背景と現在を簡単に記したが
その飯田を代表するのが国選択無形文化財黒田人形浄瑠璃。





     黒田人形は飯田市黒田人形浄瑠璃伝承館の土蔵の中で保管されているが
     伝承館でも展示されているため希望すれば見ることができる。
     写真の人形は新たに作られたもの


黒田人形は元禄年間に飯田市のほぼ中心に位置する
上郷黒田に伝えられた人形浄瑠璃で
天保の改革による上演禁止令や明治初期の警察官の監視など
幾多の苦難を乗り越え、伝統の技芸を今に伝えている。



実るほど頭を垂れる
黒田人形浄瑠璃保存会






    黒田人形浄瑠璃伝承館で人形浄瑠璃の基本を学ぶ小田木人形座準備会(左)
    右は手前から飯田市黒田人形浄瑠璃伝承館の中村啓一さん(人形遣・太夫)
    黒田人形保存会会長・座長の高田正男さん(太夫)
    黒田人形保存会副座長の井坪司朗さん(人形遣・太夫)


予め黒田人形浄瑠璃保存会にアポを入れていたが
黒田人形は300年の伝統をもつ国選択無形民俗文化財の人形座。
小田木人形座準備会はいろはのいも分からない素人ばかり。

そんな私たちを仲間のように暖かく接していただいた
黒田人形浄瑠璃保存会の懐の深さに
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉を想い出した。


歴史の重み黒田人形舞台





下黒田諏訪神社の境内に建つ国指定の黒田人形舞台は
天保11年(1840年)に建て替えられたもので
間口8間・奥行4間・総二階建て瓦葺き出桁造り。
農村舞台と同じ「遠見」があり
農村舞台と人形舞台の関連性を調べて見たい。






人形舞台の内側に入るのは初めて
シンプルで理に適っていて全てが新鮮で発見。






二階は楽屋。左右の天井の斜に走っている太い梁は
間口の広い舞台を支える重要なもの。

このほか
黒田人形舞台に隣接する人形浄瑠璃の研修施設
飯田市黒田人形浄瑠璃伝承館を案内していただいた。
船底の装置もある本格的な人形小ホールで
人形劇のまち飯田を知るためには欠かせないが
説明が長くなるため割愛。


言葉に尽くせぬ
親切をいただいた
黒田人形浄瑠璃保存会に深謝!
  


Posted by かとうさとる at 20:16 | Comments(0) | 農村舞台

2013年04月26日

伊那谷探訪(上)芸能の宝庫と言われる理由











今に生きる人形劇のまち





     飯田市観光情報ガイドより伊那谷と飯田市街。雪山は南アルプス

出馬千疋入馬千疋を数えたという
三河と信州を結ぶ中馬街道最大のターミナル飯田。

     中馬街道は現在の国道153号で、
     塩の道、善光寺街道、三州街道、飯田街道の名も。
     中馬街道の中馬は賃銀をもらって荷を運ぶ中継馬に由来。






     国指定の「霜月まつり」は
     旧暦霜月に上村地区の各神社で夜を徹して奉納される湯立て神楽。
     鎌倉時代に伝えられたもので奥三河の花祭りと関係がありそう。


物流の道は文化の道で全国各地の文化や風習も運ばれ
出馬千疋入馬千疋の「千」は無限大の意味があるように
数え切れないほど中馬で賑う飯田に文化や風習が辿りついた。
伊那谷が芸能の宝庫と言われるのも自明の理。





     黒田人形は伊那谷に伝わる四座の一つで
     全国屈指の人形専用舞台でもよく知られている。
     写真はパンレットより「関取千両緞幟猪名川内の段」


中でも江戸時代半ばに伝えられた人形浄瑠璃は
伊那谷の人々に熱狂的に受け入れられ往時は一村一座を数え
村人は浄瑠璃の舞台や人形のために田畑さえ売り払うほどの
人形ブームに沸いた。

