2017年04月10日

今年も猿投の里に桃源郷が帰ってきた



豊田市はトヨタの本社があることから
近代的な工業都市を
イメージされる方もいると思うが

今から100年程前、ロンドンで
霧の画家として名声を博した牧野義雄は
ふるさとの情景を次のように書いています。






  牧野義雄が描いたふるさと擧母の風景
  正面の大きな山が古くから霊山として崇められてきた猿投山



【私の生れ故郷は、日本の擧母です。
三河地方のそれはそれは小さな山村の村です。

それで、あたりの景色はとても美しいのに
擧母を通りかかる旅人にしても
草鞋を脱ごうとしません。

魅力的な景勝の地にと欠かない日本では
私の故郷などものの数にも入りません。

それでも、もし仮に、英国か米国に
擧母が置かれていると仮定してみましょう。

美しい擧母の景色ゆえに
きっと有名になったはずです。
何と言っても自分の生れ故郷です。

それだけで私は私なりに
擧母を大いに誇りに思っております。】



その牧野義雄が描いた猿投山南山麓一帯に
今年も桃源郷が帰ってきた










猿投の桃と言えば
舞木の集落がよく知られているが
舞木の西、乙部の丘陵地もお薦め

週末あたりになれば
梨の白い花も見頃になるため
桃の花と梨の花のグラデーションは必見

  




  こちらは県緑化センターの雪柳の雲海


桜と雪柳と桃と梨とツツジとレンギョ―
山笑う季節もすぐそこにきている

いま猿投の里は
花木の饗宴でまさに桃源郷そのもの
こんなチャンスを逃したらもったいない
是非お出かけを!
  


