2008年09月28日

花・かとうさとる作品集



花・かとうさとる作品集

かとうさとる展|夕映え|豊田市美術館(2003年)



1991年夏、豊田市美術館準備室のプレ企画展として開催されたクリスト展に関わった私は、展覧会の準備のため、名古屋駅にクリスト夫妻を迎えた。ミーティングが終わったあと、名刺代わりに渡した私の作品集を見ていたクリストが、突然「かとうの作品を見たいので案内してほしい」と席をたった。「申し訳ありませんが、みんな消えてしまって無い」と私。「オー・クレージー」とジャンヌクロード。一瞬何のことか意味がわからなかったが、私の身体の中で、膝がガタガタと音を立てて崩れていくのが見えた。手さぐりの中から重ねた私の長い時間がこのひと言で報われたと思ったからだ。 
 
クリストのことは夢のまた夢だが、この作品集は、いけばなという民俗から出発した私の仕事の足跡を時間に沿って記したものである。大きな時代の分岐点にたっているいま、こうした形で自分史を記すことができることを感謝している。

 2005年春
 かとうさとる


無骨の抒情
三頭谷鷹史(美術評論家)

今回の作品集によって、いけばな作家かとうさとるの全体像が、ようやく明らかになるのではないだろうか。今、彼は現代いけばなという大きな山を登り終えた節目にあたり、実に適切な時期の出版になったと私は考えている。1970年前後から登場してきたいけばな運動と作品を一般に「現代いけばな」と呼ぶが、かとうのいけばな活動の大半がこの現代いけばなに費やされたのである。今回の作品集は、かとう個人の仕事を検証する機会となるとともに、現代いけばな全体を考察するための材料を提供してくれるはずである。

いけばなは伝統的要素を強く残した分野であり、伝統的な「型」を継承の主軸にした花形を誇り、日本の人々もそれがいけばなだと認識している。しかし、この認識には大変な誤りがある。なるほど伝統の継承はたえず重要視されてきたが、新しいいけばなを目指す運動も並行してあり続け、いけばなは確実に変化してきているのである。しかもその変化は思いがけないほど大きく、いけばなというジャンルの壁さえ越えてしまうほどであった。典型的な例が勅使河原蒼風の作品である。勅使河原は1950年代にいけばなの範疇に納まり切れない作品を発表し、いけばなでも彫刻でもないという意味で「新造形」と命名するものの、国内的には承認されなかった。海外において彫刻として高い評価を受けたのを機会に、結局は「彫刻」と呼ぶことにしたのである。

問題が解決されたわけではない。かとうの「私の仕事」として区分された作品を見れば、そのことがよくわかるはずである。多くがインスタレーションと呼ぶより仕方がない作品であり、美術の越境が明らかに見てとれるであろう。かとうはこれらの仕事を「いけばなから発展した空間造形」と説明しているが、彫刻とインスタレーションの違いはあっても50年前の「新造形」とほぼ同様の問題を抱えていると言っても過言ではない。ここで私たちは、いけばなか美術かといった、所属をめぐる議論を再び繰り返してよいのだろうか。だんじて否である。むしろ「いけばなであり美術でもある」仕事、ジャンル横断的な仕事として素直に受け入れるべきである。ただし、横断的仕事であるにしても、いけばなが美術に同化したということではない。

かとうは「私の仕事」について、その原点は「活ける」行為だと語る。「造る」ではなく「活ける」と語るのは、美術的な造形との違いを主張していると受け止めてよいし、私が現代いけばなに関心をもった理由もそこにあった。現代美術とほとんど変わらない外観でありながら、どこかに異質な造形所作があって、大変興味深かったのである。確かに美術的な造形とは性格が違うのである。

かとうをはじめとする現代いけばな作家の作品が、ほとんどが一時的な設置であるインスタレーションとなっている。たとえ使う素材が恒久的な種類のものであったとしても、仮設的に組み立て、ほどなく解体してしまうのだ。美術では、当然ながら絵画や彫刻があるわけで、インスタレーション一色になるということなどありえない。花の生命は短く、いけばなはもともと仮設の造形であり、そうした造形によって形成されてきたいけばな人の美意識が、現代いけばなに流れ至っていると考えるほかないのである。同様に、「造る」という構築性よりも、「活ける」という刹那的な行為性こそ、現代いけばなの強い性格になっているようなのだ。