こうした伊那谷の人形ブームは天保の改革による上演禁止
明治になると警察の監視を受けるなど苦難の時代が続いたが
熱心な村人によって支えられ、現在でも黒田人形浄瑠璃(飯田市)
今田人形浄瑠璃(飯田市)、古田人形浄瑠璃(箕輪町)
早稲田人形浄瑠璃(阿南町)の四座が国選択無形文化財に指定され
その伝統と技を今に伝えている。





    NHKIの人形劇「三国志」で多くのファンを魅了した
    人形美術家・川本喜八郎美術館のパンフレット


このほか、国指定の黒田人形舞台
川本喜八郎人形美術館、竹田扇之助国際糸操り人形館があり
毎年夏、世界最大規模の人形劇イベント「いいだ人形フェスタ」が
開催されるなど、飯田は今に生きる人形劇のまちとして
多くの人に親しまれている。


4月25日
小田木人形座準備会の有志で
この人形劇のまち飯田を下見の下見


人形劇のまち飯田と黒田人形浄瑠璃 (中)へ続く  


Posted by かとうさとる at 20:24 | Comments(0) | 農村舞台

2013年04月26日

ふじの回廊がまもなく見頃














「ふじの回廊」は372メートルの棚に
九尺藤、紫三尺、八重黒竜、シロバナ藤の四種類のふじが植栽され
毎年、4月下旬から5月上旬にかけて満開のふじの花が
散策する人たちの目を楽しませてくれる。(ふじの回廊パンフレット)


ふじの回廊は八分咲き


農村舞台の地元説明の帰路
藤岡の「ふじの回廊」に寄り道をした。









満開になると花房が土手に届くほど
まだ八分咲きというところか。



ふじの回廊はこちら








ふじの回廊パンフレットより転載



  


Posted by かとうさとる at 20:22 | Comments(0) | フォト歳時記

2013年04月24日

今日の紙面から/語るに落ちる














4月24日朝日新聞「オピニオン」は
「解雇自由にするのか」をテーマに賛成論者と反対論者の意見を掲載した。



政府の産業競争力会議で
有力民間委員から「解雇規制」を見直す案が
出ているそうだ。

要は「解雇を自由にしたい」というもので
竹中平蔵と楽天の三木谷社長の二人と分かったが
語るに落ちるとはこのこと。

  


Posted by かとうさとる at 22:12 | Comments(0) | らくがき帖

2013年04月24日

今日の紙面から/島森路子さんの訃報に思う












雨がシトシトと降り
蛙が鳴くと田植えの合図




情報も批評の時代

テレビ局などが
特定の番組の視聴率や聴取率を上げるために行う
宣伝・広告活動を「番組宣伝」、略して「番宣」と言うそうだ。

美術館やコンサートホールが
ポスターや印刷物でPRするのと同じマーケティングの一種だが
公共の電波を巧みに使って宣伝するからフェアではない。
こんな横暴が許されるのなら情報操作も簡単。