Posted by かとうさとる at 23:02 | Comments(0) | とよた風土記

2017年01月01日

近場の射穂神社にお詣り






射穂と書いて「いぼ」と読む
近場の射穂神社にお詣り








射穂神社は伊保川の北側
平安時代中期に著された辞書『和名抄』に
登場する伊保郷を眼下に見下ろす
小高い山の山頂に鎮座する郷社







社伝によれば
白鳳元年(672)の創建
祭神は27代安閑天皇とその皇妃、妹の三柱


今年こそ、今年こそ
また今年こそで、笑ってしまうが
いよいよラストランで
迷っている時間はない
  


Posted by かとうさとる at 16:35 | Comments(1) | とよた風土記

2016年11月13日

大沢池の紅葉が見ごろ







今日はコラムの原稿を入稿したあと
酸欠のアタマを冷やすため
長野県境の茶臼山から南下した
紅葉前線を追って外出

大井平公園、香嵐渓、三河湖
小原の四季桜などなど
観光スポットはおばちゃんに任せてパス

近場で余り知られていない
紅葉スポットをぶらりぶらり






  大沢池の紅葉


こんな身勝手の条件でも
簡単に応えてくれるから
豊田市はドラえもんのポケットのようなもの

で、出かけたのが
旧藤岡町下川口の大沢池の紅葉






  交流館など公共施設でこんなパンフも
  出ているから便利



下川口は県道豊田明智線を
矢作川に沿って北上
広瀬~藤沢ダム湖の上流の集落で
中心市街地から車で30分ほど



集落のランドマークは
天神社の大銀杏↓






大銀杏といえば
旧旭町の時瀬、惣田もいいが
天神社の大銀杏も負けていない






この天神社の東にあるのが水汲遺跡
余り知られていないようだが
市指定の深鉢が出土した
縄文前期から後期にかけた縄文遺跡








こちらは
道路の拡幅工事で解体撤去された
天神社農村舞台の由来を記した記念碑

碑文によると
江戸時代の寛延2年(1749年)に
人形浄瑠璃、地狂言を
地元若者連中が奉納した

とある

私の記憶違いで無ければ
藤岡村誌の記述と異なるため
確認が必要だが
碑文が正しければ市内最古の農村舞台で
民民俗芸能史の書き直しは必至

天神社の裏山には
天正3年武田勝頼の三河侵攻によって
落城した川口城址があったというから
下川口は小さな集落だが
知れば知るほど底が深い



目の保養に
もう一度大沢池の紅葉を







大沢池の紅葉は木々も若く
余り知られていないが
天神社の大銀杏とあわせて
ライトアップされるため穴場かも
  


Posted by かとうさとる at 17:46 | Comments(0) | とよた風土記

2016年10月17日

ルビコン川を渡った挙母祭り




挙母祭りは

旧挙母の総鎮守の神である子守大明神(挙母神社)の大祭で、県の無形民俗文化財に指定されている八台の山車が奉納され、とよたで最も華やかな祭礼として親しまれている。

祭りの起源ははっきりしないが、寛永年間には行われていたことがわかっているそうだ。

下の絵巻は

内藤藩の時代、挙母神社から挙母城内に曳き入れる様子を描いた「子守明神祭礼絵巻」(部分)だが、現在の祭りと比較すると興味深い。





絵は挙母神社を曳き出された山車が七州城(現在は豊田市美術館が建っている)に向かって進んでいる所を描いた部分。幟に神明町とあるから山車は新明町のもの。幟の先に一本の松が描かれている。伝え聞く熊野の松と思われる。左の三叉路は現在の郵便局の西、山車はここで左に曲がり御殿坂を登って挙母城内に向かった。20年代までこんな田園風景が残っていたから、時代が大きく動いたのはそんなに古い話でははない。





絵は挙母城内で勢揃いした山車の部分。山車の前では披露されているのは子ども歌舞伎。藩主は各町の出来栄えを批評し、「祭り評判記」としてまとめ、子守薬師の縁日に神楽殿に掲示されたというから、各町は面子をかけたことは想像に難くない。
(「豊田市の城下町展-中世~江戸期の豊田-」の図録より転載)


こちらは
大正時代の山車の曳き回し↓





場所は旧の竹生通り。正面の山車の後方に写っているのは竹生通の外れにあったという伝説の大松。残念ながら山車の上に人が乘っているかどうか、判明できないが、この頃から電線を避けるために山車の屋根に人が上がったらしい。
(「挙母-資料に見る明治・大正・昭和のあゆみ」より転載)


ルビコン川を渡った挙母祭り

余談に逸れるが、昨年文化庁は32件で構成する「山・鉾・屋台行事」をユネスコの世界無形文化遺産候補として提案すると発表した。 

内、愛知は「尾張津島天王祭りの車楽舟行事」(津島市・愛西市)「知立山車文楽とからくり」(知立市)「犬山祭り車山行事」(犬山市)「亀崎潮干祭りの山車行事」(半田市)「須成祭りの車楽船行事と神葭霞流し」(蟹江町)の5件で最多。
 
残念ながら挙母祭りは、アップした絵巻を見てもわかるように。江戸期の山車行事と現在は大きく変質しているため、可能性は限りなくゼロに近いのではないか

当然のように一部の文化財関係者はユネスコ以前から「行き過ぎ」と警鐘をならしてきた。私も警鐘を鳴らす側に賛同してきたが、昨日、久しぶりに挙母祭りの曳きだしの熱気を見て、考えが変わった。

もともと祭りは町衆(市民)のエネルギーが爆発したもの。ルビコン川を渡ってしまった現在、元には戻れない。まさに伝統と創造の葛藤。新しい価値観が生まれる瞬間に立ち会っているように思えたからである。


前置きが長くなってしまったが
こちらが現在の挙母祭りの曳き出し↓















  挙母祭りの山車は戦車のような「だんじり」とは別物
  写真でもわかるように山車が傷むのは
  文化財関係者の指摘を待つまでもなく自明
  しかも事故が起きないのが不思議

  考えは変わったと言ったが
  祭りにリスクはつきものと思えども気分は複雑系


午後4時、打ち上げ花火の合図で、華車を先頭に八台の山車が一斉に曳き出されると、境内は興奮の坩堝。ユネスコ云々と薀蓄を垂れている自分が小さくて笑ってしまった。  


Posted by かとうさとる at 15:26 | Comments(0) | とよた風土記

2016年09月07日

久澄橋下流西側の竹林は白鷺のコロニー




記事が古いため
既に一部伐採が行われているが
矢作新報によると
矢作川に架かる久澄橋下流西側の
竹林が全面伐採されるとのこと







国交省豊橋河川事務所によると
地球規模の異常気象に備えて
いま密生林を撤去しておかないと
すぐ上流の豊田市市街地に
洪水被害が及ぶ恐れがあるというのが
伐採の理由だ







