彫刻の時代を駆け抜けた斎藤勝弘さん
地元紙の矢作新報に月イチで連載しているコラム「ぶんかの定点観測」。122回目の今月は、豊田市民文化会館正面に設置されているモニュメント「青年像」の作者で、彫刻家として活躍した斎藤勝弘さんを偲んで。
文化ゾーンのランドマークとして親しまれている
彫刻家・斎藤勝弘さんの代表作「青年像」
彫刻の時代を駆け抜けた斎藤勝弘さん
地元紙の矢作新報に月イチで連載しているコラム
「ぶんかの定点観測
「最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように」田部井淳子
朝日新聞に連載されている哲学者・鷲田清一のコラム「折々のことば」によると、女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる登山家の田部井淳子さんは、「家族がどこに出かけるときも、まさかの事故の時のため、その日の服装をしかと脳裏に焼き付けるようにしてきた」そうだ。
田部井淳子さんについて、鷲田清一はこうも記している。「見るのはもうこれが最後かもしれないと思うと、その姿がとても愛おしくなる。死を意識することは、人や生き物にていねいに向き合う態度を養ってくれるのだろう」と。
私もそうありたいと願っているが、言うは易く行うは難しで、彫刻家の斎藤勝弘さんが人知れず黄泉の国に旅立った。亡くなったのは一昨年の秋というから三年目の春にして届いた訃報である。
斎藤勝弘さんは1942年瓦職人の子として生まれる。粘土塑像の技術をもった瓦職人が彫刻家の道を歩むのは必然で、1964年日彫展初入選。翌65年日展初入選。時代は東海道新幹線の開業、東京オリンピックの開幕、名神高速道路の全面開通などなど、高度成長時代真っ盛り。斎藤勝弘さんは市内初の日展作家として一躍時の人となった。
以来、斎藤勝弘さんは作品集のタイトルに「街角の詩」と名付けたように、モニュメント彫刻のトップランナーとして活躍。東海三県を中心に数多くのモニュメントを手掛けているが、代表作として知られているのが豊田市民文化会館正面に設置されている「青年像」である。
芸術性と、豊田市の歴史性を内包した青年像を見上げると、どこからともなく「元気でやっとるかん」と、あの懐かしい声が…。なんだかあっちの方が楽しそうだな。(合掌)
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