そう言う意味で言えば『広告批評』が
2009年4月、創刊30周年記念号で休刊したことも痛い。

そんなことを漠然と思っていたら
今朝の朝刊が『広告批評』元編集長の
島森路子さんの訃報を伝えた。






4月24日朝日新聞より転載


広告がネットなどの情報のツールに変化したことを思えば
『広告批評』の休刊は賢明な判断だったが
問題は批評のない情報の氾濫。

「悪貨は良貨を駆逐する」の例を持ち出すまでもなく
良質な文化の芽を摘みかねない。

情報も批評の時代
『広告批評』から『情報批評』へ

島森路子さんの訃報を最後に
また一つ、時代は角を曲がった。  


Posted by かとうさとる at 21:56 | Comments(0) | らくがき帖

2013年04月22日

針の糸が通らない












子どもの頃
破れたズボンなどを繕う母親から
「針の糸が通らないから通して」と
よく頼まれた




               絵本作家の中村広子さんの画



私が簡単に針に糸を通すと
母は「近頃目が悪くなった…」と
独り言を呟きながら
黙々と夜なべをしていた


多分私たちの世代であれば
そんな思い出の一つや二つは
みんな持っているのではないか



こんな昔のことを
思い出したのは
今日の話


いつも家で着慣れている
ズボンの裾がほつれたため
捨てようかどうしようか迷ったが
自分で繕うことにした







「門前の小僧習わぬお経を読む」の喩で
簡単な繕いぐらいは私でもできると
押し入れの奥から
亡くなった妻が使っていた
裁縫箱を探しだした


針に糸を通そうと
何度試しても糸が通らない

針を翳して明かりに透かしてみたが
穴が小さくて神の手でもムリ


私の小さな挑戦は
部屋を散らかしただけで
徒労に終わったが
いつの頃から針の穴は
こんなにも
小さくなってしまったのだろうか
  


Posted by かとうさとる at 23:35 | Comments(0) | らくがき帖

2013年04月22日

つどいの丘のキリシマツツジが見頃











寺本デュオのコンサートが終わってお茶を飲んだあと
トヨタ労連の「つどいの丘」の
キリシマツツジの開花が気になって廻り道







ライトアップもはじまっていて
夜のキリシマツツジも観て見たいもの  


Posted by かとうさとる at 01:55 | Comments(0) | フォト歳時記

2013年04月22日

浄水町の音楽サロンで寺本姉妹デュオコンサート











はじめに
浄水町というところ


世の中の移り変わりの早い事を桜に例えて
「三日見ぬまの桜かな」というが
豊田厚生病院の移設オープン
高層マンションの建設が相次ぐなど
名鉄豊田新線「浄水駅」周辺の都市化も桜並み。

浄水町の町名は矢作ダムから取水する
愛知県豊田浄水場に由来。




新修豊田市史概要版「豊田市のあゆみ」より転載


元は伊保原と言い、戦時中は名古屋海軍航空隊が置かれ
特攻隊の草薙隊が沖縄に向けて出撃した哀しい歴史も。



何よりも
二人のパフォーマンスは爽やか






冒頭から余談に逸れたが
昨日、そんな浄水町の住宅街の一角にある
音楽サロンA・PIACEREin豊田の
寺本みなみ・みずほデュオコンサートに足を運んだ。






会場の音楽サロン A・PIACEREin豊田は
はちまん正人さんから「素敵なホ―ル」という話を聞いていて
場所も下見していたがドアを開けるのは初めて。

キャパは200程度
ホールの正面にスタインウェイのピアノが一台。
間接照明の灯りと明かり窓の自然光が優しく空間を包み
はちまん正人さんが言う「素敵なホ―ル」という
形容以外の言葉がみつからない。







さて、コンサートだが
プログラムの構成もよく練られていて
奏でるヴァイオリンとピアノの音が
生き物のように空間を自在に舞い
演奏時間の1時間半が夢心地のうちに過ぎてしまった。

私は予てから二人には
音楽の表現を通して世界観を表すことができる
稀有な才(音楽性)を持っていると感じてきたが
その感覚が確かな手応えとして伝わってきた。







世界は違っても表現とは
人間の内面の輝きをうたいあげるもので
何よりも二人のパフォーマンスは爽やか。

コンサートが終わったあと
寺本デュオリサイタルの実行委員会のメンバーと再会。
みんなで美味しいお茶を飲めたのも
芸術的感動の余韻で感謝。


A・PIACEREin豊田はこちら





コンサート情報はホームページで検索を


  


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2013年04月20日

もしかしたら梨が水耕栽培できるかも






4月のアタマ
乙部の果樹園でいただいた梨の花を
テーブルいっぱいに活けてアップした。(ブログ参照)






その梨の花に写真のような小さな実がついた
花が散ったためポリバケツに入れておいた梨の枝にも
可愛い実がいっぱいついていた。
もしかしたら梨の水耕栽培ができるかも。(楽しみ)




  


Posted by かとうさとる at 20:59 | Comments(0) | らくがき帖

2013年04月19日

ぶんかの定点観測#27 稲武に新しい風!