  破堤の危険水位を越えた2000年の東海豪雨
  写真は矢作川研究所が編纂した紀要「東海豪雨」より転載

  私はこの時刻、写真右の堤防道路から濁流の矢作川を
  興奮して観察していたからアホ

  早速視聴覚ライブラリーの職員に
  東海豪雨をビデオで記録するように指示

  アホはアホを呼ぶというが
  カメラを片手にみんな嬉々として飛び出して行ったから
  笑ってしまう

  ライブラリーの東海豪雨の貴重な映像資料は
  こうして残ったからアホは大事






  河岸林が復活した左岸(東側)
  写真は橋の下音楽祭のキャンプ風景
  西側も10年もすればこんな風景が見られるかも


既に竹林の伐採が終わった東側には
豊かな生態系の河岸林が復活

竹林の伐採は
洪水対策と親水性の一挙両得で
反対する理由は一つもない



得るものがあれば
失うものがあるのは世の常








伐採が予定されている竹林は
白鷺の一大コロニーで
どうするのかな
  


Posted by かとうさとる at 02:03 | Comments(0) | とよた風土記

2016年06月26日

今日は何の日







答えは鈴木正三忌


天気予報によると
今日は梅雨の晴れ間になるらしい

毎年6月の第4日曜日は
郷土の偉人で江戸時代初期に活躍した
仏教思想家鈴木正三を顕彰する
正三忌と決まっている





  豊田市視聴覚ライブラリーが制作した
  アニメ「鈴木正三物語」より合成
  アニメは一般貸出しているため
  興味のある方は視聴覚ライブラリーへ
  ☎0565-33-0747



正三の命日の6月25日に合わせて
みんなが集まりやすいようにと
豊田市鈴木正三顕彰会が決めたもので
知らなくて当然だが
正三に少しでも関心のある方は
是非覚えておいて欲しい


正三忌の呼び物の一つは
正三に関わる研究成果を発表する
記念講演会で講師は
「蘇る自由の思想家鈴木正三」の著者で
元NHK国際局チーフ・ディレクターの
森和朗さん






没後100年で沸く時の人
文豪夏目漱石をとおして
正三を語るというから
本邦初講演になるはず

参加は自由で
会場は正三所縁の山中町の恩真寺
時間は11時から1時間ほど
  


Posted by かとうさとる at 05:22 | Comments(1) | とよた風土記

2016年05月06日

小原で杉田久女ゆかりの地を訪ねた











過日、なんとなく導かれるまま
小原をぶらりぶらり散策した








  国道419で藤岡と小原を分ける木瀬を過ぎると
  山肌に四七災害の爪痕が残る長い坂が立ちはだかる
  今は道路も整備され簡単に峠越えできるが
  藤井達吉もこの峠を越えて入村したのだろうか

  写真は小原の入り口で見つけたコイノボリ
  竜門の滝を登った鯉は龍になるというが
  周りの風景に溶け込んで風のミュージアムのよう



藤岡も山の中だが小原は全村山の中
集落は坂と坂に閉ざされて
固有種のようなもので
興味のタネは尽きることがない








  先のブログで紹介した道慈山観音寺
  仁王門に掲げられた絵馬は観音寺の馬の市を描いたもの
  今では想像もつかないが往時の賑わいが偲ばれる



中でも私のお薦めは
国道や県道を外れた旧道や里道ルート
道に迷った数だけ発見があるから
楽しい






大正末から昭和初期にかけて
活躍した女性俳句の先駆者
杉田久女が嫁いだ杉田宇内の旧宅

杉田家は小原で代々庄屋を務めた素封家で
今は長屋門を遺すのみだが
屋敷内に杉田久女の長女
石昌子さんが建立した句碑が建っている







「灌沐の浄法身を拝しける」は
小倉にある広寿山福聚楽禅の寺で
御釈迦さんの誕生を祝う仏生会の時の
情景を詠んだもの







長屋門に久女の聖地を訪れた人たちの
感想や名を記した古びたノートが
置かれていた
ページを捲っておもわず落涙


杉田久女について知りたい方は
朝日新聞土曜版be「愛の旅人」シリーズ
「杉田久女と宇内」に詳しいため
asahi.com:杉田久女と宇内で検索を







最後にいけばなで
杉田久女へのオマージュ
  


Posted by かとうさとる at 17:00 | Comments(0) | とよた風土記

2016年03月02日

雛の節句は中馬のおひなさんで





♪あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り




昨日、ふと思いついて
NHK《美の壺》「ひな人形めぐり」で
紹介された中馬のおひなさんに
車を走らせた









  愛知県の山間にたたずむ足助。
  古くから尾張と信州を結ぶ
  街道の宿場町として栄えてきました。

  春―。
  街道筋では、軒先にお雛様を飾り
  人々を招きいれます。

  100年前の土雛。
  土人形のお雛様です。
  足助のある三河地方は
  良質な年度に恵まれれ
  瓦の産地として有名です。
  その粘土から美しいお雛様が生まれます。《美の壺》より


