2009年10月31日

NHKラジオの深夜便をBGM代わりに












深夜便のうた「愛の旅人」

本の編集やモノ書きの真似ごとをはじめるようになって、一番変わったのは生活スタイルで、朝刊を読んで寝ることもしばしば。そんなときは、好きなCDを聴くこともあるが、大抵はNHKラジオの深夜便をBGM代わりにしている。書店で販売されている深夜便のテキスト(一冊350円)も大人の人生読本として学ぶことが多い。





往年(?)の大スターと言われる俳優はみんな文章が上手い。中でも双璧と言われるのが池辺良と有馬稲子の二人で、文章から映像が立ち上がってくる。本誌の「女優が語る戦後」は、その有馬稲子の自伝とも言えるもので、同じ時代を少しでも知るものにとっては秘密の扉を開けたようなもので、わくわくどきどき。


そのラジオ深夜便に「深夜便のうた」というコーナーがある。今月は、大川栄策「昭和浪漫~第2章~」と佐々木秀美「愛の旅人」の二曲が流れているが、佐々木秀美「愛の旅人」がいい。シャンソン調のメロディーにのせて、大人の愛を切々と語るように歌う佐々木秀美。ピアフに憧れてパリに渡ったという佐々木秀美。モノセックスの妖しさは、私のような健全なオジサンには毒で、NHKも罪なことをするものだ。「深夜便のうた」の放送は深夜1時台後半と3時台後半。興味のある方は是非。






夕映えの鰯雲(10月30日16時頃)







ペノーネと遊ぶ

家への帰り道、道路脇の草ムラで葛と野薔薇を見つけた
花:葛の葉、野薔薇、シュウカイドウの葉 
陶:山田和俊(猿投窯)焼き〆茶碗
紙:ジュゼッぺ・ペノーネのサイン入りポスター
  


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2009年10月30日

浜名湖で太公望を決め込んだが


太公望にもできない名人芸を
お見せできないのが残念


今は五目釣りに変更したが、私は一時期黒鯛釣りに嵌まったことがある。ホームグランドは浜名湖で、昨日、その浜名湖に10数年ぶりに釣行。もちろん狙いは黒鯛だ。そんなわけで浜名湖で一日太公望を決め込んだ。釣果はウナギの白焼き(?)で、箸で釣るというのは、かの太公望にもできない名人芸(?)だが、秘伝のためお見せできないのが残念。






浜名湖は日本で10番目に大きい気水湖で、元は淡水湖だったが、明応7年(1498年)に起きた大地震によって海を隔てていた砂堤が決壊。現在のような気水湖になった。湖内の魚種は豊富で漁獲高は日本でも有数というから、ボウズ(釣果ゼロ)の私は言い訳ができない。写真は新居側の海釣り公園から見た浜名湖。上方に見える橋は1号線と新幹線の鉄橋。
釣りにきて写真を撮っているようではダメだ。(トホホ)






海釣り公園から対岸の弁天島を見る。弁天島の上に富士山が見えると浜名湖はチンタ(黒鯛の子ども)からカレイ釣りに代わる。






釣果(?)の白焼きを食べた後は遠州灘の海原を見ながら砂浜でウトウト
左の海に突き出たように見える突堤が浜名湖と大平洋をつなぐ今切口






水平線に伊良湖岬がみえるはずだが



  


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2009年10月27日

ぽっかり浮かんだ 白い雲



これこれ 石の地蔵さん
西へ行くのは こっちかえ
だまって居ては 判らない
ぽっかり浮かんだ 白い雲
何やらさみしい 旅の空
いとし殿御の こころのうちは
雲におききと 言うのかえ

(美空ひばり「花笠道中」)





ぽっかり浮かんだ 白い雲(妻を病院に送った帰り道)





何やらさみしい 旅の空(妻を病院に迎えにいく途中)





雲におききと 言うのかえ  


Posted by かとうさとる at 20:25 | Comments(0) | らくがき帖

2009年10月26日

とよた市民野外劇が私に遺した宿題


持っていたカードを全部使い切る

職にあった当時、私が最後のライフワークとしたのが市民総参加の野外劇の制作で、8年近い歳月をかけた市民運動が実り、平成15年8月、出演者総数2400名、スタッフ総数575名、入場者9355名という国内最大規模の市民野外劇「衣の里夢大地」に発展。真夏の夜のファンタジーとして幕をあけた。




