2009年06月29日

鈴木正三研究にアナリストが多い理由


楽しみは知の巨人、神谷満雄先生の卓話

今日(28日)は郷土の偉人鈴木正三の354回忌。「正三忌」は、江戸時代初期に活躍した仏教思想家鈴木正三の徳を慕う顕彰会が、毎年この時期に開いているもので、楽しみは知の巨人、神谷満雄先生の卓話。

正三研究は、正三が職業倫理を著わしたことからアナリストに多いが、神谷先生も東海銀行の取締役調査部長を歴任した経済学博士で、日銀の役員から正三の資料を譲り受けたことがきっかけとのこと。私は幸運にも神谷先生の薫陶を受ける機会に恵まれ、折に触れて繰り返し話を聞くことが多いが、何度聞いてもコロンブスの卵で、楽しい。そんな神谷先生も80歳半ば。これからの1年は1年が10年にもあたるため、心して接したい。



鈴木正三顕彰会総会で卓話する神谷満雄先生(恩真寺)



正三忌の帰路は新緑に浸って命の洗濯

神谷先生のお客さんの元NHK国際局チーフディレクター森和朗さんを、三河鈴木の始祖善阿弥ゆかりの医王寺、正三の生家の則定陣屋跡に建てられた心月院に案内したあと、一人で三河鈴木の廟所のある古刹妙昌寺へ。お目当ては王滝渓谷の新緑に浸って命の洗濯。




爽やかな緑が清々しい楓の王滝渓谷。妙昌寺はこの左奥にある。




帰りに見つけた紫陽花の群落(鞍ケ池)
  


Posted by かとうさとる at 02:09 | Comments(0) | らくがき帖

2009年06月27日

美術批評「リア21号」で国際展の現在を特集


同じ負け戦ならこんな素晴らしい負け戦はない

3年に一度の大地の祭典、越後妻有アートトリエンナーレ2009がまもなく開幕する。私が密かに楽しみにしているのは前回の閉会式で見た光景の続きだ。黒澤明の「七人の侍」のラストシーンで、野武士との戦に勝利した志村喬が平和のもどった百姓たちの姿を見て、「今度も負け戦だったなぁ」と苦笑いしながら坊主頭をなでるシーンがあるが、同じ光景を国際展で見るとは思わなかった。勝ったのは地元のおじちゃんやおばちゃんと全国からかけつけたボランティアの「おおへび」と「こへび」で、アーティストは傭兵にしかずだった。私は自分をアーティストなどと思ったことはないが、同じ負け戦ならこんな素晴らしい負け戦はないと思った。


美術批評「リア21号」で国際展の現在を特集

名古屋発の美術批評「リア21号」でこの国際展の特集をしている。1年後に迫ってきた地元の「あいちトリエンナーレ」を軸に、「見本市」から「街づくり」のコンテンツとして林立する国際展の現在を、座談、提言、テキストの三部構成で特集。「リア」の特徴は、書き手が多士済々の上、ジャーナリストの視点で編集しているため、アートファンも一般市民もそれぞれのポジションから問題意識をもつことができることで、中でも、井上昇治氏(新聞記者)の「だれのためのトリエンナーレか」は、市民感覚の疑問をわかりやすく解説したタイムリーなテキストで必見。笑ってしまったあと目から鱗になったのが、山本さつき氏(美術批評)の、日本のビエンナーレ、トリエンナーレの現状が、名古屋の「どまりつ」と構造が類似しているという指摘で、一瞬背筋が凍ってしまった。あとは最寄りの取扱い書店やギャラリーでお求めを。





「リア」の問合せは☎080-5139-1666(リア制作室)


  


Posted by かとうさとる at 00:46 | Comments(0) | アートの現在

2009年06月23日

大地の芸術祭でアート鑑賞の王様を目指せ


大地の芸術祭は日本のローカルパワーを
世界に発信するアートのダボス会議


45カ国のアーティストによる330を超える作品群が、東京23区より広い新潟県中越地域の里山や集落を舞台に展開する大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009。地域とアーティストが協働して日本の
ローカルパワーを世界に発信するアートのダボス会議です。
会期/2009年7月26日(日)~9月13日(日)
主催/大地の芸術祭実行委員会