家から足助まで車で30分ほど
こちらが中馬のおひなさんのマップ↓
























中馬のおひなさんの舞台は
重要伝統的建造物群保存地区に
指定された足助の町並一帯

127の商店や民家の家々に伝わる
お雛さんや土人形やつり雛
足助の竹を生かした竹人形が
町並みと溶け合って
おとぎの町に迷い込んだみたい


写真の撮り方が拙く
中馬のおひなさんの雰囲気が
つかみにくいと思うが
百聞は一見に如かず
是非お出かけを




三河山地の暮らしを伝える
参州足助屋敷も是非↓

















中馬のおひなさんが終わると
足助はかたくりの花の装いに代わる
彼の地の人は
皆したたかで民度が高い
  


Posted by かとうさとる at 11:09 | Comments(0) | とよた風土記

2015年10月22日

乙部の果樹園で新高の出荷がピーク










舞木と並ぶ果樹栽培の盛んな乙部地区で
梨の新高の出荷がピークを迎えている






  写真は春、梨の摘花作業をする大澤さん



乙部の大澤果樹園で話を伺うと
「今年は順調で良かったわ」とニッコリ







収穫したばかりの
木箱を見せていただいたが
みんなデカい

試しに目方を測ると1.5キロ
新高というよりもジャンボ級

盛り上がった果肉は糖度の塊で
和牛で言えば霜降りのようなもの



こちらはその「愛宕」
通称ジャンボ梨の棚↓








豊田の愛宕はジャンボ梨の愛称で
ギネスに登録された名産品

来月中頃から出荷がはじまるというが
コンテストクラスになると
軽く3キロを超えるから
カボチャがぶら下がっているようなもの

余談に逸れるが
大澤果樹園では
キズものを安く分けてくれるが
家で食べるにはこれでも贅沢
  


Posted by かとうさとる at 16:03 | Comments(0) | とよた風土記

2015年10月15日

ウォーキングは三文の徳






見える世界がまるで違う


近頃スポーツジムに通う
高齢者が増えているというが
私も何か考えないと大変


そこで考えたのが
三日坊主に終わったウォーキングの再開


普段見慣れた同じ風景なのに
みんな新鮮
見える世界がまるで違う













白く見えるのは乱舞する蝶々



こんなアートな世界も









リヤカーにサインをすれば
立派なジャンクアート




こちらはぶらタモリ風に





伊保川の産業遺産





板塀の路地が気になって奥を散策
どうやら昔の街道の匂いがプンプン








なるほどなるほど
早起きは三文の徳というが
ウォーキングも同じ
ぼちぼちやろかな
  


Posted by かとうさとる at 15:47 | Comments(0) | とよた風土記

2015年06月14日

鈴木正三ファンが豊田市を聖地とする理由













  PHP文庫 鈴木正三より転載




  神谷先生からいただいた自筆の講演原稿(参考)



郷土の偉人で
江戸時代初期に活躍した
仏教思想家鈴木正三について


弁護士で元検事総長の柏木敬一氏は
5月19日発行の日経新聞夕刊のコラム「明日への話題」で
次のように記している



  5月19日発行の日経新聞夕刊のコラムより転載


柏木氏は、正三の「職業倫理」とプロフィールを記したあと
《(正三は)仏との距離が近いと思われていた出家僧侶を
俗界の人と同列に並べ「一切衆生悉有仏性」と言う
人間の本質的平等を説き
職業に貴賤なしという原理を唱えた

正三は高校の教科書に載るほど著名な宗教家ではないが
後の心学をとおして江戸の庶民に与えた影響は大きく
日本的資本主義の精神的基盤を創ったと評する
論者もいるほどファンも多い》と結んだ