写真は国内最大規模の市民野外劇となった「第1回とよた市民野外劇/衣の里夢大地」から
第2部/挙母藩をゆるがした「加茂一揆」の騒動と時代の夜明けを描いたシーン。



3年後の平成18年には、平成の大合併を記念したショー形式の歴史ドラマ、第2回とよた市民野外劇「クルマのまちの誕生」を豊田スタジアムで上演。市民文化の黎明期からアートマネージャーとして関わってきた私の役割はピリオドを打った。

悔いはないはずなのに、私は何か大事なことを見落としてきたような気がしてならない。私がこんなことを思い悩む(?)のも、このブログでも紹介した農村舞台の問題とあわせて、地域に何かお返しをしなければ、と考えているからである。その見落としたものの答えが思いもかけないところで見つかった。


星野知子の言葉に絶句

5夜連続で放映したNHK「日本の祭り2009」を見た。番組は19日(月)高知よさこい祭り、20日(火)博多祇園山笠2009、21日(水)青森ねぶた祭、22日(金)YOSAKOIソーランナイト2009、23日(金)こころ踊る天水の夏「徳島阿波おどり」の順に紹介。欲を言えば八尾の「風の盆」が見れたら最高だが、これ以上の贅沢は言えない。NHKに感謝。

前述した「思いもかけないところ」というは、この「日本の祭り2009」のことで、「徳島阿波おどり」のゲストに招かれた徳島出身の女優星野知子は、慣れ親しんだ「阿波おどり」の体験を語ったあと、『「阿波おどり」をここまで(文化)に育てた地元を誇りに思う』という意味の感想を述べた。絶句したのは「育てた」という箇所で、私の心の中で溜まっていた澱が堰を切ったように流れ出した。


創る力と育てる力

私に欠けていたもの、見落としてきたものの答えが「育てる」という言葉だったとは、意外な結末だが、納得。「育てる」ことは「創る」ことと同じ創造することであり、「育てる力」が人を創り、伝統を創り、地域を創り、国を創ることは過去の歴史が証明しているからである。私の経験が少しでも「育てる」側の人たちの役にたてればと願っている。


写真でふりかえる第2回とよた市民野外劇




写真は「第2回とよた市民野外劇/クルマのまちの誕生」から第1部「まほろば」のファーストシーン。私は制作部長として構成台本と舞台美術を担当。物語は正面の巨樹の嫗(おうな)の語りで進行。私は市民野外劇で持っていたカードを全部使いきってしまったが悔いはない。




第2部「クルマのまちの誕生」では、市民オーケストラと合唱団がベートベンの第九交響曲「歓喜の歌」の大合唱。




第九交響曲にあわせたマーチングバンドカラーガ―ズの大パフォーマンスには、日本一に輝く愛町マーチングバンドが特別出演。




第2部「クルマのまちの誕生」の市民大交流ではピッチに飛び入りの市民も。いつもはトヨタ博物館で展示してあるトヨタAA型乗用車も特別出演。(ステージ中央)




子どもたちの大合唱にあわせてペンライトの光がゆれる第3部「新たな旅立ち」のフィナーレ。  


Posted by かとうさとる at 07:00 | Comments(0) | とよたの文化

2009年10月24日

塩の道が運ぶ農山村文化圏


どうやら悪い周期に入ったらしい

外に出て空を見上げたが星が見えない。
おまけに中日が前日に引き続いて巨人に逆転負け。
明日のために仕込みをしなければと想を練っていても空回り
こんなときは、気分一新。人を肴に飲み明かすのが良薬だが
酒の肴にも断られてしまった。
どうやら悪い周期に入ったらしい。






民俗有形文化財に指定されている六所神社の農村舞台。
左右に太夫座のある本格的な地歌舞伎の舞台で、舞台下手下に見える遺構は廻り舞台の出入口と思われるが、残念ながら舞台を張り替えてしまっため、廻り舞台については推測するしかない。



塩の道が運ぶ農山村文化圏

愚痴が長くなってしまったが、農村舞台について少し補足したい。前回述べたように農村舞台とは、農山村や漁村にある近世の芸能舞台で、営業用でない舞台の総称で、近松研究叢書「農村舞台探訪」によると、全国に2,280舞台の舞台があり、644舞台が廃絶。1,636舞台が現存しているとのこと。





写真は、農村舞台のコラボレーション・現代美術展「共感する悪所」(1991年)から。「共感する悪所」は豊田文化デザイン会議のキューレターとして招かれた茂登山清文(名古屋大学准教授)さんが企画したもので、現代が喪失した猥雑な記憶の手がかりを求めて、8人の作家が農村舞台の異空間に挑んだ。私は金沢のセシル・アンドリューさんとペアで城見町神明社農村舞台挑んだが、コラボレーションの難しさを実感。お付き合いいただいたセシルさんに感謝。