あなたはコンテンポラリーアート鑑賞の王様



大地の芸術祭のパスポートの表紙





大地の芸術祭のパスポートは4つ折り。内側に作品番号の一覧表があり、見た人はスタッフが番号に印鑑を押します。全作品を見るにはタフな人で4日から5日。全作品を踏破した人には何かお土産があるといいですね。残念ながらお土産も、大地の芸術祭検定もありませんが、あなたはコンテンポラリーアート鑑賞の王様です。



全作品踏破まであと少し
パスポートを見せてくれたアート鑑賞の王様(2006年)



大地の芸術祭を詳しく知りたい方は
大地の芸術祭公式ホームページ並びに美術手帖
7月号増刊「大地の芸術祭ガイドブック」を


美術手帖7月号増刊「大地の芸術祭ガイドブック」に、大地の芸術祭の
見どころ、45カ国のアーティストのプロフイールと作品や作品プラン等
全ての情報が網羅されています。
発売日/7月10日(金)
造本・体裁/A5版176ページ
定価/1200円
お求め/最寄の書店で


行きたいけど「新潟までは遠い」という人は
私(かとうさとる)のツアーにどうぞ


アートの大好な人はご自分でどうぞ。
大地の芸術祭を見に行きたいけど「新潟までは遠い」という人は
私のツアーにどうぞ。温泉に浸ってのんびりと行くツアーです。

ツアーは 8月30日(日)・31日(月)1泊2日
出発/名鉄豊田新線浄水駅前午前7時
帰り/名鉄豊田新線浄水駅前午後7時頃
定員/25名 
会費/39、000円(パスポート、交流会費を含む)
ツアーガイド/かとうさとる
コース/下見で人気スポットを厳選
詳細/このブログを検索してください


  


Posted by かとうさとる at 03:05 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」

2009年06月21日

他人のこと言えないが一時が万時


何かがゆるんでいる

ここしばらく依頼されている図録の編集のラストランで昼夜逆転の不規則な生活が続いている。こんなときは気をつけなければ、と思っていた矢先に持病の腰を痛めてしまった。気分転換に玄関の花を活け変えるため、壺に水を入れて運んだためで、後悔先にたたず。

行きつけの接骨院で治療したあと、クライアントの家で図録の校正。帰路サッカーボールよりも大きい特大西瓜を農家の庭先で衝動買い。車に積んでもらったことはいいが家に着いて西瓜を抱えたとたん、またギックリ。落とさなくてよかったが完全にギブアップ。

どうにか家に戻ると「図録の校正原稿と携帯電話が忘れているぞ」と電話。今日は最悪の一日。救いは朝日新聞のオピニオン。作家の佐野眞一のインタビュー「売れ筋本ばかりの図書館はいらない」。一将功なりて万骨枯るというが、雑誌のリクエストまでサービスする図書館の変貌がもたらす弊害について指摘したもので、サービスという名の思考停止にしかず。他人のこと言えないが一時が万時、何かがゆるんでいる。




このあたりの田は、山の湧水を溜めた池から水を引いた無農薬米で絶品
  


Posted by かとうさとる at 03:18 | Comments(0) | らくがき帖

2009年06月18日

とよたの産業遺産-百善土場


矢作川と水運

長野県の大川入山に端を発して、長野、岐阜、愛知の3県を流れる母なる川、矢作川。この矢作川が水上輸送路として使われるようになったのは、文献によると、江戸時代初期の承応2年(1653年)、信州根羽村桧原山の木材を根羽川を経由して矢作川本流へ川狩したのが始まりとされている。

100石から200石の木材を川に流し、木材の端の前後をベテランの筏師が鳶口で捌きながら流していく川狩のほか、木材を1本ずつバラバラに流す管流し、筏に組んで流す筏流しがあった。こうした風物詩もトラックなどの郵送手段の発達やダムの建設で姿を消したが、川辺に立ち目を閉じると木材が流れていく光景が浮かんでくるようだ。