 
正三ファンにとって
正三生地の豊田市は聖地のようなもの


ゆかりの史蹟はもとより
研究においても集大成となる
「鈴木正三全集(上下二巻)」を編纂発行するなど
訪れる人はひきもきらない

特筆すべきは
こうした正三の顕彰と研究が
市民の草の根の活動によって支えられていることで
昭和50年、正三生地の旧足助町で鈴木正三顕彰会が発足
中心になったのは故鈴木茂夫氏、故高橋秀豪氏、柴田豊氏の3人

さらに昭和58年
正三の顕彰活動を広く市民運動とするため
豊田市鈴木正三顕彰会(濱本晴之会長)が発足

「正三七部の書」の復刻や絵本化をはじめ
正三ゆかりの九州天草市との交流は
矢並小学校(熊谷めぐみ校長)と
「鈴木三公(鈴木正三、重成、重辰)」を祭神として祀る
鈴木神社の建つ本町小学校との学校交流に発展するなど
着実な成果をあげているのは周知のとおり




  天草は殉教の島として知られているが
  天草・島原の乱の端緒は島民に課せられた苛酷な重税

  こうした天草復興の重責を担って
  幕府から初代代官を任じられたのが正三の弟の重成
 
  正三は重成を援けて
  天草の精神的復興に尽力したが
  重成は自ら幕府に石高半減を訴えて自刃
  
  のちに幕府は重成の訴えを認め石高を半減
  正三の実子で重成の養子となった重辰が
  正三、重成の志を受け継いで天草を復興

  天草では鈴木重成、重辰、正三の「鈴木三公」を祀る
  鈴木神社が建ち、いまでも「すずきさま」と崇敬されている
  
  写真は私も参加した鈴木重成公没後350年記念事業で
  鈴木神社に参詣する神谷満雄先生(左)
  田口鈴木神社宮司(中)、渋谷朗先生(右)
  


今年も正三ゆかりの恩真寺で
鈴木正三記念講演会
 




講師は
「鈴木正三の精神思想」を著した
西宮市在住の正三研究家の濵﨑要子さん
演題は
私の正三和尚遍歴
日時は
6月28日(日)午前11時~12時
問合せは
豊田市鈴木正三顕彰会事務局長
那須邦子さん☎0565-42-1700

※アクセスは公共の交通機関がないため
豊田市駅よりタクシーで

正三ファンの聖地と記したが…

残念ながら現実に戻るとタクシーの運転手でも
正三や恩真寺を知っている人は少く一事が万事

そこで県外からのお客さんで希望される方は
私が豊田市駅から車でご案内します
(連絡先) 
ikebanakato@yahoo.co.jp  


Posted by かとうさとる at 18:01 | Comments(0) | とよた風土記

2015年06月11日

山野草を愛でながら恩真寺へ








蛇の道は蛇

昨日は「コラム」の取材で恩真寺に車を走らせた
家から恩真寺まで車で約40分

どうせ恩真寺に行くなら
蛇の道は蛇というが
地元の人しか知らない上高町の山越えルートに変更





矢作川に架かる両枝橋に車を停めたが
川面を渡る風は気持ちがいい



お目当てはこれ↓







上高町から恩真寺に抜ける林道の脇で見つけた山野草


ここから先は
徒歩で恩真寺へ










恩真寺まで登り坂が続くため正三さんの杖は親切







恩真寺のランドマーク正三手植えの「正三杉」







参道を登っていくと左手に正三が座禅をしたという「座禅石」が





さらに参道を登っていくと正面に恩真寺の甍が見えてくる









今回はここまで

次回は日を改めて
恩真寺と鈴木正三について(続く)

  


Posted by かとうさとる at 20:13 | Comments(0) | とよた風土記

2015年05月04日

ゴールデンウイーク後半は近場がいい









山里のお蔵展で手に入れた
カメラ目線のネコ






作者は太田優子さんという若い陶芸家
私の記憶に間違いがなければ
独学に近い形で身の回りの器を創作している方で
地味系だが生活目線でみんな丁寧

名刺代わりに一番小さいネコ(500円)をいただいたが
こんな女性が実在したらヤバいよね



余談に逸れたが
数時間で行ける小さな旅



豊田市は面積で県内最大
その内の約7割が愛知高原国定公園
天竜奥三河国定公園に連なる中山間地で
香嵐渓や奥矢作 など山地水明の景勝地に事欠かないが
なぜかみんな遠くに出かけたがるから不思議