前述した数字は、近松研究叢書「農村舞台探訪」をもとに集計したもので、その後の舞台の劣化、社会情勢の急激な変化などを総合的に判断すると、地域に根付いた幸運な舞台を除いて、既にかなりの舞台が廃絶したものと考えていいのではないか。ちなみに豊田市の場合も80近い舞台が確認されているが、文化財に指定されている舞台を除いて廃絶の危機に瀕していることは、前回のブログで記したとおりである。





私は城見町神明社の境内から鎮守の森に
「カラッポ」を設置した。



参考までに、都道府県別に多い順番に記すと①兵庫県②岐阜県③徳島県④長野県⑤愛知県の順で、中でも愛知県の三河山間地域、長野県の南信地域、岐阜県の飛騨、東濃地域に全国の1/3弱の舞台が集中。多くの舞台に共通する拝殿兼用の農村舞台群から、塩の道が運ぶ農山村文化圏の姿を思い描くのは私一人ではないのではないか。(今後の調査の課題)





市内最古の棟札がある城見町神明社の農村舞台に
無言のメッセージを遺したセシルアンドリューさん。










  


Posted by かとうさとる at 01:42 | Comments(0) | 農村舞台

2009年10月22日

廃絶の危機に瀕している農村舞台


豊田市の山間部は
近世の農山村の文化の研究の宝庫


江戸時代中頃から昭和30年代始めにかけて、農山村や漁村で芸能の演じられた営業用でない舞台を一般に農村舞台と呼んでいる。その多くは集落の神社の境内に建てられ、中には廻り舞台のある本格的な舞台もあった。

近松研究所叢書「農村舞台探訪」角田一郎編(和泉書院)によると、県内の農村舞台は廃絶した舞台も含めて196舞台、その内豊田市は118舞台で、21舞台に廻り舞台の遺構があると記している。比率で言えば県内農村舞台の6割にあたり、隣接する長野県、岐阜県とともに、豊田市の山間部は近世の農山村の文化の研究の宝庫といっても過言ではない。




明治34年(1901)に建てられた旧藤岡町の磯崎神社の農村舞台。舞台正面があいているのは農村舞台の特徴の一つで、私は仲代達矢の無名塾の本拠地となっている能登の「演劇堂」の舞台。唐十郎が「紅テント」のラストで多用する、舞台のテント幕を上げて一気に外界と交錯させる手法など、農村舞台からヒントを得たのではないか、と勝手に推理している。


残念ながら豊田市の農村舞台は、近隣の国指定の田峯観音の農村舞台、芸能の起源を伝える奥三河の「花祭り」に遅れをとっているため、県民はもとより市民の間でも知る人ぞ知る域を出ていないどころか、多くの舞台が既に廃絶。もしくは廃絶の危機に瀕しているのが実情である。

幸い、ここにきて豊田市議会議長の八木哲也さんを中心に、こうした農村舞台を再評価する機運が生まれ、その対策を練るため、10月31日(土)、市民文化会館に有志が集まることになった。




旧藤岡町の磯崎神社の農村舞台の天井。屋根が草葺きということがわかる


八木哲也さんの資料によると、豊田市の農村舞台は約80舞台が現存しているとのことだが、そのほとんどが市内北部から東部の山間部に集中。ちなみに農村舞台の分布を地図に落とすと矢作川水系の塩の道に沿っていることが歴然。さらに塩の道をたどると南信州の飯田あたりで、豊川水系、天竜川水系からくる塩の道と合流しているのがわかる。何はともあれ、先ずは実見することが先。そんな訳で暇をみつけては(ここしばらくはほとんど暇)ぶらりぶらりと車を走らせている。


でも楽しみはこちら





小原の四季桜。まだ一分咲きで白い花がちらほら





道なき道の旧道を行くのが好きで、行き止まりになれば戻るだけ
これは暇人の特権で、加藤和彦も私に倣えばよかったのに
(正直に言えばどちらがいいのか私にはわからない)




物忘れがひどくてサイテイ(実際の色はもっと鮮やか)
いけばなでよく使う枝ものだが名が思い出せない




広い道に出たため振り向くと愛知県豊田市の道路標識
豊田市は岐阜県と長野県に接しているため、三つの県をいったりきたり





こんなふうにして今日も一日がくれていくが
こんなことをしていていいのかな
そろそろ次の仕事にとりかからなければ

  


