今日の紙面から/飛騨古川の「三寺まいり」

かとうさとる

2014年01月16日 21:22










「三寺まいり」の淡い灯りが
雪の中で舞う蛍のように見える理由





    2014年1月16日朝日新聞より転載

今日の各紙は
競って飛騨古川の「三寺まいり」を歳時記として報じた

「三寺まいり」の説明は記事のとおりで省くが
『大正期には、野麦峠を越えて信州に紡績の仕事に出ていた
若い女性たちが古里に戻って着飾り
男女の出会いの場になったという』と記しているように

コトは明治から大正にかけて
信州へ糸ひき稼ぎに飛騨の若い娘たちが吹雪の中を
命がけで難所の野麦峠を越えて行った話は
女工哀史「ああ野麦峠」として映画化され
目がしらを抑えた人もいるのではないか

2月も半ばを過ぎると
古川周辺の娘たちは古川の旅館で一泊し
次の日
高山であちこちの村々から集まってきた人たちと一緒になった

宿屋の前には
岡谷の製紙工場の社名を書いた看板や高張り提灯が立ち
娘を送ってきた親と子の別れが
いつまでも続いたというから切ない

故郷の親に会うこともできずに
死んでいった娘たちも数多くいたという

「三寺まいり」の淡い光りが
雪の中で舞う蛍のように見えるのは
若くして一家を支えて働いたそんな娘たちへの
鎮魂の灯が時を超えて揺れているからで
不思議でもなんでもない

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