しかも世界のトヨタの歴史や歩みを紹介する数々の記念館から
家康公400年祭に沸く徳川発祥の松平郷
農山村の娯楽の殿堂農村舞台群まで点在するから
豊かな自然や歴史文化資源を露天掘りするようなもの

ぶらりふらり行くも良し
学習してから行くも良し
家から数時間で行ける小さな旅は人生のパスポートで
使わない手はない


ユニークな手づくりイベントも目白押し







一昨日、小田木人形座準備会の練習場の片づけの帰路
旧旭町の山里で開催されているお蔵展に立ち寄った







  小坂の上坂商店の五平餅も美味だが
  山里のおばちゃんが焼く五平餅も負けていない



土地勘のある私でも迷うような山また山の鄙びた里に
たくさんの人が集まってくるから
今の時代、不便もウリの一つかも


場所はこちら↓




「山里のお蔵展」を例に紹介したが
ユニークな手づくりイベントも目白押し

薫風を全身に浴びながらぶらりぶらり行く山里は
道に迷うのも出会いと発見の第一歩
もしかしたらクマやシカやイノシシとお友だちになれるかも

会期は5日(祝・火)まで
ライブのイベントも

問合せは

阿部友子さん☎0565-68-2302
景山公人さん☎0565-68-2101

ついでにオマケ

上の地図の右に「杉本」という地名があるがわかるかな




その名のとおり県内最大の巨木「貞観杉」が村のシンボルで必見
「貞観杉」は国の天然記念物で樹齢1000年以上
根回り14.50メートル、樹高45メートル
どんだけ大きいか見てのお楽しみ


















  


Posted by かとうさとる at 14:40 | Comments(0) | とよた風土記

2015年04月17日

ぶんかの定点観測#51












民芸館で名誉市民
本多静雄コレクションⅣ開催中


山笑う季節
行楽に出かける人も多いと思うが
平戸橋一帯は古くから山地水明の景勝地として有名

馬場瀬古墳群から土場(川湊)の遺構
枝下用水や越戸ダム、前田公園など
近代の産業遺産から民芸館まで
辺りは文化資源を露天掘りするようなもので
事前に学習してから出かけると楽しさも倍増

何と言っても近いのがいい
この機会に是非お出かけを





  近江商人の西澤真蔵が開削した枝下用水取水口  
 



  地元のオピニオン紙に月イチで連載しているコラム
  目の良い方はどうぞ


  


Posted by かとうさとる at 22:03 | Comments(0) | とよた風土記

2014年10月29日

香嵐渓の紅葉は平年より少し遅い感じ

















石垣真帆キャスターの
予測が当たりそう



少し前になるが
今年の紅葉の見ごろについて

NHK名古屋「夕刊ゴジらじ」のキャスターで
気象予報士の資格をもつ
石垣真帆キャスターは
「山間部では少し早く紅葉するが
平野部では例年より遅れそう」
と解説した


昨日、所用が早く済んだため
近場の紅葉スポットをぶらりぶらり巡ったが
石垣真帆キャスターの予測が当たりそう








定点観測をしているわけではないため
よくわからないが
先のブログに記した
山間部の稲武地区は少し早いのかな

足助の香嵐渓は
写真を見てもわかるように
明らかに遅れている

見ごろは中旬から下旬に
ずれ込むのではないか



こちらは香嵐渓もみじまつり
のポスター↓







余談に逸れるが
香嵐渓や小原の四季桜もいいが
秘すれば花
できれば名勝地は避けて
ぶらりぶらり山郷を巡りたいもの

こんな贅沢ができるのも
地元の特権で感謝




  


Posted by かとうさとる at 13:39 | Comments(0) | とよた風土記

2014年10月28日

紅葉も望月の欠けたるがよし











とよたの紅葉前線は
南信州と東濃と接する稲武からはじまる
その稲武の紅葉スポットといえば
大井平公園とタカドヤ湿地


大井平公園の紅葉は
週明けから一気に深まりそう









秋の日はつるべ落としというが
気温もつるべ落とし
大井平公園の紅葉は
週明けから一気に深まりそう




タカドヤ湿地の紅葉は
少し早そう











紅葉も望月の欠けたるがよし





連谷から大多賀へ抜ける
段戸川の紅葉


いつもは竿を積んでいるのに…
残念!