Posted by かとうさとる at 03:47 | Comments(0) | とよた風土記

2009年10月20日

花は足で活けよ


今日も野山をぶらりぶらり

私がいけばなを習いはじめて、最初に覚えた言葉は「花は足で活けよ」
という言葉だった。「野山を歩き、自然にふれ、草木一つひとつの植生をよく観察して活けよ」という意味である。




伊保町のため池は湧水を効果的に利用するため
里山の地形に合わせて上池、新池、馬場池の三つの池が連続
自然の回遊式庭園を巡るようで、時の経つのを忘れそう
(写真は新池)



この言葉について勅使河原蒼風は花伝書の中で次のように述べている。

  いけばなは 足でいけよという
  私はこの説に反対である
  山野の花をみてあるけという足なら反対で
  花でないもの
  世のいっさいに触れよ
  という足なら
  大いにそのとおりということなのだ
  いけばなもまた人生であるということなのだ




今日も伊保町のため池でぼんやり(上池)


「いけばなもまた人生である」という意味において私も同感である。
こんなことを言うと少し気恥ずかしいが、私にとって野山をぶらりぶらりすることは「いけばなとは何か」を思索することであり、今では私の人生の一部と思っているからである。




ふりかえると陽が西に傾いていた  


Posted by かとうさとる at 00:20 | Comments(0) | いけばなから

2009年10月19日

挙母まつりの曳きまわしを見た












祭りは生き物
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
過去・現在・未来をつなぐ



「挙母まつり」は
三河・尾張・美濃の各村が参集し
棒の手など農民の武芸を奉納する
「猿投祭り」とともに
当地を代表する大祭で
県指定の豪華な八台の山車が
勇壮に市中を練ることで知られている







豊田市駅前のロータリーを曳きまわす地元喜多町の山車


祭りは生き物で
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
過去・現在・未来をつなぐことは自明だが
この問題は悩ましい

「挙母まつり」も例外ではない
「挙母まつり」と言えば
山車の屋根の上に
若衆が溢れるように乗って
勢いよく曳きまわすことで知られているが
当初からやっていたわけではない

郷土史家によると
電線をよけるため竹を持った若衆が
屋根に乗ったのが始まりとのことで
いつか人数が増えて
屋根の上で祭りを鼓舞する
現在の形になったそうだ







山車の上に乗って祭りを鼓舞する若衆
末尾の絵図の山車と比較するとその違いは明白



当然のように
文化財としての山車を守ろうとする古老と
新たな祭りの創世に燃える若衆が
祭りのあり方を巡って対立したが
雨降って地固まるの喩にあるように
豪華さと勇壮さをあわせもった
「挙母まつり」として現在に至っている

久しぶりに
「挙母まつり」の曳きまわしを見て
達観するだけでは何も生まれないこと
いけばなもまた
伝統と創造という拮抗するエネルギーが
同時代性のいけばなを創りあげることを確信
ここまできたらやるしかない







交差した二台の山車が紙吹雪のかけあいでエール
祭りはクライマックスへ



挙母まつりの由来


余談に逸れたが
「挙母まつり」の起源は
江戸時代のはじめ頃で
現在のような型態になったのは
文化文政年間の頃

当時は山車を大手門から
挙母城内(現在の豊田市美術館)に曳き入れ
藩主や重臣らに供覧

こうした町衆の心意気は
挙母ッ子の誇りとして
今も祭りの中に脈々と息づいている







挙母城内に引き入れられた山車
山車を舞台に演じられているのは子ども歌舞伎か
(「豊田市の城下町展 中世~江戸期の豊田」図録より転載)






左の池は挙母城内という絵図の設定と池の形から
蓮池(現在の豊田市美術館駐車場)とよばれていた濠
目にしたのは初めてだが想像していたとおりで感動







町内(竹生通り?)を練り歩く大正期の挙母まつり
家の軒より高い山車に
人々が畏敬の念を抱いたのは想像に難くない

  


Posted by かとうさとる at 02:44 | Comments(0) | とよたの文化

2009年10月18日

末枯れたコスモスを玄関にいける


こんな風にしてまた一年が

あちこちの田んぼで藁を燃やす光景を目にするようになった
こんな風にしてまた一年が過ぎようとしているのに
私は何をしているのだろうか




我が家から数分もするとこんな田園風景が
私も暇なため、軽トラが動くまでのんびり







末枯れたコスモスを玄関にいける
  


Posted by かとうさとる at 03:44 | Comments(0) | いけばなから

2009年10月16日

現代いけばなを拓いた大坪光泉さん











民俗性と不易流行という
同時代性を併せ持つ現代いけばな


もし、私がヴェネチアビエンナーレ日本館のコミッショナーであれば、現代いけばなの旗手といわれる何人かの作家を推す。理由は日本という固有の民俗性と不易流行という同時代性を併せ持つのは、サブカルチャーの現代いけばなをおいてないからである。