矢作川を下る筏(大正11年)豊田・加茂の100年(郷土出版社)より転載



百々の貯木場(大正後記)豊田・加茂の100年(郷土出版社)より転載



集積された木材(百善土場|大正7年頃)豊田・加茂の100年(郷土出版社)より転載。水門から取り入れた木材は、ここで大きな筏に組み直し、河口の平坂(西尾市)さらには知多半島まで運ばれていった。



作業風景(大正中期以降)豊田・加茂の100年(郷土出版社)より転載



夏草に覆われた百善土場




水門の向こうに矢作川が流れているが、河床が4~5メートル近く下がっているのがわかる。ダムにより土砂が流れなくなったためで、各地の海浜が年々痩せていく原因の一つがダムにあるのは明白。



夏草に覆われた百善土場















  


Posted by かとうさとる at 03:44 | Comments(0) | とよた風土記

2009年06月14日

こんな時は目の保養が一番


大地の芸術祭の公開制作まで一か月

大地の芸術祭の公開制作まで一か月を残すのみとなったが、その前に依頼されている案件を仕上げないと。そんなわけで、ここしばらくは明け方までデスクワークすることが多く、集中力も途切れがち。こんな時は目の保養が一番。近場で森林浴したあとは矢作川の河原に車を止めてひと休み。





西広瀬の簗の上流の瀬。このあたりは矢作川でも一級のポイントだがこの日は釣り人が一人だけ。しばらく見ていたが竿が立つ気配もなく移動。





富国橋上流で相模ナンバーのワゴンを見つけた。竿をたたんで帰る所とのことで、釣果を聞くとオデコに手をあてて「僕は下手だから」と苦笑い。





相模ナンバーの釣り人が竿を出していた富田の瀬。このあたりはカヌー競技のコースになっている岩場の激流で、ベテランでないと難しそう。釣果はなかったが「水がきれいで豊田まで来てよかった」と言ってくれたのがせめての救い。灯台もと暗しというが、雨のしとしと降る夕暮れ時、富国橋から見る富田の瀬は水墨の山水画を見るようで、お薦め。

  


Posted by かとうさとる at 20:43 | Comments(0) | とよた風土記

2009年06月11日

ライブラリー(24)葉蘭に始まって葉蘭に終わる


稽古の意味

魚釣りは鮒に始まって鮒に終わるというが、私がいけばなの稽古をはじめた頃は、いけばなは葉蘭に始まって葉蘭に終わると教えられた。花會になるとみんな葉蘭の枚数を競っていた。定型を外すと「ここが違う」と、有無を言わせず鋏を入れられた。当時は反発したが、いま思うとこうした定型の繰り返しが今日の空間認識の元になっていることがわかる。感謝。




葉蘭|吉川正道作「青磁おもた鉢」(常滑)1988年



  


Posted by かとうさとる at 05:47 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2009年06月04日

作品ライブラリー(23)猿投神社で水をいける


作品集の巻頭は猿投神社と決めた理由

私が初詣でお参りする猿投神社は、古来より武家の崇敬が篤く、中世の衣の里を治めた中条氏はたびたび神田を寄進。徳川家康も慶長7年(1602)776石の神領を安堵するなど、当地では屈指の石高をもつ神社である。こうした大社に共通するのが神仏習合で、明治元年の神仏分離令により取り壊されてしまったが、盛期には16僧坊を数えたという。キナ臭い話に事欠かない今、歴史はいつかきた道に戻ることを肝に命じなければ。話は余談に逸れたが、そんな訳で作品集の巻頭は猿投神社と決めた。





上図は『豊田・加茂の歴史』より転載した「猿投神社祭礼絵巻」の部分。
杉木立の中の建物は神宮寺の一つで現存。左の建物も神宮寺の一つで碑が遺されている。絵巻の上部に描かれた建物が消えた神宮寺群と思われる。





猿投神社の正面。左奥に禊の御水場があるが工事中のため撮影は断念




猿投神社で水をいける





器は猿投の土で焼いた猿投窯山田和俊さん快心の陶
1988年夏、身体を清め滝壺の石の上に陶を静かに沈めた

  