ぶんかの定点観測

ぶんかの定点観測は
地元のオピニオン紙「矢作新報」に月一で連載しているコラムで
今回は小田木人形座の復活に向けた動き(準備会)をとりあげた。






詳しくは本文を掲載したので省くが
5年計画で江戸時代半ばに稲武地区の小田木村に伝えられ
明治のはじめに途絶えた人形浄瑠璃を
市民の手で復活させようという草の根のプロジェクトです。

準備会では中馬街道の交流の歴史や
人形浄瑠璃を楽しく体験し学ぶ仲間を募っています。

ご一緒に未来という扉を開けてみませんか?
みなさんのご参加をお待ちしています。

詳しいことは
このブログで問合せいただければ幸いです。




小田木人形座復活へ準備会





   全国で二番目に古い「宝暦弐歳」(1752年)の紀年銘があるカシラ「文七」。
    小田木では安永(1772~1780)の頃、文蔵という人形師が現れ、
    自ら人形を作製したと言われている。




コラム原稿

稲武郷土資料館「ちゅうま」に、
県内でも珍しい人形浄瑠璃のカシラと衣装が展示されている。
江戸時代中期に地元の小田木村に伝えられ、
神社の祭礼などで奉納上演されていたが、
明治8年の「村中倹約申合せ」を最後に途絶えた
小田木人形座を伝えるもので、
昭和42年に愛知県有形民俗文化財に指定され現在に至っている。







   上の写真は小田木八幡神社の遠景。境内の人形舞台は大正の頃取り壊され
   舞台の建っていた場所は伊勢湾台風で土手が崩れて消失した。
   下の写真は、境内を通る中馬古道。
   


なぜ、この地に人形浄瑠璃が伝えられたのか?
地元の八幡神社の境内を三河と伊那谷を結ぶ中馬街道(古道)が通り、
西小田木の馬宿「門屋」に家元があったというから、
物流の要衝として出馬千疋入馬千疋を数えたという
飯田の人形ブームが、時を経てこの地に伝わったのではないか。

ただ、こうした要件であれば、阿智、浪合、平谷、根羽、武節、
足助に人形座があっても不思議ではない。
謎を解く手懸りを奥三河稲武の歴史を綴った
「炉辺夜話」(稲武町長古橋茂人著)に見ることができる。
『信州の「上古田の人形座」(国指定古田人形座)に、小田木から
カシラを買ってきたという記録がある』と記しているように、
この地が古くから人形作りの里であったというロマンと結びついて、
人形座が誕生したのではないか。




   農村舞台アートプロジェクト2012で小田木人形座の復活を願って制作した
   私のインスタレーション「人形は葦舟にのって里帰り」
   私は人形たちが人気のない真夜中に帰ってくるような気がして
   小田木人形座準備会の山田良稲さんにお願いをして灯りを燈してもらった。


いずれにしても、来歴については推測の域を出ないが、
明治のはじめに途絶えた小田木人形座を復活させようと、
この春、地元の小田木をはじめ稲武地区の有志が中心になって
小田木人形座準備会(山田良稲会長)が発足した。

調査研究からはじめて、
5年計画で小田木人形座を復活しようというもので、
人形のカシラや衣装は、伝統を踏まえて新たに制作。
人形座は、保存会形式ではなく、
公募によるオープンな劇団形式の人形座を目指すというから、
実現すれば画期的な事件になることは想像するに難くない。

財源の確保などハードルは高いが夢は生活必需品。
伝統の創造に向けた小田木人形座の準備会の決断と勇気に、
万雷の拍手を贈りたい。











  


Posted by かとうさとる at 20:05 | Comments(0) | 農村舞台

2013年04月18日

炊飯器にスイッチを入れて玄関の花を活け直す




木の枝は線にたけ
草花は色と塊にたける
(蒼風「花伝書」)