中でも第一に推すのが現在北京に在住している大坪光泉さんで、大坪さんの他に比類のない、風のようなしなやかな発想と確かな仕事を世界に発したいと思うのは、私一人ではないのではないか。

次はイベントで、全世界のメディアを招いたオープニングは、鈴木五郎の巨大な焼き物を使った婆娑羅の大茶会で決まりだ。アニメ、ファッションからオタクまで現代の風俗の粋を集めた破天荒なデモストレーションで、サンマルコ広場まで花魁道中にならって、顔見せ道中をしてもいい。どうせやるならこのぐらいやらないと面白くない。

余談に逸れたが、大坪さんは未だ正体のわからない怪人二十面相のようなもので、一筋縄ではいかない。そんなわけでエピソードと作品の一部を紹介して、あとは想像力を働かしてもらうしかない。


現代いけばなを拓いた大坪光泉さん




70年代のはじめ、私は地方で新しいいけばなの方向性を模索していた。そんなとき偶然見つけたのが、「週刊平凡」に掲載されたこの記事で、理解はできなかったが、何故かわくわくしてスクラップしたことを昨日のことのように覚えている。




龍生展のゴミの1/5 いけばな龍生展(東京上野松坂屋)1971年

「いけばな批評」だったと記憶しているが、同人の座談会で、現代いけばなの端緒となった出来事として「龍生展のゴミの1/5」を取り上げた。「いけることからも、つくることからも解放された、行為としてのいけばなのエポックをしるした」というのがその理由で、納得。




私が最も衝撃を受けた「植物人間」(1978年「いけばな龍生」11月号)





名古屋市文化振興事業団が主催した「表現としてのいけばな」は、一作家一部屋の個展形式で、現代いけばなの到達点をしるした画期的ないけばな展となった。企画したのは美術評論家の三頭谷鷹史さん、石田流家元石田秀翠さん、私かとうの三人で、人選を一任された私は、大坪光泉さん、現在はタレントとして活躍している假屋埼省吾さんをはじめ10人のいけばな作家に依頼。「表現としてのいけばな」を体現するテキストとして「植物人間」を選んだ。




化粧する大根(1989年)





リンガジャポニカ(1991年)





制作スナップ 「嵐の金曜日」を歌いながら(1993年)





制作スナップ 「嵐の金曜日」を歌いながら(1993年)



大坪光泉(おおつぼ こうせん)
栃木県足尾銅山の町に生まれる
1960年より龍生派、吉村華泉氏に師事。
写真は「現代のフラワー・アーティスト大坪光泉」より転載。
現在北京在住。「Fの会」同人







  


Posted by かとうさとる at 00:14 | Comments(0) | 現代いけばな人物名鑑

2009年10月13日

カサブランカを大王松と一緒に眠るように置く



秋は夕暮れ




いつも通る伊保川の河岸林の夕暮れ



いけばなでレクエイム

楽しませもらった妻有土産の津南のカサブランカも最後の一花となった。その一花を大王松と一緒に眠るように置いた。




花:カサブランカ、大王松 陶:焼き〆深鉢 
台紙:イヴ・クラインのポスター「モノクロームブルー」

  


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2009年10月12日

フォーラム 白熱して課題はFの会に持ち越し



37万人を超える入場者を数えた大地の芸術祭
蓬平いけばなの家も1万人の大台にのる
いけばなの家は大地の芸術祭秋版として
11月23日(月・祝日)まで展示



10月10日(土)
新宿の大和花道会館で蓬平いけばなの家フォーラムが開催された。
このフォーラムは、越後妻有アート・トリエンナーレ2009「蓬平いけばなの家」の総括をするため、Fの会が主催したもので、アートフロントの水野真弓さんは、現在集計中と断った上で「大地の芸術祭の入場者は
約37万人、蓬平いけばなの家も1万人を超えるのではないか」と報告。また、Fの会同人で、北京在住の現代いけばなのカリスマ大坪光泉さん、真生流家元の山根由美さん、大阪の松井清志さんも参加。フォーラムに花を添えた。

フォーラムは、代表の下田尚利先生の蓬平いけばなの家の経緯と報告に続いて、作品のスライド上映とドキュメントビデオの上映。美術評論家の三頭鷹史さんの講評、フリートークと、予定の2時間を1時間オーバーする熱気で、50日間に及んだ蓬平いけばなの家を総括した。