  


Posted by かとうさとる at 23:54 | Comments(0) | とよた風土記

2014年10月27日

市場城址は四季桜のビューポイント

















兵どもが夢の跡


予てから気になっていた
小原の市場城址に初めて登った






中央上が市場城址(「新修豊田市史概要版」より転載)





市場城址は
標高380mの山頂にある
室町時代の山城







山頂の郭が本丸跡で
その南東面には
石垣・土塁が築かれている











空堀と土塁が斜面に沿って連続
規模は違うが
山を包む空気感は
岩村城址に登ったときと同じ






山頂の本丸跡
広さは並の山城のレベルではない

文禄元年(1592)
城主の鱸氏が家康によって
小原から退去を命じられて
廃城になったというが
これだけの山城を
今まで見落としていたのは迂闊






山頂から東の方向を見る



市場城址は
四季桜のヒューポイント








山頂東斜面の四季桜





山頂南斜面の四季桜


四季桜情報
■四季桜は10月26日現在で三分咲き
■見ごろは例年並みの11月中旬頃か
■市場城址の場所はパンフレット「小原の四季の回廊」を参照
(最寄りの公共施設で入手可)
  


Posted by かとうさとる at 00:24 | Comments(0) | とよた風土記

2014年09月30日

乙部の果樹園で梨の出荷が盛り



















ギネスに載ったジャンボ梨は
まだネットの中で成長中



ジャンボ梨は「愛宕」の愛称で
ギネスブックに登録されている
とよたの名産品のひとつ


外出の帰路
ジャンボ梨を生産している
乙部の大澤果樹園に立ち寄ると
家族でネットをかぶせている最中






「何しとるだん」私
「台風がくると落ちちゃうから」と大澤さん
備えあれば憂いなしということか…

学ばないといけないが
キリギリスの私にはできない相談で
苦笑するしかない



デカっ!




写真のジャンボ梨は2010年のコンテストで撮ったもの
生産者は乙部町の梨農家の梅村和也さん

梅村さんはジャンボ梨コンテストでは有名で
ジャンボ梨の平均的な重さは2キロほどだが
梅村さんのジャンボ梨は
3キロを超えるものもあるというから
デカっ!



出荷は
例年どおりであれば
11月10日頃から12月中旬頃まで


  


Posted by かとうさとる at 12:00 | Comments(0) | とよた風土記

2014年07月02日

郷土を知る会と猿投古窯














敷居はこの程度の高さが一番いい


過日、「郷土を知る会」の
平成26年度総会と例会が開催された

「郷土を知る会」のメンバーは
博覧強記の郷土史家から主婦までいろいろ

漫画家の蛭子能収が出演する番組のような
「ゆる~い集まり」だが
敷居はこの程度の高さが一番いい


で、今回のテーマは猿投古窯




   猿投古窯を代表するのが
   片口に四個の注口を付けた不思議な形をした「多口瓶」

   祭器に使われたものと思われるが
   9世紀頃のペルシャ陶器にも
   同じ形の器が見つかったというから
   猿投古窯の謎は深まるばかり

   写真の「多口瓶」は猿投窯の山田和俊さんが写したものだが
   本物(国宝)は本多静雄先生が愛知県陶磁美術館に寄贈
   常設展示されているため興味のある方は是非



日本の焼き物のルーツといわれる
猿投古窯が発見されたのは昭和29年9月


黒笹の愛知用水の工事現場から出た
不思議な陶片を入手した陶磁研究家の本多静雄先生が
破片の出た畑を調査して指摘したもので
須恵器から古瀬戸の空白を埋める歴史的発見となった

