タイムトンネルの扉をひらく

かとうさとる

2011年01月14日 03:33


野見山から水源までぶらりぶらり


遠出のチャンスの乏しかった田舎の小学生にとって
春と秋の遠足ほど待ち遠しい日はなかった。
そんな遠足の定番の一つが、野見山の山頂から尾根づたいに
水源(明治用水堰)まで歩く、片道8キロほどのコースで
目を閉じると、悪ガキたちの歓声が聞こえたような気がして
思わず振り向いてしまった。






野見山の名の由来は
相撲の神様野見宿禰を祀る
山頂の野見神社からつけられたもの。






沢の湿地でみつけたシデコブシの群生
自生個体群は絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている貴重なもの






野見山の山頂から見た豊田市の市街地
中央を北から南に蛇行するのが矢作川
右奥の白い橋が豊田大橋
その手前の白い橋が久澄橋
遠足はこの久澄橋を歩いて渡った。






山頂から西南の方向に振るとトヨタ自動車の本社が真下に見える






東南に振ると三河の山並みが続いている
遠くの構造物は第二東名となる東海環状の吊り橋
遠足は尾根づたいに水源まで下って行ったが
今から考えると小学生にはかなりハードで
昔のガキはみんな元気。


遠足のゴールは水源

西三河八市を潤す明治用水は
幕末から明治のはじめにかけ
全国に先駆けて開削された農業用水。
旧堰は近代土木の端緒となった歴史的産業遺産なのに
なぜか、知る人も稀で残念!






前回のブログ「平戸橋は文化遺産の宝庫」で土場とよばれる川湊の話をしたが、旧堰の船通しとよばれる閘門の遺構は、往時の矢作川の物流を物語る貴重な産業遺産の一つ。私は職にあった当時、文化財の担当者に「なぜ国指定にしないのか」と質したことがあるが、「かとうさんここだけの話だけど、僕たちも申請しているが建設省がウンといわない」と担当者。治水上邪魔な構造物という認識で、理由を聞いて唖然としたことがあるが、その期も何の処置もないということは、今も情況は変わっていないということらしい。






水源とよばれていた当時の明治用水堰
(豊田加茂の歴史下巻より転載)


余談にそれたが、
堰堤の上に幅1mほどの板が架けられていて
恐怖に足が竦んで板の上を這うようにして渡ったが
先生は「落ちんように気をつけよ」の一言で知らん顔。







目で見る豊田加茂の100年より転載


この堰の上を小学生に歩かせて平然としていた学校も大したもの







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