蓬平いけばなの家の経緯の報告を交えて挨拶をする下田尚利先生



尾越健一さんが蓬平いけばなの家の
ドキュメントビデオを遺す


フォーラムで上映されたドキュメントビデオは、写真家の尾越健一さんが撮影したもので、尾越さんは下見から制作、週末のWeekendイベントとテント用具を持参して日参。メンバーも初めて見る映像で、見えなかった蓬平いけばなの家の実像を目の当たりにして声を失った。美術評論家の三頭谷さんも「今日は少し辛口の意見を言おうと出てきたが、こんな映像を見てしまうと考え方が変わった」と、切り口を急きょ変更するなど貴重な記録で、尾越さんに感謝。



蓬平いけばなの家の講評をする美術評論家の三頭谷鷹史さん

三頭谷さんは大地の芸術祭現象と言われる国際展の動向と美術の現在についての認識を述べたあと、蓬平いけばなの家から見えたいけばなの可能性と課題について指摘した。



北京から6年ぶりに帰国した大坪光泉さん
北京仰天最新情報に爆笑のカルチャーショック



白熱して課題はFの会に持ち越し

フリートークで会場から「蓬平いけばなの家の後をどのように考えているのか」という意味の質問があり、メンバーを交えてヒートアップ。詳細は割愛するが、「越後妻有に現代いけばなの橋頭堡を築きたい」という、作家としてより高みを求める意見と、「越後妻有の体験とパワーを現代いけばなの拡大につなげたい」という戦略的意見に要約できるのではないか。ともに現代いけばなの現在を象徴する切実な意見で、課題として持ち越したが、いずれにしても「作家個人の情熱と意志に支えられた放浪のジャンル」(三頭谷鷹史)の現代いけばなに残された時間はない。



白熱したフリートーク




フォーラムの合い間をぬって
いけばな龍生展を見た


フォーラムの合い間をぬって、上野の松坂屋で開催中の「いけばな龍生展」を見た。龍生派は、現代いけばなの流れを主導した先鋭的な流派で、リーダーの吉村華泉家元の高い見識とリーダーシップのもと、大坪光泉、谷口雅邦、古川知泉など国際的に活躍する多くの作家を輩出。最も注目をされる流派の一つとして知られている。



上野駅からアメ横を通り抜けて松坂屋へ





1階正面に活けられた催事案内用の花。松坂屋は地元名古屋の老舗デパートで、郷土愛?から思わず「がんばれ」とエール。でも少しわびしそう。




龍生展の会場





会場でFの会の吉村隆先生にバッタリ。「今日はナンカあったっけ、ハハハ」と吉村先生。ジョージ秋山の「浮浪雲」みたいで、私も釣られて笑ってしまった。写真は吉村先生の作品。



  


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2009年10月09日

台風一過 


空を見上げるとイヴ・クラインの
モノクローム・ブルー




空を見上げるとイヴ・クラインのモノクローム・ブルー





地を見ると倒れたコスモスが花筏のよう





畑けの川面を流れる花筏





夕暮れ時は寂しそう(トヨタスポーツセンター)
  


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2009年10月07日

カサブランカと名をつけた生産者に拍手


ユリのイングリッドバーグマン

カサブランカと言えば、ボギーことハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」を思い浮かべるが、気品のある大輪は女王の名にふさわしく、まさにユリのイングリッド・バーグマンだ。

カサブランカは洋花のように見えるが、日本に自生する山百合と鹿の子百合等を交配して育種されたオリエンタルハイブリッドと呼ばれる新種で、このユリにカサブランカと名をつけた生産者に拍手。




津南のカサブランカ 器:吉川正道「青磁湯呑」




津南のカサブランカ 器:吉川正道「白磁酒器」




津南のカサブランカ 器:木村孝二「粉引水滴」

  


Posted by かとうさとる at 00:31 | Comments(0) | いけばなから

2009年10月06日

蓬平/いけばなの家をドキュメントで検証




蓬平/いけばなの家Weekendイベントの会場スナップ


北京在住の現代いけばなのカリスマ
大坪光泉さんも参加


蓬平/いけばなの家を検証するフォーラムが、今週の土曜日、新宿の大和花道会館で計画されている。当日は美術評論家の三頭谷鷹史さんの基調トークや写真家の尾越健一さんが撮影したビデオや作品のスライド上映、出品者による自作トークなどが予定されている。私もトークを予定しているが、出品者にとって大地の芸術祭とは何か。「いけばなの現在と可能性について」どんな話が飛び出すか、興味のある方は是非お出かけを。最新情報では北京在住の大坪光泉さんも参加するとのことで、楽しみ。