花:アンスリウム、石蕗の葉、山躑躅の小枝、枯れ木
器:黒陶


いけばなは
線と色と塊とにみることが出来る
この三つがいろいろの分量をもって
無限に働きをあらわすのだ
いけばなに椿がよろこばれてきた一つの理由は
この三つを都合よくもっている花だからだ
いけばなで二種の花を組むとか
配合することが多いのも
この三つの要素を利用するのに
その手段が好都合だからである
木の枝は線にたけ
草花は色と塊にたける
(勅使河原蒼風「花伝書」より抜粋)  


Posted by かとうさとる at 21:50 | Comments(0) | 花日記

2013年04月18日

人生の三叉路











先ずは
石畳の足湯に浸かって
軽くリハビリ



持病とはいわないが時々偏頭痛や左脚にチカッとした
痛みがくることがある。

いまがその周期だが鎮痛剤で治まるため
熱がある予兆だと勝手に決めているが少し心配。

まだまだ「やりたいこと」が残っているため
昨日、思いきって行き付けの内科医の扉をあけた。

「診た限りでは異常はないが
念のため血液検査をして原因を調べてみるので
もう一度来て」と医師

この歳になれば
どこか不具合の一つや二つはあって普通
今朝も鎮痛剤を服用。





先ずは石畳の足湯に浸かって軽くリハビリ




帰路はぶらりぶらり

県道瀬戸設楽線「戸越峠」




峠の向こうは瀬戸市「赤津」
北一色から石畳にかけて瀬戸の空気感を感じる理由がわかった


石畳の足湯から車で10分ほど。
尾張と美濃と三河の三つの国にまたがることから
三国山の名のついた三国山と猿投山の狭間を
うねるように走る県道瀬戸設楽線の峠が「戸越峠」。
戸越峠の坂道を右に左にハンドルを切って登っていくと
瀬戸市の看板が。

昔、小原和紙の小川喜数先生から小原和紙の黎明期
初めて瀬戸の美術展に出品したエピソードを聞いたことがある。
「展覧会が終わって自転車で戸越峠まで登ってくると真っ暗で
月明かりを頼りに帰ったが涙が出てきた」と小川先生。

ローマは1日にして成らず
私たちはもっともっと
賢人の無言の背中に学ぶべきではないか。




私の秘密基地にしたいため
場所は内緒






県道瀬戸設楽線を戸越峠でUターン。
飯野八兵衛ゆかりの藤岡飯野の宗林寺の近く
遠い昔に見たような情景に誘われて
思わずハンドルを切って山中へ。






写真では写っていないが
山桜がハラハラ舞ってしばし見入ってしまった


猿投山のビュースポットは
私なりに把握しているつもりでいるが
原生林の雰囲気を感じさせる佇まいは他に比類がなく
しばらくは私の秘密基地にしたいため内緒。

また、余談に逸れるが
中川幸夫が「神話」になる少し前
我が家に泊まったことがある。
朝、私が起きると先生は既にベランダに出ていて
「かとう君、いま海外の美術館を観たいと言えば
みんなが行かせてくれる。
有り難いことだが、素晴らしい芸術に感動するだけ…
こんなチャンスが10年前にあったら
と、思うと僕は悔しい」そんな意味の独りごとを話しはじめた。

意外な展開だったため
その時の光景を昨日のことのように覚えている。

レベルも意味も違う!と笑われるが
今の私は野山の美しさに感動するだけで手も足も出ない。
老いたのか、スランプなのか分からないが
人生の三叉路にさしかかっていることは確か。


  


Posted by かとうさとる at 21:14 | Comments(0) | フォト歳時記

2013年04月17日

チューリップの貌をいける















どんな花も季を過ぎれば土に還っていく
人もまた同じ

花:チューリップ、新緑の小枝
器:吉川正道さんの白磁

  