Posted by かとうさとる at 01:55 | Comments(0) | 作品ライブラリー

2009年06月01日

衝撃の「ヤノべケンジ-ウルトラ」展


《ウルトラ-黒い太陽》に荒ぶる怒神を見た

酸欠気味の頭を切り替えるため豊田市美術館で開催中の「ヤノべケンジ-ウルトラ」展を見た。ヤノべケンジは大竹伸朗と並んで私が畏怖する作家の一人で、巨大ロボット《ジャイアント・トらやん》が火を噴いた「キンダガルテン」から4年。満を持しての再登場で、《ウルトラ-黒い太陽》のパフォーマンスに合わせるため、美術館に急いだ。

余談に逸れるが駐車場の車のナンバーをざっとチェックしたが豊田、三河ナンバーが約3割、県内ナンバーが約4割、県外ナンバーが約3割、中には土浦、横浜、富山から九州ナンバーの車も。本展は90年代から近年の主要な作品群、制作ドキュメントやドローイング、模型、「トらやんの大冒険」の絵本原画も加え、伝説となった「キンダガルテン」を凌ぐ最大規模の最新作《ウルトラ-黒い太陽》まで、ヤノべの全容を展観するもので、人気のほども納得。



《ウルトラ-黒い太陽》のドローイング。撮影OKとのことだったが実物の迫力に絶句。


さて、肝心の「ヤノべケンジ-ウルトラ」展だが、自分は古いメディアとか新しいメディアとかいう区別に反発してきたが、今日ばかりは返す言葉もない。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」で、傍若無人の「顔なし」が千尋に叱られてシュンとなってしまったように、目の当たりにしたヤノべの破壊力の前に絶句。無数の突起物に覆われた《ウルトラ-黒い太陽》の中に仕掛けられた人工稲妻発生装置の火花が躍るパフォーマンスは、荒ぶる怒神もかくやと、思わずその場にひれ伏してしまった。これ以上は説明不可。ヤノべの全容を記した本展を見逃す手はない。




「ヤノべケンジ-ウルトラ」展のチラシ。会期は6月21日(日)まで。手抜きで申し訳ないが、前述したような理由で展覧会の内容、ヤノべのプロフィールはインターネットで検索を。なお豊田市美術館の次回の企画展は、伝説となった衝撃の個展から14年。あのジョゼツペ・ペノーネが豊田市美術館に里帰り。会期は7月7日(火)~9月23日(日)。


初めての方に豊田市美術館をガイド



茶室童子苑側から見た豊田市美術館(2F部分)。右の遠景はトヨタ自動車㈱本社


豊田市美術館は1995年11月にオープン。設計はニューヨーク近代美術館分館を設計した谷口吉生。場所は山の学校と呼ばれていた童子山小学校があった市街地を一望する高台で、古くは紀伊徳川家から入婿して二代目挙母藩主となった内藤学文が築城した館跡。余談に逸れるが童子山小学校は私が通った小学校で、美術館は当時の地形を生かしているため、愛着もひとしお。アクセスは東名高速豊田ICから約10分。名鉄豊田市駅、愛知環状鉄道豊田駅より徒歩約15分。





美術館の目印となっている作品。ここまで来ると美術館は目の前。ちなみにスペースデザインと陶のオブジェは私の作品で、タイトルは「すわらないで」。無銘のため、ほとんどの人はこの作品が私の作品ということを知らないのではないか。




七州城の名は、三河、尾張、信濃、近江等七ヶ国の山々が眺められることから付けられたもの


七州城図(豊田の文化財より転載)。中央の高台が豊田市美術館が建っている場所。近くに隅櫓が見えるが、現在の隅櫓は復元されたもの。左上の池は現在の駐車場。ちなみに私の作品「すわらないで」の場所は、中央右の山と田んぼが接するあたりで、私が山の学校に通っていた頃はまだ図に描かれた地形が残っていた。

  


Posted by かとうさとる at 00:24 | Comments(1) | アートの現在