その後、名古屋大学の楢崎先生を中心に調査が進められ
豊田市の北部から名古屋市の東部丘陵地帯にかけて展開した
一大古窯址群が明らかになった

なお、猿投古窯の名は古窯址群が猿投山西南麓一帯に
広がっていたことから命名されたもので
猿投山西南麓古窯址群が正式な名称


当日は民芸館で猿投古窯の概要を学んだあと
焼き物に関係する灰宝神社(越戸町)
兵主神社(荒井町)、野見神社(野見町)
の由来を学習





   豊田市民芸館の「さなげ古窯本多記念館」で
   児玉館長から猿投古窯の概要について学習






 
   復元した猿投古窯の穴窯   
   元は高崎町の山中にあったが卸売市場の建設に伴い   
   調査が行われ復元したもの




   窯の内部は市民が窯焚きを体験するため現代の穴窯で復元


猿投古窯のミステリー

さて、猿投古窯について唯々諾々と記したが
私の最大の関心事は猿投古窯の物流のシステム

1,000年も前に猿投山西南麓一帯で焼かれた陶器が
どのようなルートをとおって全国各地に配送されたのか否か

どんなにいい商品を生産しても消費者に届かなければ
住む人のいない家
食べる人のいない料理と同じで
猿投古窯は存在しなかったからである

不思議なことに
どの本を調べても物流に対する記述は皆無
研究者に質しても物流について語る人は皆無


で、以下は私の空想だが

結論のみ記すと須恵器の時代
大陸から渡来してきた焼き物の技術をもった出雲系の一族が
良質の陶土を求めて猿投山西南麓にたどり着いて
南方から渡来してきた福岡の宗像系の海人族と合体
チーム猿投古窯となったのではないか




   写真は戦禍を逃れるため国宝の「竹林豹虎図」など
   名古屋城の文化財が密かに移された灰宝神社の収蔵庫





その謎を解く手掛りの一つが

矢作川の水運の要にある焼き物の神を祀った
灰宝神社(写真上)、兵主神社、野見神社の三社と
水の神を祀っている射穂神社

ちなみに射穂神社は
みのもんたの「歴史ミステリー」という番組で
「海人族」の痕跡を証明する神社として
紹介されたことがある(私は偶然その番組を見て絶句)

千年も前に
焼き物という先端技術をもち
マーケティングとマネージメントに長けた職業集団が
豊田市に居を構えていた
想像するだけでもわくわくしてくる


出雲系の神を祀る兵主神社




籠川と矢作川が合流するた地点に土場(川湊)があって
出雲系の神を祀る兵主神社がある(写真上)

残念ながらこれらはみんな状況証拠で
専門家は歯牙にもかけていないが
猿投古窯の全体像を明らかにするためには
物流の解明が不可欠ということは
子どもでもわかるはず

もしかしたら
これが猿投古窯最大のミステリーかも
  


Posted by かとうさとる at 22:03 | Comments(0) | とよた風土記

2014年02月20日

松平郷六所神社下社からぶらりぶらり帰宅












所要で出かけたついでに
ふと思いついて
松平郷にハンドルをきった





    六所山を遥拝する六所神社一の鳥居
    正面の山が上宮のある六所山
    六所山の麓の白い雪のかぶった屋根が六所神社下宮農村舞台
    



    六所神社農村舞台は明治5年(1872年)に建造された舞台
    秋の例大祭などに歌舞伎役者や旅芸人が招かれて演じた舞台も
    今では使われることもなくどこか寂しそう


六所神社は六所山頂にある上宮・八ケ峰神社、宮口の下宮の総称で
私たちが一般に六所神社とよんでいるのは下宮をさす場合が多い


古六所神社の案内矢印を発見

    


坂上から天下峯の麓を通って王滝渓谷につづく道を
王滝川に沿ってぶらりぶらり下っていくと
小さな看板を発見

この道はもう何十年も通っているのに気がついたのは初めて
下車して読むと「古六所神社・五輪の塔」の文字





    獣道と思ったがどうやら王滝から坂上に通じる古道らしい


芸術は自然を模倣するというが








古道を道なりに進んでいくと
正面に竹林が見えてきた

ただの竹林ではない
現代美術の野外ミュージアムと錯覚したほどの衝撃に
思わず足が竦んでしまった

芸術は自然を模倣するというが
どんなアートも自然を模倣しては勝てない


ここが古六所神社




郷土の民俗については私なりに理解しているつもりでいたが
古六所神社の存在を知ったのは今回が初めて





下手な説明は間違いの元になるため要点のみ記すと
古六所神社は妙昌寺三世住職無梁融了が勧請したとのことで
目のいい方は一読を


最後に大給城第4代
松平親乗の五輪の塔へ案内









大給松平家は松平宗家親氏の三代親忠を祖とする
松平氏の庶流(分家)で多くの譜代大名や旗本を輩出した名門

大給城址や菩提寺でなく
こんな山中に松平親乗の墓があるのか
よくわからないが
古六所神社を勧請した
宗家親氏ゆかりの妙昌寺が麓にあるため
何らかの関係があるのかも

  


Posted by かとうさとる at 22:03 | Comments(0) | とよた風土記