Posted by かとうさとる at 21:05 | Comments(1) | 花日記

2013年04月16日

火野正平をキャスティングしたプロの眼に拍手











BSプレミアム
「日本縦断こころ旅」



私もプロデューサーの真似ごとをするが
プロジェクトの成否はキャスティングが全て





4月14日中日新聞「週刊テレビガイド」より転載


途切れ途切れだが
BSプレミアム「日本縦断こころ旅」を見ている
最初は「緩くて変な番組」というのが正直な感想だった

番組の紹介は省くが
視聴者から寄せられた全国各地の思い出の場所を
火野正平が自転車で代わりに訪ねて
その手紙を読むというそれだけの番組だが
火野正平がいい味を出してクスッと笑ってしまう

NHK「のど自慢」と似た空気感に
癒やされている人も多いのではないか


問題は火野正平




4月12日BS「日本縦断こころ旅」より転写


問題は火野正平
女性問題のスキャンダルで
「過去の人」というのが一般的なイメージではないか

もし、これが民放だったら
絶対通らないキャスティングで考えられない
提案したとたん「何を考えている」と一蹴されるがオチ
ところがこれが大正解だから目から鱗

冒頭で
プロジェクトの成否はキャスティングが全て
などとわかったようなコトを書いたが恥かしい
火野正平をキャスティングしたプロの眼に拍手(パチパチ)


(追記)
日野正平ではなく火野正平です
と助言のメ―ルをいただいた

名は体を表すというが
火野正平が火宅の人になったのは
きっと名前のせいにちがいない

オトコの鏡(笑い)で羨ましい
私も名前を変えてみようかな






  


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2013年04月16日

伊丹靖夫さんが奈良の古寺シリーズで個展









農村舞台アートプロジェクトの仲間で
日本画家の伊丹靖夫さんから
個展の案内をいただいた


■会期/4月30日(火)⇒5月5日(日)10:00am-5:30pm

■会場/豊田市美術館市民ギャラリー






ライフワークとして描きつづけてきた
奈良の古寺シリーズが貯まったため
「そろそろ放出しないと目が腐ってしまう」と伊丹さん






点数は全作品30号で約40点ほど
「会場の空気感を大事にした展示をしたい」と伊丹さん




トピックス
八木哲也さんが予算委員会の
第4分科会(文科省)で質問デビュー






衆議院予算委員会ネット中継より転写


昨日はやはり農村舞台アートプロジェクトの仲間で
先の総選挙で衆議院議員に初当選した八木哲也さんが
予算委員会の第4分科会(文科省)で質問デビュー

仲間が頑張っている背中を見るのは嬉しいもの
「次は自分の番だ!」とでも思わないと
やってられない













  


Posted by かとうさとる at 20:01 | Comments(0) | アートの現在

2013年04月15日

八木哲也さんが衆議院予算員会第4分科会で質問










文化による地域おこしについて
関心がある方は
衆議院予算委員会ネット中継を是非



昨夜はデスクワークでで明け方近くになったため
着の身着のまま仮眠していたら携帯に電話

電話をとると
このブログでもたびたび紹介している
農村舞台の仲間で衆議院議員の八木哲也さんから





新緑の六所神社農村舞台(豊田市有形民俗文化財)



「今日だったよね」と私

「11時からインターネット中継やっているので見てよ」と八木さん

「どうやって見るだん」と私

「①衆議院予算委員会⇒
②衆議院予算委員会インターネット中継⇒
③第4分科会で見れるはず」と八木さん


「わかった」と私


早速検索したが簡単

難しいかな、と思ったが簡単
第4分科会は文部科学省の予算を審議する分科会で
少し説明すると4~5日前八木さんから電話があり

「ほい、急にややること(質問)になっちゃった」と八木さん

「凄いじゃん」と私

「ほんなこといったって急に言われて
すぐ質問書を出せと言われても困っちゃうぞん」と八木さん


「何を質問するだん」と私

「大地の芸術祭や農村舞台を例に出して
文化による地域おこしについて質問しようと思っている」と八木さん


「余り我田引水になるとみっともないよ」と私

「ほんなことはせんけど
ほいでもねぇ、調べて見ると
みんな我田引水で自分のことしか質問しとおへんよ」と八木さん



八木哲也さんの質問時間は
11時から30分ほど


そんな経緯があって今日が本番だが
楽しいような不安のような複雑系
三河弁でやってくれると笑っちゃうが

「文化による地域おこしについて」関心がある方は
予算委員会ネット中継で是非!