蓬平/いけばなの家フォーラム

日時:10月10日(土)午後2時~4時
内容:ビデオやスライドによる解説及び出品者によるトークほか
参加:自由(無料)
ゲスト:三頭谷鷹史(美術評論家)
会場:大和花道会館(東京都新宿区百人町2-17-10
☎:03-3364-0151
問合せ:Fの会事務局古流かたばみ会館内(大塚理司)
☎:03-3971-7080

  


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2009年10月05日

コンサートホールと農村舞台を梯子


豊田市舞台芸術推奨事業

10月4日(日)快晴
豊田市舞台芸術推奨事業は、コンサートホールや能楽堂など充実した文化施設を生かした市民の優れた舞台芸術活動をサポートするため、豊田市が設置した制度で13年目を迎えた。この制度を通して豊田シティバレエ団、豊田市民合唱団が愛知県芸術文化選奨を受賞するなど、地域の舞台芸術の振興と発展に大きく寄与し、現在に至っている。私はこの制度のスタートから審査員の末席を汚し、今日は二つの推奨事業を見た。


豊田市民合唱団第24回定期演奏会
ヘンデル没後250年記念
オラトリオ「メサイア」

客演指揮:竹本泰蔵/独唱:安井陽子(ソプラノ)牧野真由美(アルト)渡邉公威(テノール)清水宏樹(バス)/オルガン:竹内理恵/演奏:ムージカークライス名古屋管弦楽団/合唱:豊田市民合唱団/会場:豊田市コンサートホール

市民合唱団は81年に豊田市で初めて上演した第九演奏会に出演した第九合唱団を母体に活動をスタート以来、団独自で第九演奏会や合唱の大曲に挑戦をつづけ、愛知県芸術文化選奨を受賞したのは先に記したとおり。今回もメサイアの全53曲から36曲を抜粋して演奏。合唱は人間の豊かさと希望を最もシンプルな形で表現できるジャンルで、合唱を聞いている限り絶対争いはおきない。至福の2時間に感謝。




コンサートの撮影は禁止のためコンサートホールからパチリ。遠くに見える青い山は恵那山。コンサートホールのロビーは冬になると中央アルプスの銀嶺を一望するビューポイントとしてもお薦め。




人だかりは狂言の野外公演を観る人。なんだか賑やかでお祭りのよう。




近道の矢作川の堤防を急いで岩倉神社へ。平成記念橋の間に満月が、
そういえば昨夜は中秋の名月ということを忘れていた。


第8回とよた吟舞夢一座公演
構成吟舞稀代の英雄 源 義経

出演:とよた吟舞夢一座
和洋楽器アンサンブル「リペルタ」
会場:岩倉神社農村舞台

とよた吟舞夢一座は、豊田詩吟連盟を中心に全国区で活躍している有志が中心になって結成した芸能一座で、座長の松尾さんを始めメンバーはみんな飲み仲間。そんな訳で私は詩吟の日本一や民謡の江差追分の日本一と同席したことがあるが、余興で歌った彼らの声量と上手さに絶句。オペラの本場のイタリアやドイツ人が聴いたら、和製オペラとしてカルチャーショックとなることは請け合い。現代いけばなもそうだが、知る人ぞ知る域を出ていないジャンルが多いのは日本文化の損失と思うが、根は深い。




岩倉神社の農村舞台

会場となった岩倉神社の農村舞台は、文化5年(1808年)の棟札が残っている市の有形文化財で、舞台中央に回り舞台、左右に太夫座がある本格的なもの。ちなみに、市内には70棟の農村舞台が現存し、そのほとんどの舞台が放置され朽ちかけているように、岩倉神社の舞台も私が初めて見たときは、棟は朽ちて傾いていた。地元も維持にお金がかかるということで諦めていた。紆余曲折を経て修復復元されたが、民俗芸能祭や現代美術展など、復興運動の立ち上がりから絵を描いてきた私にとって、芸能の歓声が響く猥雑な境内は感慨無量。




芸能の楽しみは飲み食いで夜店は大繁盛




和洋楽器アンサンブル「リペルタ」の演奏。境内はみんなノリノリ




芸能を楽しむのに私のような理屈はいらない




構成吟舞 稀代の英雄 源 義経。
舞台の白い包はオヒネリで、暗転の度に箒で掃いているが、
掃いても掃いてもおいつかない。うらやましい。










  