かとうの場合、現代いけばな作家のなかにおいても、さらに異質、あるいは異端である。素材選択にもそのことがよく現れていて、彼が多様するムシロなど好例である。いけばな的センス、美術的センス、その両方からして扱いにくい素材であり、洗練された美を生み出すにはあまりにも無骨な素材なのである。しかし、無骨さは否定すべきものではない。「私の仕事」の末尾の作品は、2003年10月の個展で発表したもので、ムシロ(菰)、建築足場用丸太、ベニヤ板という無骨三兄弟を素材にしている。当時の個展評で、私は次のように記した。「丸太やムシロ、ベニヤ板というのは、そのままでは無骨すぎる素材であるはずだが、それが嘘のように気にならない。無骨さが気負いのない表現によって昇華され、譬えるなら質の良い民謡のような、土の匂いをふくんだ叙情性を漂わせる作品になっている。(略)それにしても作家その人を素直に語る表現は深さを感じさせるし、心地よい。その人の生活や感情に根ざした表現こそ本物であり、私たちはそうした素直な表現を長く見失ってきたのではないだろうか。」

かとうは、野のいけばな人である。土の匂い、あるいは土俗が彼の作品のコアになっているのだ。このことは彼が豊田市に生まれ、今もそこに生活していることと無縁ではないかも知れない。自動車の町として知られるのが豊田市だが、現代産業都市の顔のほかに農村という顔をもつ、少なくとも彼が育った頃はまるで田舎であった。現代いけばな作家の大半が東京在住であり、かとうとは生活感情において相当に異なっていると見てよいのではないか。風土的要素が作品表現に及ぼす影響については、よほど極端な辺境でない限り、これまで無視されてきたが、大いなる反省材料である。

今回の作品集には「私の花」と区分され、主に花器に花を活けた作品が掲載されている。15年ほど前に出版された最初の作品集にはなかった区分で、一見したところ伝統的ないけばなへの回帰のようであるが、そうではない。現代いけばなを登り終え、これから新しい道を歩み始めようとしている、その宣言だと私は勝手に理解している。冒頭に掲載されているのは、地域出土の古い多口瓶(写し)に地域採取の笹を活けた作品である。地域の文化的風土をいとおしみ、確かめるような作品選択であり、この冒頭の作品選択は原点からの再出発を象徴的に語っているのではないだろうか。

「私の花」の二番手に「ヨリシロ」と題された壺と松を並列した作品をもってきたのも、やはり象徴的である。いけばなのルーツとしての依代がテーマであるが、依代であるはずの松に葉はなく、松を活けるはずの花器の壺は逆さに置かれている。植物と花の関係を逆説的に表現することで、いけばなの原理を鋭く浮かび上らせた名作だと思う。この「私の花」にはモダンダンスの舞台、座敷、古寺の縁側など、様々な場所を彩った花が登場して楽しませてくれるし、白磁の大壺に柿を活けた作品には注目させられる。野趣たっぷのり枝葉が素晴らしいばかりか、その大胆な活け方が効を奏して、彼ならではの野に根ざしたいけばなを実感させるからだ。背後の壁には「切」の一字、自然の生命を切り取って成立するいけばなへ向けられた、かとうの自覚と覚悟を示す言葉であろう。

「私の花」と「私の仕事」は、互いに許しあうといった甘い関係ではなく、相互に批評し合う緊張関係にある。この緊張関係をじっくり見据えるなら、現代いけばな作家かとうさとるの葛藤が見えるであろうし、彼の闘いの核心部分に触れることができる。この作品集はいけばなにとって貴重な一書となるはずである。

花・かとうさとる作品集
発刊:2005年/規格:A4版104頁英訳付/執筆:三頭谷鷹史(美術評論家)/頒布:4千円/在庫有






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Posted by かとうさとる at 11:18 | Comments(0) | 編集出版
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