  


Posted by かとうさとる at 10:46 | Comments(1) | 農村舞台

2013年04月15日

役割を終えた舞台は廃絶の道しかないのか



なんかふるさと自慢みたいで
語るに落ちるが…


2011年9月24日、私もパネリスト(司会)の末席を汚した
「映像から見た豊田の定点観測30年」の記念講演に招かれた
映画監督の大林宣彦は豊田市の印象について





「映像から見た豊田の定点観測30年」より転載


私は平成の大合併は失敗だったと批判してきたが
豊田市にきてその考えが変った
確かに旧町村はトヨタという経済的な豊かな文明社会に編入されたが
旧市民は、農山村の豊かな自然と文化に編入された
幸せな合併だった

という意味の話をした





4月14日(日)中日新聞より転載


岐阜県と長野県の両県に接し面積で県内の約2割
その内約7割が森林という新生豊田市は旧市民の私たちにとって

■水の郷百選に選ばれた旧旭町
■国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並みと
■紅葉の名勝香嵐渓で全国区の知名度をもち旧足助町
■中馬街道の要衝として発展した旧稲武町
■小原和紙と四季桜の旧小原村
■香恋の里の旧下山村
■オカリナの音色で町づくりをすすめる旧藤岡町

なんかふるさと自慢みたいで語るに落ちるが
突然山里の幸をいっぱい抱えた親戚が増えたようなもの


浮かびあがった
農村舞台群の意味


山里の幸の一つが
旧市内の9舞台から一気に78舞台に増えた農村舞台群で
それまで点として見えていた農村舞台が
物流の道に沿って網の目のように連続

三河山間部から南信州、岐阜県の東濃、飛騨地域にかけて
神社拝殿型農村舞台文化圏を形成していることが
浮かびあがってきたから衝撃




なんとかならないか
葛沢の農村舞台






なんかいわく因縁がありそうな灯篭で私はこういうのが苦手


葛沢(旧足助町)と書いて「つづらさわ」と読む葛沢町は
香嵐渓の一の谷から国道420号線を道なりに約4㎞

大見橋の手前「葛沢町千年杉」の看板を鋭角に右折
2㎞ほどで写真の二本杉が右に見えてくる
車を道路脇に停車して徒歩で葛沢町八幡神社へ






民家の軒先を通るためご挨拶をして


左の建物が農村舞台
奥に見えるのが葛沢町八幡神社社殿

鳥居が舞台で遮断されているため
赤瀬川原平の「トマソン」みたいで笑ってしまう





役割を終えた舞台は廃絶の道しかないのか


葛沢町八幡神社農村舞台は明治4年に建てられた
廻り舞台(現在は取り壊し)のある本格的な地狂言の舞台で
市内には廃絶した舞台も含めるとこうした規模の舞台が
20棟の余を数えたというから農山村の地歌舞伎熱や
芸能する歓びが目に浮かんでくる






舞台から客席を観るとこんな感じ


葛沢町八幡神社農村舞台は楽屋も備わっていて
手入れをすればアート・イン・レジデンスとしても使えるが
役割を終えた舞台が廃絶に向かうのは自明の理

葛沢の舞台をとりあげたのは農村舞台の現状を
理解いただきたいと思ったからだが
農山村の少子高齢化は深刻

  


Posted by かとうさとる at 09:26 | Comments(0) | 農村舞台