Posted by かとうさとる at 05:01 | Comments(0) | 農村舞台

2009年10月03日

土産は津南のカサブランカ



大地の芸術祭
越後妻有アートトリエンナーレ2009
秋版はじまる


大地の芸術祭は9月13日(日)50日間にわたるロングランの幕を閉じたが、新潟県と山形県庄内地方の観光関係者や市町村が協同して展開する大観光キャンペーン「新潟デスティネーションキャンペーン」に賛同。今日から秋版として廃校や空家プロジェクト、パーマネント作品を中心に公開がはじまった。(公開作品は大地の芸術祭のHPを参照)

そんな訳で、昨日作品のメンテナンスのため妻有に入った。今回は松之山の名湯も烏の行水でとんぼ返り。慣れた道とはいえ、さすがに片道5時間、往復10時間の運転はきつい。




新潟デスティネーションキャンペーンのチラシ
会期:2009年10月3日(土)~11月23日(月・祝日) 




鍵がかけられた「蓬平いけばなの家」の外観。我が家に帰ったような懐かしさと同時に時の流れも。鍵を開けて中に入ると作品たちが刻々と生命を刻んでいた。秋版が終われば当然のようにこの作品たちは撤去されることになるが、その時作家は死刑執行人になるのであろうか。




夜景100選に選ばれている長野道の姥捨サービスエリアから見た早朝の善光寺平。姥捨伝説の残る姥捨は、険しい山岳と千曲川が作る肥沃な平野の境に位置することから、古くからの交通の要衝で、戦禍に巻き込まれたこともしばしば。有名なのが上杉謙信と武田信玄が覇権を争った「川中島の戦い」で、歴史絵巻のパノラマを見るような景観に時の経つのを忘れそう。また姥捨は、「田毎の月」で歌に詠まれた月の名勝として知られているように、話は尽きることがない。




足湯に浸かるため野沢温泉に寄り道。残念ながら足湯はみつからず諦めたが、観光地はどこも同じ。妻有のスローライフな温泉がいい。


土産は津南のカサブランカ

妻有の楽しみは農産物の市で、朝採りの新鮮な野菜がよりどりみどり。
しかもいずれも一袋100円という信じられない安さ。もう一つのお薦めが津南の百合。日本有数のブランドでそれなりにするが、お薦めは規格外の百合で、品質は同じなのに各段のお値打ち。ちなみに、このカサブランカは規格外ということで7本で千円。花屋で買った百合は一日で開くが、鮮度がいいため蕾が固く開く気配もない。




玄関にカサブランカをいける。蕾が固く開花が楽しみ。
  


Posted by かとうさとる at 19:10 | Comments(1) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年10月01日

暮色の豊田大橋を渡る


激動の時代に生きる

10年の余が過ぎたが、未だに昨日のことのように覚えている新聞のコラムがある。「大きな歴史の節目になると、社会全体を独特の雰囲気や空気が覆うことが多い。自分がどこにいるのかわからなくなったとき、人は巨大な存在を手掛かりに居場所を確かめようとする。そのために、古くから人間の創造力は多くの巨大なものを生み出してきた。」という切り口で、20世紀末の気分とその背景を解き明かした。

私にとってその巨大な存在の一つが豊田大橋で、この橋を通るたびに塞いだ気分が解き放されていくのがわかる。そんな訳で診療所に薬を受取りに行くコースを変更して豊田大橋に向かった。




豊田大橋の正面。背景に見えるのは豊田スタジアムで、デザイン・設計はともに亡くなった建築家の黒川紀章。豊田大橋は橋から直接河川敷に降りることができるなど、歩行者と親水性を重視したため、当然のように通常の橋よりも割高で、一部の週刊誌がバルブ大橋と書いた。市民も賛否で割れた。この橋を通った神谷満雄先生(鈴木正三研究家)は、「日本はバルブのとき飲み食いしただけで、後世に残るモニュメントを造らなかった。豊田市は豊田大橋を造った。もっと評価しなければ」と話したが同感。




グランパスの試合やコンサートなどがあると
大橋の歩道は縁日のように人でであふれる




手前は下流に架かる久澄橋。後方に見えるのが豊田大橋。
右の突起物は豊田スタジアム。竹藪の向こうに矢作川が流れている。



残り花をトイレに飾る

豊田大橋からトイレへ。スケールが一気にダウンしてしまったが、
リフレッシュはまず身近な足元から。




花:みずひき、ヒメヒマワリ、器:作家ものだが名前を失念
  


Posted by かとうさとる at 00:58 | Comments(0) | とよた風土記